司法が歪んでいく

【2006年1月29日掲載】


司法や社会の安全、公正さの確保といった問題に関しては「今日の一言(2006年1月29日2005年8月27日2005年4月17日2005年3月1日2005年1月29日2005年1月15日2003年9月30日)」でもたびたび触れてきた。
究極のところ、そういった部門に携わる人員や予算が不足していることが根本的な原因であるのに、小泉政権もそれを支える財界も、それを一顧だにせず「小さな政府=公務員削減」を呪文のように唱えるだけだし、御用マスコミはそのプロパガンダを垂れ流すのみで、それに踊らされるメディア・リテラシーなき国民はそれが正しいと端から思い込んでいる。

しかし、本来「小さな政府」であっても国防と警察だけは充実させるというのが本旨で、当然ながらプラス「司法(市場の番人たる公正取引委員会などを含む)」が入るというのは当然のことだ。
事実、市場経済の本家であるアメリカではそれ相応の公務員が市場の不正に目を光らせている。
片や日本でも2000年(平成12年)5月18日の自民党司法制度調査会報告(全文:社労士・森本かずひこ氏のサイト−司法改革)でも司法の人的・物的基盤の整備として、

  1. 時代と国民のニーズに応じた多様な法的サービスの提供、専門的・先端的分野の事件や重大事件も含めた適正迅速な裁判の実現等のためには法曹人口の大幅な増加が不可欠であり、これにより適正な競争を生み出すことも必要である。例えば、一定期間内にフランス並みを目指していくというような目標の設定が望ましい。急激な増加による法曹の質の低下の防止、訴訟社会の回避等の視点も踏まえ、適正な法曹人口の増加の在り方を検討していく必要がある。

  2. 司法が社会の基本的インフラとして十分な機能を果たすためには、裁判官・検察官と裁判所・検察庁職員の質・量を大幅に拡充し、その他の司法関係職員も充実強化する必要がある。
    司法は自由で活力ある健全な社会を実現するための最終的担保であり、その基盤の拡充は行政改革を進める以上、当然に実現しなければならないことがらである。
    国家公務員の定数削減は,行政改革の重要な課題であるが、司法の人的基盤の充実強化については、他の行政分野とは別枠の扱いとするなど格別の配慮が必要である。

  3. 我が国の司法関係予算は、極めて少額であり、財政改革法においても抑制の対象と位置づけられているが、司法の人的・物的拡充を図ることは我が国の緊急の課題であり、司法関係予算については、行財政改革の別枠扱いとして、その大幅な拡充を図らなければならない。

が提言されていたのに現実に行なわれていることは全く逆のことだ。

つまり、2001年(平成13年)4月26日に誕生した小泉内閣がその提言を反故にしたのは想像に難くない。
裁判官が月3ケタの残業を余儀なくされ、ただ訴状を機械的に処理するだけで手一杯の状況を改善することと、法務官僚が間接的に司法を統制すること(「今日の一言(2005年1月15日)」)をやめることなしに司法改革など唱えたところで絵に描いた餅なのだ。
私は裁判官が世間を知らないという批判を至るところで見聞きするが、その批判はもっともなことであろうが、根本的に自分の時間が持てない状況にあることが原因であることは誰も指摘しない。
これは一部の政策企画部門のキャリア公務員にも当てはまるが、職場と家の往復だけで1年のほとんどが終わってしまう事態を改善しなければ、民間を経験させようが、海外ボランティアを経験させようが、今のように1年前の常識ですら古いと言われる時代についていけるはずがないのだ。

結局のところ、小泉内閣は法曹関係者の増員や多様化を図る代わりに、裁判員制度と、公判の迅速化を図るために初公判前に証拠や争点を整理する「公判前整理手続き」(2009年5月の裁判員制度発足に向けて改正刑事訴訟法で定められた新たな制度で2005年11月1日から施行)を導入した。
要は、国民が参加する裁判員制度の下では、裁判に時間がかかれば彼らがその負担に耐えられないということなのだろうが、日本のようにメディアが画一的なコメントでもって警察発表を垂れ流すような国ではまともに国民参加型の司法が機能するとは思えないし、先入観を持つなと言われても無理がある。
まして、昨年4月の段階では日本人の多くは裁判員になりたくないと考えているようだが、それは裁判が長期化することだけではないはずだ。「今日の一言(2005年4月17日)

この「公判前整理手続き」について魚住昭氏はこう書いている。

「裁判の迅速化」の裏で進む恐ろしい事態
(2005.11.22 日刊ゲンダイ)
初公判前に証拠や争点を整理する「公判前整理手続き」が各地の地裁で始まった。
この手続きは会議室などで行われ、もちろん非公開だ。
その席で裁判官は検察・弁護側にそれぞれの主張や立証事実を出させ、証拠の取捨選択をしたうえで証人尋問にかかる時間などを決め、判決までの審理計画をつくる。
従来のように公開の法廷ですべての手続きをやっていたら時間がかかって非効率だ。
だから、事前に検察・弁護双方の手持ち材料を出させて問題点を絞り込む。
そして本番になったら、毎日のように法廷を開き、スピーディーに結論を出そうという制度である。

一見合理的なようだが、実は違う。
このやり方が一般化したら、日本の裁判は決定的にダメになり、今まで以上に冤罪事件が多発するだろう。
なぜなら、この制度は「人質司法」という裁判制度の根本的欠陥をまったく改善せずに、被告の自由な活動を一方的に規制するものだからだ。

