預金封鎖(bank holiday)-過去の実例 | ||
大蔵省財務局五十年史 第1章 総論 第1節 総説 3.理財業務 II 金融・証券 | ||
戦後不足がちであった食糧の買いあさりの防止や、インフレ対策として預金封鎖と新日銀券への切替えを含む施策が1945年11月頃から検討され、司令部との折衝を踏まえ、1946年2月17日に勅令(大日本帝国憲法第8条)、すなわち「金融緊急措置令(1963年7月22日廃止)」「日本銀行券預入令(1954年4月10日廃止)」に基づき幣原喜重郎内閣により実施された。 これは、食料増産、インフレーション対策を含む経済緊急対策措置の一環として実施された通貨措置で、日銀券を新券と交換し、旧券を強制預入させ、預貯金の払出しを制限するという方法で、通貨と預貯金を封鎖し、浮動購買力の抑止を意図したものであった。 また、企業と金融機関の再編整備が重要な課題であり、財務局発足当時の金融関係の重要な業務は、「金融機関経理応急措置法」(1946年8月15日法律第6号)と「金融機関再建整備法」(1946年10月18日法律第39号)の施行事務にあった。 この法律によれば金融機関は新旧勘定に分離され、旧勘定で戦時に発生した債権債務を処理し、新勘定で事業を継続することになった。また、「金融緊急措置令施行規則」が改正され、封鎖預金は一定額までを第1封鎖預金、それ以上を第2封鎖預金とし、第2封鎖預金は最終的には切捨てられた。 |
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金融機関経理応急措置法第2条にいう、金融機関の負債のうち「命令で定める預金等」というのが市民の預金の意味であることに留意 これはロバート・キヨサキ(Robert Kiyosaki)の「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでいても注意事項として掲載されているが、家計や企業の借金(ローン)は、金融機関の資産であって、借主(一般市民や企業)にとっては借金を返済をする義務があるので負債、逆に家計の預金は銀行にとって利子を付けて返さないといけない義務を負うので金融機関から見ると負債になり、預金者(一般市民や企業)は債権者となる。 しかもこれらの法律は現行法であり、命令というのは、政令、つまり国会審議を必要としないものであることにも留意しないといけない。 |
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毎日新聞社-昭和史全記録より | ||
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当時の新聞には、「東京都民の生活は朝は雑炊、夕は混食、闇米既に底をつく。日曜は悲しい減食日(1946年4月19日 毎日新聞)」とあった。 なお、一部の労組で最近行われた「最低賃金・標準生計費生活体験」では今でも当時と変わらない状況が報告されている。 「歴史は繰り返す」と言われるが、こんなことは繰り返して欲しくない。 ただし、預金封鎖には抜け道があり、銀行が違えば別勘定で、預金分散者には有利であったと言われる。 当時はコンピューターなどがなかった時代なので、言われてみれば当然のことかと思う。 分散預金、海外預金は金持ちでなくても「歴史に学ぶ」者の必然的行動かもしれない。 |
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