知性も責任感も失った白髪の貴族たち

【2002年8月3日掲載/2003年1月19日最終更新】


知性
  1. 知的な能力。知覚を素として認識を作り上げる精神的諸機能。
  2. 新しい状況に対して、本能的方法によらず適応し、課題を解決する性質。
Intelligence
  • A high level of the ability to learn, understand, and think about things.
Intellect
  • The ability to understand things and to think intelligently
Intellectual
  • An intelligent, well-educated person who spends a lot of their time thinking about complicated ideas and discussing them.

第二次世界大戦前、困難に立ち向かった高潔な政治家がいた。

城山三郎氏の著書「男子の本懐」によると、戦前の日銀総裁であり、浜口雄幸内閣の大蔵大臣をも務めた井上準之助氏は常々こう言っていたという。

「常識を養うのに読書の必要はないかもしれぬ。そしてまた日常の事務を処理していくのにも読書の必要はない。しかし、人をリードしていくには、どうしても読書しなければならぬ。そして、明日起ってくる問題を知るためには、どうしても読書をしなくてはならぬ。」と・・・
あるいは部下に対し、「仕事はぐずぐずやるな、機敏に片付けろ、片付けたら遠慮なく帰れ!」と・・・
彼の意味するところは、日常業務から開放されて個人の時間を持ち、大所高所(a broad perspective)に立つ勉強をしろ、そして1人1人の質を高めることが日銀のため、国家のためであると・・・
事実、当時日銀の執務時間が9時から4時までであったのが、彼の職場だけはそれ以前に帰ることを奨励していたという。
今、このようなことを訓示できる高潔なエスタブリッシュはいるだろうか?

彼らは昭和恐慌という国難に私利私欲を捨てて立ち向かい、最後には右翼のテロに倒れた。
特に彼らの推進した海軍軍縮と金解禁は、政軍官という戦前のエスタブリッシュメントの激しい反発を招いた。
このように自らの理想と国の将来に命をかけた政治家が戦前には存在した。
井上が暗殺された直後、米財界人の1人、モルガン商会のトーマス・ラモント(Thomas Lamont)は弔電を打った。「日本は最も忠実なる1人のパブリックサーバントを失った。」と・・・

そして敗戦からの奇跡の復興、しかし、それは知性と責任感を失うという犠牲のもとに達成されたものだった。


奴隷には知性も教養も与える必要はない。
果たして国民は人間として扱ってもらってなかったのか?

英字紙"Japan Times"の定義によれば、終身雇用制度(lifetime employment system)とは、生涯にわたって従業員を雇用するシステム、これは従業員の企業への全面的忠誠と引き換えに定年までの雇用が保障されるとしている。
(Shushin-koyo is the lifetime employment system. Employees are guaranteed employment until retirement age in return for their absolute loyalty to the company.)

旧ソ連では赤い貴族と呼ばれるノーメンクラトゥーラ(nomenklatura=the ruling elite of communism)が特権階級として国を支配し、国民の自由と権利を束縛し続けた。
一方、日本は表向き西側民主主義陣営の一員であるが、実質的には永田町、霞ヶ関及び丸の内にいる白髪の貴族たち(Japan's nomenklatura (the gray-haired nobilities) / 族議員、キャリア官僚と一流企業の幹部たち、いわゆる政官財複合体=politicians, bureaucrats and business leaders complex)による支配が続いている。
彼らの巧みなところは画一的な教育を通して国民の知性と好奇心を奪い、表面的な自由のみを与えつづけたことにある。
行政指導(administrative guidance)に基づく過保護とも言える度を越した画一的なサービスの提供によって、多くの国民は自立心と決断力を奪われ、物質的な豊かさは白髪の貴族たちに対する大方の批判を封じ込めた。
世界で最も成功した社会主義国、これが1980年代以前の日本の実態と私は確信している。

