「治安再生−揺らぐ警察組織」
読売新聞特集−2003年7月)

管轄の壁、階級組織のきしみ、警察官の意識変化−。「治安再生」第三部では、社会が激変する中で、組織変革を迫られる警察の実態を報告する。

目次
  1. 捜査阻む「縄張り意識」
  2. 密室の犯人と命懸け心理戦
  3. 捜査能力の低下深刻
  4. 警官の卵たち「半熟」−礼儀知らず、常識もなし−教官「学校はマナー教室?」
  5. 減らない無人交番
  6. 街角の安心−民間委託
  1. 交通課−漂う無力感
  2. 危うい警部−大量昇進−指揮能力に不安
  3. 外国人犯罪「増長」−「留置場は最高」−通訳脅し、味方に
  4. さまよえる機動隊−「最後の砦」今は昔−存在自問の日々

捜査阻む「縄張り意識」

六甲山のふもとの橋で、男性(41)が手を合わせていた。神戸市北区の有野川。
初夏には蛍も舞う清流で、娘の遺体が見つかったのは二年前だった。
2001年6月3日の夜、近くの駅に母親を迎えに出た二女(8)が行方不明になり、四日後、橋のたもとに小さな遺体が流れ着いた。
頭に傷を負い、何者かに川に投げ込まれたと推測された。
事件後、兵庫県警有馬署には、刑事部捜査一課と交通部交通捜査課の合同捜査班が設けられた。
捜査本部が設置されなかったのは刑事部が「頭の傷は車にひかれたとしか考えられない」とひき逃げ説を主張する一方で、交通部は「交通事故特有の擦過傷がない」という理由で殺人説を唱え、指揮系統が一本化されなかったからだ。
事件はいまだに解決していない。犯人が見つかってから墓に入れたいと、家族は遺骨を自宅に置いたままだ。
今も折にふれ発見現場に足を運ぶ父親は「なぜ捜査が進まないのか。遺族は何もできなくて、毎日が歯がゆい」と話す。

こうした縄張り意識は警察にとって古くからの課題だ。「現実に捜査を阻んでいるケースも少なくない」と警察幹部も言う。
ひったくりなどを繰り返す少年たちにまで、それは見透かされている。
「大阪に逃げ込めば追ってこないと思った」と供述したのは、兵庫県尼崎市でひったくりを重ね、昨年七月、府警に逮捕された中学生だ。警察の追跡をかわすために県境を行ったり来たりする少年たち。府警幹部は「未解決事件の多くが、県境という壁を悪用した犯行ではないか」と語る。

警察は、こうした実態に対応するため様々な手を打ち始めた。
昨秋には、110番内容、緊急配備などを互いのコンピューター画面に転送できるシステムが、警視庁と神奈川、千葉、埼玉の各県警の通信指令本部に導入された。五月には、警視庁のパトカーに、全国どこにいても他の警察本部の無線を聞ける新型無線機が設置された。

そして今、管轄の弊害を克服する決定打として注目されているのが、米連邦査局(FBI)のような警察庁直属部隊の存在だ。
2003年4月18日夜、愛知県新城署に設直された会社役員(39)誘拐事件の捜査本部は緊迫した空気に包まれていた。身代金を持ってタクシーで移動する家族。
その携帯電話にかかる犯人の言葉が突然途切れたからだ。傍受のために携帯電話に付けた無線機の電波状態が悪くなった。
捜査本部には、警視庁捜査一課特殊班の捜査員の姿もあった。「タスクフォース(特殊任務部隊)」と呼ばれる警察庁直属のメンバーでもある。
誘拐や立てこもりが起きると全国どこへでも飛んでいき、警察庁の指揮で行動する。彼らは独自に改良を重ねた最新式の小型無線機を使うように県警に勧めたが、現場は使い憤れた自前の無線機にこだわった。
地元の意向が通ったのは、タスクフォースはあくまでもわきからの支援を使命としているからだ。
被害者は既に殺害されており、無線の不通は事件の展開に直接は影響しなかった。しかし警察庁幹部は言う。
「捜査には人命がかかっている。小さなミスが取り返しのつかないことにもなる。経験豊かな専門捜査官の活動はもっと評価されていい」
強い捜査指揮と柔軟な組織、タスクフォースは、管轄を超えたFBI型捜査手法の可能性を示している。
しかし、模索はまだ始まったばかりだ。

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密室の犯人と命懸け心理戦

誘拐や立てこもり、ハイジャック事件の最前線に立ち、命がけで被告者を救出する捜査一課特殊班の捜査員は、警視庁に三十人、大阪府警に二十人。このうちえり抜きの十二人は、警察庁の「タスクフォース(特殊任務部隊)」にも登録されている。壁一つ隔てて、密室の犯人と心理戦を繰り広げる捜査員の実態に迫った。

