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ファティマの聖母 第3の予言をバチカン公開
ポルトガル・ファティマ(CNN) 2000.05.15 Web posted at: 11:36 AM JST (0236 GMT)

長らく秘密にされてきた、いわゆる「ファティマの第3の予言」の内容を、バチカン法王庁が13日、初めて明らかにした。
法王庁によると第3の予言は、1981年の同じ5月13日におきた法王暗殺未遂事件を暗示していたという。
ヨハネ・パウロ2世は13日、ポルトガルの聖地ファティマを訪れ、1917年の同じ5月13日に聖母マリアと出会ったとされる牧童3人のうち死亡している兄妹を、聖人に次ぐ福者に列するミサを執り行った。
首都リスボンから約140キロ北の聖地を約50万人の巡礼者が訪れ、この日のミサに参列した。

野の羊飼い

フランシスコとファシンタ・マルト兄妹は83年前、いとこのルチア・ドス・サントスと羊の世話をしているときに聖母マリアの姿を見たとされている。
3人によると聖母マリアは、1917年5月から10月まで毎月13日に出現し、子供たちに3つの予言を伝えた。

 カトリック信者の多くは、第1と第2の予言は「地獄」を描写しており、第2次世界大戦の勃発とソ連共産主義の興亡を暗示するものだと信じてきた。
しかし第3の予言の内容は長らく公表されず、歴代法王とバチカン幹部しか知ることの出来ない秘密として、秘匿されてきた。
このため第3の予言は、世界の終末を告げる黙示録的な内容ではないかと、さまざまな憶測が飛び交っていた。
1981年には、ハイジャック犯が予言の内容公開を要求するという事件もあった。

 バチカンのアンジェロ・ソダーノ枢機卿は13日、「ファティマの秘密の第3の部分は、『白の衣をまとった司教が、銃声を浴びて、死んだようなおももちで地に倒れ伏す』様子を語っている」と明らかにした。

この予言が暗示していたのは、1981年5月13日にバチカン市国の聖ペテロ広場でおきたヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件だと、法王庁は解釈している。法王自身も、銃で撃たれながらも一命をとりとめたのは、聖母マリアのおかげだと信じているという。

カトリック教会は1930年、ファティマの聖母出現を信憑性のある奇跡として認定。以来、人口約8000人のファティマ村は南仏のルルドに匹敵する聖地となり、毎年500万人にのぼる巡礼者が訪れるようになった。

フランシスコとファシンタ兄妹は、聖母出現の2年後に肺炎で亡くなった。
二人のいとこルチアさんは1929年、ポルトガルの修道院に出家して修道女になった。

 ルチアさんは現在93歳。13日は、ファティマの大聖堂に納められたいとこたちの棺の横に座って、ミサに参列した。
列福の儀式は死者に授けられるもので、そのためルチアさんは対象にならなかった。

20世紀の惨事
2時間半におよぶ儀式で、ヨハネ・パウロ2世は参列者たちに、現代社会が自己破壊を免れるには、伝統的な価値観に立ち戻る必要があると説諭した。「ファティマの聖母の言葉は、人が(悪魔の)わなに陥らないよう、改心を求めて私たちの人間性に訴えかけている」と唱えた法王は、善と悪の戦いは今日も続いていると付け足した。

戦争や民族浄化、麻薬汚染や中絶など、20世紀に起きたあらゆる惨事は、悪の犠牲者を多く生み出した、とローマ法王。

  「人間は、神をおざなりにしては幸せになれない。それでは、自分を破滅においやるだけだ」と、白と金の祭服をまとった法王は唱えた。

18日に80歳の誕生日を迎えるヨハネ・パウロ2世は、12日にポルトガル入りした際には疲れた様子だったが、ファティマのミサで元気を回復したように見えた。
See also CNN News Release "Vatican releases text of once-secret prophecy"

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