高度成長期(1950年代後半から1960年代)以降の長い間、一般のサラリーマンは年功序列賃金と、過重な住宅ローンを伴う持ち家、一般的にその会社で通用する能力(company specific)だけしか持たないことにより、また限定的な中途採用と未成熟な労働市場、そして退職金に対する優遇税制により、事実上の職業選択の自由を奪われ続けていた。
多くの会社は「会社人間(企業戦士)」と呼ばれる男性の牙城と化し、仕事がすべてに優先するという論理が当然視された。
これに加え、彼らはゴルフや麻雀といったものさえ接待のために、自分の自由時間を犠牲にして捧げた。
女性の経済的自立は徹底して妨害され、今でも子持ちの女性社員に対する嫌がらせを続ける会社は多い。

日本版ノーメンクラトゥーラ<Japan's nomenklatura (the gray-haired nobilities)>、いわゆる白髪の貴族たちが支配する日本において彼らの既得権を脅かすかもしれない成熟した市民は歓迎されない。
簡単に言えば、彼らにとって必要なのは奴隷だということである。
奴隷には知性も教養も与える必要はない。
文部科学省(旧文部省)の指導要領(official curriculum guidelines)のもとに、公立の学校教育は個人の創造性(creativity)と想像力(imagination)を排除し、画一的で暗記力だけが優れたマニュアル人間(believers of manual)のイエスマン(yeasayer)を育てることが目標とされた。
また、彼らはイスラム原理主義者のような日本株式会社教の信者(believers of Japan Inc.)を育てあげ、忠実なる支持者として組織化した。
本来ならこういうことに対し、批判しなければならないマスコミの多くは日本株式会社教の信者の牙城となっていた。
事実、記者クラブ(correspondents' club)という報道の自主規制組織は、白髪の貴族にとってまことに都合のいいものだ。
そうでなければ、白髪の貴族たちが彼らのために金を使うようなことはしないだろう。
東京管理職ユニオン書記長の設楽清嗣(Kiyotsugu Shitara)氏は言った。
「会社人間(企業戦士)は知性を捨てている。」と・・・


日本の記者クラブ制度(by 神崎正英氏)

There is the famous (notorious?) Press Club system in Japan's newspaper journalism.
That is the closed membership circles stationed in major government offices or big companies.
Writers who cover specific field usually register the appropriate press club and have their own desks at the club.
It is convenient system both for journalists and news sources (i.e. government, companies...).
Journalists can get information while sitting in their desks.
Corporations can efficiently hand out their newsreleases.
Also, club members usually enjoy privilege to have regular round-table conference with the officials.
日本の新聞には有名な(悪名高い?)記者クラブ制度がある。
それは、主要な官公庁や大企業にある閉鎖的な会員サークルである。
通常、特定分野を取材する記者は、しかるべき記者クラブに登録し、そのクラブの中に自分のデスクを持っている。
これは、ジャーナリストとニュースソース(政府や会社など)の双方にとって便利である。
ジャーナリストは自分のデスクに座っている間に情報(information)を得ることができる。
企業は、能率的にニュースリリースを配ることができる。
また、記者クラブのメンバーたちは官公庁の担当者との定例の円卓会議に参加する特権を享受している。

Press Clubs used to be closed to foreign press, because they required a participant to be a member of JNPEA (Japan Newspaper Publishers and Editors Associatio).
In 1993, the JNPEA announced a new guide line for press club and changed this rule.
Now, a few foreign media such as Reuter became members of several press clubs, including MFA (the Ministry of Foreign Affairs) and Kabuto-cho (Tokyo Stock Exchange).
かつて、記者クラブのメンバーは日本新聞協会の会員であることが必要であったため、外国プレスは締め出されていた。
しかし、1993年に日本新聞協会は記者クラブの新たなガイドラインを設け、ルールを変更した。
今日ではロイター通信のような外国メディアでもいくつかの記者クラブ(外務省東京証券取引所を含む)のメンバーになっている。

Still, there are many arguments over this system.
It is convenient, but may spoil journalists....
未だに記者クラブ制度については多くの議論がある。
便利ではあるが、ジャーナリストを堕落させると・・・

田中康夫長野県知事の「脱記者クラブ宣言(2001.5.15)」"Declaration of Departure from the Press Club System"
四国新聞社「民主主義の背景
Guardian's article on November 29, 2002 "EU acts to free Japanese media"