警視庁も府警も、捜査員の日常は訓練に費やされている。ビル屋上からロープを伝って突入したり、射撃や閃光弾を投げ入れる訓練も行われ、いったん事件が起きれば、現場そっくりのセットまで作って、突入訓練を繰り返す。
こうした捜査員は全国の警察に配備されているわけではない。このため、タスクフォースに所属する隊員が派遣されるのだが、犯人の説得となると、地元の捜査員が方言で語りかけた方が相手に安心感を与えることもある。2002年12月に静岡県三島市で起きた立てこもりでは、隊員の助言を受け、静岡県警の捜査員が説得を続け、人質救出に成功している。

一方で、2002年9月に福岡県二丈町の民家で起きた立てこもり事件では、犯人との交渉が長引き、突入30分前に人質の女児(9)が刺殺された。犯人説得が携帯電話でのやり取りにとどまり、犯人との信頼関係が築けなかったことが原因の一つとされている。

こうした教訓から、警察庁は、全国の警察に「ネゴシエーター(交渉人)」を置くことに決めた。米国のネゴシエーターは身代金交渉に当たることが多いが、日本では、人質を取った犯人の説得が役割となる。同庁は、全国の捜査員の中から候補を選抜し、警察大学校で海外の交渉術や心理学を学ばせ、専門家を育成していくという。
「犯人の説得は、取調官が容疑者を自供に導く過程と変わらない。すぐれた取調官はネゴシエーターの素質も持ち合わせている。今後はどこで事件があっても、すぐに対応できるような体制を築いていきたい」と警察幹部は話している。

■窓越しの会話で信頼関係−揺れたカーテンで突入決断

「説得をスムーズに進めるには、犯人との会話の間合いを取ることが何より重要だ」。捜査一課特殊班に在籍した経験のある警視庁幹部はそう語る。
犯人は興奮しているため、まず受け答えをゆっくりとしたペースで進める必要がある。銃や逃走用車両の要求には「警察が銃を渡せるわけがない」「車では逃げ切れない」とはっきり断り、「他の捜査員に代われ」と言われても、交渉役は一人しかいないと認識させる。逃げ場がない現実を悟らせて、冷静にさせることが必要だからだ。

その代わり、「家族に会わせろ」といった現実的な要求には、窓越しに会話させるといった方法で応じながら人間関係を築くようにする。犯人が「食事を持ってこい」「飲み物がほしい」と言ってくれば冷静になった兆候で、そこで初めて突入のタイミングを探り始めるという。

別の捜査幹部は「人質と犯人との距離を見極めることが重要だ」と指摘する。
立てこもり直後、人質に凶器を突きっけていた犯人も集中力が薄れれば、人質から少しずつ離れていく。さらに時間がたつと、「右利きの犯人が、凶器を左手に持ち替える」「人質に回していた手を替える」「手にしていた凶器を床に置く」といった微妙な変化が見えてくる。
集音マイクや、壁の小さな穴を通した小型カメラの映像から室内の様子を分析することも不可欠だ。
被害者の動きが止まったり、泣き声や助けを求める声がやんだりすると、人質が衰弱しているとみて突入の決断を早めなければならない。
人質に危険が及ばないかを見極めることは何より重要だ。犯人を突入口に近い所へ誘導する。そして、犯人が人質から離れたのを確認できれば一瞬の決断で突入する。

「窓越しのカーテンの揺れから犯人が人質から離れたとみて、決断を下したこともあった」と捜査幹部は証言する。
2003年6月18日に東京・板橋区で起きた立てこもり事件では、捜査員二人が重傷を負った。
これまでにも人質や捜査員の命が奪われたケースは少なくない。そうした現場に居合わせたこともある元捜査員は「いつもギリギリの判断を迫られる。現場を何度も体験しなけれ突入の決断は難しい」と話している。

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捜査能力の低下深刻

皇居・桜田門に面した警視庁六階。2001年10月、捜査一課の大部屋で、ベテラン捜査員が段ボール箱に詰まった資料を、一枝一枚丹念にめくっていた。捜査報告書の一つの記述が、目に留まった。
<当日は、バイクで交通事故に遭い病院に行った。近所の交番にも届けた。>
2000年7月、東京・足立区で、明治大学4年の女子大生(22)が殺害された。

容疑者が浮かばないまま1年3か月が過ぎ、捜査資料の見直しが行われていた。
報告書のそのくだりは、女子大生宅近くに住む男の証言だった。その通りならアリバイがある。「目撃よりも背が低い。シロ」という担当捜査員の意見も添えられていた。
だが、事件当日の事故というのはいかにも不自然だ。ベテラン捜査員がすぐ交番に確認すると、届け出はなく、アリバイはあっけなく崩れた。
2002年1月、捜査一課は男を強盗殺人容疑で逮捕した。「基本の裏取りさえできていない。捜査能力が落ちている」と幹部は嘆く。

