1/9(Sun) | ニューヨーク(JFK) 17:15-デルタ航空(DL)173-翌22:06 東京(成田) |
諸費用 | タクシー / ホテル-JFK空港: US$52=\4,310 |
関連サイト | アメリカ ニューヨーク州 |
東京観光財団 (http://tcvb.or.jp/) | |
成田空港 (http://www.narita-airport.jp/) | |
2011年1月14日「死線を乗り越えて」 |
異変は朝起きたときに出た。
まるで声帯が潰れたかのように全く声が出ないのだ。
思い切り声を張り上げようとしても何の音声も外には出ない。
ニューヨークで買った風邪薬が強すぎたのか、あるいは風邪をこじらせてほかの病気になってしまったのか、いずれにせよ、ここで闘病生活など送るハメになってはいくらかかるかわからない。
クレジットカード付帯の海外旅行傷害保険では補填し切れないほどの費用がかかるのではないかという恐怖感をひしひしと感じた。
そう、ニューヨークにはマイケルムーア(Michael Moore)のシッコ(Sicko)に描かれているとおりの世界が目の前に広がっているのだ。
幸いに、朝食は前日のうちにモートン・ウイリアムス(Morton Williams Supermarkets)というスーパーマッケットで仕入れたおいたので、それを食べることにする。
フライトの時間は12時45分発なので、9時過ぎにタクシーに乗れば十分に間に合う。
声がほとんど出なかったが、フロントの周辺は静かで囁くような声でも意思疎通ができたのは幸いだった。
タクシードライバーも親切で、私が声が出ないのを気遣ってくれたり、チップ込みで支払いをしようとすると、「釣銭の中からあなたの気持ちをどうぞ」とばかりに、きちんと釣銭をくれたりもした。
昨日の自由の女神ツアーで、「看板が読めないのか」とばかりに顎であしらったサウス・フェリー(South Ferry)駅構内のスタッフ、カフェラッテを頼んだらコーヒーとミルクを別々に寄越したスターバックスの店員、こういう奴らと比べると何たる差よ、と言いたくなるくらいだった。
そして、ニューヨーク・ジョンFケネディ国際空港(JFK - John F. Kennedy International Airport)でチェックインをしたとき、東京行きのフライトは遅れているので、出発が午後5時15分になるということを言われた。
デルタ航空のスタッフが、朝食用のミールクーポン(10ドル=830円)と昼食用のミールクーポン(6ドル=500円)をくれて、これで食事をしてね、と言ってくれたが、こんなものをくれるより代替のフライトにでも乗せて欲しいくらいだった。
結局のところ、デルタ・スカイクラブ(Delta Sky Club)で時間を潰そうと早出したおかげで空港にはただでさえ早く着いているのに、4時間半もの遅延である。
体調が普通であれば、そのまま街で引き返して美術館でも行くのだが、このときはすぐにでも寝込みたくなるほど最悪の状況だった。
定刻に飛べば成田に着くのは午後5時だったのが、このままいけば10時近くなる。
もしかして帰宅できないのではないかとも思えた。
不幸中の幸いだったのは、ゴールドメダリオンの特典でデルタ・スカイクラブ(Delta Sky Club)で時間を潰すことができたことだ。
それでもアメリカは日本と違って、勝手にアルコールを持ってくることはできないシステムになっていて、いちいちスタッフに頼まないといけない。
もっとも体調が最悪の状態でビールを飲もうとは思わなかったので、それはそれで良かったとも言えるのだが、アジアの空港に比べると、アメリカの空港の食事が貧相なのは際立っていた。
昨日のBenjamin Steakhouseでも思ったのだが、アメリカは「本当に金を出さないとロクなものが食えない」というのが徹底していた。
ニューヨーク・ジョンFケネディ国際空港 | |
長い時間が過ぎ、ようやく搭乗できるときがやってきた。
ここで幸いだったのは、2009年の春から夏にかけて猛威を振るった豚インフルエンザ(swine flu)の影響で、各国の空港で行われていたヘルス・チェックがなくなっていたことだった。
もし、ここで発熱している人は搭乗不可という状況であれば、私は間違いなく病院行きであっただろう。
しかし、搭乗窓口の日本語が流暢なイケメン青年は、私が即製した「風邪引いたので声が出ません(I have no voice due to catching
cold.)」(この英語は正しくないが通じた)メモを見せても、平然と「もうすぐ搭乗です。安心してください」と日本語で言って微笑むだけだった。
その結果、デルタ航空がよく飛行機に乗せてくれたな、という感じで座席に付いたのだが、機内での私は声は出ない、咳を続けて呼吸困難に陥り、生き返って安堵の息をつき、時計を見て、日本の領空に入るのはいつだろう、命が持つのだろうかという感じだった。
突然死というのはこういう状況で起こるのか、あるいは自宅が近づいてホットした瞬間に訪れるのかはわからない。
もとより1月3日のカンクンで、セントロへ行くバスに乗っているとき、意味不明の爆発音みたいなものと同時に大破したガラスの破片を浴びていれば死んでいたのだから同じと言えば同じようなものだった。
機内で生き返るたびに安堵の涙を人知れず流し、自宅についたのは1月11日になっていた。
ニューヨークで突然声を失った私が、そのまま死んでもおかしくない状況だった。
しかし、神は私に生きろといったのかもしれなかった。
病院での検査は、肺炎と喉頭炎だと言われ、点滴を受けた。
そして、入院はしなくとも、自宅で安静にしろと厳命されたのだ。
白血球の数は死線をさまようレベルだったそうだから・・・
今回の旅行は数々のアクシデント、それに反する素敵な旅友達との出会いがあった。
死神とともに帰国した私に今度は何が待っているのだろうか。
これが今年の最悪期になるのだろうか。