7/9(Thu) | 東京(成田) 10:10-KLMオランダ航空(KL)862-15:10 アムステルダム(スキポール) 19:10-KLMオランダ航空(KL)1707-21:45 マドリード(バラハス) |
宿泊先 | Tryp Gran Via / \8,000 per night (日本で予約) |
[booking sites for you / agoda.jp Booking.com Hotel Club venere (英語・日本語) アップルワールド (日本語)] | |
諸費用 | タクシー / バラハス空港-ホテル: 5,000Pta=\4,600 (overcharged) |
関連サイト | 欧州総合リンク スペイン マドリード |
1998年6月10日から始まったWorld Cup Franceも残すところは、3位決定戦と決勝のみとなってしまったようだ。
言うまでもないことだが、我が日本代表は善戦(!?)虚しく、一次予選リーグH組で、強豪のアルゼンチン戦(6/14: Toulouse)、引き分けを夢見たクロアチア戦(6/20: Nantes)、取らぬ狸の皮算用となったジャマイカ戦(6/26: Lyon)と3連敗を喫し、夢の決勝リーグ進出は、次回の日韓共催となる2002年まで持ち越しとなってしまったようだ。
実は、私もこの世紀の一戦を現地で一目見ようと、いろいろな情報を取り寄せて、はかない努力を試みたのだが、如何せんW杯のチケットはプラチナチケット!
それも基本的な観戦ルートは、主催旅行社の設定した日程に従って行く、いわゆるパッケージ・ツアーの形態を取っていて、W杯の観戦が終わったらイタリアやスペインへ観光旅行に行くなんていうのはとても無理な注文だった。
それじゃ〜ってんで、W杯のチケットだけでも斡旋してくれるという、「且l季の旅」に見積もりを依頼すると、一次リーグのあまり人気がなさそうなカードでも円換算で\47,700(1998.2.26現在)、ちなみに日本戦が絡むとすべてのカードが\60,000で、チケット争奪戦なんて人ごとのように見ていた私が友人のノリに誘われるままに、旅行会社に問い合わせをした結果が、ザッとこんな感じである。
原価が145FF(\3,050)〜350FF(\7,350)というのに、人気カード(もちろん、国際標準で見た限りの)でもないのにもかかわらず10倍以上かと、私とノリはすっかり模様眺めを決め込んだのは言うまでもない。
結局、いろいろな旅行会社がW杯観戦ツアーを企画し、スポンサーが懸賞に充てたり、W杯開催直前にはツアーが売れ残っているなんていう週刊文春(1998.6.4号)報道までが飛び出して、挙げ句の果てには「現地の宿泊なしの弾丸ツアー!」までと、ここまでやるか、のW杯喧騒曲は、観戦チケット自体が大量に不足するという悲劇を生んで終演したようだ。(Newsweek Japan 1998.6.24 やがて哀しきサポーター、1998.7.1 連敗日本 世界の評判)
熱狂的なサポーター(!?)からすれば、「アホか!おまえは」と言われるような疎さが逆に幸いしたのか、チケットなしでフランスまで行って、スタジアムの外で、「頑張れNIPPON!」するハメにならなくて良かったと、言う感じでもあるが、私の壮大な夏季休暇計画、つまり、ノリと一緒にW杯観戦を一緒に行って、その後にタキと合流してスペイン旅行を楽しもうという2段構えの3週間に及ぶ企みも実現には至らなかった。
それにしても、W杯観戦で一儲けを企んだ旅行会社は、現地ブローカーにほとんど詐欺同然に好き放題をやられて、ツアーのキャンセルや、顧客に対する「お詫び金」による損失は、大手3社だけでも10億円を超えると言われており、まさに、泣きっ面に蜂という感じで、ますます経営悪化に拍車がかかったようである。
ちなみに、私がW杯チケットの見積もりを依頼した「且l季の旅」は、これだけが原因ではないとは思うが、10月8日には自己破産を申請するハメになってしまったようだ。
それにも増して悲惨なのは、観戦ツアーに参加したサポーターであり、スタジアムの前で「チケット求む」という札をぶら下げて立つハメになった挙げ句に、ダフ屋の餌食になるか、スタジアムの外で「頑張れNIPPON!」することになった人たちだ。
まあ、素人(!?)の私でも、「あまりにも多くの業者がW杯観戦ツアーを募集しているのをみて、W杯のチケットや、フランスまでの足は確保されるのだろうか?」という疑問を持っていたのに、そう思った人が旅行業界にいなかったのだろうか?