2002年9月、大阪府警は容疑者の虚偽証言をうのみにして無実の女性を逮捕し、福岡県響もひったくり事件で、犯人とは別の中学生を逮捕した。いずれも裏付けを怠ったことが原因だ。
なぜ、初歩的ミスが相次ぐのか。警察庁刑事局幹部がまず指摘するのは、刑事志望者が年々、減少しているという事実だ。
量が不足すれば質のレベルを維持するのは困難になる。
「警察学校入校時には、四割が刑事を志望するのに、実態を知ると、志望者は一割以下に減ってしまう」刑事は早朝から深夜まで勤務し、休みもない。出世も遅れがちだ。あこがれがたちまち幻滅に変わるらしい。
ドラマと違い、本物の刑事は逮捕から送検、起訴に至るまで、膨大な書類作成に追われている。

警察庁が今年、首都圏のある警察署で調査したところ刑事が作成作成する書類が5年前は一つの事件で平均40枚だったのに、昨年は1.5倍に増加。全国の警察が昨年請求した捜索令状や検証令状は25年前の1.7倍に上がった。
「デスクワークに忙殺されて刑事が外に出られない。だから力が低下する」と幹部は言う。
若手を鍛える経験豊富な刑事も姿を消した。警視庁軍捜査一課は1998年、伝統の「部屋長」を廃止した。
最古参の巡査部長を、10人ほどの係のまとめ役とし、若手育成を任せる制度だったが、定期異動の厳格化などで、かつてのように機能しなくなっていた。

聞き込みで住民の心に踏み込むにはどうしたらいいか。いかに犯人を自供させるか。伝統の断絶に危機感を抱いた捜査一課は2001年、部屋長の呼称を復活させた。
しかし、指導者不在という現実は変わらない。
「伝統が途絶えたこと。希望者が減ったこと。それらが捜査力を低下させたことは間違いない。だが、もっと根本的な問題がある」
宮城県警の捜査幹部は、ある強盗事件での体験談を例に挙げた。
聞き込みから帰った若い刑事が「何もありまぜん」と報告した。
数日後、別の刑事が同じ人物から「不審な男が車に飛び乗るのを見た」と聞き込んできた。
その人は「最初の刑事は『怪しい者を見たか』と聞くだけで、会話が続かない。次の刑事とはいろいろ話しているうちに、ああそう言えばと思い出した」と説明したという。
捜査幹部が嘆く。「今の若者は他者と心を通わせることができない。警察官も例外ではない。捜査本部に配属された若者に『まずあいさつをしろ』と怒ることもある。対人関係から教育しなければならない」

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警官の卵たち「半熟」−礼儀知らず、常識もなし−教官「学校はマナー教室?」

警察学校のある教官は、一線の警察署長から「今度の新人は職務質問が出来ない」とけなされ、悔しい思いをしたことがある。ひ弱で体力がない。集団生活になじまない。礼儀を知らない−そんな新人たちは当然のことながら、今時の若者の姿そのものだ。彼らに日々接している教官たちの本音を聞いた。

■警察学校
各都道府県警察にあり、新人警官は、大卒は6ヶ月、高校・短大卒は8か月の間学ぶ。
一定期間、署での実習を経た後、再び数か月間入校。卒業すると一線に配属される。鑑識など専門的な知識や技術を学ぶ講習のほか、階級に応じた研修も用意されている。

警視庁警察学校の教官を務める警視が不安に感じているのは、体力の極端な低下だ。
体育会系の出身者は減り、一クラス40人の中に、懸垂が一回もできない者が四、五人はいる。ソフトボールを投げて骨折したこともあったほどだ。
ほうきの持ち方を知らない。アイロンがかけられない。湯飲み茶わんに茶葉を入れ、そのうえから湯を注ぐ。
大半は集団生活の経験がなく、一人で外泊したことがないという新人までいる。「しつけがなってないから、常識が身についていない。まるでマナー教室のようだ。そんな学生たちを一列に並ばせ、敬礼させることから始まって、警察官としての自覚を持たせるまで教育するのは大変なことだ」と警視は言う。

福井県・警察学校の幹部は「自発心のない学生が増えてきた。教官の所にはいつも学生が連れ立ってやってくる。みんなで一つの場所に囲まってしまう。仲間意識は強いのだろうが、個性がない」と話す。
親が子どもを甘やかしているのも、幹部は気にかかる。携帯電話が禁止されていた1ヶ月間に、4回も面会に来た母親がいたという。
この春まで警察学校長だった島根県警の澄川東治・松江署長は、採用が決まった学生を集めた時、茶髪やピアスの学生に衝撃を受けた。室内でコートを脱ごうともしない。歩き方もだらしなかった。
入校一か月目に、職務質問の実習をしていた時のことだ。容疑者役の教官に声をかける学生二人は、もじもじと譲り合うしぐさをしながら、「すみません……」とか細い声を出した。
教官から「うるさい。忙しい」とどなり返されると、二人は顔を引きっらせてすくんでしまった。
「他人と話すことに慣れていない。どなられることもないから、彼らが戸惑うのは当然。根気よく付き合うしかない」と澄川署長は言う。今の若者に足りないものはあるが、だからといってあきらめてはならない。学校生活の中で、警察官としての自覚と社会人の常識は身につく。一つ壁を超えたら、次は現場で鍛えられなければならない」

