12/31(Fri) | パナハッチェルへのエクスカーション 年越しパーティ(ペンション田代にて) |
宿泊先 | Pension Tashiro / \3,000(又はUS$30) per night |
諸費用 | シャトルバス / アンティグア-パナハッチェル: US$17又は130Q=\1,410 (往復) ボート / パナハッチェル-サンティアゴ・アティトラン: 50Q=\520 (往復) |
関連サイト | グアテマラ |
アドバイス |
|
2010年の大晦日は、サトシさんとパナハッチェル(Panajachel)への日帰りツアーへ行くことになった。
当初の予定では、ここには30日、31日の1泊2日で来る計画だったが、メキシコシティの大失策が後々まで響いてこういう結果になってしまった。
ちなみに、29日の夜にフローレス(Flores)からパナハッチェルまで直行するシャトルバスサービスがあったが、私の買った国内線のチケットは変更のみ可のものだったので、それを利用することはできなかった。
アンティグア(Antigua)からパナハッチェルへのシャトルバスは会社によって7時発のものと8時発のものがあり、私たちの乗ったバスは8時発のものだった。
やはり7時発のものは日帰りで使われることが多いせいか、予約しようとしたときにはすでに満員だった。
これらのシャトルバスは滞在先のホテルへ迎えに来てくれるため便利な反面、立ち寄るホテルが多いとその分時間がかかるというものだった。
それが嫌ならプライベートシャトル(transporte de privadas)を頼むことができるが、私たちがそれを利用するのは早朝に空港へ行くときぐらいだろう。
私たちの乗ったバスがパナハッチェルへ到着したのは11時、帰りのバスの出発が16時であることを考えると、アティトラン湖(Lago de Atitlán)周辺で最大の先住民の村と言われるサンティアゴ・アティトラン(Santiago
Atitlán)へ往復するにはかなりキツイ時間だ。
それゆえ、桟橋付近ではプライベートチャーターの誘いも多く、定期船(público)の乗り場を探すには少々苦労する。
おまけに昼食を取るために入ったレストランでも物売りの女性が次々に来るので、彼女たちの相手をしながら食事をするのは結構面倒だ。
もっともここまで来る日本人はそれほど多くないので、彼女たちも国籍問わず攻勢をかけている。
私たちにとっては、トルコやモロッコのように日本人だから物売りや客引きが寄ってくるということでないのが救いだろうか。
パナハッチェル(Panajachel)とサンティアゴ・アティトラン(Santiago Atitlán) | ||||
パナハッチェル(Panajachel) | ||||
サンティアゴ・アティトラン(Santiago Atitlán) | ||||
アティトラン湖(Lago de Atitlán) | ||||
パナハッチェル(Panajachel) |
レストランで昼食を取った後、私たちがボート乗り場へ行くと、スタッフがサトシさんに何やら言っている。
どうやら出発時間が違っているらしく、私たちは12時半だと思っていたのが、11時半には出航してしまっていたらしい。
それでもボートに空席があったので、そのまま乗せてもらってサンティアゴ・アティトラン(Santiago Atitlán)へ行く。
パナハッチェルのレストランではたくさんの物売りの女性が寄ってきたが、対岸へ渡ると拍子抜けするほど穏やかである。
のんびりと村を散策し、教会を見て回るとほとんどやることがない。
そのまま桟橋へ行くと、「パナハッチェル!」と叫ぶ声がするので、1時半発のボートに乗り込んで戻る。
滞在時間はわずか30分余り、これでここに1泊したらスペイン語がほとんど話せない私では退屈するのでは、と思えるようなところだった。
パナハッチェルへ戻った私たちは町中をぶらぶらと散策し、土産物を物色する。
日差しも強く、Playa(ビーチ)と書かれた看板に沿って行けば、湖畔で泳ぐこともできるのだろう。
町中では水着も売っていて、もし、ここに1泊するならそういった楽しみ方もあるように思えた。
ちなみに、パナハッチェルにもホテル・エル・ソル(Hotel El Sol)という日本人経営のホテルがあり、アンティグアのペンション田代で出会った佐貫さん曰く、「日本人の旅行者ならここに泊まっとけば間違いない!」ということだ。
年越しパーティと中央公園でのカウントダウンの模様(アンティグア) | |
今回のグアテマラ旅行で大晦日にアンティグアに泊まることを決めた最大の理由は、年越しを日本人同士でしたいというものだった。
それゆえに無理な行程になったのは否定できないが、それだけの価値はあったように思えた。
普段の日であれば、グアテマラへ来てまで日本語が恋しいとは思わないのだろうが、やはり大晦日と元旦は日本人にとっては特別な日であることを改めて思ったからだ。
年越しパーティは私たちがペンションに戻ってきた頃にはすでに始まっていた。
屋上で鍋とビールで旅話を続ける私たち、アンティグアの夜の寒さは想像以上で、最初は半袖のポロシャツでも我慢できたものの、時間が経つに連れて長袖のシャツを着るようになり、最後には冬物のコートがないとブルブルと震えてしまうほど寒くなった。
パナハッチェルでは半袖短パンで十分だったことを思えば、1日でこれだけの差を経験するのは今までにはなかったことだ。
宴たけなわになる頃、カウントダウンを見ようと皆で中央公園に出かける。
とりたてて花火が上がったりするような派手さはなかったが、かなりの人出で賑わっている。
そして、カウントダウン、集まった人たちの口からゼロが発せられた瞬間に、時計台の電光板が2010から2011に変わった。
いったい2011年はどんな年になるのだろうか。