結局、私は壮大な夏季休暇計画を断念し、ノリが旅行を取りやめたため(いつから彼が熱心なサポーターになったのかわからないが)、タキと2人だけで、スペイン旅行に旅立つことになってしまった。
まあ、これも運命!W杯はスペインにてテレビ観戦といこうではないか!
かくして、私とタキは、KLMオランダ航空に乗り、アムステルダムへと向かうことになった。
スペインに行くのにと言うより、最近のヨーロッパ旅行に際して、さしたる魅力があるわけではないアムステルダムをわざわざ経由するのは大きな理由がある。
それは、この路線が、所要12時間で、割合に短時間で到着するフライトだということと、私たちの持っているWorld Perks(ノースウェスト航空のマイレージカード)のマイル加算対象にもなっていることに加え、比較的安く、しかもアムステルダムでの乗り継ぎが便利なことが挙げられる。
これで直行便のイベリア航空(Iberia Airlines of Spain)6710便ならもっと早く着くのではと思うのは大きな間違いで、1992年のことを思い出すまでもなく、16時間のフライト、精神的にはブラジルでも行くような気分にさせられるのである。
でも、この機内での12時間をどう過ごすか?ということが常に悩みの種であることに変わりはなく、最初の頃は荷物になるのを承知で、ウォークマンとカセットテープを何巻か詰めて持っていっていたのだが、最近では、こういう現地廃棄作戦の取れない方法は止めて、読みごたえのある本を何冊か選んで、読み終わったら捨てるということにしている。
これによって最近では荷造りもだいぶ楽になり、お土産を入れるスペースも確保できて、一石二鳥の効果があったと自負している。
もちろん、下着やTシャツの類は、ノリ伝授の現地廃棄作戦を取れる代物を詰めて行くのは言うまでもない。
まあ、こんなことはどうでもいい!
いつもにも増して思ったのは、これだけ世間では不況だ!自殺だ!日本沈没だ!と騒いでいるのに、なぜ日本発の国際線に、こんなに人が乗っているのだ!
それも1時間以上も遅れて出発しなければならないほどに!
おかげで、アムステルダムに到着した時には、当初、乗り継ごうとしていたフライト<KLMオランダ航空1705便(AMS
16:30-19:05 MAD>はすでに飛び立った後だった。
それでも、この区間のフライトの最終便が残っていたのと、この空港に日本人係員が常駐していたのが救いで、難なく乗り継ぎ便の変更ができた。
おかげで、気温16℃の寒空で意味のない1泊を過ごさなくてよかったことだけは確かなようだけどね。
午後10時、マドリードのバラハス空港(Aeropuerto de Barajas)に到着した。
私にしてみれば6年ぶり3回目、タキの場合は、9年ぶり3回目のスペイン訪問ということになる。
前回も同じくらいの時間に着いたのだが、その時は根性で、バスとメトロを乗り継いでホテルへ向かったのに、今回はタキが珍しく弱気に「タクシーで行こう!」と言うではないか。
ところが、こういうことをしたときに限って裏目に出るというもの!
何と、空港から私たちの泊まったホテルまで5,000pta(\4,600)と、EU統合インフレ(!?)なのかこれは!なんて思う程の値段の高さ!
でも、ひょっとしたら!と思うまでもなく、ガイドブックに表示された料金の倍を取られたのは、疑うべくもない事実で、いきなり、ガツーンとやられた!って具合だ。
メーターは確かに動いていた気もするが、最初がゼロだったかは怪しいところ!
日本じゃないんだから、こんなにかかるなんておかしいと、タクシーを降りる前に思わなければいけなかったのだがね。
サントリーのコーヒー、"BOSS"のCMではないが、「ガツン」と言っちゃうよ!と言ってるだけで行動しなくてはダメなんだろうな。
ところで、あのCMに出てくる外人が何て言っているのか皆さんはご存じ?
実は、"So, I'd like to hear your honest opinion." (じゃあ、君の率直な意見を聞こうじゃないか)
Tell me "GATSUN"! (ガツンと言ってみてくれないか)
と、言っているんだ!
これからは、私たちも白人に負けずに「ガツン」といかねば!