■頭はいい、磨けば光る

人の心と向き合う。それが刑事の仕事だという。
警視庁捜査一課の元幹部は「容疑者が自分に不利なことを進んで話すわけがない。でもこちらがどこまで知っているか、びくびくしながら様子をみている」と話す。
だから、取調官は容疑者の家族や友人から直接話を聞く。「生家にまで足を運ぶ。玄関先の竹に傷があれば、『背比べの跡が残っているよ』と相手に当てる。本人も忘れていた過去の出来事がよみがえれば、そこまで知っているのかと観念する。我々の強みは自ら必ず現場に足を運ぶことだ」

かつては、犯人の人生を紙に書いて家の壁に張り、頭にたたき込んで調べに臨んだ刑事もいた。
埼玉県警で「落としの○○」の異名を持った元刑事も「相手をとことん知り尽くすことが必要。
親に会えば、向き合った時に、『お袋は髪が真っ白だったぞ』と言える。
中学や高校の担任にも自分で当たって、本人さえも覚えていない話を聞き出す」と話す。
取り調べ担当の刑事に代々伝えられた言葉は「助産婦に当たれ」だ。生まれた時の体重を雑談の中でぶつければ、犯人はやはり「そこまで−」と観念するのだという。
この元刑事は若い警察官を否定的に見ていない。「頭は抜群にいい。教えたことはきちんとこなす。磨けば、素晴らしい警察官になれるのだから、教える側の質と熱意が重要だ」

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減らない無人交番

終電から2時間が過ぎた5月28日未明、岡山県倉敷市郊外のローカル線駅前で、少年四人が交番をうかがっていた。サッシ戸を開け、黒い魂に火を付けて投げ込むと、大きな破裂音が何度も響いた。160発の爆竹だった。
間もなく、静かな駅前ロータリーはパトカーで埋まった。少年たちはその様子を30メートル離れた自転車置き場から観察していた。「どれぐらいあたふたするのか見たかった」。逮捕された少年はそう供述した。

その半月前には、北海道根室市の住宅街で、男女五人が無人交番に爆竹20発を投げ入れ、横浜市泉区の駐在所では、警察官がいない間に、高校生を含む男女八人が入り込み、花火をするなど1時間半にわたって騒いだ。
読売新聞の調査では、交番荒らしは3年間で全国で国で少なくとも430件起きている。大半は窓を割ったり、消火器を噴射させたりする嫌がらせだが、「コンビニのように少年がたむろする場にもなっている」と警察幹部は話す。3月には、インターネットで売るため、首都圏の21交番から警察無線や階級章などを盗んだ男も逮捕された。

治安の「要」といわれた交番・駐在所の権威は地に落ちた。
最大の原因は「空き交番」が増えていることにある。全国14,400の交番・駐在所には52,000人の地域警察官が配置されている。
だが、「24時間担当者がいない『無配置交番』が1割近くある。そのほか、時折見回りに行かせて、『無配置』扱いしていない無人交番もある」と幹部は明かす。
さらに夜間無人になる交番を含めると、全国の4割の交番で、警察官不在の時間帯がある。
全交番・駐在所に24時間配置するには、新たに15,800人の増員が必要だと警察庁は見積もる。警察署の仕事は限りなく増え、人員を回せなくなったのだ。

交番・駐在所をどう再生させるか。警察の試行錯誤が始まっている。
警視庁は2001年秋から、交番を統廃合し「都市型駐在所」に衣替えする検討を始めた。
交代制の交番ではなく、地域密着型の駐在所を都市部のマンションや団地の一階に設け、響察官に家族ともども住んでもらうという構想だ。
背景には、交番ではもはや、住民とのつながりが保てなくなったという事情がある。
巡回連絡しても、ろくに取り合ってもらえない。どんな人が生活しているのかを把撞するのも、近年特に困難になった。

だが、住民の反発で計画はあちこちでつまずいている。
廃虚のような無配直交番を撤廃しようとしても、住民から「残してほしい。
夜間に電気さえつけておいてくれたら犯罪が減る」と陳情がある。
結局、統廃合はいまだに一つも実現していない。

さらに、思ってもみない反応が内部から出てきた。
試験的に17の都市型駐在所を設けたが、希望者が少なく、「どうしてもというのなら単身赴任で」と答える人が相次ぎ、それ以上の増設は進んでいない。
全国7,800の駐在所のうち単身赴任は2割に達し、奈良や三重などでは過半数を占めている。
「家族を巻き込みたくない」「子どもの学校がある」と言われれば、上司も「地域に溶けこめ」とは強制できない。

交番は1990年代、理想の普察システムとして世界に紹介され、東南アジアでは実際に導入もされた。
だが今、その本家で交番像が揺らいでいる。
「住民を守る拠点を失うわけにはいかない。だが、限られた人員でどう治安を守っていくかという厳しい条件もある。」警察幹部の言葉から、まだその未来の姿は見えてこない。

