小泉政権が推進した「三位一体の改革」は究極の「海外逃亡促進政策」だ!
【2007年9月24日掲載】
小泉政権の目玉政策の一つに「三位一体の改革」というのがある。
これは、国と地方公共団体に関する行財政システムに関する3つの改革のことをいい、国庫補助負担金の廃止・縮減、税財源の国から地方への移譲、地方交付税の一体的な見直し、を指すもので、小泉政権のブレーンでもあった竹中平蔵元総務相も深く関わったもので、「地方に出来る事は地方に、民間に出来る事は民間に」という小さな政府論を具現化する政策として推進されていたものである。
ところが、この「三位一体の改革」の柱となる地方税(個人住民税)の徴税システムには大きな欠陥があり、それを是正しない限り、日本は「小さな政府」どころか「冷たい政府」に邁進する結果となる。
ちなみに、「冷たい政府」というのは私のオリジナルではない。
駄猫の時事放談というブログを書いているkayin(カイン)氏の造語で、彼は2007年9月22日付の「『冷たい政府』の国・日本の社会保障の財源議論」で、日本は「大きい政府」「小さい政府」というより、「冷たい政府」って感じがする、と言っている。
彼ばかりでなく、小泉・安倍政権下で推し進められてきた政策の元で、そう感じている人は多いだろう。
「三位一体の改革」は小さな政府論を具現化する政策と言われているが、どう考えても日本が「冷たい政府」と成り果てるような気がして、表題にも付けさせてもらった。
昨年、そして今年の6月と全国の市(町村)役所の個人住民税部門の窓口は、説明を求める人や抗議をする人でごった返した。
昨年は老年者控除の廃止と公的年金控除の縮小で、今年は三位一体改革の一つである地方への税源移譲(所得税は減税、住民税は増税)が行なわれ、それに付随して1999年(平成11年)に導入された定率減税が段階的に廃止されたために、住民税は2年連続で度肝を抜くほどに増税されたからだ。
ちなみに、これらの政策は2004年(平成16年)11月25日に政府税制調査会で答申された「平成17年度の税制改正に関する答申」に盛り込まれてあったものが順次実行されたものである。
今年7月の参議院選挙で与党が大敗する原因の一つがこの住民税の増税であったことは想像に難くないが、2005年(平成17年)9月の郵政解散選挙当時、自民党はマニフェスト(政権公約2005)に「サラリーマン増税を行うとの政府税調の考え方はとらない(公約009:歳出・歳入一体の財政構造改革を実現)」と書いていたのにもかかわらず、それらはすべて政府税調の答申通りに実行されたということである。
共産党機関紙「赤旗」によれば、当時の谷垣禎一財務相は、選挙に大勝した後の13日の記者会見で、増税も選挙で信任されたかのように発言したとのこと、こうなるのは火を見るよりも明らかだったのだ。
簡単に言えば「国民は小泉に騙された」ということなのだ。
市役所の窓口で「何で税金も何もかも上がるんだ!国が決めたって責任者は誰だ!」との怒声に、「小泉(前首相)です」と回答され、ふて腐れたように引き上げる市民の姿はこれを象徴している。
少しでも税金の知識がある人ならご存知のことだろうが、個人住民税は原則として1月1日現在で住民票(外国人登録)がある人に対して課税されることになっている。(地方税法第39条、294条、318条)
つまり、1月1日の時点で日本に住民票がない(海外居住者)場合は、地方税法第294条第3項の例外規定が適用されない限り、住民税は課税されない。
従って国際企業の海外駐在員や外資系の社員などは、外地へ赴任したり、逆に日本へ帰国するときはこの規定をうまく使って節税をしている人もいることだろう。
しかし、国会議員や閣僚がこの規定を不自然な形で使ったとなると問題である。
かつてその疑惑を取り沙汰されたのが竹中平蔵元総務相である。
事実、2001年(平成13年)8月17日・24日号の週刊ポストは「竹中平蔵経済財政相は“いかがわしい学者”か−住民税を払っていない疑惑」を、2002年(平成14年)11月1日号の週刊ポストは「竹中金融相・疑惑の取引−不動産売却と住民税逃れ」として彼のやり方を追求している。