7/10(Fri) | マドリード市内観光 マドリード(バラハス) 12:50-イベリア航空(IB)8857-14:00 パンプローナ パンプローナ市内観光 |
宿泊先 | NH El Toro / \13,000 per night (日本で予約) |
[booking sites for you / agoda.jp Booking.com Hotel Club (英語・日本語)] | |
諸費用 | メトロ / 1回券(billete sencillo): 130pta=\120 / 10回の回数券(Bono-Metro): 670pta=\620 マドリード空港バス(Aerobús): 380pta=\350 プラド美術館(Museo Nacional del Prado)入場料: 500pta=\460 パンプローナ市内バス: 85pta=\80 |
関連サイト | 欧州総合リンク スペイン マドリード パンプローナ |
アドバイス | サン・フェルミン祭りのコスチューム(Red scarf in Sanfermin)
|
マドリードの市内観光については、過去2回の滞在中にあらかたしてしまった私たちにとって、今日の午前中の行程は単なる時間潰し的な意味合いしか持ってなかった。
それじゃ〜何もしないでゆっくりと空港へ向かえばいいではないか!という人もいるが、そこは典型的日本人観光客に見られる、「せっかく来たのだから!症候群」というやつで、寸暇を惜しんでいそいそとプラド美術館(Museo
Nacional del Prado)などに行ったりする。
この「せっかく来たのだから!症候群」というのは、一種の悪魔の囁きというもので、一般的には貧乏性とも言われている。
これに取り憑かれた場合、たいがいの場合は後悔し、最悪の場合は命を落とす。
よくテレビニュースなどで、波浪警報の中で、海釣りやサーフィンをしていて、死んでしまった人がいて、何もこんな日に行かなくても、と思わず言いたくなるやつである。
と、いうわけで、行ってしまったプラド美術館。
入場料を支払って中に入ると、超有名なゴヤ(Francisco José Goya y Lucientes 1746-1828)、エル・グレコ(本名:ドメニコス・キリアコス・テオトコプーロス)
(El Greco/Domenikos Kyriakos Theotokopoulos 1541-1614)、ベラスケス(Diego Rodríguez
de Silva y Velázquez 1599-1660)というスペインを代表する巨匠の作品が、所狭しと置かれており、これらに興味のあれば半日ぐらいはじっくりと鑑賞したいところであるが、ヨーロッパの美術館や教会にありがちな宗教画と裸婦という組み合わせにいささかうんざりしている私は、ほとんど心ここにあらずといった状態だった。
友人のタキは相変わらずの、にわかクリスチャンぶりを如何なく発揮して見入っているが、とりあえず有名な作品と言えば、やはりゴヤで「裸のマハ(La Maja Desnuda)」と「着衣のマハ(La Maja Vestida)」、「カルロス4世の家族(La Familia de Carlos IV」なんてところで、マハとは流行の最先端をいく女性という意味らしいが、そういう意味でならここで美術鑑賞するよりも、地中海沿いのビーチに行った方が、現代の「裸のマハ(La Maja Desnuda)」をたっぷりと鑑賞できるかもしれないけどね。
とりあえず、美術鑑賞はこんなところだろうが、そろそろ空港へ行かなければならないかな、と思いながらも街歩きなんかしてしまうのが、余裕というか油断というか、いくら国内線に乗るからと言ったって、北海道スキーツアーで、早朝に羽田空港へ行く時の方がもっと緊張しているというぐらいだ。
それでもって、何と10時半(要するにフライトの約2時間半前で、海外旅行の常識では少なくとも空港へ向かう支度をするべき)だというのに緊張感のかけらもなく、余裕のよっちゃんで、国会議事堂(Congreso
de los Diputados)の前で写真なんか撮りながら、ブラブラと街歩きを続けた。
そして、当然のことながら、ホテルへ預けている荷物を取りに戻った私たちは、時計を見て愕然!