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街角の安心−民間委託

■警官OB「交番相談員」−警備会社がパトロール−空き店舗に住民自警団

空き交番問題が深刻化する中、響察や住民による様々な試みが今、注目を浴びている。
交番相談員は日中、警察官がいない交番に勤務し、落とし物や道案内などの事務を代行する。
事件にはかかわれないが、交番に長くいると、いろいろな場面に出くわすという。
彼らのキャリアが生きてくるのは、そんな時だ。

兵庫県警西宮署門戸交番の薄井昇子さん(48)は現役時代、少年課に在籍していた。
泥酔者から殴られて駆け込んできた女性に応対した時、女性は薄井さんに抱きついたまましばらく離れなかった。
「警察官は被害届を書いたり、容疑者の手配をしたりで忙しく、被害者支援の役割を果たせないこともある。交番に警察官とは違う存在がいるのは大切なこと」と話す。
相談員になって9年という愛媛県警松山西署みつ交番の善家理(ぜんけおさむ)さん(75)は1日に数10件の相談に応対している。
28年間の交番勤務の経験から、若い警察官では対応できないことでも任せられる」と評判で、最近では家族間のトラブルまで相談に持ち込まれる。

警察がパトロールを外部委託する動きも始まった。
雇用を生み出すため、国から県に交付される「緊急地域雇用創出特別基金」を利用し、現在は23の警察本部が実施している。
岐阜県警は2002年7月、コンビニやスーパーを対象とした夜間パトロールを警備会社に委託した。
防弾ベストに特殊警棒を持った警備員が明け方まで巡回し、コンビニ経営者からは「深夜にたむろする少年が減った」と評価されている。

一方で、埼玉県警から委託された警備員(60)は戸惑いを隠さない。
6月19日夜、駅周辺を巡回していたところ、「けんかだ」と助けを求められた。
交番には誰もいない。警察から「危険なことは避けて」と言われていたが、駆けつけると、男が助役をけっていた。
男をなだめてベンチに座らせ、警察官の到着を待った。「逆襲されたらと恐怖も感じる。向かって来られたら、どう対応したらいいのか、まだ判断がつかない」

JR仙台駅近くの仙台市青葉区営町の市営住宅には、「民間交番」と呼ばれる一室がある。
1989年の区制施行で地元の交番が廃止されたのをきっかけに、防犯協会の約50人が夜間パトロールを始めた。拠点を作ろうと2002年6月、空き店舗だったスペースを市から無料で借り受け、いつの間にか地元では民間交番と呼ばれるようになった。
青沼正会長(89)は「響察署は忙しいから、私たちが交番の代わりをしている」と話す。こうした自警団は、治安が悪化する中、各地に生まれているという。

■駐在所−地域密着−家族とともに

警察官と妻が助け合いながら地域に溶け込む。それが駐在所の仕事だ。
青森県警の駐在所に勤務していた元警察官は「住民の信頼を得るため、冠婚葬祭をはじめ、地区の行事には必ず顔を出さなければならなかった」と現役時代を振り返る。
その妻は「夫が駐在所から出かけた時には、落とし物の取り扱いから道案内まで対応した。緊急配備がかかると、家中のカギをかけ、不安な時間を過ごした」と語った。
「長男は小学校を四回も転校し、友達づくりに苦労したこともある。家族の理解がなければ、やっていけない仕事だ。家族にはつらい思いをさせてきたと思う」と話すのは、岡山県警の駐在所に勤務する警部補(56)だ。

また、35年間も駐在所勤務を続けている島根県警の警察官の妻(55)は「結婚する時に夫から『駐在所は夫婦二人で一人前だ』と言われた。夫を少しでも助けられるよう頑張ってきた」と言う。
夫が留守の夜、泥酔した男が訪れ、怖い思いをしたこともあった。地元との付き合いにも気を使い、「地域の巡回連絡では、いつも趣味の手芸品を夫に預け、一人暮らしのお年寄りに渡してもらっていた」という。

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交通課−漂う無力感

「交通警察官になりたくなかったが…」。表紙にドキリとする言葉が刷られている。京都府警が三月に出版した本のタイトル。
47人の交通警察官が体験談や本書を語っている。
暴走行為で反則切符を切った少年がその1時間後に事故で死亡し、自分を責め続ける警察官。
「税金ドロボウ」とののしられながら違反者に切々と事故防止を訴えた女性警察官。
「交通警察官になりたくなかった」という白バイ隊員は、しかし現場に立つたび、「殺人でも事故でも尊い命が失われることに変わりない。
自分の仕事は市民の命を守ること」と思うようになる。

出版のきっかけは、交通警察官たちの意見交換会だった。
「どなられて、反則切符を切るまで2時間かかった」「『警察だって悪いことをしてるだろう』と不祥事を持ち出された」
府警本部長は悩む交通警察官の姿を目の当たりにして、その場で「本にしよう」と提案した。
刺激的なタイトルにしたのは、他部門の警察官にも読んでもらいたいと考えたからだ。