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その後、彼の疑惑は2001年(平成13年)11月13日の第153臨時国会予算委員会で民主党の上田清司議員から、2001年(平成13年)11月28日の第153回臨時国会内閣委員会で民主党の細野豪志議員から、2002年(平成14年)2月15日第154回国会(常会)予算委員会で社会民主党の保坂展人議員から追求を受けたが、結果的に彼は何のお咎めもなく大臣としての任期を全うした。
雑誌社の追及も、2006年(平成18年)3月17日の平蔵がうごく!にもあるように2002年(平成14年)8月16日号の写真週刊誌「フライデー」の「竹中平蔵『デヴィ夫人より悪質な税金逃れ』」と題する記事に関わる名誉毀損訴訟で、2004年(平成16年)9月14日に講談社側が一審で敗訴すると、次第に尻切れとなったようである。
なお、この訴訟については日本大学名誉教授の北野弘久氏が住民税脱税犯における偽計行為という論文を発表しているが、いかに日本の司法が腐っているかは、私もエッセイ「司法が歪んでいく」や、2005年1月15日、1月29日の「今日の一言」に書いた通りだ。
そして、この竹中平蔵氏は第3次小泉改造内閣で総務相兼郵政民営化担当相に就任したが、所管大臣として地方税法の欠陥条項を是正することはなく、また野党もその修正を迫るということはなかった。
週刊ポストが書くように「法律や行政実務のほんのちょっとした知識と情報があるかないかで、キチンと税金を払う正直者と、そうでない者との明暗が分かれる税制こそ真っ先に改革すべきなのだ。」というのは正論である。
個人住民税は前年の1月から12月の所得に応じて、6月から翌年5月(サラリーマンは特別徴収により毎月払い、それ以外の人は普通徴収により年4回払い)にかけて払うという後払い方式を取っている。(地方税法第41条、313条、第320条、第321条の5)
これを宴会に例えて言えば、源泉所得税というのは宴会の会費を毎月積み立てて、宴会が終わった段階で清算するもの、個人住民税は宴会が終わった後で、出席者に請求書を送って払わせるようなものだ。
同じ額であっても、どちらが払ってもらいやすいか、考えるまでもないだろう。
私に言わせれば、個人住民税の徴税システムは終身雇用と年功序列賃金が磐石だった時代の遺物である。
要するに、高度成長時代は言うに及ばす、バブル崩壊以前の日本ではサラリーマンの給与は毎年上昇し、そのベースアップした賃金で前年のより低かった所得に応じた税金を払うという、いわば「住民税のゆとり払い」が機能していたからである。
自営業者の経営環境も今とは比べ物にならないくらいによかったハズだ。
今ではそんなことはあり得ず、転職は当たり前、自営業者の倒産は言うに及ばず、上場企業のサラリーマンといえども不本意にリストラされたり、成績主義の企業ならば前年より今年の方が賃金が低いなんてことも十分にあり得る話だ。
そうなるとどうなるか。
収入が下がって(なくなって)どうしようかと思案しているところに、前年ベースでの税金の請求が来る。
心穏やかでいられる人は少ないだろう。
彼らが住民税の通知書を見て、仕方がないと、すんなりと払うことができればいいが、通常は何とかしてくれと相談するか、激怒するか、放置するか、になるだろう。
当然ながら、これらはすべて徴税コストに跳ね返る。
滞納が増えれば、その解消のために金(税金)と労力(職員)を割かなければならなくなり、場合によってはコスト割れが生じることになる。
それでも役所は他の納税者の手前、回収しに行きませんとは言えないだろうからますます地方財政は悪化することになるだろう。
さらに徴税コスト割れが懸念されるのは、自民党税調が2007年(平成19年)度から課税を強化すると言っていた「フリーター(短期就労者)の住民税」だ。
これは小泉政権の絶頂期に提案された政策だが、おそらく原案のまま実施に移されたことだろう。
「フリーターへの課税漏れを放置すると、正しく個人住民税を納めている納税者との不公平感を一層助長する」というのは正論だが、彼らに税金を払ってもらうためにどのくらいのコストがかかるか自民党議員たちは試算したことはあるのだろうか。
そのコストは紛れもない税金なのだ。