不健全なジャーナリズムが日本をダメにしている。

マスコミはよく言う。政府や役所が民間が仕事をしづらいような規制をしていると・・・
また、日本が低迷しているのは予算配分を大胆に変えるとかして、新しい成長分野に資金を投入しないからだ、とも・・・
それにもかかわらず、今、日本で一番の抵抗勢力はマスコミであるとさえ言われ始めている。
ある週刊誌によると、大新聞社のボーナスは自らが批判を繰り替えす銀行や役所のものをはるかに上回るばかりでなく、記者クラブの運営費もすべて相手丸抱えのところが多いという。
つまり、役所のそれは税金、銀行のそれは我々の預金から捻出されているのだ。
1996年4月に記者クラブ制度を廃止した神奈川県鎌倉市、2001年5月に廃止した長野県に対しては、それ以降、竹内謙市長や田中康夫知事に好意的な論調がほとんど見られなくなった時期もあるという。(長野が映す政治の病理-Newsweek Japan 2002.9.11 PDF)
「1940年体制」という言葉がある。
野口悠紀雄氏が名付けた、この戦時体制下における間接金融、経営者の内部化、年功序列・終身雇用、系列関係、強い中央政府などを特徴とするシステムが未だに亡霊のように生き残っている。
確かにこの体制は、戦後も生き残り、高度成長の実現に重要な役割を果たしたが、政府にとってこれほど統制のしやすいシステムはない。
これに大きな役割を果たしているのがマスコミなのだ。
最初はメディア規制とか、政府統制だと言っていた個人情報保護法に対しても「マスコミを適用除外とする条項(第50条)」ができたあとは、当初は同じように反対していたほかの人たち、例えば日本書籍出版協会や作家たちとは一線を画すように沈黙した。
なぜそうなったかお分かりであろう。
マスコミは記者クラブによってすでに統制下にあり、インターネットや週刊誌などで真実の報道をされては困る人間が日本には多過ぎるからだ。


無料日刊紙に大きな敵!? (Free News is Good News!)
(by Mark Robinson/translated by 常岡千恵子/ビジネスジャンプ/2002. 8.31)
シドニーで育ったボクは、新聞とは、街角で面白そうなものを選んで買って、喫茶店で読むものだと思っていた。
ところが、来日直後、日本人の友人に「日本の新聞は宅配され、みんな家で読む」と教えられ、唖然としたものだった。
なるほど1千万部という世界最多の発行部数を誇る読売新聞は、宅配制度によって支えられている。
ただ、発行部数が必ずしも読者の支持を反映しているとはかぎらない。
購読新聞を頻繁に変えたり、強引な購買勧誘員に根負けする家庭も多い。
でも、人々が喫茶店で大新聞を楽しむ姿が少ない理由は、それだけではない様子。
「新聞はつまらない」という日本人の若者が多いのだ。

新聞が面白くない理由 (講談社文庫)
日本の新聞は退屈すぎる (Newsweek Japan 2000.7.26 PDF)

この意見の是非はともかく、そう感じている若者が増えているのは確からしい。
朝日新聞社もこの傾向を認めたようで、昨年、安価なタブロイド紙を、コンビニなどで販売。
「セブン」と名付けられたこの週刊紙は、大判の写真と短い記事を大胆にレイアウトした斬新な紙面で、新聞離れの著しい若者をターゲットに狙った。
ところが、7号を出したところであえなく廃刊。

日本の大新聞だというのに、あまりにもあっけない幕引きではないか!
日本には、知性と若さ溢れる、刺激的な新聞作りに本気で挑戦しようという、手腕とガッツのある企業はないのか?
ほとんど競争のない市場なのだから、成功すれば一攫千金なのに・・・

そんな中、去る7月に24ページの無料日刊紙「HEDLINE TODAY」が創刊された。
同紙は、今回の見出しの「Free News is Good News. (無料のニュースはよい知らせ)」をスローガンに、首都圏約200箇所で配布。

