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8月29日(日)-上海行き春秋航空、片道4千円

いよいよ日本発着のLCC(Low-Cost Carrier=格安航空会社)の進出が徐々に本格化してきたようだ。
ソウル、釜山、台北に続いて上海からもLCCが日本へ就航を始め、デフレ時代の海外旅行の選択肢が徐々に広がってきた。
春秋航空の上海-日本(茨城・成田)のフライトは週3便、原則として、月曜が成田発着で、水曜と土曜は茨城発着となる。
LCCは安さが売りなのだが、基本的に不便な空港や都市部から離れた空港を利用することが多いので、移動に時間がかかるのがネックだ。
というより、都市部に近い空港から発着することと、乗り継ぎの利便性というアドバンテージがキャリアフラッグを始めとするメジャーキャリアになければ、LCCとの差別化は図れないだろう。

ところで、首都圏の観光客が茨城空港経由で上海へ行くにはどうすればいいだろうか。
一番便利なのは東京から茨城空港までの直行バスだ。
茨城から上海へのフライトは13時55分発が予定されているので、東京10時発の関東鉄道バスに乗ればいい。
バスは事前予約制になっているが片道500円、所要時間は1時間40分だ。
一方の成田まではJRの成田エクスプレス片道2940円、所要時間は1時間ちょうどである。
飛行機で旅行するときの40分など誤差の範囲と考えれば、茨城という地名に惑わされていただけで、LCCに乗るなら意外に利用価値はありそうだ。
問題は何もなさそうな茨城空港で暇を持て余すことだけか。
しかし、そんなことはLCC利用者の宿命だと思って諦めるしかない。

私は9月の旅行をすでに決めているので、明日から始まる春秋航空のチケット争奪戦に参戦することはないが、まだ予定を決めていない人は上海万博見物を兼ねて乗ってみたらいかがだろうか。
上海のホテルは少々高いだろうが、9月25日(土)に茨城出発、27日(月)に成田着で、2泊3日の上海オリジナルツアーをアレンジするのも悪くないと思う。
もっとも現地滞在は実質1日半、土曜の夜に中国雑技でも見て、日曜は観光、単純に上海だけならそれで十分かと思う。

ちなみに、春秋航空とセブパシフィック航空を組み合わせれば、「格安エアラインで世界一周」の著者である下川裕治氏ばりの格安アジア旅を演出することができる。
茨城 13:55-春秋航空(9C)8988便-15:55 上海(浦東)-バスで移動-上海(虹橋) 20:00-春秋航空(9C)8949便-22:00 深圳-陸路で移動-香港 8:25-セブパシフィック航空(5J)109便-10:25 マニラ 14:00-セブパシフィック航空(5J)828便-18:35 大阪(関西)
仮に、9月の3連休初日の18日(土)に日本を出発すると、茨城から上海までは4,000円、上海から深センまでは7,400円しかかからない。
そして、途中で3泊を挟み、21日(火)に帰国すると、香港からマニラまでが390香港ドル(4,300円)、マニラから大阪(関西)までが10,599ペソ(20,000円)、大阪(関西)から羽田が特定便割引Cで13,100円、合計すると約5万円である。
単純に香港だけ往復すると時間がかかる分だけ割に合わないかもしれないが、このルートだと往路で上海、復路でマニラ(あるいはセブ島)に立ち寄ることができる。
こうして見ると、LCCの就航によって片道チケットが安く買える(日本発のメジャーキャリアは原則として片道の割引運賃を呈示していない)ようになったということは、旅のプランニングに大きな変化をもたらすことになると言えるだろう。

<春秋航空>上海-茨城、片道4000円の航空券を発売
(2010.8.25 毎日新聞)
上海と茨城空港などの間で週3往復運航している中国の格安航空会社、春秋航空は25日、9月中下旬の7往復で片道4000円の航空券を30日午前9時から発売すると発表した。
これまで同社は日本国内では代理店向けに航空代金分をパッケージ旅行に組み込んで発売しており、個人向け発売は初めて。
9月15、18、20、22、25、29日の茨城-上海便と、同27日の成田-上海便。1便あたりの座席(180席)の1割を予定している。インターネット販売のみで、8000円、1万2000円の航空券も売り出す。
茨城県庁で記者会見した徐進・茨城支社長は、「安い値段で安全が確保できるのかという疑問の声を聞くが、安全への投資はローコストではない」と強調した。【鈴木敬子】

8月28日(土)-高速道路無料化実験に見る日本の将来

読売新聞の「高速無料化『死活問題』、国道も商店もガラガラ」という記事は、何だか日本の将来を暗示するようなニュースである。
昨年の6月14日に書いた「1000円高速で得をしたのは誰か」の中で、「民主党が主張するように高速道路をフリーウェイにすべきだろう。」ということを言ったが、どうやらこれも大きな政策的リスクが存在するようだ。
中長期的には、自民党の道路族の利権の消滅、官僚の天下り国策民間会社(要は高速道路各社)などが不要になるというメリットはあるものの、その前に日本の地方経済が死滅しかねない事態に陥ってしまうだろう。