フリーター課税、2007年から強化・・・自民税調方針 (2004.12.4 読売新聞) |
自民党税制調査会は3日、就労期間が1年に満たないフリーターやアルバイトなどの短期就労者に対する個人住民税の課税を強化する方針を固めた。 |
私が思うに個人所得税と住民税は一体化して支払うようにして、3割を国、2割を都道府県に、残りを市町村になどとすれば、今の制度よりはるかにわかりやすいし、より公平だし、徴税に携わる公務員も削減できて一石三鳥だと思うが、いかがだろうか。
これが実行できないのは誰が邪魔しているのか、と言いたいくらいだ。
今のままいけば、いずれ、住民税の徴収率悪化は社会の大問題になり、ニッチもサッチもいかなくなる自治体が続発するのは時間の問題であろう。
2006年(平成18年)10月24日の「経済財政諮問会議」で、菅義偉総務相は、「従来の地方交付税は不透明という批判が強いため、人口と面積で算定する新型交付税を平成19 年度から導入していきたい。当初は全体の1割程度からスタートし、新地方分権一括法を制定した後は、約3分の1程度をこの新型交付税で配分という仕組みを考えている。当面は「骨太2006」にもあるように、人口20 万以上の市の半分を目指す。これは総人口の約40%であるが、是非目指していきたい。」と発言、合意を得た。
これは、慶大教授の金子勝氏が言うように、少子高齢化が急速に進む地方にとっては死活問題となるだろう。
新型交付税の理念は理解できるが、導入は遅きに失したと言っても過言でない。
今や、高齢化の進む地方で主に農林漁業で生計を立てている人の後継者がいないことが一つの問題ともなっている。
彼らが鬼籍に入れば、そこから上がっていた税収もなくなるばかりでなく、農地は荒れ、治山治水もままならなくなる。
よりいっそう地方は逼迫し、都会に出て行った子供たちはますます寄り付かなくなるだろう。
選挙などで地方の田園風景をテレビが映すとき、農業従事者の大半が年金生活者かもしれない、と思うのは私だけであろうか。
一方で、黒字決算が続いているものの地方交付税の減額を考慮し、「財政危機宣言(2007年1月25日に財政再建スタート宣言に改称)」を早々に出した齊藤栄熱海市長は特筆に価する。
今は年間5億円程度の黒字が有るが、2007年(平成19年)度から補助金が1億2000万円減り、少子高齢化を控え、これまでのサービスを維持していくと財政破綻は避けられない、と彼は言う。
要は、市議会議員や市民に危機感を持て、と言っただけだが、これに対する反発が凄かったらしい。
齊藤市長の「財政危機宣言」が観光業に与える影響に対して懸念しているとのことらしいが、12月20日の熱海市議会では14対4の圧倒的多数で「財政危機宣言の撤回を求める要望決議」が可決された。
齊藤市長は撤回する意思がないことを表明したが、経済・観光団体などとともに宣言撤回を求めてきた熱海商工会議所の大野英市会頭は「議員の多くも宣言がもたらすであろう影響の大きさを憂慮、危機感を共有した。市長は我々の意をくみ早期の対応をお願いしたい」とコメントしたという。
バカ言ってもらっては困る。
夕張市のようになる前に対処するのが何がいけないのか、と言いたい。
市長に危機感を共有しろと言うなら「言霊(ことだま)」に右往左往するのでなく、数字を出して反論してもらいたいものだ。
熱海市長「財政危機宣言」−黒字決算続くなか、市議ら「パフォーマンス」 (2006.12.6 毎日新聞) |
熱海市の齊藤栄市長は5日、市議会全員協議会で「市財政危機宣言」を行い、「現状の運営が続けば近い将来に財政再建団体になる」と同市の財政の危機を訴えた。 これに対し議会からは、「パフォーマンスだ」との反発が起こっている。 観光関係者も「観光地としてイメージダウンだ。黒字決算なのに、なぜ今このような発言があるのか」と懸念を示している。 齊藤市長は市庁舎建設問題にも言及し、財政事情を理由に「小規模とし、着工も1年遅らせる」との方針を明らかにした。【鈴木道弘】 ■市庁舎建設「縮小し1年遅れで」 同市の財政は190億円規模で黒字決算を続け、2005年度は4億2800万円の繰越金を出した。 ところが、今月1日、国からの資金・特別交付税(特交)の1億2000万円減額が通知された。 