私を超えられる?
セクシー・リッチ・そして世界15位
アンナ・クルニコワ(Anna Kournikova) −テニス界のもう1人の女王
(読売新聞−2000年8月13日)
テニスのアンナ・クルニコワが全仏で優勝しなかったからと言って、だれが気にするだろうか。
彼女の存在は、女性が特別視されないと思われている現代においても、「ホットボディ」が素晴らしいバックハンドと同等の価値を持つことを証明している。

「今の私の年齢って完璧なの少女にも大人の女性にも、自分がなりたいと思うようになれるわ。」と、今月で19歳になったアンナはうれしそうに話す。
レイモンド・チャンドラーは「さらば美しき女よ」に書いている。
「ブロンドだった。司教にステンドグラスの窓をけって穴を開けさせるようなブロンドだ。」
アンナはまさにこの種のゴージャスな女性だ。
彼女自身もそれを知っている。
「美しい女性は多いけれど、テニスの才能がある人はいるかしら。もし、私が世界ランク(WTA tour singles ranking)500位ならだれも注目しないわ。」
彼女は500位ではない。1位でもないが、15位にいる。それで十分なのだ。( 2003年4月現在は66位まで落ちている)

アンナほど有名で金持ちの美人アスリートは、かつていなかった。
エスクァイヤ(Esquire)、ヴォーグ(Vogue)など国際的な雑誌の表紙を飾り、だれも知らない欧州やアフリカ、アジアの雑誌にも載っている。
たぶん地球上で最も写真を撮られている女性だ。
また、インターネットで検索された人物の第19位にランクされ、最もダウンロードされたスポーツ選手でもある。
彼女に関するホームページは2万以上もある。

よく彼女と比較されるマルチナ・ヒンギス(Martina Hingis)は、コートでは天才だ。
でも彼女はスタイルで失敗している。髪型も良くないし、ウエアは年取った女性のようだ。
一方、アンナの趣味は非の打ちどころがない。
彼女はテニス協会(WTA)の表彰式に、6インチのヒールを履き、ヒョウ柄のブラがのぞくぴっちりしたシースルーのミニドレスで出席したが、それが似合っているのだ。

テニスはずっと女性スポーツの最前列に位置しながら、性的魅力にあふれた女性が出てこなかった。
ガブリエラ・サバチーニ(Gabriela Sabatini)の外見は美しかったが、興奮をそそるタイプではない。
クリス・エバート(Chris Evert)はキュートだったが、妖婦ではありえず、セクシーな選手がいたとしても、それはたいした選手ではなかった。
その座はアンナのために用意されていたのだ。

彼女は商業的にももてはやされている。
年1000万ドルの収入が保証され、フォーブス(Forbes)の世界的有名人リストの58番目にランクされている。
男子の多くの選手がスポットライトを共有するが、アンナはほとんど独占している。
多くの広告主は、何かを達成した女性を起用したがり、その女性が美しければさらにいい。
アンナはその条件に完ぺきに当てはまってるのだ。

しかし、試合でのアンナは、ダベンポート(Lindsay Davenport)ほどのパワーはなく、ヒンギスのような頭脳的プレーもできない。
彼女の素晴らしいネットプレーは、1999年の全豪を含む8つのダブルタイトルで立証されたが、彼女のサーブは打つというより押し出すという感じだ。

アンナは懸命に練習しているかもしれない。
しかし、富と名声はもう手にしている。
どうしてコートの中だけのためにモチベーションを上げられるだろうか。
彼女が打ち勝たなければならないのは、ネットの向こうの相手ではない。
「美貌の名士」と「泥だらけの運動選手」のどちらかを選ぶか、という内なる戦いなのだ。

48歳になった現在もツアーに参戦しているスティーブンソンは言う。
「もしアンナに1つ言うことがあるとすれば、『コートに集中しなさい』ということね。彼女なら美しさと女王の座の両方を手に入れるチャンスがあるはずよ。」「ただ、どうしても気が散ってしまうでしょうけれど。」

アンナの気を散らすもの。それは鏡の中に見るアンナ自身だ。
結局のところ、彼女は美女であり続け、人は彼女を見て恋に落ちる。
それを止めることはできないのだ。
関連サイト
[今日の一言 月別インデックスへ]

[エッセイのトップページへ戻る]