アメリカに暮らすアフガニスタン人アーチストの手紙

運命の2001年9月11日、このときからアメリカは変わった。
しかし、その一方で苦悩する在米アフガニスタン人がいたことをほとんどの人は認識してないかもしれない。
この手紙(E-mail)は何人もの手を経て、運命の日にお世話になっていたマルタの佐藤聖子さんから私に届けられたものだ。(原文は当然英語だが、以下はその翻訳文である。)
この手紙は一部の人にしか読んでもらってない。
しかし、私が2001年12月に自分のサイトを開設して、その後、それゆけ個人旅同好会に入り、メンバーの1人であるワンパス博士の「戒厳令下のN・Y情報」を読むうちに、この手紙も公開したいと思ったので、エッセイの1つとして載せようと思う。
これを読んで誰が何を感じようとそれはそれでいいと思う。
ただ、これは圧倒的なマスメディア帝国であるアメリカの中で、自分の意見をこういった形でしか表現できなかった在米アフガニスタン人の真実の叫びである。

最後に、イスラムとは何か、マスコミでは報道されなかったパキスタン・アフガン情勢を知りたいと思う方は「おばはんからの緊急レポート」をお読みください。
この中には私たちが選んだ国会議員が何をしたかにも触れている部分もある。
彼らが現地で何を言い、何をするかによって、私たち旅人も影響を受けることが大である、ということは容易に想像がつくと思う。
だから政治に無関心なんて態度を取るべきではないと思う。

これは選挙にたったの一度も棄権したことがない、ということだけが自慢の私からのお願いでもある。


私の友人がボランティアをやっている
アフガン難民を支える会もよろしくお願いします。

この手紙は全文の転載が許可されています。

Sent: Thursday, September 20, 2001 12:36 PM
Subject: アメリカに暮らすアフガニスタン人アーチストの手紙

僕のnyに住んでる友達とその友達の友達の友達の手紙を送ります。

日本の友達へ、

ワールド・トレード・センターが壊滅するのを自宅から見つめていた火曜日の朝以来、ボクの住むダウン・タウンは堪え難い臭気に覆われてる。 
静まりかえった繁華街に吹く冷たい風は、命を落とした数千人の人魂が街中を飛び交い、ボク達の身体の中を吹き抜けていくかのよう。
街中が震え上がってる。
知人の安全の確認や捜索、 一市民として緊急事態への応対に追われるようにして二日間を過ごした後も、ボクは震える自分の心を鎮めることが出来ず、朝から晩まで隙ぞあらばラジオの傍に佇んでた。

激しい目眩のなかで一個人としての思考を維持する為に必要なものは何なのだろう?
頭に焼き付いたあのイメージは一体ボクの心に何を映しているのだろう?ボクは一体何をしたらいいのだろう?
夜が明け、突然雨が降り始め、雷が鳴るたびにボク等は恐怖に胸が締め付けられるようだった。

「言葉で表現出来るものじゃない」と思う時もあるけれど、言葉は時にボク達に与えられた唯一の道であり、それぞれが自分の気持ちや意見を表現しあう事が、人間の文化の根底であるはずだと思う。
テレビを消し、もう一度自分の周りを見回してみて、不安に苦 しんでいるのはボクだけではない事を確認しながら、お互いの不安や希望を表現しあう事の大切さを実感した。
レスキュー・センターにカンズメや水を持って行ったり、音楽活動を再開したり、友達と話し合ったりする事に追われながら、日本の友達みんなに今このメールを書いています。
みんな不安だと思うけれど、この事態を何か一つのキッカケに出来るように活動を再開して欲しいです。

御存じの通り、今アメリカではあらゆるレベルで意見交換がされていますマス ・ メディアを唯一の情報源とする事の危険性と、個人レベルの交信がボク達の表現の営みに とって大切であるという思いから、ボクの個人的なメール・ボックスに届いた、友達の友達の友達である人のメールを日本語に訳して(少々乱雑です)アタッチしておきました。

水曜日に届いたこのメール の他にも、この数日間に沢山のメールや会話を交わしあいました。
また時間が出来たら色々な人達の声を訳してメールしようと思っています。
また、日本からのレスポンスを世界に散らばるボクの友人達にも届けたいと考えています。
嘆き悲しんでいる人達、不安に苦しむ人達、そして、平和を望む心に勇気と神の御加護を。


p/s: 以下のメールは、ニューヨークで活動するパフォーマンス・アーチスト、ブライアン・モランを経由してボクの所に届いたものです。


Subject:Fwd: WWIII?
Date: Sat, 15 Sep 2001 04:37:20 -0400

親愛なる友達へ、

今日はWKTOの番組『トーク・ラジオ』でロン・オーウェンズが「アフガニスタンに石器時代が再来するまで徹底的に爆弾を落とすべきだ!」なんて叫んでいるのを散々聞いた。
彼等は既に、この惨事とは一切関係をもたない多くのアフガン市民達が虐殺されるかもしれないという事実を肯定したところで喋っている。
「我々は戦争をするのだから副次的な事故は避けられないだろう」と。 その数分後にはテレビ・アナウンサーが「私達には今から私達がすべき事を全うする度胸があるのでしょうか?」なんて口を滑らしていた。

自分はアフガニスタン人であり、過去35年間をアメリカで暮らしているとはいえ、一時たりともアフガニスタンの情勢から目を離した事が無い。
そしてこういった事態を経た今日、ボクは激しく葛藤している。
だから今ここで、立ち止まって耳を傾ける事の出来る人達へ向けて、ボクの立場からみた状況を語っておきたいと思う。