正直言って、紙面の洗練度は低い。
海外通信社が配信した、掘り下げのない記事が並び、にわか仕立ての感が否めない。
だが、ニュースを独自のかたちで提供しようという姿勢には、拍手を送りたい。
現在45歳の発行人の中山清美は、9月までに発行部数35万部を目指す。
読売新聞には遠く及ばないけど、こちらはまだ始動したばかり。

しかも、多くの苦難を乗り越えて発行にこぎ着けた中山は、賞賛に値する。
発行直前に、なぜか急に印刷や紙の手配に問題が生じた。
また、共同通信時事通信が国内ニュースの提供を拒否。
国際ニュースが大半を占めるのは、このせいだ。
大手広告代理店も取引を拒んだ。
中山は大新聞が裏で圧力をかけたのではないかと推測する。

一方で、彼の事業を評価するメディア業界人もいる。
夕刊フジ」勤続30年以上のベテラン編集者、阿部耕三は、「大きな冒険だ。心から成功を祈っている。ただし制約も敵も多いし、この新聞の参入を望まない人間も多いから、とても難しいだろう。」とコメント。

大新聞の「HEDLINE TODAY」への妨害説を示唆する業界関係者もいるけど、事実なら最近「言論の自由」を掲げて個人情報保護法案に反対した大新聞の立場はどうなる?
無料日刊紙は、大新聞にとって許せない脅威なのか?(個人メディアはマスコミを殺すか-Newsweek Japan 2002.7.10 PDF)
大手各紙も独創的な新聞を次々と創刊すれば、日本でも喫茶店で新聞を楽しむ人が増えるかもしれないのに。

訓練された無能(trained incapacity)

1997年11月24日、日本の4大証券会社の1つ、山一証券が創業100年の幕を閉じて廃業した。
これは、株価の下落、スキャンダルによる信用の失墜、そして不法な金融取引による損失に関連した金融危機によってもたらされたものだった。
野沢正平社長は涙を流しながら言った。「悪いのは会社なんです。社員は悪くないんです。彼らの1人でも2人でも職が得られるように助けてください。」と・・・

アメリカの社会学者、ロバート・マートン(Robert K. Merton)が言う「訓練された無能(trained incapacity)」、それは官僚のみならず、日本の金融業界に関係する者全員に向けられた言葉だった。(参考:Bureaucratic Structure and Personality by Robert K. Merton
彼らは必ずしも有能であったがゆえに昇進したのでなく、日本株式会社の忠実なる信徒で、かつ何も失敗を経験することがなかったから昇進したのであった。
つまり前例があることには有能だが、新しいことに対処できない。
ここでいう前例とは、日本の高度成長に貢献した偉大なる先人のマニュアルと官僚の行政指導だ。

バブル時代(1980年代後半)になると、多くの銀行はヤクザまで使って地上げをし、野放図な融資を繰り広げた。
彼らはイタリアの政治経済がいかにマフィア(mafia)に食い物にされてるか考えもしなかったのだろう。

In Italy, from 1992 to 1994, Chief Prosecutor of the Milan magistrate, Antonio Di Pietro exposed a corruption network in which former Prime Ministers Craxi and Andreotti were among dozens of accused high-ranking politicians. The "Clean Hands" investigation showed that most political parties were involved in an institutionalized system of bribes (Tangentopoli, or "Bribesville").
Of course, some of politicians, including former prime ministers, had received contributions from mafia. (see also TIME Europe)
イタリアでは1992年から1994年にかけてミラノ地検のディ・ピエトロ検事によってかつての首相、クラクシ、アンドレオッチが起訴された数十人にのぼる幹部政治家との間につくった汚職のネットワークを摘発した。
「クリーンハンド」による調査は、多くの政党が、タンジェントポリとかブリベスビルと呼ばれた組織的な汚職システムに関与していたことが明らかになった。
もちろん、何人かの政治家は、首相経験者も含めてマフィアから献金を受けつづけていた。

それがバブル崩壊によって不良債権化すると、政府に公的資金(税金)による救済を求める一方で、中小企業に対しては将来性も吟味せずに融資を凍結し、倒産や経営者の自殺の危機に追いやっている。
日本の景気回復の遅れの責任のほとんどは銀行にあるといっても過言でない。
私に言わせれば、何でこれほど知性が低いのかと呆れてしまうのだ。
「やくざリセッション」、これが日本の不況の実態だが、残念ながら日本版ディ・ピエトロはいまだに現れていない。

