カルト(cult)とヤクザ(yakuza)が支配する国

【2004年7月19日掲載】


宗教法人とヤクザに共通するもの、それはNO税者(直接税を負担しない者)であるということだ。
経団連の奥田会長が消費税の税率アップにことのほか熱心なのは、国家財政の問題もあるが、合法企業だけがまっとうに納税(直接税)の義務を果たしているのに対し、彼らはほとんど直接税を払わずにすんでいることから出ていると言えなくもないのだ。
彼らから直接税を取れ!という血気盛んなごく真っ当な意見もある。
しかし、今の日本のように特定の宗教法人とヤクザが裏で国家を支配しているような国ではクーデタで軍事政権でも打ち立てなければそれは不可能に近い。
法改正は難癖をつけられて骨抜きにされるからだ。
私の友人の中には「消費税が一番公平な税制」と言う人もいるが、ほとんどの人はそうは思ってない。
消費税(付加価値税)のメリットが、観光客でも一時滞在者でも、いわんや非合法組織の人間からでも税金を取れるということを知らないからだろう。
その分、直接税の税率は抑えられ、自国民にとってメリットが出るというのが一般的な常識なのだが、日本の政治は先進国の常識からかけはなれたところにあり、自国民がメリットを感じることができないというのは不幸なことである。
それは今や「日本が法治国家でもなく民主主義国でもない」からだ。

私が最近読んでいる本の中でベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)が書いている3冊の本は日本という国がゾンビたちに巣食われている事実を明確に教えてくれたものとして強く印象に残っている。
未だに日本経済が不良債権問題から立ち直れないのは、バブル当時の政官財のエスタブリッシュメントがヤクザを使って甘い汁を吸い、その旨みがバブル崩壊によって失われた結果、ヤクザに貸し付けた多額の債権が焦げ付き、それを先送りに先送りを続けた結果が今の状態にあるという。
私に言わせれば、今の60代後半から70代で政官財マスコミの要職(管理職以上)にあった者は余生を刑務所で過ごすべきなのだ。(知性も責任感も失った白髪の貴族たち
そして、それができない今、私たちはいつの間にか彼らのツケを払わされ、財産を毟り取られ、江戸時代の農民のように「生かさぬように殺さぬように」の世界にあえいでいる。

最新刊は「泥棒国家(kleptocracy)の完成」、この中では政官財(ゾンビ企業)とヤクザがタッグを組んで国民を食い物にしているという要旨は過去の2冊と同じだが、この本では外国人ジャーナリストでさえ日本の政権与党である公明党が最大の非民主勢力であり、カルト教団である創価学会をバックボーンにしていると論じているが、日本の大マスコミがほとんどこれをタブー視し、オヤジ週刊誌や夕刊紙ぐらいしか論じないのとは対照的である。
つまり、特定の候補者を当選させるためにボスが信者に対し、無条件の投票を指示することが非民主的だとベンジャミン・フルフォードは言っている。
彼らは一宗教の信者というより池田大作の私兵と言ってもいいくらいなのだ。

2003年11月9日の総選挙で与党の勝利を伝える新聞記事が踊っていたとき、毎日新聞(*2003.11.11付)と日刊ゲンダイは、当選した自民党の小選挙区当選者168人のうち公明党支持票がなければ当選していなかった議員は81人にも上ると分析し、自民党の本当の当選者数は156人であり、本当であれば政権交代が実現していたかもしれない、と論じていた。
(*「比例代表で公明党に投票した人のうち61%が小選挙区で自民党候補に投票した」ため、この「公明党の比例得票数を単純に差し引くと」、こういう結果になるという)

そして、今回の参議院選挙でその傾向はもっと鮮明になったと読売新聞は報じている。(構造改革の深層
つまり、小泉首相の構造改革が、自民党の集票マシン(建設業を始めとする今でいうゾンビ企業群、地方都市の商店街、農林漁業従事者を組織化して特定候補者に投票させるようにしていたシステム)を壊滅させてしまったのだという。
このことが本当なら国民にとって喜ばしい兆候であるが、一方で見識も理念もない自民党候補者が禁断の実に手を出すことになったのが今の自公選挙協力の実態だ。
今まで選ばれていた議員たちは「自分自身が国政を担うのに相応しい人物だから選ばれているわけではなく、金(公共事業)を持ってくるから」という理由だったことが一番わかっているのだろう。
俗にいう「金の切れ目が縁の切れ目」というものだ。
ましてや「猿は木から落ちても猿だが、議員は落ちればただの人」というのは日本の議員の資質をよく表している言葉だ。

その落選の恐怖感から公明党・創価学会に臆面もなく支持者名簿を提供し、機関紙を取っていると持ち上げ、投票を依頼するために頭を下げた自民党候補者は数多いという。(”借り”が続く自民、政策譲歩の懸念−自公融合一段と深化
一般の、というか普通の感覚を持った宗教法人ならば、そんなことを頼まれても自らの教義を理解しているか、とか教義に理念と行動が合致しているかを確認してから支持するかどうかを決めるものだが、あるいはその宗派にあらかじめ属してないと支持しない場合の方が多いと思うが、創価学会はそうではないらしい。
「金と権力」のためなら悪魔とも手を結ぶ、というのが理念なのか、創価学会批判の急先鋒に立っていた島村宜伸・元農水相すら謝罪を条件に前回の総選挙で協力したというから開いた口が塞がらない。(東京16区での彼の得票は80,015票、次点の民主党候補の中津川博郷の70,189票との差を考えれば、公明党の協力がなかった場合、逆転は十分に考えられた)
従って、そういう形で公明党支持票を取り込み当選した議員はもはや公明党・創価学会の指示に逆らうことができようはずもなく、今や衆参両院合わせるとゾっとするような数の議員が特定の宗教法人のコマンドとして働くようになったと言えるのだ。

ちなみにオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件後の1995年7月、山崎拓国対委員長(当時)は、「新進党は創価学会が主力の政党。万一、新進党が次期衆院選で勝てば、一大宗教政党が日本を牛耳ることになりかねない」「新進党は宗教政党、創価学会の党だ。当選すれば天国、落ちれば地獄で、一種のアヘンだ。新進の候補も入信しないとやっていけなくなる」と言っていたのが今や自民党がそうなっているのは冗談にもならない。
さらに、加藤紘一政調会長(当時)は、「新進党は小沢一郎幹事長が強引過ぎて批判を受けたが、最近は市川雄一政務会長の強引さ、背後の宗教団体の強引さに警戒を持たなければならない。宗教団体が政治を仕切るようになったら、日本も危ない」と言った。
もしかして彼らがその後、スキャンダルに見舞われ、選挙で苦戦するハメになっているのは創価学会批判のせいなのか?

その連鎖を断ち切るためには自公協力のもとで立候補した自民党議員を落選させ、協力は無意味だと悟らせることだが、その可能性は今回の選挙結果を見る限り一段と低くなったかもしれない。
言うまでもなくあまりの棄権者の多さによるものだ。
公明党の支持票というのは信者やシンパを除けばほとんどないと思うが、彼らはどんな悪天候でも投票には行く。
従って、投票率が上がれば彼らの支持候補は落選する可能性が高いが、投票率が低いと当選する。
つまり棄権という行為は彼らを利するだけなのだ。

そして、自公協力で自民党から立候補した人は一般の有権者から見ると今まで通りの保守系候補だが、公明党から見ると信者拡大の大きな目玉だ。
つまり、自民党の支持者名簿を拠出させた公明党がそれを創価学会の信者獲得運動に使うのは明白なのだ。
これは経験した者でないとわからないことだが、彼らの勧誘はマンションや英会話教材の電話セールスなど目ではないほど執拗だ。
手を変え品を変え、あらゆる方法で思わぬところから勧誘員(信者)が自宅にやってくる。
果たしてあなたは次々にやってくる勧誘員(信者)を断りきれるだろうか?

ところで、あなたは日本国憲法第20条の規定をご存知だろうか?

第20条 【信教の自由、国の宗教活動の禁止】
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

公明党は憲法違反の政党でないと言い切れるだろうか?
かの政党のバックボーンは言うまでもなく創価学会であり、公明党員は創価学会員であり、その学会は宗教法人の認定を受けている。
彼らは2つの団体は違うので政教分離の憲法規定に違反しない、という言い訳をするかもしれないが、今や公明党は政府閣僚を送り込む与党なのだ。
池田大作の指令一下、コマンドとしての行動を義務付けられた彼らは、明確に「政治上の権力を行使」することになる。
事実、宗教法人法がカルトに対して骨抜きにされ、アレフ(旧オウム)を始めとするカルト教団が大手を振って行動できるのも公明党の存在と無縁とは言えまい。

最後に私なりに棄権者に責任がない理由を類型化してみた。

ざっとこんなものだ。棄権者のうちの何%がこれに当たるのか?
これ以外で投票を棄権した人に私はバブル以降の歴代の政治家の本音(裏)のメッセージを捧げたい。

今まで応援(棄権)をしてくれてありがとう。
(面白くないことはやらないのが一番ですよね。わかります。その気持ち・・・)
現在、私どもの政党とそのシンパが国政の最大勢力を維持できるのもあなた方の(怠慢)のおかげです。
政治みたいな難しいことは我々プロに任せていただければ(我々にとって)悪いようには致しません。
皆さんはもっと仕事を(死なない程度に)してたくさん稼いで(貢いで)ください。
できるならば国債も買って(金を貸して)いただくともっとありがたいのです。(返せないかもしれませんが)
いつも本当にありがとう。(あなた方は世界一の貢くんです。)
そうそう公務員もリストラ・・・あなた方の言うこともっともですよね。
(検察庁・国税庁・裁判所・公正取引委員会・会計検査院・・・あんなに人いらないですよね。そうすれば私たちに噛み付こうなんて不届きな役人も出ないでしょうから)
さすがです。役人ももちろん減らしますよ〜(国民にとって重要で我々の邪魔になるところから)

むかついただろうか?
でもこれは私が「泥棒国家」の管理者たちの本音だと思うから載せたのだ。
誰も書かないし、誰も言わない。
これをそう思うか、私の戯言だと思うのは自由だが、自分の人生は他人がデザインできるものではないことだけは言っておきたい。
世界の国々には複数政党制や言論の自由なんてものすらない国が数多くある。
それを享受できる国に住んでいながらそれを放棄するということを繰り返していた結果がボツワナやアルゼンチンのことすら笑えない国に成り下がろうとしているのだ。

泥棒国家(kleptocracy)
クレプトクラシーは政権の1つの形であり、それは文学的な表現で「泥棒支配」を意味する。それはまた政治的腐敗の最終形態であり、そこには見せかけの誠実さも残っておらず、政府はその支配を永続かつ強化するためだけに存在する。
クレプトクラシーの元では国民はその実態を知らされることはなく、政府のなすがままにコントロールされる。

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