背景には、交通警察官のなり手がいないという深刻な事情がある。
京都府警が巡査と巡査部長800人に調査したところ、交通希望者は7%だった。
警視庁幹部も「希望者が少なく、全員に必ず一度は交通を経験させるという意見も出ている」と話す。

全国の人身事故は2002年、936,000件を数え、10年前に比べて24万件増えた。
このうち業務上過失致死傷容疑で送検されたのは84万件。
そのすべての現場に警察官が出向き、被害者と加害者の供述調書を作成した。
大きな事故の場合、作成される書類は厚さ三センチにもなる。

10年前から軽微な事故書類は簡素化されたが、1件当たりの書類の処理時間の平均は5時聞から3時間半に減っただけだ。
これらの書類を地検に送致しても、起訴されるのは12%にすぎず、10件のうち9件の捜査書類は倉庫に眠る。
「苦労した結果が活用されないから、担当者がやる気を失うのも無理はない」と警察庁の幹郡は言う。
それが不祥事の引き金も引く。
「事故係は自分を入れて三人だけ。仕事が重荷だった」。
2001年11月、山形地裁の公判で、被告席の元交通課係長(51)はそう語った。
にせの供述を自分で調書に書き込み、十本の指を使い分けて指紋を押す。
偽造した交通事故の調書は4年間で200通を超えた。

事故書類を放置したり、偽造したりという不祥事はこの3年間に表面化しただけで30件を超える。
21件の違反を放置した熊本県警の巡査部長は「違反者を呼び出しても連絡がつかなかった」と供述。
未処理の事故を処理したように装った愛知県警の巡査部長も「忙しくて調書がとれなかった」と話した。

東京・八王子市は2002年4月から、駅前などに警備員15人を立たせた。
ステッカーをはったり、車を誘導したりするだけだが、駐車違反が6割も減り、警察への通報も激減した。
警備員にできるのはドライバーに協力を呼びかけることだけだが、十分に効果があることが実証された。
違法駐車で反則切符を切られる件数は年間170万件。
警察庁は、その取り締まりの民間委託を目指し法改正を検討している。
交通警察の一部を民間が担えば、警察官の負担は軽減され、その分、悪質な事故の捜査にあたらせることもできる。
「確かに交通警察官は無力感にとらわれている。彼らにどう誇りを持たせるか。交通警察の未来はそこにかかっている」と警察幹部は言う。

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危うい警部−大量昇進−指揮能力に不安

山梨県警市川署から500メートル離れた市街地。五階建ての古い官舎に監察課員が踏み込んだのは、2002年6月のことだった。同署地域交通課長の警部(39)宅の納戸からは数十校の偽造五百円硬貨が発見され、「いつかはばれると思っていた…」と警部はうなだれた。
不正はささいなミスを隠すためだ。警部は別の署の課長をしていた3か月前、捜査資料から偽造硬貨の任意提出書類が紛失しているのに気付いた。理由は分からないが、署長に報告すれば責任を問われる。

すでに市川署への異動内示を受けていた警部は、偽造硬貨を持ち出して官舎に隠した。
しかし、後任課長が、証拠晶の保管記録には記載されているのに偽造硬貨がないことを不審に思い、不正が発覚した。
山梨県警ではその半年前にも、小笠原署の課長だった警部(46)が、盗難被害品のバイク紛失をごまかすため、保管記録を部下に改ざんさせていた不祥事が発覚していた。
二人の警部に対する評価は低くない。特に市川署の警部は、約150人の警部の中でも、37歳というトップクラスの若さで昇進した。警察では、ミスで処分されれば人事記録に残り、昇任が遅れる。「それでも課長は責任を取らなくてはならない。そこから逃げるような人物を警部に選んだことに問題がある」と幹部は嘆く。

警察の階級は、巡査から警視監まで八段階。
このうち、上から五番目の警部の多くは、全国に1,200余りある警察署の課長を務め、現場指揮や課員の指導を任されている。補佐役の警部補とともに最前線で組織を動かす中間管理職だ。その力が今、目に見えて落ちているという。

「暴力団が暴れている」−2002年3月4日未明、神戸市内の団地前の路上で、暴力団幹部ら7人から暴行された大学院生(27)が、自分で110番通報して助けを求めた。
神戸西署からパトカーが駆けつけ、血まみれになった友人を保護したが、大学院生は発見できなかった。
当直責任者だった生活安全課長(57)(警部)は報告を聞いて、「通報者は逃げた。」と思いこみ、暴力団員の追跡をしなかった。大学院生が拉致されて殺されたことが判明したのは、それから37時間後のことだ。

この事件を教訓に、兵庫県警は2002年秋、全署に300ページもの冊子を配布した。
夜間の当直責任者となる警部が、どんな手順で初動捜査の指揮を執ればいいのかを解脱したマニュアルだ。
県警幹部は「現場を知らない警部が増えている。情けないかもしれないが、犯罪が複雑化して判断に迷う事件も相次いでおり、マニュアルは必要だ」と話す。