ご存じと思うが、日本では無罪を主張する被告はなかなか保釈されない。
1年以上も拘置されるケースがざらにある。
刑事訴訟法は「保釈の請求があると、例外事項がない限り許可しなければならない」と定めているにもかかわらず、裁判所が検察の言いなりになって保釈を許可しないのである。

だから、時には無実の者までもが拘置所を出たい一心で自白調書に署名し、裁判で争うのを断念する。
これを人質司法というのだが、被告が拘束されたままでは弁護人と十分相談することも、無罪を勝ち取るための情報収集もできない。
それでも公判前の整理手続きで何を争うか、誰を証人尋問するかなど裁判の帰趨を決める判断をせよというのだから無茶な話だ。

しかも公判は毎日開かれるようになるため弁護人が新たな証拠を集めたり、反対尋問の作戦を練ったりする余裕もなくなってしまう。
そのうえ新制度では時間稼ぎをしようとする弁護人は裁判所の権限で排除される。
こうなると裁判は、事前のシナリオ通りに短時間で終わるシャンシャン株主総会みたいなものだ。
そこに詳しい事情を知らない民間人の裁判員が加わったところで無実の者が救われるという保証は何もない。
おそらくこれからの裁判は、「効率化」の名の下に被告を素早く刑務所に送り込むベルトコンペヤー・システムになり果ててしまうだろう。

この「無実の者までもが拘置所を出たい一心で自白調書に署名し、裁判で争うのを断念する。」という下りがあるが、それが公判においても無罪の主張が認められずに冤罪に結びついているケースは報道されていないものを含めれば相当な数にのぼるような気がしてならない。
そうでなくとも最近では小泉政権に批判的な人たちが瑣末な罪で恣意的に大犯罪者のレッテルを貼られるケースが最近では随所に見られる。「今日の一言(2003年11月8日)
昨年7月に神戸地検特別刑事部が名誉毀損罪で左派系と言われる鹿砦社の松岡社長を逮捕したのもその一環だろう。(古川利明の同時代ウォッチング 「鹿砦社社長の名誉毀損逮捕」は、共謀罪導入を突破口とする「思想検察」復活への布石か
名誉毀損罪といえば、有名人が犯罪を犯したとき、そのこととは全く関係ない彼らの私生活の暴露をしているマスコミなどどうするのか。
地検や警察は幹部もろとも取調べをして捕まえたのか?

いずれにせよ、これらのケースを見ると、今後は時の政権に都合の悪い人物に濡れ衣を着せて、あるいは微罪をマスコミに誇張してリークして逮捕→代用監獄で取り調べ→裁判迅速化計画に沿って弁護側に反論の機会を制限→有罪判決、といった恐ろしい図式が成り立つことも考えられるのだ。
例え、良心的な裁判官がいたとしても彼らは人事・昇給・昇進面で不利益扱い(裁判迅速化という目標達成に努力しなかったので成績が不良)を受けるため淘汰される可能性も強い。

期日間整理手続き適用の強殺、初公判から4か月で判決
(2006.1.26 読売新聞)
裁判員制度の施行に向け、裁判迅速化を目的に導入された「公判前・期日間整理手続き」を、東京地裁が初めて適用した強盗殺人事件の判決が26日、同地裁であった。
同手続きにより争点を絞り込んだ結果、初公判から判決までの期間は約4か月で、殺人事件の平均(1審で約10か月)の半分以下に短縮された。

2005年2月に東京都世田谷区の女性社長(当時57歳)を殺害したとして、元会社員石川良被告(49)が強盗殺人などの罪に問われ、小坂敏幸裁判長は犯行の計画性を認め、求刑通り無期懲役とした。

昨年10月に始まった裁判では、石川被告が殺意を否認し、長期化する可能性があったため、同地裁が公判の途中でいったん争点を整理する期日間整理手続きを適用。
11、12月の2回の整理手続きで、殺意の有無、正当防衛が成立するかどうかなど、争点を四つに絞り、審理計画を立てた。
検察・弁護側は当初、証拠計約120点、証人計8人を請求したが、それぞれ半数に減らした。
12月に2日連続で審理を行い、証人尋問などの立証を終えた。

判決後、東京地検の伊藤鉄男次席検事は「迅速な審理が行われたことを評価する」とのコメントを出したが、弁護人は、「時間制限が厳しく、言いたいことをすべて主張できる状況ではなかった」と述べた。

今年の1月26日、裁判員制度の施行に向け、裁判迅速化を目的に導入された「公判前整理手続き」を、東京地裁が初めて適用した強盗殺人事件の判決があった。
有罪判決を受けた彼が真犯人であればいいのだが、検察・弁護側は当初、証拠計約120点、証人計8人を請求したが、それぞれ半数に減らした、というものの中に重要なものは入ってなかったのだろうか。
今までは証拠や証人を公判の場でその真贋、及び重要性を反対尋問を交えながらやりとりしていたのではないのか。
時間制限が厳しく、言いたいことをすべて主張できる状況ではなかった」という弁護側のコメントが将来の冤罪事件の増加を示唆していることを私は感じずにはいられない。
重ねて言うが、裁判の迅速化は司法関係者の増員と、弁護側の恣意的な引き伸ばし戦術の制限で行なうべきであって、こういう姑息な手段で行なうことではないのだ。
私は魚住昭氏の「これからの裁判は、「効率化」の名の下に被告を素早く刑務所に送り込むベルトコンペヤー・システムになり果ててしまうだろう」というものが杞憂に終わることを願ってやまない。


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[刑務所がパンクする(AERA 2002.4.8)を読む]

[読売新聞特集「治安再生−揺らぐ警察組織」を読む]

[人口過密に悩む塀の中(2003.5.21 Newsweek)を読む]

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