何と、フライトの1時間40分前、しかもホテルから空港まで直行じゃないというのに・・・
でも、こんな場合、普通なら空港へタクシー飛ばすのだろうが、いきなりメトロの駅へダッシュしてしまうのが、バックパッカーもどきを長年(!?)やって来た者の習性なのだろうか。
グラン・ビア(Gran Vía)からメトロに乗り、途中アロンソ・マルチネス(Alonso Martínez)で乗り換えて、バスターミナルのあるコロン(Colón)まで約20分、6年前の記憶を思い出し、やっとの思いで空港行きリムジンに乗ったのは、11時54分、フライトの1時間前だ。
ここから空港まで何分かかるかって?そんなことは神にでも聞いてくれ!って感じだったね。
仮に予定の30分で着いたとしても、フライトのわずか20分前なんだな。
これに追い打ちをかけるように、出発ターミナルが3つあり、これを間違えるとゲームオーバーということになりかねない状況なのだ。
要するに、イベリア航空の時刻表によると、「T1」はInternational Flights、「T2」がDomestic Flight、「T3」がShuttle Service and Regional Flightとあるのだが、この「T3」が曲者で、Shuttle Serviceはバルセロナとマドリードを結ぶ、プエンテ・アエレオ(Puente Aéreo)と呼ばれる文字通りのシャトル便なのだが、Regional Flightというのは何だ?と思いながらも、関係ないなんて思っていたんだ。
ところが、私たちの乗る便が、ビンゴ!って感じで、このRegional Flight (Air Nostrum)に該当していたらしい。
"This flight is Terminal 3."
心臓発作で倒れるくらいの思いをして、やっと辿り着いた「T2」のチェックインカウンターのお姉さんが発した言葉がこれだ。
まさに1点差で迎えた後半45分、試合終了寸前に決まったと思われた同点ゴールがオフサイドで無効になってしまったような気分だ。
もはや残された時間はロスタイムしかないが、望みある限り走り続けなければならない。
そして、辿り着いた「T3」のカウンター、天は努力した者たちを見捨てなかった。
今まさに搭乗開始をしたばかりという感じのゲートで、搭乗者の列に並ぶことができた。
私はこれで今回の旅はいかなる困難にも打ち勝てるような気がした。
ここで、予約していたフライトに乗れなかったらどういう旅になっていただろうか?
夜行列車のデッキの上で、新聞敷いて寝ることになっていたかも。
今はそんなこと考えたくないな〜
パンプローナと言えば、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway 1899-1961)の長編「日はまた昇る」(The Sun Also Rises)でも克明に描き出されている、スペイン3大祭りの1つ、サン・フェルミン(牛追い)祭り(Fiestas de San Fermín: 1998.7.6-14)を抜きにしては語れないだろう。
と、言うより、私たちのような観光客にとって、この時期にスペインを訪れたなら是非とも見物しなければ、という方が相応しいかもしれない。
ただ、問題なのは祭り期間中(7/5-7/14の宿泊)のホテルの値段が、通常期の2倍以上と高いのに加え、取るのも容易ではないことなのだが、ガイドブックや政府観光局でもらった地図にも載っていない、市の中心部から遠くはなれた私たちの泊まったホテルでもツインルームで
22,000pta(\20,240)もするのだ。
ただ、私たちが幸運(!?)だったのは、エージェントの手違いで、通常期の価格(円建てで
\13,000 朝食付)で手配できたことで、こういう場合は何も考えず、福の神に甘えることにしてみるのが一番かもしれない。
かくして私たちは無事に目的地へ到着できたのであるが、牛追い祭りのメイン・イベントであるエンシエロ(encierro)は翌朝の見物となるので、今日のところは市の中心部へ行って、祭りの雰囲気を味わうことにしよう。
ここのホテルから市の中心部は、歩いて行ける距離ではもちろんない。
ホテルのレセプションで尋ねると、バスが20分毎にあるとのことなので、それに乗って行くことにする。
ところで、スペインと言えば、英語が通じない、通じないと言われ続け、こんな田舎町(!?)ではとても英語の「エ」の字もというスペインがどうだ、この変わりようは・・・
英語が当然のように通じるところが年を追って増えているのには驚かされる。
振り返って我が日本、こちらは当分ダメかな。
企業も海外から続々撤退しているし・・・
レセプションで教えてもらったバス・ストップらしきところで待つこと十数分、バスがようやくやってくる。
ドライバーに尋ねると、どうやら市内へ行くようなので、85pta(\80)を払って乗り込む。
しばらく乗っていると、白いシャツに白いズボン、赤いスカーフ(pañuero/classic
red sash)という出で立ちの人たちがたくさんバスに乗ってくる。
これが、サン・フェルミン(牛追い)祭り(Fiestas de San Fermín)用の正装(!?)らしく、バスに乗る人、乗る人、ほとんど全員と言っていいぐらい、このスタイルで決めている。
まさに、お祭り大好き民族の面目躍如といったところで、この10日間の間に、たっぷりと飲んで、騒ぎまくろうという堅い決意(!?)を感じるね〜