背景には、警察組織のゆがみという問題もある。
警察庁が12年前に実施した「階級是正」で、それまで全警察官の8割を占めていた巡査と巡査部長が6割に減り、中間層の警部補が14.5%から29%、警部が4.8%から6.9%に増加した。
一定の勤務実績や勤務年数があれば、面接だけで警部に昇任できる制度もある。
「高度な権限を有する警察官が必要」というのその理由だが、1960年代の安保闘争時に大量採用した警察官を昇進させ、たまっていた不満を解消させようという狙いもあった。
その結果、中間層が膨れ上がり、ビラミッド型の階級組織が崩れた。
しわ寄せは今、一線の警察署に来ている。巡査や巡査部長が一人ずつしかいないのに、上司の警部補は三人も四人もいる。「船頭」ばかりが目立つ係や課が増えている。

中間層の質が低下したのは、それだけが原因ではない。
警部の数が増えた分だけ、次のステップである警視昇任が狭き門となった。
「不祥事の責任をとれば、その時点で出世をあきらめなくてはならない。警部から責任感を喪失させたのはサラリーマン化した警察社会の減点主義にほかならない」と警察幹部は言う。
現場で指揮する警部は組織の中核だ。彼らに自覚を持たせる。それが警察再生のカギをにぎっている。

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外国人犯罪「増長」−「留置場は最高」−通訳脅し、味方に

「留置場は最高。食事はうまい。歯医者にも連れて行って<れる」。
通訳の言葉を聞いた捜査員は、思わず調書を取る手を止めた。愛知県警蟹江署の取調室。目の前の中国人の男(33)は自供直後に開き直った。
貴金属店を狙う強盗団の一員だが、「逮捕を恐れていない」と捜査員はため息をついた。
警視庁の捜査幹部も同じ思いを抱いている。

2003年2月、東京・品川の大井ふ頭で、コンテナに潜む中国人密航者11人を逮捕した。
指紋照合すると、二人が過去に国外退去になっていた。2002年12月、銀座で保冷車から52人が見つかった事件でも、国外退去になった四人の中国人が含まれていた。
外国人犯罪者が入国を繰り返すのは、日本が稼ぎ場だからというだけではない。
「留置場や刑務所に入れられても待遇がいいから、運が悪いとしか思わず、犯罪を重ねる」と幹部は言う。
その結果、2002年一年間に逮捕された外国人は10年前の1.7倍にあたる16,000人となり、各地の警察署に混乱を招いている。

2002年9月、福岡市の福岡県警西署は、暴走族少年であふれかえった。
抗争事件で13人が逮捕されたからだ。しかし、留置場は満員で、隣接署も同様だった。
このため、40〜60キロも離れた三署に分散して収容せざるを得なくなり、捜査員たちは少年を取り調べるのに、毎日一、二時間かけて、収容先まで通った。

千葉県境に接する警視庁小松川署でも2003年4月、近隣署の留置場が満杯のため、50キロ離れた神奈川県境の八王子市の高尾署に容疑者の留置を依頼している。
留置場不足は外国人収容者の急増が原因だ。
福岡では、10年前に年間2,300人だった外国人が3.2倍に増え、警視庁でも、全収容者のうち外国人の占める割合は、10年前の3倍にあたる33%に上っている。

警視庁は2002年11月、都内105箇所の留置場の1日当たり収容者数が2006年に3,500人になると予測を立てた。だが、2003年5月6日には、早くも3,500を記録。
定員の120%という異常な数字で、背の低い者同士を同じ房に集めて詰め込んだり、布団に寝る頭と足の向きを互い違いにさせたりして急場をしのいだ。

一方、外国人の聴取を民間通訳に委託する制度も破綻しつつある。
警察庁によると、通訳代は今年度、国の予算だけで4年前の1.8倍にあたる8億5千万円。このほか各都道府県の予算からも通訳代が支出されているが、愛知県警では、5年前に年間80万円だった通訳代が6千万円近くにまで膨れ上がった。
「外国人一人を拘置期間の20日間調べれば、160万円も通訳に払う。金がかかり過ぎ、余罪追及を断念することも多い」と警視庁の捜査員は打ち明ける。

通訳を脅して味方に付けようとする容疑者もいる。
福島県警では、集団密航の調べの途中で、通訳を中国人から日本人に代えた。
容疑者から「中国に親せきがいるだろう」と脅されたからだ。
群馬県警の通訳は、麻薬密売組織のイラン人から「自分の逮捕を仲間に知らせろ」と脅迫された。

外国人犯罪者の取り調べが同国人通訳頼りである限り、こうした問題は避けられない。
捜査態勢や留置場の問題も同様に見直しが必要だ。日本警察が、彼らに侮られているからだ。
こうした状況に、警視庁は民間会社と契約し、400人に語学研修を受けさせるなど、語学堪能な警察官を育成する試みをスタートさせ、大阪府警も4月から、専門の日本人通訳を獲得するため、語学の大学院に幹部を派遣して刑事手続きを講義するなどの取り組みを始めた。

