気候難民の危機

レスター・ブラウン(Lester Brown: President of the Washington-based Earth Policy Institute)

(2001年12月3日 - 読売新聞「地球を読む」)


2001年9月11日、この日はアメリカを変えた日と言われている。
しかし、変わったのはアメリカだけでなく、アメリカに対する国際世論も変わったのだ。
3月28日に京都議定書を離脱を表明したアメリカに対し、国際世論は非難の論調が強かった。
それと同じくらい優柔不断な日本も非難の対象であった。
アメリカはいくつかの国を「ならず者国家」としている。
しかし、低地に存在する国はアメリカを「ならず者」と見ている。
近い将来、先進国はそうなる可能性があると思った方がいいかもしれない。
最後に諺を1つ紹介しよう。
"Their own knavery will pay them home at length."(彼ら自身の邪悪は、最後には彼らを痛烈に懲らしめるであろう。これ、すなわち因果応報というやつだ。)


太平洋のハワイとオーストラリアの間に浮かぶちっぽけな島国ツバルの指導者たちは、せりあがる海面との戦いに敗れたことを認め、祖国を放棄することを宣言した。
ツバルの人々は、オーストラリアからひじ鉄を食らったあと、ニュージーランドに対して、11,000人の島民を受け入れてくれるよう求めている。

ツバルは、ニュージーランドとの間で、ツバル国民を難民として受け入れてもらうことに合意した。(by BBC NEWS)
ツバル政府当局者である、パーニ・ラウペパ(Paani Laupepa)氏曰く、「オーストラリアが太平洋国家の隣人の助けに門前払いを食らわしたのに対し、ニュージーランドは前向きに応えた。」と・・・

20世紀の間に、平均海面は20センチから30センチも上昇した。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC=Intergovernmental Panel on Climate Change)は、今世紀中に、あと1メートル上昇すると予測している。
海面が上昇している理由は、気候変動がもたらした氷河の溶解と温水域の拡大にある。
そしてまた、変動の原因は、多くは化石燃料の燃焼による大気中の二酸化濃度の上昇にある。
海面の上昇につれて、ツバルの低い低地は洪水に見舞われるようになった。
浸入する塩水が、飲料水と食料生産に悪影響を及ぼしている。
この国を構成する9つの島は、海岸の浸食によって身を削られつつある。 

海面を上昇させている高い気温は,破壊的な暴風雨をもたらす。
熱帯と亜熱帯での海面温度の上昇は、より大きなエネルギーが大気中に放散され、暴風雨の形成を促すことを意味する。
ツバル政府当局者の1人、パーニ・ラウペパ(Paani Laupepa)氏は、過去10年間に、異例なほど強力な熱帯性サイクロンが幾つも発生したことを報告している。
ラウペパ氏は、二酸化炭素排出量を削減するための国際合意である京都議定書(Kyoto Protocol)を見限った米国を、辛らつに批判している。(see also the Christian Science Monitor)
彼は、英BBC放送の記者に対して、「京都議定書の批准を拒否することによって、米国はツバルの未来の世代から、われわれの祖先が何千年も暮らしてきた場所に住む自由を、事実上、奪ってしまった。(By refusing to ratify the Kyoto Protocol, the United States has effectively denied future generations of Tuvaluans their fundamental freedom to live where our ancestors have lived for thousands of years.)」と語っている。

島国諸国の指導層たちにとって、これは新しい問題ではない。
1987年10月、モルジブのマームーン・アブドル・ガイユーン(Maumonn Abdul Gayoom)大統領は、国連総会で熱のこもった演説で、自分の国が海面上昇によって脅かされていることを指摘した。
その言葉によれば、「人口31万1000人のモルジブは、「絶滅に瀕している国(an endangered nation)」だという。
モルジブを構成する1,196の小島のほとんどは、海面からの高さが2メートルそこそこだ。
この国は暴風雨による高波の際に、海面が1メ−トルせりあがっただけでも存亡の危機にさらされることになる。 

ツバルは、海面上昇が原因で住民が立ち退きを迫られた最初の国だが、その最後の国にはなりそうにない。
ツバルの13,000人の受け入れ先さえ決まらない(注)のに、モルジブの31万1000人の国民が立ち退きを迫られたら、どうなるのだろう。
それどころか、何百万もの低地に住む人々が間もなくこの「気候難民(climate refugees)」の列に加わるかもしれない。