こうしてみると、民主党政権が実験結果を踏まえて、高速道路を元通りに有料道路に戻せば、作った高速道路の利用率が減りコストパフォーマンスが悪くなる。
公約だからと高速道路の無料化を強行すれば、従来の国道沿いの町は、新幹線によって在来線の特急・急行が通らなくなった地方都市のような末路を辿る。
結局のところ、日本で最初の高速道路である東名高速道路ができたとき、その建設費用を償還するため有料とするが、それが済んだら無料にするというのが、そもそもの約束だったはずだが、自民党の道路族の利権を維持するために、「全国料金プール制により、高速道路ネットワーク全体について償還が完了した時点で、全路線を無料開放する」という詭弁を弄し続けた結果、制度上は高速道路がいずれ無料になるというリスクを国民が共有できなかったことが最大の原因であろう。

国土交通省は今後も様々なシミュレーションをしながら実験を続けるとは言うが、最終的には政治決断となるだろう。
このとき担当大臣(今は前原誠司国土交通大臣)がババを引くことを承知で無料化を強行するか、極めて日本的な決断で先祖帰りをするかはわからないが、私が思うに、より国民の反発の少ない後者の結末となる可能性が高い。
なぜならば、私が就職してしばらくたった頃、当時の上司が私に言った言葉があるからだ。
「日本人(有権者)は公務員が変革を望まない、あるいはできないと言って悪し様に非難しているが、当の日本人(有権者)がそもそも変革なんざ望んでいない。変革とは先輩のやってきたことを変えることであり、そんなことができるヤツは今の日本にはほとんどいない。」

高速無料化「死活問題」、国道も商店もガラガラ
(2010.8.28 読売新聞)
全国37路線50区間の高速道路で無料化の社会実験が始まって、28日で2か月が経過した。
高速道路の通行量が軒並み増える一方で、並行する国道では激減して商店の売り上げが半減するなど、「死活問題だ」と悲痛な声も上がっている。
国土交通省によると、実験の対象区間では、1か月間の通行量が平均で約2倍に増える一方、並行する国道では2割減少した。

最も明暗を分けたのは、県内の高速道路の9割が無料化された山形県。
県を横断する山形自動車道は通行量が2~4倍に増えた。日本海側の庄内地方には観光客が押し寄せ、山形道の寒河江サービスエリアの売店も「来客数は1~2割増」。しかし、山形道と並行する国道112号(西川~月山)の休日の通行量は全国最大の53%も落ち込んだ。山形道は未開通区間もあるため、高速を敬遠して国道を走る車も多かったが、無料化で一気に高速に流れ、売り上げが10分の1に減った飲食店もあるという。

町が素通りされていることに危機感を強めた西川町商工会などは緊急対策会議を設置した。山形道のサービスエリアにも乗り込み、特産の山菜そばの割引券付きパンフレットを配布。商工会の木村寿和さん(58)は「お盆は帰省客で少し回復したが、今後がまた心配」と、追加対策を検討する予定だ。

全線が無料化された北海道の道東自動車道。追分町~夕張間で休日の通行量が7割増え、道東道出入り口に近い道の駅は7月の利用者が約3.4倍に激増したが、並行する国道274号の通行量は3割減。沿線にある日高町の道の駅では利用者が55%も減った。
国道を使うトラックの9割が高速に転じたといい、ドライブイン「日高ウエスタンファーム」も売り上げが半減。和田永雄社長(54)は「もはや企業努力ではいかんともしがたい」と嘆く。
町議会も5日の臨時会で、実験の即時中止を求める異例の意見書を全会一致で採択。首相や国交相あてに送った。
無料化前に比べ通行量が激減した国道(休日調べ)
減少率 国道(県名) 並行する高速道路
53% 112号(山形) 山形自動車道(西川-月山)
50% 56号(高知) 高知自動車道(土佐PAスマート-須崎東)
49% 201号(福岡) 八木山バイパス(篠栗-筑穂)
48% 13号(秋田) 湯沢横手道路(十文字-横手)
47% 31号(広島) 広島呉道路(呉-天応東)
40% 10号(宮崎) 延岡南道路(延岡南-門川)
39% 9号(島根) 山陰自動車道(宍道-松江玉造)
37% 13号(山形) 米沢南陽道路(米沢北-南陽高畠)
35% 56号(愛媛) 松山自動車道(西予宇和-大洲北只)
35% 10号(大分) 東九州自動車道(津久見-佐伯)

8月23日(月)-ニューヨーク行き実現へ

2007年8月12日に「幻となったニューヨ-ク行き」というコラムを書いてから丸3年、今度はアメリカ経済の中心地、ニューヨークへの旅が実現する運びとなった。
時期は来年1月、何で厳冬期にわざわざと言うだろうが、これには理由がある。
もちろん、私が行くのはニューヨークだけではない。

