未来へのシナリオ

【2004年2月29日掲載】


Newsweek Japanのコラム"On Japan"の寄稿者の一人、日本の証券投資を専門とする資産運用会社アーカス・インベストメント(Arcus Investment, a London-based money management company)の共同創設者であるピーター・タスカ(Peter Tasker)が「不機嫌な時代−JAPAN2020という本を出したのは1997年1月、今から8年前のことである。

この中で彼は、「繁栄と衰退の不思議なメカニズム」に対する分析を「再分配連盟(redistributional coalition)」という言葉で行ったエコノミストであるマンクール・オルソン(Mancur Olson)を紹介している。
この再分配連盟というのは、「一つの社会構造が長くつづくほど利害団体の数が増え、発言力も大きくなり、イノベーションを妨害して、経済のなかのフローを自分たちの懐に移転する者」のことを指し、具体的には業界団体と労働組合、中でも補助金、関税、特別減税、あるいは新規参入を妨害するさまざまな規制によってメリットを受けている者はすべて再配分連盟の一種と彼は定義している。
しかし、彼に言わせれば、「再配分連盟をつくるのは簡単ではないということである。かなり長期間の繁栄と安定を必要とする。したがって、戦争、侵略、革命といった混乱を経験した国には、こうした連盟は少なく、発言力も弱い。」
この論で言えば、20世紀初頭に繁栄し、第二次世界大戦に巻き込まれなかった、当時は経済大国と言われた南米諸国、例えばアルゼンチン、そして今の日本がこれに該当すると言われるゆえんというわけだ。
従って、イギリスの経済紙であるフィナンシャル・タイムズの記事(Risky tango in Tokyo=日本語訳付)やフォーブズ東京支局長のベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)の言う、「日本がアルゼンチンのようになるのではないか」という論旨はあながち的外れなことではない。

もはや日本は再分配連盟の数が多すぎて変革を期待できるレベルを超えている。
ならば自分が変わるしかないのだ。

ピーター・タスカはその著書で「日本の近未来(2020年)」を3つのシナリオで論じてみせたが、これは日本国の主権者たる国民の近未来像でもある。
1997年に彼が論じた近未来を自分の未来にあてはめたとき、今取るべき行動が明らかになるであろう。
そして、何もしないで無為な時間をただ漫然と過ごした自分の将来も・・・

アーノルド・シュワツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)演じる映画ターミネーター(The Terminator)の中でこういうセリフがある。

The future is not set. There is no fate but what we make for ourselves.
「運命なんてものはない。未来は自分でつくるもの!」

何も考えていない人たち

私の感覚では日本人の最大勢力がこれに該当する。
おそらく国政選挙での棄権率が常に4割を超えていることからも、多くの意思決定をするべきシチュエーションにおいて何ら建設的な意思表示をせず、批判ばかりするか、何もしない人たちの割合は相当あるように思える。
つまり、自分の価値観を持つことをせず、他人に(上司や周囲の暗黙の圧力により)自分の時間を支配され、他人(政府や企業など)を非難する割には自分で何をすればいいのか全くわからないか、いい訳をして実行しない人たちがこのカテゴリーに入る。
口癖は「そんなことは私にはできない」「そんなことをしてどうなる」「私には時間がない」「いずれそうするつもりだが、今はそんなことを考える余裕がない」というレベルだ。

今までなら「何も考えていない人たち」でも他人、つまり政府や所属する組織(企業など)の言うなりにしていれば幸せな将来が保障された。
むしろサラリーマンは「人(上司)の言うなりになること」を強制され、それを部下に伝承することが幸福な会社生活を送る上で重要な使命とさせられていたと言っても過言ではない。
要は、英字紙"Japan Times"がいう、「終身雇用制度(lifetime employment system)とは、生涯にわたって従業員を雇用するシステム、これは従業員の企業への全面的忠誠と引き換えに定年までの雇用が保障されるとしている。 (Shushin-koyo is the lifetime employment system. Employees are guaranteed employment until retirement age in return for their absolute loyalty to the company.)」からも言えることだ。

でも、そのような人たちはバブル崩壊後、時代の流れに翻弄され、擬似母とまで信頼を寄せていた政府や組織(企業など)には裏切られ続けている。
歴史的に見ても「しがみつく人たち」より「何も考えていない人たち」の方に敗残者が多いのは自明の理である。
そんなあなたはピーター・タスカのいう「中村義男」となるのだろうか?

