8/5(Thu) |
6月下旬にデルタ航空のウェブサイトにアクセスしたとき、どのくらいのマイルを使えば8月のピークシーズンに特典旅行できるか試してみた。
なぜ、こんなことをしたかというと、2月に予約したゴールデンウイークの特典旅行がわずか2万マイルで行けたからだ。
おそらく、これがゴールドメダリオンの隠れた特典だと思うのだが、私は密かに「旅程のフライトの一部で、少ないマイル数の便へ料金が再設定されました。(Some
flights on your itinerary were repriced for less mileage.)」が出ることを期待して、シンガポールへのフライト検索をかけた。
勘はずばり的中、私は再び2万マイルでシンガポールへの往復特典チケットを手にしていた。
ところが、私自身がシンガポールにずっと滞在しようとは思わなかったので、マレーシアかインドネシアに向かうことを考えたが、実質滞在日数はわずかに2日、行き先は限られていた。
そこで検索にヒットしたのが、シンガポール発のデサルへのパッケージツアー(Asia Travel - 2D1N The Pulai Desaru Resort Ferry Package)だった。
私としてはデサルよりもSedunia Travel Servicesが出しているブサール島(Pulau Besar Johor)へのツアーの方が魅力的に映ったのだが、シンガポールからメルシン(Mersing)まで直行バスで4時間かかることを考えると日数が足らなかった。
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成田空港のデルタスカイクラブ |
8/6(Fri) |
私が泊まったHotel 81 Princessのあるところは言わずと知れたゲイラン(Geylang)の赤線地帯(red-light district)である。
ホテル代は安く、トランジットのために使うだけなら何の問題もないが、夜ならいざ知らず、朝からストリートガール(売春婦/street girl)がホテルの周辺に大挙しているのには閉口である。
彼女たちは私がタクシーを待っている間にも色目を使いさかんに誘いをかけてくるが、残念ながら相手をしている時間はない。
8時半過ぎになって私はホテルで呼んでもらったタクシーに乗り込むと、デサル行きのフェリーが出るチャンギ・フェリー・ターミナル(Changi Ferry Terminal)へと向かった。
チケットに付随して送られてきた添付ファイル(terms and conditions)には"Check-in time is ONE
HOUR prior to departure time. Boarding and Counter closes 30 minutes before
sailing time.(チェックインは出航の1時間前、30分前にチケットカウンターと乗船を締め切る。)"と書いてあったので、それに間に合うように出かける。
ここはMRTやバスで行くことは困難で、唯一の足がタクシーとなっており、パンダバス(日本語ツアー)で申し込んでもチャンギ・フェリー・ターミナルへの送迎は付いていないようだ。
10時になってフェリーが出航した。
デサルまではわずか30分ほどの船旅だが、出発ロビーで知り合ったシンガポール人のエリックさんとアリスさん夫妻と写真を撮りあったりして楽しむ。
天気も良く海風に当たりながらの船旅もオツなものである。
デサルのタンジュン・ブルンコール・フェリー・ターミナル(Tanjung Belungkor Ferry Terminal)で入国審査を済ませると、The Pulai Desaru Resortの送迎車のドライバーが私たちを待っている。
エリックさん夫妻も私と同じホテルに泊まるとのことなので、一緒にホテルまで向かう。
送迎車に乗っている時間は約30分、ホテルまでの道中、路線バスやタクシーを見かけることはほとんどない。
どうやら、ここへ来るにはツアーを申し込むか、レンタカーで来るしか手段がなさそうだ。
ホテルのチェックインは公式には3時だが、フロントのスタッフから1時には入れると言われていた。
それまでの間、私たちはロビーでジュースを飲みながら時間潰しをすることにした。
エリックさんとの会話の中で印象的だったのは、「私はかつて三井住友銀行で働いていた。日本人は皆忙しかった。何で日本人だけ忙しいのでしょうか。カルロスさんも忙しいのですか。」という質問だった。
私はそれに対する明確な答えを英語で言うことはできなかった。
言えたのは私が忙しいかという質問に対する答えだけだった。
なぜ、日本人だけが忙しいのか。
「有給休暇を使い切る労働者の割合(英文記事)」などの休暇やレジャーに関する調査が出るたびに日本が万年最下位であることを不思議に思う人はいないのだろうか。
ロビーにはツアーデスクがあり、ホテルでアレンジしたツアーを申し込めるようになっているが、いずれも4名以上で催行すると書かれてあった。
エリックさんたちは、午後の果樹園ツアー(Fruit Farm Tour)へ行くと言い、私も誘われたが、ビーチでのんびりと過ごすことにした。
ただ夕食と、夜のホタル鑑賞ツアー(Fireflies Experience)にはご一緒させてもらうことにした。
ホタル鑑賞はデサルでのアクティビティの目玉だとウェブサイトには書いてあったからだ。
鉄板焼レストランでの夕食の後、私たちは申し込んであったホタル鑑賞ツアーへと出発する。
ホテルのスタッフ曰く、総勢で16名、さすがに人気のツアーだけあって、平日でも参加者は多いようだ。
2台の車に分乗して大音量の音楽が鳴り響くレストランに着くと、そこでライフジャケットを着けるように指示される。
そこから静寂な川をボートで進むと、日本ではほとんど見られなくなったホタルがたくさんいるのがわかる。
ツアーのスタッフが川岸に向かって水をかけるとホタルがキラキラと光ってとても幻想的である。
ホタル鑑賞を堪能した私たちはホテルへと戻る。
私もそうだが、エリックさんも1泊で十分と評したデサル、もしかすると、ホタルだけが唯一の思い出になるのかもしれない。
8/7(Sat) |
朝食を取り、プールサイドで本を読みながら寛いでいるとスコールがやってきた。