試行錯誤(trial and error)という言葉がある。
意味は、課題を解決する見通しが立たない場合、試みと失敗を繰り返しながら追求すること、である。
新しい事態に対処するのにマニュアルはないのは当然だし、成功の前には何回もの失敗があって当然だ。
重要なのは失敗から学ぶことだ。
日本の諺では「失敗は成功のもと(Failure is a stepping stone to success.)」、「猿も木から落ちる(Anybody can make a mistake.)」というのがある。
私の知る限りでは、銀行や官庁の昇進基準の1つは、「失敗をしないこと。」という。
これはすなわち、「新しいことを何もしないこと。」と同義なのだ。
それで出世した人間が誰に何を言われようと、新しい試みをしないのは当然だ。
知性を磨くための時間を放棄し、会社の中の処世術(company politics)しか身につかなかった者たちが無能と言われるのは当然なのかもしれない。
訓練された無能者、この言葉は日本株式会社の信徒にあてられた冷酷な成績通知書(grim reality)であったに違いない。

日本にとって1990年代は「失われた10年」だった。そして銀行幹部はその間、ほとんど何も学んでいない。
2001年末、英経済紙であるフィナンシャル・タイムズは"Risky tango in Tokyo (日本語訳付)"というレポートを載せた。
アルゼンチンは20世紀初め、経済大国の1つであったが、無能な政府が続いたために貧乏国に転落した。
一方の日本は20世紀の終わりはずっと経済的に豊かな状態が続いている。
最近の危機的状況にもかかわらず、いつ日本がクラッシュするかは誰にもわかっていない。
ただ唯一、私たちが言えるのは「おごれる者は久しからず(Pride goes before a fall.)」ということだ。
そして、2002年8月11日付けのニューヨークタイムズは、"As Tokyo Loses Luster, Foreign Media Move On" (東京が輝きを失うにつれて海外メディアが撤退)という記事を載せた。
もはや残された時間はほとんどないのかもしれない。


As Tokyo Loses Luster, Foreign Media Move On
(東京が輝きを失うにつれて海外メディアが撤退)
So began another sayonara party at the Foreign Correspondents' Club of Japan, marking the closing of another news bureau in Tokyo.
After 12 years of Japan's economy going sideways, stagnation fatigue is rippling through newsrooms.
In the last few months, newspapers closing their Tokyo bureaus included The Chicago Tribune, The Christian Science Monitor, The Independent of London, Dagens Nyheter of Sweden and Corriere della Sera of Italy.
Meanwhile, reporters from other newspapers are increasingly using the bureaus as pit stops as they race around the world to tell stories their editors find more interesting.

東京支局閉鎖のための送別会が、外国人記者クラブでまた始まった。
12年もの日本の経済停滞は報道の現場にも影響を及ぼしている。
このわずか2~3ヶ月の間にシカゴ・トリビューン(The Chicago Tribune)、クリスチャン・サイエンス・モニター(The Christian Science Monitor)、ロンドンのインディペンデント(The Independent of London)、スウェーデンのダーゲンス・ニィヘテル(Dagens Nyheter of Sweden)、そしてイタリアのコリエーレ・デラ・セラ(Corriere della Sera of Italy)といった新聞社が日本支局を閉鎖した。
一方では、他の新聞社から派遣されたレポーターは、もっと面白い記事を編集者に送ろうと世界を飛び回り、あたかもレースでの途中給油(pit stops)の如く支局を使う傾向を強めている。

Today's editorial ennui with Japan partly revolves around the definition of news.
Given the choice between covering a stalled Japan and a developing China that will probably overtake Japan economically by the middle of the century, editors choose the more dynamic country.
In a typicial move, The Chicago Tribune closed its Tokyo bureau last year and moved its correspondent to China.