そして、かつての大リーガー、ジョー・ディマジィオ(Joe Dimaggio: 1914-99)はこうも言っている。
やりたいことや起こって欲しいことを考え続けるばかりなら自分でそれをやりもしないし起こりもしないだろう。(If you keep thinking about what you want to do or what you hope will happen, you don't do it, and it won't happen.)


ピーター・タスカの描いたシナリオ−大逆転
■前提
はじめのうちカエルはゆっくりと煮える。やがて湯が煮立ちはじめるが、そのときにはカエルは狼狽のあまり逃げることができない。
衰亡に向かっていることにみんなが気づけば、たいていはそれを食い止めるための手を打つことができる。ところが、きわめてゆっくりと衰亡に向かうとき、それは見えないところで進行する。
現状に満足し、リスクをきらい、混乱に直面しても受け身でこれにあたり、やがて、主要な機関・組織の中でアカウンタビリティとフィードバック機能が働かなくなる。衰退を阻止することにだれも直接的かつ強い関心を示さないから最悪のシナリオが現実のものになる。
再配分連盟側の連携が強すぎて身動きがとれないのである。
2020年12月26日

シンガポール系の玩具工場で働く中村義男は、きょうも忙しい1日を終えたところだった。
12時間におよぶ流れ作業の工程についていたあとなので、精神的にも肉体的にもくたくたで、3年以上勤続の社員に会社から支給されるおにぎりにも手をつけず、そのまま自転車をこいで会社の寮に向かった。
すでに暗くなっていたので、近道は避けることにした。近道を行けば、ここ数ヶ月間ベトナム系と中国系のギャングが撃ち合いをくり返している地域を通ることになるからだ。
このところ警察は、この騒動を漠圧することをほとんどあきらめてしまっている。去年、北京マフィアの大物が警察の検問中に撃たれたことがあった。結局、日本政府は事件にかかわった警官たちを中国に引き渡さざるをえなくなった。彼らは台北に送られ、秘密裁判にかけられた末、サッカー場で処刑された。数百人の売春婦、麻薬中毒者、政治的「扇動分子」らといっしょに銃殺されたのだ。

コンクリート造りの寮のまわりは、番犬を連れたガードマンがパトロールしている。
寮に着いた中村は、自転車を置くと、入口のセンサーに指紋を押しつけてから中に入った。すでに数人が列を作って入浴を待っている。中村はまっすぐ四畳半の畳敷きの自室に行き、焼酎をコップについでテレビをつけた。このテレビは10年近く前のもので、しばしば映りが悪くなるうえ、今では日本の領土のいたるところに侵入してくる韓国や中国やシベリアの衛星の電波にしょっちゅう妨害される。そのうちもっと映りのいいテレビを買おうと思うが、最近カットされた賃金が元に戻るまでは無理だろう。

目下のところ、背中の手術のために借りた医療費の返済で手いっぱいなのだ。あの手術をしなかったら、二度と職場復帰はできなかったろう。職を失えば、今は使われなくなった上野駅の地下道に、ほかの落伍者や失業者といっしょに住むはめになる。そうなれば55という歳を考えると長くは生きていられないだろう。結核とかコレラとか悪性のインフルエンザとか抗生物質に対する耐性菌のせいで、毎冬何十万人という人間が死んでいるのだ。日本の一流大学をでた者がホームレスになる。かつては考えられなかったことだ。今ではだれもそんなことで驚きはしない。