ボクはタリバンとオサマ・ビン・ラデンを呪う一人として語る。
これらの人達が今回の惨事の責任者である事はほぼ間違い無い。
これらの怪物どもを何とかしなくてはい けないのは確かな事だと思っている。
しかし、タリバンもビン・ラデンもアフガニスタン人ですらなければ、タリバンはアフガニスタンの正式な政権でさえもない。
ボクにとってタリバンは1997年に武力でアフガニスタンを征したキチガイどもでしかないし、ビン・ラデンは妄想を抱えた国際政治犯以外の何者でもない。

タリバンを想像するならナチスの事を思えばいいし、ビン・ラデンを想像するならヒットラーを思い、アフガニスタン人を想像するなら強制キャンプに押し込まれたユダヤ人達を思えばいい。
アフガニスタン人はこの惨事と一切関係無いという事に加えて、同じ犯罪者どもの最初の犠牲者達だという事を忘れないで欲しい。
アフガニスタンの人々は、もしも誰かがタリバンを退治して、国中に広がる国際犯罪組織の巣窟を一掃してくれたら大いに喜ぶだろう。

何故アフガニスタン人はタリバンと戦わないのか、と言う人達がいる。
アフガニスタンの人々は、極限的な飢えと傷に苦しみ、枯渇しているのが彼等には解らないのだ。
何年か前に国連が発表した統計によると、経済と呼べるようなものどころか、食べ物すら無いアフガニスタンには、500,000人以上の身体障害をもった孤児がいると報じていた。
数百万人と言われる未亡人達は、タリバンの手によって集合墓地に生き埋めにされているという報告もある。
国土は地雷に覆われている上に、農場はソビエト連邦によって破壊尽くされたままである。

さて、「アフガニスタンに石器時代が再来するまで徹底的に爆弾を落とすべきだ」という世論に焦点を戻そう。
問題は、それがもう既にソビエトによってなされているという事なのだ。
アフガニスタン人を苦しめると言っても、彼等は既に極限状態で生きているのであり、アフガニスタン人の建物を平らにしようと言っても、それらは既に平らにされているのだ。
アフガニスタンの学校をことごとく砂利の山にしてしまおうと言っても、医療施設と薬剤の供給を根絶し、あらゆるインフラストラクチャーを破壊しようと言っても、それらは既に他の誰かの手によって完了しているのである。
更なる爆弾は、かつての爆弾が残した砂利の山をかき回すだけなのだ。
ならばアメ リカはせめてタリバンを一掃する事が出来るだろうか?
おそらく無理だろう。
今日のアフガニスタンで唯一自由に動き回り、食物にありつく事が出来るのは、タリバンだけなのだ。
連中はあっという間に国土中に散らばり、爆撃を逃れるだろう。
爆弾のターゲットには身体障害を負った孤児達が残されているだけなのだ。
これらの子供達は逃げようにも車椅子すらもっていないのだから。

カブールの上空を飛び回り爆弾を落とす事は、この信じ難い惨事をひき起こした犯罪者達に打撃を与えたことにはならない。
それは、犯され続けてきたアフガニンスタンの人々を、再びアメリカがタリバンと同様に犯すということである。

では、一体何がなされるべきなのか。
沸き上がる恐怖に震える言葉で、これから何が起こり得るのかという事を話そう。
ビン・ラディンを確実に仕留める唯一の方法は、陸を侵攻する事である。可能な限り多くの『敵』を殺す、という事をアメリカの目的とし、無実な市民達を巻き添えにする事の道徳上の葛藤を「度胸」で乗り越えたところで、頭を冷やして考えてみて欲しい。
ビン・ラディンの隠れ場への道を切り開く戦いは、アメリカの兵士達の命を奪うだろう。
しかし、この戦争はその程度では全く治まらないかもしれないのだ。
アフガニスタンに侵攻するには、アメリカはパキスタンを通過しなくてはならない。
果たしてパキスタンはそれを受け入れる事が出来る政権だろうか?
疑わしいところだ。
さもなれば、アメリカはパキスタンを(タリバンを支持している政権として)征したのちにアフガニスタンを攻撃するという事になる。
周辺のイスラム政権がこれを黙って見過ごすとは思えない。

ここまで言えばボクの思考の流れが何処へ向かっているか解るだろう。
ボク達は西側とイスラムという世界戦争と戯れている。
それはビン・ラディンの陰謀そのものなのだ。
ビン・ラデンのテロリズムは正しくそれを目的としている。
彼自身の宣言や声明文を読んでみれば解る。
彼はイスラムが西側に勝利する事を信じているのだ。
馬鹿げていると思うかもしれない。
しかし、彼は我々の目に映る世界を西側社会とイスラム社会という二つの極に偏光して映す事が出来れば、彼の後ろには十億の兵隊がいるという事になると考えているのだ。
もしも西側がイスラムの地に破壊工作をしかけたならば、それは十億の何も失うものを持たない特攻隊という訳だ。

彼の計算はおそらく誤っている。
もしそうなったとしても、最後には西側が勝利を治める事になるだろう。 しかし、戦争の火は何年間も燃え続け、何百万人もの人間が死ぬ事になることは避けられない。
それでは誰がこれを『全うする度胸』を持っているというのだろう?
ビン・ラディンは確かに持っている。
あなたは?

>>> タミム・アンサリー>>>


このページのトップへ

[随筆の目次のページに戻る]

[米中枢テロの伏線のページへ]

[2001年イタリア・マルタ旅行トップページに戻る]

[ワンパス博士の「戒厳令下のN・Y情報」を読む]