今から約2ヶ月前、私は来月の欧州旅行の帰国便、要するに香港から日本へ行くフライトをどれにするか散々悩んでいた。
初の海外発券、通であるとんびさんによれば、日本人の3大海外旅行シーズン(ゴールデンウイーク、お盆、年末年始)にこそ威力を発揮する、とのことだったので、年末年始の渡航を絡めて、日本航空の「香港発成田経由(ストップオーバー)ロサンゼルス行き(10,200香港ドル+TAX)」、大韓航空の「香港発ソウル経由(ストップオーバー)ロサンゼルス行き(5,050香港ドル+TAX)」と「ソウル発成田行き(58万ウォン+TAX):2往復」の組み合わせにするか、単純にチャイナエアラインの「香港発台北経由成田行き(6,210香港ドル+TAX)」にするか、香港発券で1年有効のチケットが取れるものということで選ぶと、選択肢は3つに1つであった。

これら3つの選択肢を何度もシミュレートして検討したが、トータルすると驚くほど安くなるという感じでもなかった。
私の行き先がロサンゼルスやサンフランシスコではなく、メキシコにしたからということもあった。
結局、ロサンゼルスからメキシコまではチケットを別に取らないといけないし、年末年始はアメリカ人観光客が避寒のために中年米へ行くということもあって、それほど安いチケットがあるわけでもなかったからだ。
それに、9月に欧州に行くというのに年末年始にメキシコに行こうという私は単なるバカでしかなかったかもしれない。

しかし、私はデルタ航空のメダリオンラインに直接電話して、成田からメキシコシティまでの往復がいくらか聞いてみた。
せっかくスカイマイルのゴールドメダリオンのステータスがあるのに、大韓航空で1年有効の予約クラス(QとS)ではマイルが加算されないのが不満だったからだ。
年末年始の成田発のチケットで、それほど安いものがあるとは思えなかったが、ものは試しであった。
聞くと意外な答えが返ってきた。
「お帰りはニューヨーク経由の便がございますが、どうされますか?」
日本からメキシコへ往復するのにロサンゼルスやアトランタ経由でなく、帰りだけはニューヨークへ寄れというのだ。
もちろんストップオーバー可能とのこと。
これは行けと言っているのだろうな、と私は思った。
ちなみに、チケット代金は燃油サーチャージ込みで18万弱、発券期限が12月4日という条件だったので、予約をすることにした。

かくして私は意外なところからニューヨーク行きが実現することになった。
問題はホテルだ。
確か3年前、世界経済が最高潮だったとき、マンハッタンで泊まろうとすると、1泊300ドルもするとあって、それも理由の一つでやめたのだ。
しかし、今回も3泊することになる。
とりあえず「海外ホテル予約のホテルクラブ」で安いところを探してみるか。
それとアメリカ渡航(乗り継ぎ含む)に必要なESTA(電子渡航認証システム)は9月8日申請分から14ドルかかるとのことだ。(在日米国大使館最新情報


8月22日(日)-社会保険労務士試験を受けてみた

「参加することに意義がある」とは、世界を相手にはとうてい勝てない競技種目に出場するアスリートたちの言い訳みたいなものだが、社会保険労務士の資格試験は参加するだけで意義があるとはとうてい思えない。
そうは言っても、テキスト代や過去問を解くためのパソコンソフト、3月まで勉強を続けた時間、それらを総合すると何もせずに不戦敗となることが心情的に許せなかった。
そこで、5月末の締め切りギリギリになって受験料を払い込み、今日の試験に備えてテキストを必勝祈願のお守りとともに本棚に飾っておいた。(笑)
要するに、4月17日のコラムにも書いたように、普通なら受験申し込みからが最後の追い込みになるにもかかわらず、私は全くそうはならなかったからだ。
事実、毎月のように旅行に出かけ、それが終わると旅行記を、しかも今月分は英語のものまでも仕上げ、挙句の果てにコラムまで書いている体たらくさであった。

そして、試験当日、試験開始に間に合うように起きることができた私はいそいそとパシフィコ横浜へと向かった。
試験会場は壮観であった。
70,700人の受験者のうち何千人がここにいるのか、と思えるくらいの会場の広さであった。
ブログ用に写真でも撮って帰ろうか(笑)と思えるくらいだったし、このうちの1割しか合格しなかったとしても約7千人、その合格者すべてに適職があるほど日本の経済情勢が良好とはとうてい思えなかった。
しかし、ここまで来て受験しないのはアホらしいので、素直に会場に入って試験開始を待った。
「携帯の電源を切ってくれ」というのは当然のこととして、「水を飲んだり、ハンカチで汗を拭くにも許可を求めよ」という厳しさは何だかな~とも思ったが、幸いにして会場内は涼しかったので、そういった許可を求めることはなかった。

午前の試験は選択式40問、午後は択一式70問であったが、全く歯が立たないという程でもなかったのは自分でも意外であった。
こんなことならもっと真剣に勉強をやっておけばよかったと思えたが後悔先に立たずである。
何せ、3月にパソコンソフトを使って過去問を解いたときは半分もできずに、ダメだこりゃ、と匙を投げるほどだったからで、ファイナンシャルプランナーの試験もそうだったように、もしかすると私は本番に強いのかと真剣に思った。
合格発表は11月5日(金)、このときに合否に関わらず成績通知が来るというので楽しみに待つことにしよう。
もっとも私のような体たらくさで合格していることはまずないだろうし、このときには年末の旅行に向けて精力がそちらにいっているので、どうでもいいと思うことだろう。
ただ、そんなこと書いているとマジメな受験者に怒られるだろうな。


