ロゴをクリックすると「横浜ベイスターズ公式サイト」に繋がります。 |
横浜ベイスターズ・セリーグ制覇の瞬間(1998年10月8日) |
横浜がセリーグ制覇を目指して勝ち続けていたとき、日程のほとんどがホームゲームしか残ってないのを見て私はまさか唯一とも言えるロードゲーム、しかも熱狂的な阪神の応援で知られる甲子園で決まるとは思ってもいなかった。 この年は前年の2位躍進の余波もあったが、充実した”マシンガン打線”に驚異の守護神、佐々木大魔神を擁するベイスターズがまさかの快進撃を遂げた年でもあった。 ほとんどの横浜ファンが20世紀中の優勝を信じてなかったのだから・・・ 正直、嬉しかったね〜毎年のように横浜銀行とか言われてたチームが・・・ でも残念ながらこのセリーグ制覇の瞬間は家のテレビで見ていたのだ。 そして、9回の阪神の攻撃、2アウトとなって迎えた打者は新庄だった。 もはや大魔神ならこの回で終わると確信していた私は思わずラジオもつけて記念の瞬間を録音までしたのだ。 で、最後のラジオ実況中継を・・・アナウンサーも興奮の坩堝の中!って感じだったね〜 「記録王の佐々木を、魔神を大きな大きな歓声の中、甲子園球場は左半分が、と言うよりほとんど阪神ファンも手を叩いて球場全体がベイスターズファンと化しています!4対3とベイスターズ1点のリード!38年ぶり悲願達成まであと1球になってまいりました!甲子園2アウトランナー1塁、バッター新庄、ボールカウントは2−3、第6球を投げた!空振り三振!ベイスターズやった!38年ぶりの優勝だ!佐々木、谷繁抱きついた!選手があっという間に・・・ああ斉藤隆が行った、野村が行った・・・」 この感動、私が生きている間にもう一度あるのだろうか? |
長かった38年−ついにセリーグ優勝果たす 対阪神(甲子園)<日刊スポーツ> |
権藤監督はじっと涙をこらえ、ゆっくりと選手の和の中に消えていった。1回2回3回…。5回宙に舞う。両手の人さし指が数字の「1」を作っていた。 それが就任1年目の優勝のあかしだった。 「言葉では言い表せない。夢のようだ。選手の力は素晴らしい」 最後まで”権藤流”を貫いた。送りバントは投手以外に命じない。この試合で動いたのはたったの一度。8回表2死満塁で進藤が打席に入るとき、珍しくべンチを出て「お前しかいない。振りまくれ!」と気合いを入れただけだった。 そのゲキがきいたのか、2−3のフルカウントから進藤の放った打球はきれいにライト前にはずんだ。 「これで決まったと思った。大変な場面で打席に入るなと思ったけど、自分は運がいいんだと言い聞かせました」と進藤は興奮する。 日立たない8番バッターが優勝をたぐりよせる一打を放ったのが、今年の横浜”マシンガン打線”の象徴だった。 そして最後は大魔神の登場。甲子園は一種異様な雰囲気につつまれていった。 先頭の浜中にヒットを許したものの、佐々木は動じない。冷静に谷繁とサインを交換し、続く大豊、和田、新庄を三者連続三振に斬ってとった。 38年ぶりの歓喜。全力で走ってきた谷繁を受け止めると、佐々木の目は涙でにじんでいた。 「今日ぐらいは泣いていいだろう」。これまで恩師の教えを忠実に守って笑い続けてきた佐々木が、初めて許した涙の解禁の瞬間だった。 選手に細かいことを言わず、選手自身が戦うことで成長と栄光を掴むと信じる指揮官。 そしてその思いに見事に応えた選手たち。新人監督のリーグ制覇は12年ぶりのことだった。 ビールかけで一番の被害にあったのは権藤監督だった。 |
[国内旅行記の目次に戻る] |