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私たちはベイスターズがセリーグ制覇をしたときから日本シリーズを見ようと決めていた。 しかし、チケットの売り出しが始まったときから電話予約センターは全く繋がらず、球場での販売チケットをゲットしようと休暇を取って早朝から並んだ。 でも甘かったんだよね〜こういうときは徹夜が常識みたいだから・・・ そしてやっと取れたのが第6戦の3塁側、要はビジターサイドの西武ファンが座る席なんだが、世の中は何が幸いするかわからない。 巨人戦や阪神戦と違って、横浜のホームゲームの西武戦に西武ファンはほとんどいなかったし、この試合が日本一の決定試合だった。 40年に1回優勝するかしないかのチームの日本一決定試合を見れた! 劇運としか言いようがないではないか! まして大魔神・佐々木主浩(ささき かずひろ)は現在、現役の大リーグ(Major League)の選手(Seattle Mariners)だ。 もはやこのときの興奮を味わうことは、もうできないかもしれない。 |
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試合開始前のスタンド風景 | スタンドで応援するカルロス |
大魔神、佐々木登板 | 日本一の瞬間 |
愉快なベイスターズファン−実は地元の悪友たち | 試合終了後の記念撮影 |
横浜ベイスターズ日本一の瞬間(1998年10月26日) |
ついにやった!地元で歓喜の胴上げ!選手とファンが1つになったベイの夜 日本シリーズ第6戦 横浜2−1西武 <日刊スポーツ> |
権藤監督が舞った。10度も舞った。 その10度の爆発が、38年ぶりのみんなの喜びを表していた。横浜、悲願の日本一! 今季、開幕戦を完封で飾った川村が満を持しての初マウンド。序盤、何度かのピンチを切り抜け、尻上がりのピッチング。西武・西口か第1戦KOの屈辱を晴らす粘りの好投の前に、マシンガン打線も沈黙。双方譲らぬぬまま、8回横浜は2死一、ニ塁で”満塁男”駒田か歓喜の2点タイムリー。最後は佐々木で栄冠を手にした。 西武ファンは左翼の一画、ほんの2〜300人。3万人にふくれ上がった球場全体がハマ・フィーバーで揺れ動いた。 これはもう、地喝りのような迫力だった。 8回、1死から波留が四球、続く鈴木尚のニ塁ゴロが併殺を焦った高木浩の野選を誘い、一、二塁。この野選の判定を巡って、西武・東尾監督は「タッチしてるじゃないか!」と、猛抗議。塁審は「体はランナーと接触したが、ボールを持ってるグローブは触っていない」と突っぱねた。 見るからにガックリと肩を落とす西口。際どい判定だった。 次打者は駒田だ。第5戦で満塁V打を放ち、”満塁男”面目を取り戻して、波に乗る。ローズが倒れ、2死一、二塁から西口の投じた高めから沈むチェンジアップを逃がさなかった。ポールは右中間フェンスを直撃、あと1メートル飛んでいればスタンドインという走者一掃の2点二塁打。初めて「0」の並ぷスコアボードに「2」が刻まれる。 テープが飛び交い、ウェーブが揺れる。二塁べ−ス上ではガッツポーズの36歳・駒田。「うまく打てた。打った瞬間、ホームランになるかと思った」。 もう38年ぶりの悲願が決まったような熱狂。両監督とも、それぞれ思いを込めた先発投手の起用だった。 横浜は本来なら第3戦に投げた三浦の予定だった。権藤監督も悩んだ。四球を連発してKOされた三浦に、ワンモアチャンスを与えるべきか、それとも勝ちに行くべきか。権藤監督の選んだ「カード」は、シーズンの開幕投手と同じだった。権藤監督の目には、「ローテーションの柱」としての川村が映っている。シーズン後半は未勝利。それでも権藤監督の胸の中に「先発候補」からは一度も消えていなかった。 東尾監督の決断も周囲を驚かせた。第1戦の不甲斐ないピッチングに、自己管理不足で風邪まで引いてチームのムードを低下させた西口を、あえてこの試合にぶつけてきた。 「エースが1勝もできないようなシリーズだったら、勝てるわけがないよ」 こんな両監督の思いがグラウンドで交錯するように、このシリーズ初めての投手戦が展開された。エース同士が一歩も譲らない。 9回、最後は大魔神・佐々木だ。2試合に登板したとはいっても、シーズン中のあの切れ味はいまだに不発。しかし、最後の高鳴る動悸はいくら抑えようとしても全身の筋肉は固まるばかり。2点リードの登板なのに、遠くて、長い1イニングだった。 大塚に三塁打を浴び、1死一、三塁から野選で1点を失う。同点、さらに逆転の悪夢もちらつく。だが、最後は146キロの直球がうなりを上げて代打・金村のパットに食い込み、打球は二塁手・口ーズの前に転がる。併殺プレーが完成する前に、大魔神は天を仰いでいた。 |
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