8月15日(日)-ワークライフバランス、太平洋戦争の敗戦から65年目に思うこと

1945年8月15日の太平洋戦争の敗戦から65年、日本はこの間に驚異的な経済成長を遂げ、世界中はそれを「奇跡」と評した。
物質的には確かに豊かになった。
特に20世紀後半の日本には、元マレーシア首相、マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)氏をして「もし、日本なかりせば-原文:Towards a prosperous future (PDF)」と言わしめたものが確かに存在した。

ところで、この時代の日本人は実生活面でも本当に幸福だったのだろうか。
事実、バブル景気最高潮の1980年代後半に生まれた「過労死」という言葉はKaroshi (death from overwork)として世界中に認知されるほどになったことを思えば、そういう疑問が生じても不思議でも何でもない。
私に言わせれば、この当時の日本人はただ単にカネを物差しとして「幸せ」だったように振舞っていただけではないのだろうか。

確かにカネはないよりあった方がいい。
発展途上国の国民が物質的に豊かになるためにガムシャラに働くのは正しいことだ。
しかし、ある程度の豊かさを享受できるようになったならば、ギアチェンジをするべきだと思う。
日本人はそのギアチェンジをしなかったばかりに今の不幸を招いているような気がしてならない。
今や私の人生のメンターとも呼びたいくらいの浅田次郎氏は、その著書「カッシーノ1!」「カッシーノ2!」の中で、「労働の正当な対価が、賃金ばかりであるはずはない。労働に見合うだけの遊びをせねば、人間は幸福の所在を死ぬまで確認することができない。個々の差こそあれ、ひとりひとりが把握するそうした幸福の実感の集合が、文化国家の実力である。」と書いている。
「カネ余り」と言われた1980年代に、個々の人間が経済成長の果実としての「真の幸福」を追求していれば、今のような無様な状態にはなっていなかったのではなかろうか。
私は、あの当時、「過労死」させるまで働かせるとは何事だ、「カネ余り」なら欧米人のように休めるようにしろ、と要求した労働組合はなかったように記憶している。

そして、時代は変わり、「失われた20年」とまで言われるようになった今、カネを物差しとして幸福度を測っていた日本人は「一億総不幸」の状態に陥っている。
菅直人首相が就任会見で「最小不幸社会の実現を目指す」と言ったことは、このことを如実に表している。
私は同年代、あるいは先輩世代のサラリーマンが何気なく使う「定年になったら○○したい」という言葉を聞くと、私はなぜ「定年にならないとできないのか」と疑問に思う。
やりたければ今やればいいではないか、と・・・

浅田氏はその著書の中で「労働が美徳であると同時に、労働の対価としての遊びも美徳である。むろんこの点はアメリカに限らずヨーロッパの先進国でも同様で、もしこの世界常識に異を唱えるとすれば、古くさい共産主義か、戒律でがんじがらめの宗教国家のほかにはあるまい。」と書いている。
ちなみに、これを読んだ人は相当の数に上ったと浅田氏は書いているが、もし、そうならば、もう一度読み返し、そして少しでも彼の言わんとしていることを実践してみたらいかがだろうか。
休暇なんか取れるかと言われるなら伊沢次男の著書である「会社をとるか、自分をとるか」を、 先立つものがない、と言われるなら私の書いた「キャピタル・ゲイン(capital gains)-1990年代後半のアメリカ人のように暮らそうぜ!」を参考にするといいだろう。
時代が古すぎて参考にならないって?
ならないなら自分自身で考えたらいいだろう。
それが幸福な人生を送るために一番必要なことだからだ。

先日のシンガポール・デサル(マレーシア)旅行で出会ったシンガポール人の証券トレーダー、エリック・タン(Eric Tan)さんは私に聞いた。
「私はかつて三井住友銀行で働いていた。日本人は皆忙しかった。何で日本人だけ忙しいのでしょうか。カルロスさん(もちろんここは私の本名)も忙しいのですか。」
私はそれに対する明確な答えを英語で言うことはできなかった。
言えたのは私が忙しいかという質問に対する答えだけだった。(爆)
ここで思い出したのは1993年当時、ジャカルタへ赴任していた某銀行勤務の友人のことだった。
彼も当時、欧米人は陽の高いうちに帰ってプールで泳いだり、テニスをしたりしているが、日本人だけは職場で残業していると言っていた。
ちなみに、エリックさんは年に何回か休暇を取り、いろいろなところへ行くと言っていて、日本にも1週間ほど遊びに来たことがあるという。
なぜ、シンガポール人にできることが日本人にはできないのだろうか。
有給休暇を使い切る労働者の割合」などの休暇やレジャーに関する調査が出るたびに日本が万年最下位であることを不思議に思う人はいないのだろうか。