私たちを乗せたバスが川(アルガ川/Río Arga)を渡ると、今まで周りに何もなかった風景が一変して賑やかな町中に入っていくのがわかる。
ただ、市内バスに乗っているときは、どこで下りたら自分の目的地に辿り着けるのか、わからないのが難点だが、今日はそんなことを気にしなくてもよさそうだ。
なぜなら、そこら中に白シャツの老若男女がいるからで、彼らのたくさんいる方へついて行けば何の問題もないからだ。
もちろん、帰りのことを考えて、バスの前部にある行き先を示すサインボード(Pamplona-Bepriozar-Cruce de Aizoain)は必ずチェックしておこう。
そうしないと、帰りにバスに乗ることが非常に困難になることは間違いない。
この国は、伝統的(!?)に英語が通じないというのは、あまり変わってないのだろうから。
パンプローナの中心地は、サン・フェルミン(牛追い)祭り(Fiestas de San Fermín)の夜祭の会場ともなっている、カスティーヨ広場(Plaza
del Castillo)である。
アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)ゆかりのホテルや、カフェもこの広場に面しており、昼間の暑い時は、このあたりで冷えたビール片手に祭りの雰囲気を味わうのも悪くない。
そして、この祭りになくてはならないもの、それは、私たちのような観光客であってもだが、赤いスカーフ(pañuero/classic red sash)だけは土産物屋で買って身につけていた方が、祭りの雰囲気に溶け込むには良いかもしれない。
ただ、夜になってもここで祭りを楽しみたいという人は、十分気をつけた方が良い。
それは、真夏にもかかわらず、陽が沈む8時過ぎには、気温が20℃を切る寒さになるという現実だ。
その頃になって、「現地の人が、昼間のくそ暑い時になぜ長袖の洋服を持参しているのか?」という疑問が解決しても遅いのだから。
7/11(Sat) | 牛追い祭(Fiestas de San Fermín/encierro) パンプローナ 13:30-(Bus)-16:10 サラゴサ サラゴサ市内観光 |
宿泊先 | Hostal Cataluña / 5,750pta (\5,290) per night |
[booking sites for you / Booking.com (英語・日本語)] | |
諸費用 | タクシー(Pamplona) / ホテル-闘牛場: 1,700pta=\1,560 バス (CONDA, S.A.) / Pamplona-Zaragoza: 1,450pta=\1,330 |
関連サイト | 欧州総合リンク スペイン パンプローナ サラゴサ |
アドバイス | エンシエロの見物について(How to watch running of the bulls)
|
サン・フェルミン祭りのハイライトであるエンシエロ(encierro)は、午前8時から始まる。
私たちも、これに間に合わせるべく早起きをし、この時のために昨夜のうちに手配しておいたタクシーに乗り込み、ゴールとなっている闘牛場(Plaza
de Toros)を目指す。
もちろん、昨日買ったばかりの、ご当地のTシャツに赤のスカーフ(pañuero/classic
red sash)を身に纏うことを忘れない。
これで、万事OKなハズなのだが、どうやら世の中はそんなに甘くない。
エンシエロのコ−ス | |
まず、見物客の数が半端ではない。
牛が走るコース(左図)には、見物客がコース内に入り込まないように木の柵が張りめぐらされているのだが、この周りには鈴なりの人がいて、何時間も前から場所取りをしていたと思われる人たちが、フルボトルのワイン(vino)や、サングリア(sangría)を抱えて座り込み、柵の上には、これまたすべての隙間を埋めるように人垣ができていて、私たちのように夜が明けてから押っ取り刀で到着したような人たちは、最初からお呼びでないと言わんばかりの状態なのだ。
それもそのハズである。
典型的な夜型族のスペイン人は、ほとんどの人が昨夜はバーで酒をかっくらって騒ぎまくり、早朝になると場所取りにやってきているに違いないのだ。
彼らに対抗するには、ホテルなんか取らずに、シェラフ持参でやってきて、同じようにバーで気炎をあげ続けるしかないのだろう。
そして、いよいよスタートの午前8時、このイベントに文字通り、命懸けで参加している勇者(!?)と、それを嘲笑うかの如く追いかける牛たちの緊張の一瞬が垣間見える!ハズもないか・・・
私たちが見たのは、目の前にベルリンの壁のように聳える膨大な数の人垣であり、その人垣がわずかにズレる瞬間に目を凝らすようにしてようやく見えたのが、柵の向こう側の空間だけだったのだ。
それで、肝心のエンシエロ(encierro)は?っていうと、いつ通り過ぎたの?という感じで、わずか始まってから5分程度で終わってしまったらしい。
当然、見ている方はたったこれだけで終わってしまうことに不満があるだろうが、参加している勇者(!?)は命懸けの短距離ランナーなのだから、5分でも長過ぎると思っている奴だっているだろう。
それにしても、この祭りの間は毎朝これをやっているのだからな〜
それにしても、この初詣なみの人出は圧巻の一言に尽きるだろうね!