中村の頼みの綱は両親だ。直接の金銭的援助は、残念ながらいまでは望めそうもない。両親はここ8年というもの、不動産業で破産した中村の兄と、離婚した娘の面倒をみているからだ。それに2017年の金融危機で蓄えの3分の1以上を失っている。

両親はすでに、ニュージーランドから輸入した本物の野菜や養殖でない魚を食べるというぜいたくはあきらめている。
それから、毎年行っていた九州への温泉旅行もがまんしている。いまでは、父が元勤めていた会社が経営する伊豆半島の民宿に出かけるのが精いっぱいだ。
いずれにせよ、たとえ中村のためにいくらかのカネを都合してくれたとしても、世代間の所得移転に今年度から80%の税金がかかるようになったので、大きな出費を覚悟しなくてはならない。政府は、拡大をつづける莫大な「双子の赤字」に四苦八苦しているとあって、新たな財源はないかといつもウの目タカの目でさがしているのだ。

中村があてにしているのは、それとはちがった政府の施策−新しく導入された自発的尊厳死計画だ。
たとえば中村の母親のような80代はじめの女性の場合、奨励金としてかなりの額が免税で支給されることになっている。人生の最後の2年間に医療費の3分の1を使うとあれば、財政的に見てこれは大いに意味のあることなのだ。
ただし、家族のためだからと、だれかが母親を説得しなければならない。これまで中村は、それを切り出す勇気がなかったが、ここ2年のあいだに、すでに一般家庭からかなりの申し込みがきているのだ。兄と父親と姪がいっしょになって状況を説明すれば、母親も納得するかもしれない。

テレビがニュースを流している。あいかわらず暗い話ばかりだ。犯罪、病気、食糧暴動、ますます居丈高に要求を突きつけてくる中国と韓国、ますます弱腰になる85歳の日本の首相の対応。同僚や友人の大半と同じく、中村もすでに10年あまり投票していない。大蔵省と松井グループが推す与党にも嫌気がさしていたし、通産省と建設省と住川グループが推す野党にもうんざりしていた。日本には強力なリーダーシップが必要だ。

伝統的な日本の価値をよみがえらせ、いわゆる「同盟国」の要求に対抗できるだけの人材が求められている。銀行家や輸入業者の暗殺といった手段に訴える新右翼の過激なやり方に同意するわけではないが、彼らの考え方には共感も覚える。面倒ばかり起こす外国人を街から一掃し、不毛な議論に明け暮れる政党を廃止し、職のないチンビラや暴走族をみんな軍隊に入れてしまうのもいいかもしれない。
それから何よりも、財政がこんなに逼迫しているからには、近隣諸国への「戦争に対する陳謝の借款」をぜんぶやめてしまうべきだ。貸したカネが戻ってこないことはだれもが知っているのだから。

チンビラのことを考えていて、中村は自分の息子を思いだした。いまごろ息子は、どこかで無抵抗のガソリンスタンドのオーナーに銃を突きつけているか、盗んだ車で警察の追跡をかわしていることだろう。
10年前に中村の妻が家をでていって以来、勇の素行は悪くなる一方だった。麻薬取引でしばらく刑務所に入っていたあと、中村は息子と完全に縁を切ることにした。
2年前に最後に会ったとき、テレビドラマにでてくるやくざのような服装をして、裸に近い格好をしたガールフレンドを連れていた。その娘は歯や眉やへそに宝石をちりばめ、広東語と英語とひどい日本語をミックスした妙な言葉をしゃべっていた。

とはいえ、中村の妻の再婚柏手がマフィアと関係のある中国人の商人とあっては、息子がまともになるのを望むほうがおかしいのかもしれない。中村にしても、自分がいま25歳だったら、どうなっていたかわかったものではない、と思ってしまうのだった。