これに対する答えは海藤彬光氏の書いた「なぜ日本の外交官は世界からバカにされるのか」の中にヒントがある。
世界に嘲笑される外交として、「国際会議における日本代表団の作業室はいつも世界の嘲笑の的である。フランス人外交官は、なぜ日本代表団の部屋だけいつも徹夜で作業しているのか、そんなに忙しいはずはないだろう、と。ドイツ人外交官は、日本人が勤勉だとは思わない。仕事を能率的にこなせない人間を勤勉とは言わない。日本人は単に忙しがっていたいだけなのだろう。アジア・アフリカ・南米の外交官は、日本の病的なまでの神経質さを、最終文書でもないのに誤字脱字を何であれほど気にするのか、まったくうるさくて仕方がない。日本では誤字脱字に罰金でもあるのか。」と書かれている。
海藤氏は、なぜ同じ仕事をしているのに日本人だけが能率的に仕事を進められないのか、と結んでいるが、このことに各人が答えを見出せない限り、浅田氏の言う「幸福を希求しつつ幸福の所在を確認できずに一生をおえるという、きわめて不幸な国民像」を払拭することはできないだろう。

少なくとも「絶対に野村證券で口座を作るな~証券リテールの真実~」というブログに登場する上司は私に言わせれば、世界で最も不幸な100人のビジネスマンに入れたいくらいの人物だ。
多くの読者の目は著者である元野村證券マンに注がれると思うが、私は違う視点でものを見た。
8月3日の日記に、GW前日に上司から「GWは全て外務員の勉強に費やせ。4連休中の2日間、ランダムでお前の家に訪問する。そのときに家で勉強していなければ殺すからな。」と言われていた、という一節がある。
せっかくの休日を部下に対する嫌がらせのために半分も費やそうとするこの上司はいったい何が楽しくて生きているのだろうか。
もしかして日本のサラリーマン社会は彼のような人物が至るところにいる「最大不幸社会」なのだろうか。

カッシーノ2!アフリカ・ラスベガス編 by 浅田次郎
■ラマダーンのカジノへ

われわれ日本人は、労働を美徳とし、遊びを罪悪と決めつけて今日の国家を造り上げた。いつの世にも親や教師が言っていた「よく遊び、よく学べ」は空疎なお題目で、実は誰しもが「よく学び、よく働け」と自らを鞭って生きてきた。その結果、幸福を希求しつつ幸福の所在を確認できずに一生をおえるという、きわめて不幸な国民像を現出せしめた。
アイデンティティが「労働」であるから、職を奪われれば死ぬのである。死なぬまでも、倒産や失業や左遷や仕事上のミスが、おのれの存在意義をたちまち殆(な)くしてしまうのである。

年間自殺者三万人の根源的原因を日本人は知らぬが、その国民性を客観的に見知っている外国人の識者は、正確に理解しているであろう。われわれはいまだに、明治の富国強兵策に崇られており、その結果としての戦と敗北の記憶に、今も世代を超えて縛められている。
富国強兵の結果の敗戦亡国と、高度成長の結果の不況亡国はほとんど同じで、要するにわれわれは、どのような構造的改革にも増して、明治以来の意識改革をなさねば、おそらくこの先も形のちがう同じような失敗をくり返し続けるであろうと思われる。

この現実を違う角度から眺めると、われわれは学ぶべきことをアメリカから学ばず、学ぶべきでないことばかりを学び続けてきた、とも言えるであろう。
アメリカの国民生活では、労働が美徳であると同時に、労働の対価としての遊びも美徳である。
むろんこの点はアメリカに限らずヨーロッパの先進国でも同様で、もしこの世界常識に異を唱えるとすれば、古くさい共産主義か、戒律でがんじがらめの宗教国家のほかにはあるまい。

私は「よく学び、よく遊べ」の訓えを、まさかお題目だとは思わずに、そのまま素直に実行して成長した。ために当然のごとく社会ではドロップアウトしてしまったのだが、幸い芸が身を助けるかたちで、小説家になることができた。
労働の正当な対価が、賃金ばかりであるはずはない。労働に見合うだけの遊びをせねば、人間は幸福の所在を死ぬまで確認することができない。個々の差こそあれ、ひとりひとりが把握するそうした幸福の実感の集合が、文化国家の実力である。
ところが、若い世代の人々はあんがい遊び上手で、それぞれが幸福の確認をきちんとしている。
今の若者がそうなのか、いつの時代でもそういうものなのかは問題となるところであるが、いずれにせよ未来のためには、遊び下手なわれらオヤジ世代が自ら意識改革をなす必要があろうと私は思った。
■聖地のリゾート・カジノ

大観光国家エジプトがその威信をかけたスーパー・リゾート「シャルム・エル・シェイク」は、モーセの行く手に割れた紅海のほとりである。シナイ山の赤い山肌が、紅海に面して途切れる砂漠ともビーチともつかぬ広大な砂地に、巨大なリゾート・ホテルが建ち並んでいた。海と空と砂のほかには、何もない。シャルム・エル・シェイクは、都会人の渇望する 「無為」と「非日常」のリゾートである。

