台北市の公娼(こうしょう)制度が3月28日午前0時を期して廃止され、日本植民地時代から100年近い歴史をもつ“夜の街”に幕が閉じられる。
27日深夜には娼館の前でお別れの儀式。
最後の公娼(licensed prostitution)は10軒、42人だった。
台北では北部の北投温泉の公娼が1979年に廃止されている。
西部の華西街(Huahsi Street)などの公娼が残ったが、高齢化が進み街はさびれる一方だった。
陳水扁(Chen Shui-bian)総統は台北市長時代の1997年に公娼の廃止を打ち出した。
しかし、「転業が難しい」「収入が確保できない」などと抗議が起き、公娼の自殺未遂騒ぎまであった。
このため、後任の馬英九(Ma Ying-jeou)市長は1999年3月に2年間の猶予期間を設けて廃止する妥協策を採った。
この間、半数近くが転職していた。
市民の意識調査(聯合報)では、56%が「赤線地帯」に賛成で反対は36%。
理由は
などだった。
読売新聞−2002.11.3−地球万華鏡
台湾人の嗜好(しこう)品「ビンロウの実(betel nut)」をめぐる販売競争が過熱、若い女性の売り子が下着姿で店頭に立つなど、過激化する一方なため、台湾北部の自治体、桃園(Taoyuan)県はこのほど、売り子の服装規制に乗り出した。
胸、尻、腹の一部でも「見せてはならぬ」とする「三不政策」を導入、露出度を最小限に抑える狙いで、同県内の業者も従う姿勢を見せている。しかし、規制への反発も強く、追随する他の自治体は今のところ出ていない。
ビンロウはヤシ科の植物で、果実にはタンニンや脂肪が含まれる。
口の中でかむと、弱い覚せい作用などがあるため、「台湾式かみたばこ」として、主に男性の間に定着している。
現在、愛好者は台湾全島で約300万人、年間の総販売額も1000億台湾ドル(1台湾ドルは約3.6円)近くに上る。
すべて台湾内で生産され、作付面積はこの30年間で35倍に拡大、コメに次ぐ台湾第2の農作物となった。
ただ、常用すると口腔(こうくう)がんを誘発するなどとして、18歳未満には販売禁止だ。
下着姿など過激な服装のビンロウ西施 (写真: 読売新聞) |
街道沿いの屋台などで売られているが、1998年ごろから販売競争が激化。
露出度の高い衣装を着た若い女性の接客が普通の光景となった。
売り子は「ビンロウ西施」(西施は中国・春秋時代の美女の名)と呼ばれ、全島にある大小約40万軒の屋台で、数万人以上が働くという。
ビンロウ屋台の多くはガラス張り。売り子たちはドライバーの目を引くため、その中で待機。
屋台の前で車が止まると、運転席に駆け寄り、ビンロウやたばこを売りさばく。
人権団体からは女性蔑視(べっし)の象徴として非難されてきたほか、最近ではやくざ組織や売春産業との関連も指摘され、社会問題化していた。
1か月間に及ぶ業界団体との協議を経て、規制を決めた朱立倫・桃園県長(知事)は「治安や教育面から対策が必要だった。
我が県は台北市に隣接、国際空港もあり、外国人観光客も多い」と語る。
ただ、朱県長は今回、新たな条例などは制定せず、業界の自主規制に任せる「行政指導」にとどめたと強調。
「胸や尻はともかく、なぜ腹も露出禁止にしたのかとの反対論もあるが、下着姿を防ぐにはこうするしかなかった」と話し、一部にある「服装など表現の自由に対する抑圧」との批判は当たらないとした。
行政指導に従わない業者には、交通法規や社会秩序保護法などを厳格適用し、排除していく考えという。
同県内のビンロウ屋台では先月15日以降、下着姿が消え、Tシャツにスカートなど、普通の服装が戻った。
業界団体の同県ビンロウ協会の彭天楽・秘書長も「これで露出競争が収まり、正常化するなら業界にとっても望ましい」と歓迎する。
しかし、現在のところ、隣県の新竹県をはじめ、ビンロウ愛好者が多い南部地域では従来通りの販売が続き、各自治体も規制に乗り出す動きはない。
一帯にビンロウ屋台だけを集めた「ビンロウ特区」を作ろうという動きもあるものの、「ビンロウは台湾の固有文化の象徴。
ビンロウ西施は貴重な観光資源でもある。
どんな規制も反対」(業者の1人)という意見も根強い。
桃園県の主要街道沿いで働くビンロウ西施の1人は「売り上げ次第で月3〜4万台湾ドルになる貴重なバイト。初めは恥ずかしかったが、すぐ慣れた。規制?マスコミが騒がなくなったらすぐ元に戻るんじゃないかしら。台湾はいつもそうだから」と話していた。