すぐに止むかと思ってパラソルの下にいたが、ほとんどのゲストが引き上げ始めたときに私も部屋へ避難することにした。
こうなるとスパでマッサージをしてもらう以外にやることはない。
雨が降ってきたので混んでいるかと思ったが、幸いにもゲストは私1人だけだった。
雨音を聞きながらボディマッサージをやってもらい、終わった頃に昼食という理想的な展開であった。
ホテルから送迎車でタンジュン・ブルンコール・フェリー・ターミナル(Tanjung Belungkor Ferry Terminal)まで送ってもらい、そこでシンガポール行きのフェリーに乗り込む。
30分ほどの船旅の間、ガラガラの船内で私は思った。
果たしてシンガポールのチャンギ・フェリー・ターミナル(Changi Ferry Terminal)にタクシーは待機しているのだろうか。
何しろ、そこの出発ロビーの入り口に貼ってあったステッカーに「Book a Taxi here?(ここでタクシーの予約する?)」ということが書いてあったことを覚えていたからだ。
チャンギ・フェリー・ターミナル(Changi Ferry Terminal)に着いたとき、タクシーを呼ばないといけないのか、という不安は見事に適中した。
ロビーにいたスタッフを捕まえ、タクシー乗り場はどこだ、と聞いたとき、彼はタクシーは呼ばないと来ないと言ったからだ。
街へ歩いて行こうとした中国人観光客、到着ロビーの外で佇む英国人のカップル、私が電話をかけに出発ロビーに戻ったとき、彼らも後をついてこようとしていた。
ところが、私の前に携帯電話を持ったシンガポール人のカップルがいた。
私はすかさず「タクシー呼ぶなら4台呼んでくれ」と言っていた。
Santa Grand Hotel Bugisに着いた後、私はホテルのプールで一泳ぎしたし、街へ出た。
アラブストリートには美味しそうなレストランが並び、チャイナタウンは相変わらずの人出だった。
まばゆいばかりの光の中で夕食を取り、ビールを飲みながら街行く人を眺め、最後にマッサージをしてもらって今回の旅行は終わった。
わずか1泊2日のエクスカーションだったが、1人で行くならデサルでなく、インドネシアのバタム島の方が良かったような気がする。
まあ、もう少し休みを長く取ってバリ島へ行くのが一番いいかな。
8/8(Sun) |
シンガポール発のデルタ航空280便は朝の6時前に出発する。
従ってホテルを3時半くらいには出ないといけないので、睡眠不足になるのが辛い。
それならば最初からホテルを取らずに、カジノへ行く手もあるが、今回は資金的に余裕がなかったので、そうはしなかった。
それに今回の旅行はデイパック1つで来るために、長ズボンも靴も履いてこなかったから、ラスベガス以外では入場を拒否されるだろう。
むしろ短パンにビーチサンダルでカジノへ入れるラスベガスの方が世界的に見れば珍しいとも言えるか。
出国審査を終え、スカイ・ビュー・ラウンジ(Sky View Lounge)で朝食を取り、仮眠を取っていると搭乗のアナウンスが流れる。
成田までは約7時間のフライト、機内のエンターテイメントで音楽を選ぶと、2010年1月12日に起こったハイチ地震の救援のためにレコーディングされたWe Are The World 25 for Haiti(歌詞)が流れる。
そして、この曲を聴きながら私はいつの間にか深い眠りにおちていた。
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チャンギ空港のスカイ・ビュー・ラウンジ |
エリックさんが私に聞いた「何で日本人だけ忙しいのでしょうか?」という質問の答えは、勝間和代氏の著書、「会社に人生を預けるな 彼女は終身雇用制(lifetime employment system)が存在する限り、ワーク・ライフ・バランスが多少悪くても、従業員はほとんど辞めない、というより辞めた後の労働条件が悪くなるので辞めにくい、としている。 逆に言うならば、企業は従業員を優遇する必要はなく、従業員は出世するため、あるいは辞めさせられないようにするために、長時間労働を甘受せざるを得ない状況に追い込まれている。 従って、日本人だけが忙しいという状況は、終身雇用制下における中途入社(新規参入)障壁が原因の一つであると言える。 ちなみに、ハーバード大学のマルガリータ・エステベス・アベ(Margarita Estévez-Abe)教授が言う「雇用環境も福祉も欧米以下!日本は『世界で一番冷たい』格差社会」もその一因に加えていいだろう。 I found the answer toward Eric's question "Why were only Japanese workers busy?" in the book "Never depend entirely your life on the company" by Kazuyo Katsuma, former analyzer of JP Morgan Chase & Co. She said "Lifetime employment system still remain in Japan. Under this system even if workers have off work life balance, they seldom resign because there is few job opportunity of their wish after doing." In other words Japan's business administrators don't be required to improve their employees' working conditions, workers are imposed long working hours because of advancement or avoidance getting fired. Hence, leisureless of Japanese workers are caused by exclusive labor market under the lifetime employment system such as blocking movement from one job to another, I guess. |