宴の後で | |
このイベントが終わると、再び通りには人が溢れ、それぞれのグループ毎に話に花を咲かせる姿があちこちで見られる。
徹夜(!?)したからホテルの部屋へサッサと帰って寝ようなんて彼らは考えないのだろう。
私たちも、朝食抜きでやってきて腹が減っているので、街角の売店でボカディーヨ(スペイン風のサンドウィッチ=bocadillo)と、サングリア(sangría)で空腹を癒す。
「空き腹に酒は良くない!」って?
そんなことはどうでもいいんだな〜
郷に入れば郷に従え…っていうじゃないか。
それに今日はお祭りなんだから・・・
町をぶらぶらと歩いていると、夜通しハイになって騒ぎまくっていたと思われるような連中があちこちにいる。
"foto!" "foto!" ハイになっている彼らが私たちを見た時に発する第一声は決まってこれ!
でも、彼らに負けずに私たちもハイになっているから、英語も、もちろん日本語もしゃべれない彼らと、スペイン語はおろか英語すら覚束ない私たちが、日本語のパンフレットの写真を指さしながら会話(!?)していたりいる。
おまけは、サービス満点の彼女が私の肩ごしに腕を回してくれて、ハイ、チーズ!
ちなみに、私の手にしているボタ(Bota=ワインを入れる革袋)は、本来さかさまにして口より数10センチ高く捧げ持ちそこから流れ出るワインを口で受け止めて飲むのが正当なやり方なので、くれぐれも間違わぬように・・・
スペイン人、正確には彼らはバスク人なのだが、まあ、そんなことはどうでもいいが、ヨーロッパ人全般に共通して言えることは、20代前半ぐらいまでの女性はハッとするぐらいの美女でも、結婚して子供などを産んだりすると、ビヤ樽のオバちゃんになる人が多いのだ。
結婚して見栄えをあまり気にしなくなるのか、食生活の影響なのか、いずれにしてももったいないと思うのは私だけなのだろうか?
祭りの余韻を噛みしめて私たちはホテルへの帰路につく。
真夏の太陽が照りつける中、公園の木陰で昼寝(siesta)を取っている人がいる。
夜通し騒ぎまくっていた人たちは、いつ寝るんだろう?とずっと思っていたのだが、スペインの伝統的(!?)方法によって、睡眠不足を解消しているようだ。
もちろん、ホテルを取っているようなリッチマンたちは、部屋で寝るんだろう。
そして、私たちは市内バスに乗って、ホテルへ戻り、遅めの朝食を取った後で、次の目的地であるサラゴサへ移動することになるのだ。
その市内バスの中で、あらためて車内を見渡すと、スペイン語ながらおぼろげにバスの運行時間などが書いてあることがわかる。
どうやら深夜運転(A.M2時頃まで)もやっていたようで、日本にいるような感覚で「早く帰らないとバスがなくなる!」なんて、急いで帰る必要はなかったのだ。
もちろん、昨日の場合はTシャツと短パンだったので、あのまま深夜までいたら肺炎にでもかかる可能性があったのも事実だったけどね。
私たちは昼下がりの1時30分、冷房完備の快適なバス(CONDA, S.A: Pamplona-Zaragoza:
8往復)に乗って、サラゴサを目指す。
車内で若い奴が騒いでいるのが気にかかるが、幸いにして今は昼間だからいいが、どうしてスペインの若い奴らは、こう騒々しい奴が多いのだろう。
せめてシェスタ(siesta)の時間くらいおとなしくしててくれないかな〜
パンプローナを出発したバスは、途中、トゥデラ(Tudela)という小さな町を経て、約2時間30分後の午後4時過ぎ、エブロ川(Río Ebro)沿いに開けた国内第5の都市である、サラゴサに到着する。
この町のバスターミナルはマドリードやバルセロナへ向かうバス<カルメンの門(Puerta
del Carmen)付近>と私たちの来たパンプローナやもっと北のサン・セバスチャン(San
Sebastián)へ向かうバス<ナバラ大通り(Avenida Navarra)沿い>と、2つあるので注意した方がいいだろう。