ちらちらする画面に業を煮やした中村は、テレビを消して焼酎をあおった。こういった合成食品や合成酒は、はじめのうちこそ変な味だと思うが、すぐに何も感じなくなってしまう。
円が暴落し食糧価格が世界的に暴騰して以来、ぜいたくを言ってはいられない。
カットされた賃金が元に戻ったら、本物の酒を飲むつもりだが、それも週一回でがまんするしかないだろう。
風呂から上がって布団を敷き、横になって目を閉じた。それほど遠くないところで銃撃とサイレンの音がした。
耳栓をしているので、中村には何も聞こえない。
中村は豊かで若かったころのことをしきりに夢見ていた。

自分で活路を見出そうとする人たち

どんな時代でも稼いでいる人はいる。そうでなければ国家や組織の発展はない。
つまり、社会主義国が失敗したのは「稼いでくれる人たち」を育てるシステムでなかったことが原因だし、行き過ぎた福祉国家が失敗したのは「稼いでくれる人たち」を冷遇したことに原因がある。
日本では常に税制改革のたびに「金持ち優遇」の批判があるが、まともな思考の為政者なら「金持ち」が為政者の利益になることも、国家の発展の基礎となることも熟知しているからそうするのだ。
極論すれば庶民に対する政策は人心の安定にあるのであって、日本では庶民の所得の底上げを中心とする経済政策が世界一の奇跡的な成功を収めたことが「経済大国」への道を開いたのだ。

その世界的に成功した国に生まれたアドバンテージを生かせることを幸せに思い、それを自分の幸せにつなげるための努力を惜しまない人たちはデフレ不況下であってもたくましく生きているものだ。
事実、生まれた国が違えば、新ビジネスを立ち上げたり、投資をするどころか、スラムを裸足で駆け回っていたり、銃口に怯えて暮らしていたかもしれないのだから・・・

最近になって出版が相次ぐ、様々な「金持ち」指南本や「勝ち組・負け組」本は、そこに書いてあることを鵜呑みにする人間にとっては単なる有害図書に過ぎない。
なぜならそこに書いてあることは「他人の成功例」であり、「他人が切り開いた幸せへの道しるべ」だからだ。
つまり、そこから読み取れることはただ1つ。
「自分の価値観を持ち、自分の信念のもとに生きよ!そうすれば自ずと道は開かれよう!」ということだ。


ピーター・タスカの描いたシナリオ−デジタル元禄
■前提
「日本文化と個人主義」において山崎正和がたたえた「柔らかい個人主義」を再生させるのは、「動かす力」である。
危機は変化を生む。森の中と同じく、古いものが一掃されるまで新しいものはカを伸ばすことができない。
上からの変化はおそろしくのろい(おそらく上からの変化など不可能だろう)が、社会の周辺にいる女性や若者や失業者は、新しい環境に急いで適応するしかなかった。人間の創造力が組織や政治の制約から自由になったとき、急激な変化が起きることを歴史は示している。
シンガポール華僑の億万長者と中国本土の貧農とのあいだに、はたして本質的差違があるだろうか。中規模の生命保険会社で働く係長と、ヘッジファンドマネージャーとのあいだに、はたして本質的差違があるだろうか。
2020年7月4日

田中春子はきょうも忙しい1日をすごしたあと、麻布のアパートに戻った。けさの9時には、ウクライナから来たジャズの若いサキソフォン奏者にインタビューし、そのあとリニアモーターカーで福岡に行って若い人のあいだで人気急上昇中の、日本人とバリ島人とオーストラリア人からなるグループのランチタイムの演奏を聴いたのだった。
聴衆は、邦楽とガムランによる演奏を聴きながら、神と悪魔の神話上の戦いをバーチャルリアリティのゲームで体験する。この組み合わせには、妙にプリミティブな美しさがあった。春子は、このグループが北米と南米のツアーに出かける前に最後に国内で催すこの演奏会をどうしても聴き逃すまいと思っていたのだ。
芸術とエンターティンメントにおける最も注目すべき新しいトレンドの情報では、世界中の人々が春子を頼りにしていた。