つねづね思うのだが、どうして日本にはこうした根元的なコンセプトを持ったリゾートができないのであろう。「無為」と「非日常」が最も必要な国民であるはずなのに。
個々の生産性に見合うだけの、人間的な幸福を確認する場所がない。労働という不幸だけが人生を被い、ならば労働そのものが幸福なのだとおのれに言い聞かせつつ生きる。かくてその労働の場を奪われれば、いともたやすく自殺してしまう。

すなわち、そうした悲劇的国民性の中で希求するリゾートは、決して「無為」であってはならず、「非日常」であってもならぬのであろう。仕事と遊びの中間にある「付き合い」という曖昧な時間を過ごし、たまの休みには東洋的悪習慣により、家庭をそっくりワゴン車に詰めこんで、ささやかな旅に出る。すべてがそうであるから、リゾートのコンセプトは「接待に便利な」か、「家族そろって楽しめる」かの、どちらかになる。

日本人の生活は、たとえ遊びでも有為でなければならず、家長の責任として負った日常は、どこまでも引きずっていかねばならない。こうした余暇の過ごし方に幸福を見出そうとするわれわれは、まことに不幸な国民である。
たとえば、明治以来さまざまの社会機能を欧米から移植しながら、ついに今日までカジノの登場を見ないのは、その存在が無為かつ非日常だからなのであろう。
■四度目のR・S・F(ロイヤルストレートフラッシュ)

シャルム・マリオツトのプライベートビーチは、世界一の透明度を誇る紅海に面している。
デッキチェアに身を横たえて読書をする。海外のこうしたリゾートでは、どのように難解な書物もふしぎなくらい頭に入る。「非日常」の魔法である。来客も電話もなく、仕事の予定もなければ家族もいない。耳に入る言葉は意味不明の外国語なので、気が散ることもない。

そもそも読書好きが昂じて小説家になったのであるから、執筆に追われて本が読めなくなった近ごろの現実は、自家撞着も甚だしい。そこでいつのころか、海外に出るときは一抱えの書物を携行するようになった。それを飛行機の中でもホテルでも読み続け、読みおえたものは現地のガイドや知人に渡してしまう。帰りの荷物は軽くなり、日本語の書物に飢えている友人知人には何よりも喜ばれる。

むろん家にいるときも一日に四、五時間は読書をしているのだが、ほとんどは執筆のための資料で、いわば仕事に役立つ実用書を読んでいるに等しい。こうした読書は邪道である。
人生の糧たらしめんとして読書をしたところで、そうした不純な意識から教養などは身につくはずがない。娯楽として読みたい本を読んでこそ、初めて得るべきものを得るのである。

人生を豊かにするためには、心を豊かにしなければならない。物質的な豊かさには極みがないからである。そのためには、「さしあたってどうでもいい書物」を読むことこそが肝心なのであって、どうもわれわれ現代人にはそのあたりの余裕もなければ認識もないように思える。学問も芸術もその本質は娯楽であるということを、人は忘れている。

読書に飽きればまどろみ、目覚めては紅海のリーフに遊ぶ。ダイビングをする時間も体力もないが、シュノーケリングだけでも十分に魚たちと戯れることができた。

8月14日(土)-海外クレジットカード決済額の邦貨換算も即日に

Credit Card Customer Copyクレジットカードを使って買い物をするときは、決済(銀行口座の引き落とし)までに1ヶ月から2ヵ月の余裕があるので、サラリーマンであれば、5月や10月に買い物をするときは、ボーナスが入るのを見込んで高額商品を買うということができる。
例えば、私が俗に言う陸マイル(フライトマイル以外の加算マイル)を溜めているクレジットカードのうち、デルタ・スカイマイル・シティ・クラッシックVISAカードは、当月15日までの利用分が翌月の10日に請求(カード決済)され、Unitedマイレージプラス・セゾンカードは、当月末までの利用分が翌々月の4日に請求される(支払いサイクル)ことになっている。
いずれにしろ、締め日の直後に使用した分については、資金繰りに概ね2ヶ月程度の猶予を得ることができる。

ちなみに、海外旅行や通販などで使用した場合は、請求額の邦貨換算は、使用した日でなく、各国の国際提携組織からクレジット会社へ請求される日にされることになっているので、一種の外貨の先物売り的な使い方をするシステムになっている。
要するに、1米ドルが100円のときに米国で買い物をしたとして、それをクレジットカード払いにしたとすると、為替レートの差を考慮しなければ、現地の会社がクレジットカード会社に請求をした日のレートが円高に振れていれば、現金決済をした場合に比べて顧客が得をし、円安に振れると顧客は損をするという寸法だ。