今日の日本についての退屈な社説は、部分的に記事が定義づけされて展開しているからだ。
停滞している日本と、今世紀半ばにも経済的に日本を追い越すと言われる中国とどちらを記事にするかと言われれば、記者達はよりダイナミックに変化している国を選ぶのは当たり前である。
そういった流れの中で、シカゴ・トリビューン(The Chicago Tribune)は昨年東京支局を閉鎖し特派員を中国に移動させた。

Bruce Dunning, Asia bureau chief for CBS, who has worked in Japan off and on since 1972, agreed, saying that Japan was a hard story to sell.
With change in Japan generally minute, incremental, and occurring without visible social friction, Mr. Dunning said, "It is very hard to make pictures of economic trends here."

1972年から日本で働き、去って行ったCBSのアジア支局長、ブルース・デュニング氏は、日本は硬派の記事を売るために存在していた、という言葉に頷いた。
また、彼は概して些細な、明白な社会的軋轢を伴わない偶発的な変化が日本にあるとしても、この国の経済的な趨勢はとても厳しいものを描くことになると言った。

Over lunch at the press club, where most of the diners were nonjournalist associate members, Naoyuki Shinohara, the spokesman of The Finance Ministry, said he was startled by the change.
Returning to Tokyo recently after several years in Manila, he concluded: "I guess we are not the rising sun anymore."

財務省報道官の篠原尚之氏は、数年間のマニラ勤務後に帰国した際の変化に驚かされたという。
「我々はもはやライジング・サン(rising sun)ではない」と彼は締めくくった。

鬼畜たち

日本には薬害という呼ばれるものがある。
しかし、それは人間の顔をした下品で卑劣な鬼畜たちが起こした重罪と言うべきものである。
薬害の犠牲者となった者は、死に至るか障害者となったが、鬼畜たちのほとんどは刑務所には行ってない。
厚生労働省(旧厚生省)の役人は鬼畜を野放しにする一方で、被害者の救済には及び腰であった。
あなたは彼らを人間として許せるだろうか?

非加熱血液製剤でHIV(エイズウイルス)に感染した「薬害エイズ(HIV-tainted hemophiliacs)」(1980年代)は戦後最悪の薬害と言われた。
それまでは、新生児の手足に発育不全が生じた「サリドマイド(thalidomide-deformed babies)」(1960年代)、中毒性神経障害などを引き起こした「スモン(the drug-induced SMON disease)」(1970年代)、失明などの視力障害が起きた「クロロキン網膜症(chloroquine retinopathy)」(1970年代)が3大薬害とされた。
サリドマイド、スモン訴訟は1974年と1979年、原告と国・企業の間で和解が成立。
クロロキン訴訟は企業とは和解したが、最高裁で1998年、国の責任を否定する判決が確定した。
HIV訴訟は1996年、国と企業が一律4,500万円を支払って和解した。
この間、国は何度も薬害根絶を誓ったが、2002年3月25日に和解した薬害ヤコブ病訴訟などが繰り返された。 


過労死と過労自殺

バブル時代(1980年代後半)以降、過労死(Karoshi=death from overwork)が社会問題となっていたにもかかわらず、政府・企業・労組はその問題の解決にほとんど努力しなかった。
そればかりか、ある日系企業は1990年代初め、『ドイツ人が休み過ぎる!』と言って、ドイツ(Germany)から撤退した。
一番大きな問題は政府統計に表れないサービス残業、あるいは裁量労働制や年俸制によって多くの人が隠れた長時間労働を強いられていることだ。

さらに悪いことは、白髪の貴族たちは、過労死を労働災害と認めるのに消極的だということだ。
1つの理由は会社の世間体、そしてもう1つは彼らが労災保険料率が上がるのを避けたいからだ。
従って、本物の兵士なら殉職が名誉と賞賛を与えられるのに対し、日本の企業戦士は、殉職してもあらぬ中傷を浴びがちだったのだ。
曰く、本人は普段から不摂生だった、曰く、本人に持病があった、などである。
確かに休日もなく働けば、健康体でなくなるのは事実だが、それは白髪の貴族の親衛隊(loyalists)によって誇張されることもしばしばだった。
遺族が労災申請をしようとしても証拠を隠滅したり、証人に圧力をかけたりすることもあったという。