だが一方で、留置場不足はますます深刻にな旬、不法残留ぐらいでは、逮捕は見送ることが多い。
1990年代に入って激増した外国人犯罪に、警察はその場しのぎの対応に終始してきた。
だが、ほころびはもはや覆いようがないほどに広がっている。
「余裕がないからと、これまで小さな犯罪を見逃してきた。その結果、瞥察は外国人犯罪者から甘く見られるようになった。それでは凶悪犯罪はとても抑止できない」。
現場からはそうした切実なが聞こえてくる。

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さまよえる機動隊−「最後の砦」今は昔−存在自問の日々

2003年4月の夜。警視庁機動隊に所属する20代の隊員は、東京・新宿の歌舞伎町を同僚と巡回しながら焦りを感じていた。
機動隊による歌舞伎町の巡回は一か月前から始まっていた。だが、初めて街に出た隊員には、不審者の見分けがつかない。夜が更けて、新宿署の地域警察官と合流すると、経験不足をさらに痛感することになる。
地域警察官は次々に職務質問を重ね、瞬く間に危険物を持った通行人を現行犯逮捕したのだ。
その夜、隊員は誰にも声をかけられなかった。「非力を知った。経験とはこんなにもすごいものか。本気で刑事になりたいと思った」と振り返る。

全国の機動隊は今、「多角的運用」という名目で、様々な業務に駆り出されている。
警視庁は2001年から職務質問や交通検問、張り込みなどに隊員を派遣。
大阪府警も、ひったくり対策のため私服隊員を繁華街などで警戒させている。
2000年12月の世田谷一家四人殺しでも、30人の機動隊員が聞き込みに投入された。
2002年12月、長野県下諏訪町で、野生ザルが住民を次々と襲った騒動にも機動隊は出動、裏山でサルを追いかけ、子どもの登下校を見守った。

機動隊は様々な場面に登場するようになった。しかし、そこには、学生運動や空港闘争などで各地のデモ隊とぶつかり、「治安の最後の砦」といわれたころの面影はない。
1969年、日米安保闘争の嵐が吹き荒れていた。
この年一月の東大・安田講堂攻防。機動隊員だった警視庁幹部は突入前夜、隊長から「明日は死傷者が出る。身辺の整理をしろ」と言われた。
隊員寮の机を片づけ、真っ白な下着に着替えて講堂に突っ込むと、火炎瓶が落ちてきた。
すぐ横で炎が噴き上がり、頭上にかざした盾にコンクリートの魂が直撃した。
「隊員たちは安保闘争が終わるまでは結婚しないと決めていた。
守りの姿勢になるのが怖かったからだ。そういう自負と誇りが自分たちを支えていた」と幹部は言う。

だが、時代とともにデモやゲリラは影を潜め、機動隊の「縮小論」「無用論」がささやかれるようになった。
第二次安保闘争時に全国で1万人いた機動隊は8千人に減らされ、このうち5千人を抱えていた警視庁は今、3千人しかいない。
彼らの活動も命がけのぶつかり合いから、警戒主体の立番に変わった。
「いわば『待ちの警備』。敵の姿が見えなくなり、地味で根気のいる任務に嫌気がさした若手が一年で100人辞めた時もあった」と警察庁の幹部は打ち明ける。

隊員は今、自らの存在意義に戸惑いを覚えている。
石を投げ、火炎瓶を投げる”デモ隊”にヘルメットの機動隊が突撃する。
土煙が上がる中、怒声が起こった−都内の訓練施設では月に一度、約200人が大規模な制圧訓練を実施している。
だが隊員の一人は、こうした訓練のたびに疑問を抱いている。「現実には起きるはずもない。果たして役に立つのか…」
デモ隊との衝突を体験した人も現場からいなくなった。
志望動機が、「昇任試験の勉強が出来る」「爆発物処理や特殊車両の資格が取れる」「安定した生活が送れる」−という者もいる。
1995年3月、防護衣にガスマスクをして山梨県上九一色村のオウム真理教施設に突入した元機動隊員は語る。「怖かった。『でもこれが機動隊だ。おれたちにしか出来ないんだ』と胸を張りたくもなった。その時、学園紛争時代の先輩たちもこんな気持ちだったとのかなとふと思った」
元機動隊員は「警察官として役に立っている」と、そのとき初めて実感した。
機動隊の中には、そんな生き方にあこがれる若者も少なくない。
新人警察官の刑事志望者が減る中でも、様々な現場を体験し自分の未熟さを知らされる機動隊員は、その7割が刑事を希望するようになるという。
「彼らは三年間、訓練と立番、そして現場の応援を繰り返す。そうした集団生活の中で継承されるものもある」と警察幹部は話す。
それは使命感だ。治安を守るという気概だ。かつて命をかけた先輩がいたことを、警察官は忘れてはならない」

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