ところが、こうしたクレジットカードの決済もネットワーク化が進むにつれ、早ければ使ったその日のうちにクレジットカード会社への請求がされるようになり、かつてのようにカード決済日に円安にならないことを祈る必要がなくなってきたようだ。
最近では海外旅行で使うホテルや航空会社のチケットもインターネットを使って取ることが多くなってきたが、その請求のスパンが短くなってきたように感じていたのは気のせいではなかったようだ。
そして、先日のデサル(マレーシア)で泊まったPulai Desaru Resort、ここで昼食を取ったときに現地通貨の持ち合わせがなかったので、カードで払ったとき、印字されたRM AMOUNT 48.00とJPY AMOUNT 1,344、CURRENCY RATE 28.00162 RM, JPY(RMはマレーシア・リンギット、JPYは日本円の略)を見た私は即日に請求(邦貨換算)がされるのか、と驚いたものだった。
何しろ、海外現地使用分は通常でも決済(銀行口座の引き落とし)まで2ヶ月か3ヶ月かかるというのが私の見込みだったからだ。
どうやらアジア先進国圏のコンピューターネットワークは想像以上の早さで進んでいるようだ。


8月11日(水)-日本市場からはハゲタカすらいなくなるのか

今からちょうど8年前、ニューヨークタイムズにAs Tokyo Loses Luster, Foreign Media Move On(東京が輝きを失うにつれて海外メディアが撤退)という記事が掲載された。
当時、外国メディアの撤退ラッシュが続いた日本で、「停滞している日本と、今世紀半ばにも経済的に日本を追い越すと言われる中国とどちらを記事にするかと言われれば、記者達はよりダイナミックに変化している国を選ぶのは当たり前である。」と書かれた。

そして今年、奇しくも同じ8月、それも日本の第二次世界大戦の敗戦を思い出させる終戦記念日の間近に掲載されたブルームバーグの記事は、「一部の大手外国金融機関が、収益性の低い日本法人でリストラを検討しているほか、日本の人員枠を他のアジア地域に振り分ける動きなどが出ている。(Global investment banks will eliminate more jobs in Japan as they question growth prospects in the world's second-biggest economy and deploy staff to expanding Asian markets including China.)」と切り出されている。
2年前の2008年4月、英投資ファンド、ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド(TCI/The Children's Investment Fund)の電源開発(Jパワー)株(9513)の追加取得計画を巡って、政府が買い増し中止勧告を出すなど軋轢を生んだのが、まるで嘘のような遠い過去となろうとしている。

私は当時、このことについて「もし外国人投資家なかりせば」と書いたが、今やエグゼクティブ・サーチ・パートナーズの小溝勝信代表取締役をして、真のジャパン・パッシング(Japan passing)となりつつある。
今後、多くの外資が日本に見切りをつけることがあれば、日本からさらに活力は失われるであろう。
何しろ外資に雇用される人たちが高額納税者であることは想像に難くないからだ。

知日英国人投資家のピーター・タスカ(Peter Tasker)が書いた不機嫌な時代-JAPAN2020という本の一節にこういうものがある。

「日本には、政治家とヤクザをのぞいて金持ちはめったにいない。所得税の最高税率が80%になったとき、多くの金持ちは香港やハワイに行ってしまった。そのなかに2008年と2011年の景気後退を乗り切った起業家たちもいた。
5年後に、非居住者が日本の会社の大株主になることが禁じられたので、かれらのほとんどは銀行や商社に会社を売り払ってしまった。
原田はこの政策に大賛成だった。「12年体制」の発足以来選挙のたぴに与党に投票してきたのは、かれらが安定と調和という日本の真価を理解していたからだ。
原田が何よりも望んでいたのは、同じような人たちといっしょに、これまで食べてきたのと同じものを食べ、歌ってきた歌を歌い、これまでと似たような仕事をすることだった。
起業家とかそのほかの危険分子は、出る杭と同じく打たれるべきなのだ。」

私は彼が描く悲劇のシナリオが現実とならないことだけを祈りたい。

外資系銀行や証券、日本で追加的な人員削減の可能性-調査
(2010.8.10 ブルームバーグ)
8月10日(ブルームバーグ):外資系銀行や証券会社が日本で追加的な人員削減を実施する可能性がある。一部の大手外国金融機関が、収益性の低い日本法人でリストラを検討しているほか、日本の人員枠を他のアジア地域に振り分ける動きなどが出ているためだ。

国内外金融機関の人材紹介を手掛けるエグゼクティブ・サーチ・パートナーズの調査によれば、外国の銀行、証券、プライベート・エクイティ、ヘッジファンド、資産運用、不動産投資会社は6月末までの約2年間で既に約5000人を日本で削減。低収益の部門などでは、さらなる削減に踏み切る公算があるという。

外資系金融機関は2008年秋のリーマン・ショック以降、日本で人員を削減してきたが、新規株式公開(IPO)やM&A(合併・買収)助言ビジネスの規模が他のアジア諸国に比べて小さいことなどから、この傾向はしばらく続きそうだ。一方で、外資勢は米国などでの採用を活発化させている。

エグゼクティブ社の小溝勝信代表取締役はブルームバーグ・ニュースの取材に「外国銀行には採用凍結やさらなるリストラを検討しているところがある」と述べた。その上で、「私が懸念し警鐘を鳴らしたいのは、外国資本が日本をリスクを取るに値しないと素通りし香港や上海、シンガポールに投資しつつあることだ」と語った。

中国、世界最大のIPO市場に

ニューヨークに拠点を持つ調査会社のフリーマンによると、世界の金融機関の投資銀行部門の2010年1- 6月の総手数料収入は前年同期比7%増の371億ドル(約3兆2000億円)。このうち約半分が米国市場での取引から発生しており、日本は4%程度だという。中国、香港市場ではその間に倍増した。