どうしてかと言うと、この町は日本人観光客にとってはたいして重要な見どころがあるわけではないようで、それを反映してか日本語ガイドブック「昭文社 個人旅行-スペイン」の情報も前者の分しか掲載されてないからだ。
かくいう私たちもここへ是非来たいという気持ちがあったわけではなく、ただバルセロナへ直行するにはハード過ぎるから、途中の町で休憩しよう!というレベルなので、あまり人のことも言えないがね。
それともう一つの理由は、今夜はホテルの部屋かバーでビールでも飲みながらW杯(の3位決定戦<Third-place
Match(Netherlands vs. Croatia / 21:00〜 Stade Parc des Princes)>でもTV観戦できたらという淡い期待もあったのだ。
ナバラ大通り(Avenida Navarra)から中心街にあるスペイン広場(Plaza de España)までは、バス(26番
Parque D. Ebro-Plaza de España-Paseo de la Independemcia / 85pta=\80)に乗って行く。
それでもって今夜のホテルは?っていうと、昨日までのように日本で予約などはしていないから自分で探すことになるのだが、頼みの観光案内所が自分たちの列車やバスを降り立ったところの近くにない場合は、目印になる場所(今日の場合は、さしずめスペイン広場)に移動しているうちに運良く見つけるか、さもなければ、ガイドブックに掲載されているホテルをひたすら探すか、ということになろう。
ただ、できることならば、それは最後の手段としよう。
そうしなければ、いつまでたっても新しい発見などはないのだから。
ピラール聖母教会(Basilica de Nuestra Señora del Pilar) |
私たちの取ったオスタル(Hostal Cataluña)は、スペイン広場(Plaza de España)からコソ(Coso)通りをサン・ミゲル広場(Plaza San Miguel)方面に歩いて行ったところにあり、極めて観光には便利なところにあるのに加え、エアコンやバスタブも付いてこの値段なら上出来だ。
まあ、午前中にパンプローナにエンシエロ(encierro)を見て(というより朝から酒を飲んでいただけ?)からバスで当地に移動して、ハッと気が付くと時計の針は、すでに午後6時を回っている。
それでも、まだ陽は高く、もう少し町中をブラブラできそうな感じ!
もちろん、その前にはフラリと入ったバーで155pta(\140)の生ビールで喉を潤すというのはごく当然の成り行きだ。
日本でも経済界のお爺さんたち(!?)が導入しよう!なんて言っている「サマータイム」の効用とは、こういうものだというのを肌身で感じてから導入して欲しいというのは私だけなのだろうか?
この町の観光の中心は、アルフォンソ一世(Alfonso I)通り界隈のショッピングエリアと観光案内所のあるピラール広場(Plaza
del Pilar)付近にある史跡といったところか。
代表的なのは、ピラール聖母教会(Basilica de Nuestra Señora del Pilar)と大寺院(La Seo)の2つで、この周りは観光客も多い。
まあ、さすがにカトリックの国だけあって、教会の内部は敬虔な信者がお祈りしている姿もチラホラといる。
もちろん、私はタキと違って、にわかクリスチャンになんかなれないから、いつもの通りひんやりと涼しい教会でシェスタ(siesta)を決め込む。
で、結局のところ、W杯の3位決定戦のテレビ観戦はし損ねてしまったのだ。
夕食を取ってるときがちょうどその時間帯だったのだけどね。
まあ、それが今回の旅の目的ではなかったから問題なかったし、クロアチア対オランダでは私たちには今ひとつのカードだったしね。