1/5(Thu) | アドベンチャートレッキングツアー(Chiang Mai TIC Travel) チェンマイ 21:45-エアーアジア(FD)3977-23:50 プーケット |
宿泊先 | Chong-ko Guest House / 1,400B (3,500JPY) per night |
[booking sites for you / agoda.jp (英語・日本語)] | |
諸費用 | ツアー料金: 1,000B=2,500JPY(代理店:Peaceful Guest House) トゥクトゥク / Lila Thai Massage-チェンマイ空港: 150B=380JPY タクシー / プーケット空港-パトンビーチ: 650B=1,630JPY タクシー(Ms. Fadira 英語可)/ パトンビーチ内: 200B=500JPY |
関連サイト | アジア総合リンク タイ 北部地方 プーケットとその周辺 |
今日は、昨日申し込んだアドベンチャートレッキングツアーに参加する日だ。
行程はいたってシンプル、象に乗って、滝で水遊び、最後は川で水遊び、私を除いて全員が白人、イタリア人の家族にカナダの男性グループ、オーストラリアの女性グループ、イタリア一行に小学生の子供連れがいた以外は想像通りの顔ぶれだ。
それにしてもイタリアと言えば、欧州経済危機の真っただ中の国の一つ、下落一方のユーロ相場の中で、それでも家族でタイに1カ月来られる人がいるというのは私も想像してなかった。
日本人、特に政財官のエスタブリッシュメントたちは、昔から南欧諸国の人たちの労働感覚を批判しているが、どっちの人たちが豊かな人生を送っているのか考えたことがあるのだろうか。
おそらく経済指標だけ見て豊かさを判断していた人たちは可哀そうなことに一生涯わからないだろう。
チェンマイ出発から約1時間、メーテーン地区(Mae Taeng area)のエレファント・キャンプで象乗りを楽しむ。
これは、タイではどこにでもあるアクティビティで特筆すべきことは何もない。
私もタイ各地で象には数回乗っているが、チェンマイ発のツアーでもほとんどのものにこれが付いているというポピュラーなものだ。
象乗りが終わると昼食、その後トレッキングに行くのだが、これが結構長時間歩く。
ガイドのマイケル(Michael)が、水着とタオルだけ持っていけばいいと言うので、駐車場の近くなのかと思ったら、山道を延々と1時間近くも歩くのだ。
ツアーを申し込んだピースフル・ゲストハウス(Peaceful Guest House)でもらったリーフレットを読んでなかった私がいけないのだが、そこのお姉さんも大したことがなさそうなニュアンスで言うので安心していたのだ。
しかしながら、トレッキングはそれほどきつくはなく、私のような軟弱トラベラーでも踏破できるレベルだったのだが、到着した滝の水が冷たいこと、チェンマイは季節的には涼しい時期なので仕方ないのだが、まるで僧侶の修行のようだった。
おまけに、水着が水圧で脱げそうになり、大慌てで抑えにかかっているところを取られてしまった。
撮影したヤツも大笑いで、本当に水着が脱げていたら周囲が爆笑の渦になるところだった。
滝遊びが終わると、最後はラフティングというよりゴムボート遊び、そして筏で水遊び、特に筏はわざと川に水没するように作っているのかと思えるチャチな作りで、全員が水遊びを目的に来ているので、誰もが面白がっていた。
私にしてみれば、どちらかと言うとゴムボートに乗っている時間を沈没寸前の筏遊びに全部振り向けていいかと思ったくらいだった。
ツアーが終了し、催行会社のオフィスに預けてある荷物をピックアップする。
最初の説明だとツアーの申し込みをしたピースフル・ゲストハウス(Peaceful Guest House)の屋上にシャワーがあって、それを浴びていいよ、という話だったのだが、そんなものはどこへやら、ガイドのマイケル(Michael)は自分の仕事を終えるとさっさと帰ってしまった。
荷物を預かってもらった場所はゲストハウスとは違うところだし、わざわざそこへ行くのも面倒だ。
汗だくになったわけではなく、川遊びで濡れた体はすっかり乾いていたので、あまり気になることでもない。
マッサージ屋で時間を潰して空港へ向かえばちょうどいい時間になっていたので、近くにあった店に入って足マッサージをしてもらうことにした。
もし、どうしてもシャワーが浴びたいならオイルマッサージをしてもらうと、ほとんどの場合、浴びさせてもらえるのだが、エロ系のマッサージガールだった場合、余計な出費をすることになるので、注意が必要だ。
チェンマイからプーケットまではエアーアジアの夜便である。
プーケットは今回の訪問で3回目であり、パトンビーチ界隈もある程度わかっていたので、深夜の到着でも問題ないと思っていた。
ところが、今回予約したブレーク・ポイント(Break Point)という日本人宿は、ウェブサイト上に地図がなかったので、空港のタクシーカウンターでも住所だけでは場所がわからないと言われ、ドライバーも会社に問い合わせると言ったきり、途中で寄り道したオフィスで車を止めたままである。
それに、前日の昼間にホテルに電話したときは、深夜に到着しても問題ないと言っていたのに、今夜は電話に誰も出ない。
ドライバーは住所だけでは誰もわからないと言い、別の宿に泊まれとうるさい。
それを振り切るようにパトンビーチで下りた私は住所を頼りに行くが、現地のタイ人もほとんどわからないと首を振るばかりだ。
ビーチ通り沿いで深夜の1時でもやっている旅行会社のお姉さんもわからないと言い、アドバンスを払ってないなら別の宿に泊まれば、と言ってくる。
2010年9月の香港・スペイン・モロッコ旅行のとき以来の日本人宿は私にとって鬼門以外の何物でもない、というジンクスは未だに生きているようだった。
しばらく、その日本人宿を探しても見つからないので途方に暮れた私は、途中でムスリム風のお姉さんがタクシーの呼び込みをしているのに出会った。
彼女の名前はファディラ(Fadira)さん、ムスリムの女性が深夜に呼び込みとは世界でも珍しいのではないか。
そう思いながら彼女なら騙しはしないだろうと奇妙な期待を持って近づいてみる。
案の定、彼女はタイ人にしても誠実だった。
いろいろホテルを探してくれ、見つけてくれた1軒のホテルに泊る。
窓がないのが気になったが贅沢は言っていられない。
ほとほと疲れ切った私はそのまま倒れこむようにベッドに入った。
パトンビーチ界隈を彷徨っていたとき、もうどうにでもなれ、という気分だった私にとって彼女は救いの神だった。