誰が彼らを受け入れるのだろうか?
国連が「気候移民」の割当制度(a climatic-immigrant quota system)を作り、各国の人口規模に応じて、難民受け入れ数を配分することになるのだろうか。
あるいは、人口移動の原因となった気候変動に対する個々の国の責任の度合いに応じて配分するのだろうか。

自カではほとんど対処できない気候変動によって、脅威を感じているいる島国諸国は、小島嶼国連合(AOSIS=Alliance of Small Island States)を結成している。
この組織は、これらの気候変動に弱い諸国を代表してロビー活動をするために、1990年に結成されたものである。

島国諸国に加えて、海岸沿いの低地国もまた、海面上昇に脅かされている。
世界銀行は昨年、海面が1メートル上昇すれば、バングラデシュの水田地帯の半分が冠水することを示す地図を公表した。
今世紀中に、海面が1メートル近く上昇すると予測されている以上、何千人どころか、何百万人ものバングラデシュ人が移住を迫られるだろう。
人口1億3400万人のバングラデシュは、すでに地球上で最も人口過密な国の1つだ。
これはおそるべき経験となるだろう。

このほかにも、インド、タイ、ベトナム、インドネシア、そして中国などを含むアジア諸国の水稲を作る氾濫原もまた影響を受けるだろう。
海面が1メートル上昇すれば、上海の三分の一以上が水につかる。
百年に一度の規模の暴風雨が起きれば、中国全体で7000万の人々が高波の被害にさらされることになるだろう。

海面上昇の影響の、最も簡単な指標は、海岸地域の冠水である。
米メリーランド大学環境科学センターのドナルド・F・ボッシュ(Donald Boesch)教授は、海面が1mm上昇するごとに、海岸線は平均1.5メートル後退する、と推定している。
つまり、もし海面が1メートル上昇すれば、海岸線は1,500メートル後退することになる。
こうした海面上昇が起きれば、米国は36,000平方キロメートルの土地を失うことになる。
その最大の被害を受けるのは、中部大西洋沿岸とミシシッピ河口の各州だ。
ニューヨーク・マンハッタンの低地部と首都ワシントンの緑地帯(キャピトル・モール)は、50年に1度の規模の暴風雨がもたらす高波で、海水をかぶることになるだろう。

ウッズ・ホール海洋学研究所(Woods Hole Oceanographic Institution)の研究チームの1つは、気候温暖化の進行に伴う海面上昇で、マサチューセッツ州の土地が失われる度合いを計算した。
同チームは、米環境保護局(U.S. Environmental Protection Agency)による、むしろ控え目な2025年までの海面上昇予測に基づいて計算したが、マサチューセッツ州は7,500エーカー(3,035ヘクタール)から1万エーカー(4,047ヘクタール)の土地を失うことになる。

この低めの予測と、1エーカー当たり100万ドルという海岸沿いの不動産の名目価値に基づいて計算すれば、2025年までに、少なくとも75億ドル相当の特別に高価な不動産が失われることになる。
海岸沿いの不動産価格は、海面上昇を反映する最初の経済指標の1つとなりそうだ。
海浜に面した不動産に大きく投資したものが、最大の損失を被ることになるだろう。
米国で海面が50cm上昇するごとに、200億ドルから1,500億ドルにのぼる損失が、もたらされかねない。
海浜の不動産は、原子力発電所と全く同じように保険がかけられなくなりつつある。
フロリダ州に家を持つ人々の多くが、早くもその憂き目にあっている。

既に多くの発展途上諸国が、人口増加と、そして居住空間と耕地を求める激しい争いに、対処している。
そしていまや、海面の上昇と、かなりの土地を喪失する可能性に直面している。
その最も直接的な被害者の中には、問題の根源である大気中のニ酸化炭素の蓄積の責任から、最も遠い諸国も含まれている。

米国民が高価な海浜不動産の損失に直面しているとすれば、低く平らな島国に住む人々は、もっと深刻なものに直面している。
国家の喪失である。
彼らは、米国のエネルギー政策に恐怖を感じている。
そして米国を、彼らの苦境に対し冷淡で、国際社会と協力して京都議定書を履行する意思を持たない「ならず者国家(a rogue nation)」と見ている。
文明が始まって以来初めて、海面が、測定可能な割合で上昇を始めている。
それは監視すべき指標となった。
このまま推移すれば、ほとんど想像を超える規模の移動を人間に強いることになりかねない。
これはまた、人類がかつて直面したことのない、他の国々と未来の世代に責任の問題をも提起するのである。 


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