東京への帰途、春子は、演奏会の批評記事を書いた。サウンドとビデオクリップに、グループのデジタル・グラフィック・アーチストヘのインタビューの抜粋を添えておいた。そのあと、ミラノのスカラ座でデビュー間近い日本の若いソプラノ歌手にオンラインビデオによるインタビューをおこなった。
最後に、麻布のアパートにもどると、今年上半期の直木賞受賞者(仙台在住の若いミャンマー人女性)に依頼した映画評論がコンピュータの中で待っていた。
それを急いで編集し、ここ2週間のあいだに集めた材料全部をフォーマットしてから、それを翻訳ソフトで処理する。数分後にはそれらが「田中エンターティンメント新聞」のホームページに現れるはずである。

春子はもう10年近く田中新聞を経営している。最初は趣味の域をでなかった−子どもたちが学校に行っている間の片手間仕事だったのだ。
だがたちまちにして彼女の時間のほとんどを要する本業になっていった。
今では太平洋経済機構全域の国々に10万人の予約購読者を持っている。各読者は隔週で更新されるニュースとオピニオンのダイジエストに20円払ってアクセスするので、彼女の年収は5000万円以上になる。かつて夕暮新聞の下っぱ記者だったころには考えられなかったことだ。

だが大きなちがいは収入だけではない。自分の考えを率直に表明する自由を手に入れたのだ。ジャーナリストを自称する保守的な中年男たちに支配される巨大な組織の中では、自分の意見をコンセンサスに合わせて調整しなければならなかった。
夕暮新聞は今でも日本の主流をなす最大の新聞だが、発行部数はこの10年間で半減している。主な読者は政府の役人か、オンラインの世界になじめない年寄りぐらいのものだ。
それでも春子は、苦しい日々だったが夕暮新聞にいたことをよかったと思っている。そのころにつちかった多くの国のミュージシャンやアーチストとのコネが、いまの仕事の出発点になっているからだ。

「田中エンターティンメント新聞」の最新版の作業を終えてから、春子はカクテルを作って、30分間は自分の資産の運用成績をチェックして過ごした。まず投資アドバイザーが毎週電子メールで送ってくる報告を読む。
アルゼンチンの電力債はまた値を下げたが、先月買ったロシアのインデックス先物がさらに5%上がっている。ベトナムの優良株も引きつづき好調だし、彼女が投資アドバイザーに頼んで作ってもらったインドのソフトウェア業種の株式に連動する「合成ワラント」もいい線っている。
投資アドバイザーはそろそろコモディティのポジションで利食ってもいいときだといっている。とりわけ天然ガスと半導体は大幅な供給過剰になっていてまた値崩れが起きそうだというのだ。
もう一つ彼が推薦しているのが、日本の大手電機メーカーが発行したジャンクボンドだ。これは債務不履行のリスクがあるが、それに見合うだけのハイリターンが期待できる。
春子は気が進まなかった。このあいだ、老舗の都市銀行がだした日本のジャンクボンドに投資したが、半年で投資額の5分の1損した。あれはうかつだった。
それにしても、近頃は資産を銀行に預ける者なんかいはしない。
自分の資産を銀行に使わせて儲けさせるより、直接運用したほうがはるかにいいのだ。資産を世界中のさまざまな産業に投資してリスクを分散することにより、春子はハイリターンを期待しながらトータルのリスクを少なく抑えることを可能にしていた。
今週は自分の金融資産にはなんの変更も加えないことにしたが、アルゼンチンの経済動向に関する最新情報を毎日報告するようアドバイザーに指示しておいた。