中国では7月に中国農業銀行が香港市場などで約208億米ドル(約1兆7880億円)の新規株式公開を実施するなど、世界最大のIPO市場になりつつある。同案件の引き受けには中国国際金融(CICC)とドイツ銀行、ゴールドマン・サックス、JPモルガン、豪マッコーリー・グループ、モルガン・スタンレーなどが携わっている。

また、ブルームバーグ・データによれば、今年これまでの日本企業関連のM&Aは1283件と、中国・香港関連の2036件の半分程度、金額ベースでも日本は675億ドルと中国・香港の約半分にとどまる。株式の引き受け、M&A業務ともに中国・香港は外国銀行にとって魅力的な市場と言え、フィーや主幹事獲得をめぐる競争が激しくなっている。

エグゼクティブ社によれば、外資系金融は2008年3月末から2010年6月末までに日本で4757人を削減し2万3724人となった。各社の報告書によると、ともに1000人超の従業員を抱えるバンク・オブ・アメリカ、JPモルガン、モルガンSは2008年3月末からの2年間で数百人規模、率にして16-24%の人員を削減した。

小溝代表は、「外国銀行の日本市場へのコミットメントが低下すれば『もの作り日本』に代表される日本企業へのリスクマネーの供給が減り競争力が低下する」と指摘する。その一方で「日本の金融機関が収益力や資本力を強化してグローバルに通用するノウハウを蓄積するなど、独自性を持った『日本版投資銀行』の確立が急務だ」と述べた。

英文記事:Global Investment Banks to Deepen Staff Cuts in Japan
As Tokyo Loses Luster, Foreign Media Move On
(東京が輝きを失うにつれて海外メディアが撤退)
(August 12, 2002 New York Times)
So began another sayonara party at the Foreign Correspondents' Club of Japan, marking the closing of another news bureau in Tokyo.
After 12 years of Japan's economy going sideways, stagnation fatigue is rippling through newsrooms.
In the last few months, newspapers closing their Tokyo bureaus included The Chicago Tribune, The Christian Science Monitor, The Independent of London, Dagens Nyheter of Sweden and Corriere della Sera of Italy.
Meanwhile, reporters from other newspapers are increasingly using the bureaus as pit stops as they race around the world to tell stories their editors find more interesting.

東京支局閉鎖のための送別会が、外国人記者クラブでまた始まった。
12年もの日本の経済停滞は報道の現場にも影響を及ぼしている。
このわずか2~3ヶ月の間にシカゴ・トリビューン(The Chicago Tribune)、クリスチャン・サイエンス・モニター(The Christian Science Monitor)、ロンドンのインディペンデント(The Independent of London)、スウェーデンのダーゲンス・ニィヘテル(Dagens Nyheter of Sweden)、そしてイタリアのコリエーレ・デラ・セラ(Corriere della Sera of Italy)といった新聞社が日本支局を閉鎖した。
一方では、他の新聞社から派遣されたレポーターは、もっと面白い記事を編集者に送ろうと世界を飛び回り、あたかもレースでの途中給油(pit stops)の如く支局を使う傾向を強めている。

Today's editorial ennui with Japan partly revolves around the definition of news.
Given the choice between covering a stalled Japan and a developing China that will probably overtake Japan economically by the middle of the century, editors choose the more dynamic country.
In a typicial move, The Chicago Tribune closed its Tokyo bureau last year and moved its correspondent to China.

今日の日本についての退屈な社説は、部分的に記事が定義づけされて展開しているからだ。
停滞している日本と、今世紀半ばにも経済的に日本を追い越すと言われる中国とどちらを記事にするかと言われれば、記者達はよりダイナミックに変化している国を選ぶのは当たり前である。
そういった流れの中で、シカゴ・トリビューン(The Chicago Tribune)は昨年東京支局を閉鎖し特派員を中国に移動させた。

Bruce Dunning, Asia bureau chief for CBS, who has worked in Japan off and on since 1972, agreed, saying that Japan was a hard story to sell.
With change in Japan generally minute, incremental, and occurring without visible social friction, Mr. Dunning said, "It is very hard to make pictures of economic trends here."

1972年から日本で働き、去って行ったCBSのアジア支局長、ブルース・デュニング氏は、日本は硬派の記事を売るために存在していた、という言葉に頷いた。
また、彼は概して些細な、明白な社会的軋轢を伴わない偶発的な変化が日本にあるとしても、この国の経済的な趨勢はとても厳しいものを描くことになると言った。

Over lunch at the press club, where most of the diners were nonjournalist associate members, Naoyuki Shinohara, the spokesman of The Finance Ministry, said he was startled by the change.
Returning to Tokyo recently after several years in Manila, he concluded: "I guess we are not the rising sun anymore."

財務省報道官の篠原尚之氏は、数年間のマニラ勤務後に帰国した際の変化に驚かされたという。
「我々はもはやライジング・サン(rising sun)ではない」と彼は締めくくった。

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