12/31(Hol) | ライレイ・ビーチへのエクスカーション ホテルでの夕食会(無料) |
宿泊先 | Aonang Cozy Place / US$190 (19,760JPY) per night |
[booking sites for you /agoda.jp Booking.com (英語・日本語)] | |
諸費用 | ロングテールボート(往復): 200B=640JPY |
関連サイト | アジア総合リンク タイ クラビとピーピー島 |
昨夜のバーン・バンダレイ・ホテル(Baan Bandalay Hotel)でのバトルで疲れ果てたので、今日はのんびりと過ごすことにした。
当初の予定では、ロングビーチ(Had Yao)にいるジョニーさんやPharmさんと、どこかのビーチで合流するというプランもあったのだが、今回のホテル予約を巡るトラブルでそれどころではなくなってしまった。
それに、夕食をともにするということになると、それぞれがタクシー代(往復で3,000バーツ=9,600円)を負担し合って落ち合うことになるので、あまりに不合理だろうと、また、お互いの今後も会う機会があるので、今回無理に会うこともないだろうという結論になった。
ところで、今回のホテル予約トラブルだが、朝方、iPhone 4でメールチェックをすると、早くもアゴダ(agoda)のカスタマーサービスから返信が来ていて、宿泊予約に関して調査を開始するとあった。
それでもバーン・バンダレイ・ホテル(Baan Bandalay Hotel)のフロントマン、ウィー(Wee)は今日の10時にホテルへ来れば金を返す、と言っていたので、念のためにそこへ行ってみることにした。
ところが、彼は不在で、代わりに在席していた女性スタッフは、私の顔を見るなり、口をパクパクさせながら、「アゴダ(agoda)が金を返す、アゴダ(agoda)が貴方のクレジットカードに金を返すと言っている。」と叫んだ。
最初はまた嘘をついているのかと思ったが、iPhone
4を立ち上げてメールをチェックすると、その通りになっていた。
私は心の中で喝采を送った。「Agoda, good job!」
すべての懸案が片付いてホッとした私は、ビーチ沿いの通りにあったツアーブースで明日の空港行きのミニバン(200バーツ=640円)を予約し、そのままロングテールボート(long
tail boat)の乗り場からライレイ・ビーチ(Railay Beach)へ向かうことにした。
アオナンビーチ(Aonang Beach)からライレイ・ビーチへ向かう途中の景色は抜群で、思わず何枚も写真を撮ってしまうほどだった。
ビーチに着くと、さっそくビールを買いこんで日光浴、目の保養になるような女性も多く、昨夜のバトルの疲れは完全になくなるほどだった。
ビーチで読もうと持参した雑誌も読破、何だかんだと5時間も滞在した私は、久々にリラックスした時間を過ごせたような気がした。
やはり、バカンスとはこうあるべきで、できることなら昨夜のようなトラブルは御免蒙りたいところだ。
ホテルに戻り、シャワーを浴びて再び外出しようとすると、ホテルのスタッフから「夕食は無料だよ」という声がかかる。
そんなことは全く知らなかった私、軽く食べてから出ようかと思ったら、違うテーブルに1人で座っていた人が日本人だとわかり、同席して盛り上がる。
そのうちマレーシア人の一家が話しかけてきたりして、思ったよりも長時間いることになった。
最初は大晦日の夕食が1人というのも味気ないかな、と思っていたが、思わぬ幸運に感謝、同席した前田さんとは近くにあったビアバーにも行ってみた。
ただ、クラビはこういうところも健全なのか、あまり積極的なアタックもなく、普通にタイ人の女の子と飲むだけ、という感じのところだった。
そういうところなので、彼女たちも英語はほとんど話せず、バンコクやプーケットのようなわけにはいかなかった。(苦笑)
大晦日のホテルでの夕食会 (New Year's Eve complimentary dinner party in Aonang Cozy Place) |
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最後はせっかくなので、アオナンビーチ(Aonang Beach)でのカウントダウンを見に行くことにした。
夜の11時過ぎからランタン(lantern)が次々に上がり始める。
ほとんどはタイ人が打ち上げているのだが、お祭り好きな欧米人は自らもランタンを打ち上げて仲間で盛り上がっている。
花火が打ちあがるのは本当にカウントダウンが始める数分前からで、それでもビーチには人が入れるスペースがかなりあった。
ビーチ沿いの通りにも人が溢れていたが、2011年のバンコクのカウントダウンに比べればはるかに整然としていた。
いろいろあったけど充実していたクラビ(Krabi)でのリゾートライフも今夜で終わり、あとは帰国を残すだけとなった。