それからもう一杯カクテルを注ぐと、バーチャル書道教室の道具をそろえはじめた。先生は、ときどきとてもきびしくなるが、彼女が先週送ったものにあまりひどい評価がついていなければいいがと思う。いずれにせよ、夫の繁がラングーンから帰ってくるまでにすばらしいものを仕上げておきたかった。
それをディスクに入れて来週は北クィーンズランドのビーチハウスに持っていき、寝室の天井いっぱいを覆うスクリーンに使うことにしよう。五日間、夫といっしょにスキューバグイビングやホエールウォッチングや熱気球を上げて過ごすつもりだが、夜はずっと田中新聞に費やすことになるだろう。

ある意味では、夕暮新聞の平社員だったころよりはるかによく働いているのだが、そんな実感はない。いまでは自分の生活を自分でコントロールしているので、まったくストレスを感じないのだ。それに、かつての同僚はほとんどが50歳で定年退職してしまったが、春子にはもちろん定年などない。女性の平均寿命が90歳を超えたいま、まだ大人としての生活が半分は残っているのだ。

オンラインのへルスコンサルタントの忠告にしたがってこのままダイエットと運動を続ければ、田中新聞をこの先30年続けて1000号までだすのも夢ではないだろう。
夕暮新聞時代は忙しすぎて自分の趣味の時間などとても持てなかった。今では仕事が趣味だし、趣味が仕事なのだ。両者を区別することなどとうてい不可能だ。
書道の練習がおわったあと、スパイスのきいたベトナムの麺料理を作ってからベッドの支度をした。夫はミャンマーで医学の学会にでているし、末の息子はニュージーランドにスキーをしに行った。だから今夜は一人きりだ。ヨガを20分したあと、バスルームのプログラムをいまのムードに合った音楽、香り、コンピュータ・アートに設定してから、ジャグジーに身を沈めた。
しばらくして、目を閉じる。胸や太股を泡の刺激にまかせながら、月明かりの下、南半球のまたたく星と珊瑚海の波にもまれて裸で泳ぐ夫と自分を想像した。

しがみつく人たち

私も投資の世界に活路を見出すことができなければ、未だに「しがみつく人たち」の一人であったに違いない。
まだ完全に成功と言えるまでに至ってないので、失敗すればここのカテゴリーに戻ることも考えられないわけではないが、「しがみつく」大木がシロアリに食われて朽ち果てゆくのを見ながら、なお「しがみつく」というのを選択するのは自分が許せないような気がする。

ここのカテゴリーに入るのが公務員や各種団体職員、銀行員、ゾンビ企業の社員だけだなんて思ったら大間違いだ。
大前研一の「異端者の時代−現代経営考」によれば、日本の就業人口6300万人(当時)の87%はぶらさがりで国際競争力のない規制業種の従業者と断じているのだ。
それに子育てや介護という事情がない、完全無欠な専業主婦を加えたらいったいどのくらいになるのかゾッとするような数値が出るに違いない。

それでも自分が「しがみつく人たち」であることを自覚している人はまだマシだ。
自分がそうだから言うわけではないが、それを自覚していれば、「沈没船のネズミ」となって逃げることが可能だ。
でも自覚していない人、つまり「何も考えていない人たち」は逃げ遅れる可能性が非常に大きい。
中国の故事にいう「大寒にして裘(きゅう)を索(もと)む」とは、「寒さが厳しくなってから皮衣を探す。事が発生してからでは、あわてても間に合わない。」を意味するのだ。