そして、今、日本のサラリーマンはリストラの中で、精神的な病気になったり、自殺をしてしまう者もいる。(企業戦士が死を選ぶとき - Newsweek Japan 2001.9.5 PDF)
そうなる前に何とかならないのかと誰もが思うだろう。
しかし、日本の一般サラリーマン、特に中高年社員は、過重な住宅ローンを伴う持ち家、限定的な中途採用と未成熟な労働市場、一般的にその会社で通用する能力(company specific)だけしか持たないことにより、事実上の職業選択の自由を奪われているのだ。
ただ悲劇の主人公の中に、かつての白髪の貴族の親衛隊がたくさん含まれているのは運命の皮肉である。
彼らは言う、「私は会社に尽くしてきたのに裏切られた。」と・・・
「日本社会全体が生き残らなければ、という脅迫観念にとらわれている。1人1人のレベルでいうと、職を失わない(dismissal)ために休日も働き、自分を責める。それが生き残ろうとして、死んでしまうという皮肉な結果を生んでいる。」と、過労死弁護団全国連絡会議幹事長(secretary general of the National Defense Council for Victims of Karoshi)の川人博弁護士は言う。(see also Daily Yomiuri Interviews)

日本は極度に便利な国だ。
希望すれば、迅速かつ正確なサービスが年中無休で提供される。
しかし、それらのサービスは決して只で提供されているわけではない。
かつては世界一高い物価としてコストが転嫁されていたにちがいない。
そして、今、従業員のサービス残業に帰結しているにちがいない。
日本人がしばしば口にする「年中無休でやって欲しい。」「すぐやって欲しい。」と・・・
私たちはこれらの何気ない一言がお互いの自由時間を奪い合っていることに気付くべきだろう。
「24時間たたかえますか?」、これは1988年に流行った栄養ドリンク剤「リゲイン」のキャッチコピーだ。
私は栄養ドリンク飲んでまで働きたくない。-あなたは?


最後に、昭和の名演説と言われた、1940年2月1日に開かれた第75帝国議会における、民政党の斎藤隆夫氏の粛軍演説を紹介しよう。( 王立図書館もどうぞ)
これは言論統制下において唯一言論の自由が保障されていた議会の演説であるが、彼はこの発言により議員を除名された。(その後、選挙干渉にもめげず再当選を果たす)
しかも彼の発言の後半は公式の記録(議会の速記録)からも削除されたという。

ただ、いたずらに聖戦の美名に隠れて国民的犠牲を閑却し、曰く国際主義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲をつかむような文字を列べたてて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありますならば、現在の政治家は死しても其の罪を減すことはできない。
この大事変(注:1937.7.11の廬溝橋事件を発端とする日中戦争のこと)を前に控えて居りながら、此の事変の目的は何処にあるのかということすら、また普く国民の間には徹底して居らないようである。
聞くところによれば、何時ぞや或る有名な老政治家が演説会場に於て聴衆に向かって、今度の戦争の目的はわからない。諸君はわかって居るか。分かっているなら聞かしてくれといったところが、満場の聴衆の一人として答えるものがなかったと言うのである。
事変以来我が国民は実に従順であります。悲憤の涙を流しながらも黙々として、政府の統制に服従するのは何が為であるか。政府が適当に事変を解決して呉れるであろう。之を期待して居るがためである。
しかも此の事が、国民が選挙し国民を代表し、国民的勢力を中心として解決せらるるならば、なお忍ぶべしといえども、事実全く反対のことが起ったとしたならば、国民は実に失望のどん底に蹴落とされるのであります。
国を率いる所の政治家はここに目を着けなければならぬ。
然るに、歴代の政府は何をしたか。事変以来歴代の政府は何を為したか。この二年有半の間に於て三度内閣が辞職をする。、政局の安定すら得られない、こういうことで、、どうしてこの困難に当たることができるのであろうか。

賢明なる諸氏は想像できたであろう。
これは戦前の中国への軍事行動に対する批判(粛軍)演説であるが、聖戦と事変を景気対策とバブル崩壊に置き換えれば、現在の状況にもピッタリくるものであることを・・・


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