ここのカテゴリーにいる人たちは、デフレ経済下では勝者となり得た。
つまり雇用が安定しているか、不安定になっても政府が支えてくれた人たちだからだ。
政府は低金利で資金を調達し、それをばらまくことができたからだ。
そんなことがいつまで続くか朝日新聞(2004.2.26-27)の「日の丸ファイナンス−巨大化の果てに」という記事を読んだらいいだろう。
正直言って、北海道と大阪府は個人で言えば優良銀行から相手にされず転落への道を歩む多重債務者と姿がダブッて見えた。
そうこうしてるうちにデフレの終わり、インフレがやってくるだろう。(2003年7月5日−「今日の一言」
デフレを退治できなかった政府・中央銀行が猛烈なインフレを防止するのはまず不可能だ。
ハイパーインフレ下になれば債務超過になっている組織は実質的に債務をチャラにできる。
しかし、そこに勤めている人たちは、「組織の債務軽減が先決」の大義名分のもと、インフレ下の賃金抑制に泣くことになるだろう。
そんなことになる前に「沈没船のネズミ」となれるよう気持ちを入れ替えることが必要だ。


ピーター・タスカの描いたシナリオ−長いさよなら
■前提
文化は経済に勝つ。日本文化の限界と性格は、もっとも政治的に強力なものによって「上から」規定される。
成長のエネルギーと退廃のエネルギーのあとに、エネルギー自体のゆるやかな崩壊がはじまる。社会・経済的エントロビー=情報の死。
人間社会ではより強力なテクノロジーを拒絶することはほとんどなかったが、徳川期の日本では武士の文化を維持するために鉄砲を拒否した。
平成の日本はサラリーマンの文化を維持するためにインターネットを拒否するだろうか。
2020年11月8日

その夜、原田課長は疲れきっていたので、会社が引けるとまっすぐに家に帰った。麻雀もカラオケも同僚と一杯やることもしなかった。
いつもどおり電車は混んでいたが、90分の乗車時間の半分をステンレスの柱に寄りかかってなんとかうたた寝することができた。そのあと20分バスに乗れば、彼が住んでいる2LDKの家に着く。
妻の冷子に風呂、めしとつぶやいたあと、倒れるようにしてテレビの前に横になった。

テレビではくたびれた中年サラリーマンのドラマをやっている。その主人公はいきなり奇妙な殺人事件に巻きこまれる。そして警察に知らせず彼自身が探偵になって謎を解く。その結果、横柄だった商社の同僚の専敬を勝ち取り、彼をバカにしていたOLたちが競って肩をもむようになる。

原田はこういった話が好きだ。世の中には彼と同じように泣かず飛ばずといった状態の人間が大勢いるという安心感を与えてくれる。
もちろん彼がそんなエキサイティングな「事件」に巻きこまれることはないだろう−毎日、毎月、毎年が、同じようにしてすぎていく。
しかしもしそういう事件にめぐり合えば、彼だってテレビドラマの50歳の課長のように華々しい活躍ができるはずである。

何年も前、原田が若かったころ、ケーブルテレビとかマルチメディアといったことがさかんに話題になったものだ。そういったビジネスはどれひとつとしてうまくいかなかった。要するに何百ものテレビのチャンネルとか、あるいはインタラクティプな経験などといったものを、だれも必要としなかったということだ。
ほかの人間と同じ番組を、同じ時に見たかったのである。番組の内容自体よりも安心感のほうがずっと大事だった。

あのころ、会社を辞めてソフトウェアを開発する小さなベンチャービジネスに加わらないかと誘われたことを思い出した。幸いにして、彼はそれを断るだけの分別を備えていた。
その結果、5年前に子会社に移るまで、20年間いまの会社で働くことができたのだ。子会社に移ってサラリーは25%減った。同期の人間にも同じことが起きている。

あの小さなソフトウェア会社はどうなったか。まったくわからないが、その会社に行っていたら、あれ以来彼が手にした安定した職場と社会的地位が得られなかったことだけはたしかである。とりわけ、取締役の姪と結婚して以来、彼は社内の重要な部署に移ることができた。何が起きても、この企業グループのどこかで働くことはできるだろう。

この会社は大きな企業グループに属しているから、何度かの経済変動でもグループの顧客と下請けをあてにすることができた。
前世紀の終わりに欧米や東南アジアの外国企業が安い輸入品をもって市場に食いこもうとしたこともあった。はじめはそれもうまくいったが、原田の会社が反撃にでてついには失ったシェアを取りもどしたのだった。必要とあればいくらでも価格を下げることによってそれを可能にしたのである。
むろんそのために赤字になったが、メインバンクと長期安定株主の支持があったためそれもたいした問題にならなかった。賃金カット、サービス残業、雇用凍結、徹底した合理化によってついに少額ながら利益を上げ、みんなの顔が立ったのである。

外国企業はしだいに撤退していった。この業界の極端な収益性の低さが、外国企業の経営陣と株主にとって受け入れがたかったからだ。外国勢を撃退するために何年かのあいだ赤字経営に耐えるというのは、みごとな戦略だった。日本企業はもはやテクノロジーでは優位に立てないが、「我慢」に関してはいまでも優位に立っていた。

これにはいうまでもなく副作用があった。原田の大学の後輩も含めて何人もの人間が過労死した。うまいぐあいに会社側は、その事実を家族と、それからむろんマスコミからも隠すことができた。それに当然ながら株価は低迷した。30年前の最高値の半値ほどでしかない。
それでも大半の主要銘柄とくらべればそれほど悪くはないのである。株価低迷のせいで、会社の年金基金は大幅に資金が不足し、定年退職後の生活水準が大きく落ちこむことは避けられない結果になった。
だが原田はこの点でもたいして気にしていない。どこでも同じなのだ。彼にとって耐えられないのは、自分だけが取り残されてほかが豊かになりうまくいくことだった。

しかしそんな気にさせられることは最近ではほとんどなくなった。なにしろ日本には、政治家とヤクザをのぞいて金持ちはめったにいない。
所得税の最高税率が80%になったとき、多くの金持ちは香港やハワイに行ってしまった。そのなかに2008年と2011年の景気後退を乗り切った起業家たちもいた。

5年後に、非居住者が日本の会社の大株主になることが禁じられたので、かれらのほとんどは銀行や商社に会社を売り払ってしまった。
原田はこの政策に大賛成だった。「12年体制」の発足以来選挙のたぴに与党に投票してきたのは、かれらが安定と調和という日本の真価を理解していたからだ。
原田が何よりも望んでいたのは、同じような人たちといっしょに、これまで食べてきたのと同じものを食べ、歌ってきた歌を歌い、これまでと似たような仕事をすることだった。
起業家とかそのほかの危険分子は、出る杭と同じく打たれるべきなのだ。

政府は世界のほかの国と大きく距離を保つという点でいいことをやってくれた、と少なくとも原田は思う。中国のコンピュータと韓国の自動車の輸入制限を彼は全面的に支持していた。
なんといっても国内の雇用を確保し業界の秩序を守ることが経済政策の最重要課題なのだから。

テレビや映画で見るかぎり日本の外の世界は原田にとって奇妙で危険なところだった。不法移民とその家族や外国人のトラブルメーカーをみんな2014年の「大掃除」で捕まえてしまったあとは、犯罪や蛮行が日本の街からほぼ完全に姿を消している。
内務省が発表した統計によると (原田は日本の役所のだす調査や報告をつねに信じている)、この15年間で犯罪発生率が減りつづけ、日本は世界でもずば抜けて「平和な」国になった。
リー・クアンユーの孫の厳格なリーダーシップのもとにあるシンガポールよりも平和なのである。

原田は一度もシンガポールに行ったことがない。なにしろ学生時代に使ったきり一度もパスポートを使っていないのだ。年に5日しか休みをとらず、休暇はたいてい同じ部の同僚と共に会社の保養施設ですごしている。そこでは毎朝パチンコをやり、夜は唯一盛り上がる話題−社内の権謀術数や駆け引きをさかなに飲むのである。「温泉芸者」によるストリップショーを見ることもある。これを原田はあまり面白いと思わない。女はたいてい40より60に近い年で、妻を思いだしてしまうからだ。

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