交付基準が「大観光地の考慮」を外し、「住民数で行政経費算定」と、一般市並みに変更されたなどの理由による。 このため、同市は職員数など行政経費が20〜30%の水ぶくれ状態となり、過剰な行政経費分に対し特交資金が減額されることになった。 市財政部は、この減額や税収減などを考慮した今後5年間の財政見通しを、「現状の事業を続けたとすれば、年間11億円の財源不足」と説明した。これを受け、齊藤市長は「1月には財政改革会議を発足させて施策を考える」と表明した。 自民党議員団など市議らは「まず、市長自身が自分の信じる政策を示し、同時に削るべき事業などを指示すべきだ」と反発。宣言の表現の変更を桜井優助役を通じて求めた。 市役所内部でも「市長が決断すれば、国保税値上げ、事業削減や職員の早期退職などで十分対応できる状況」という。 「財政危機宣言」に、市観光協会の赤尾信幸会長は「観光にプラスになるイメージを作り出すのが市長の務め」と批判。 熱海商工会議所の大野英市会頭も「夢を売る観光地が“夕張と同じ”と誤解されては訪れる人もいなくなる」と不快感を表明している。 |
竹中平蔵の負の遺産「新型交付税」で島根、鳥取、徳島・・・は消滅危機 (2006.11.1 日刊ゲンダイ 金子勝の天下の逆襲) |
政府は先月24日の「経済財政諮問会議」で、「新型地方交付税」を2007年度予算で導入していくことで合意した。 新型交付税とは、自治体の「人口」と「面積」に応じて地方交付税を分配するというものだ。 これは、竹中平蔵前総務相が残していった負の遺産である。 そもそも地方交付税とは、中央官庁のヒモがつかない、地方が自由に使える一般補助金として配分されるものだ。 これまで、税収の上がらない財政力の弱い地方ほど厚く配分されるように運用されてきた。 ところが、自治省の交付税算定は複雑で恣意的だと批判されてきた。 その中で、1980年代に財政学者の一部が、交付税の配分は「面積」と「人口」にほば相関しているので、人口と面積で割ればいいと主張していた。 つまり、この新型交付税は竹中前大臣のオリジナルではない。 問題は、1980年代はまだ人口が減らず安定していたが、現在は人口が急激に減少していることだ。 新型交付税をそのまま実施すると、面積が小さく人口が減少している自治体はひとたまりもない。 たとえば、鳥取、島根、徳島、佐賀、長崎といった県は潰れてしまうだろう。 少なくとも、自治体はまともなサービスを提供できなくなる。 しかも、交付税の減少は一過性ではない。 人口が減少すれば交付税の削減が続くから、高齢化や過疎化に直面している自治体ほど、真綿でクビを絞められていく。 その結果、東京や名古屋への集中が進み、地域間の格差が猛スピードで拡大していく。 安倍政権は、再チャレンジなどと言っているが、これでは格差は拡大する一方だ。 大都市に住む人々は、地方の実情を知らないまま「俺たちの税金を地方にあげるな」との大合唱に乗っている。 しかし、やみくもに地方交付税を削っていけば、地方に住む高齢者は介護や医療も受けられなくなっていく。 やがて国土は荒廃し、農産物の自給率が下がり、治山治水もままならなくなる。 大田弘子経財相は、竹中前総務相の言われるままなのかもしれないが、何も知らない子供に機関銃を与えることほど怖いものはない。 このままでは、地方は機関銃に撃たれて皆殺しだ。 |
誰かがフト言ったことがある。
住民税が上がったのなら行政サービスもよくなるのか。
その答えはおそらくNOだ。
ほとんどの人は納得できないだろうが、定率減税の廃止という理由を除けば、今年の住民税の値上げの理由は単に金の流れが変わったことによるものに過ぎないからだ。(総務省−国から地方への税源移譲(三位一体の改革)
例えば国と地方に合計で3万円の税金を払っていたとしよう。
昨年までなら国に2万円、地方に1万円で、国は2万円受け取った中から地方交付税として1万円を地方に渡していた。
それが今年からは国が1万円を受け取り、地方が直接2万円受け取るようなシステムに変わっただけだ。(地方交付税は三位一体の改革によってなくなったわけではないが、物事を単純化するためにあえてこうしてある)
ところが、このシステムの変更には2つの重大な問題がある。
一つ目はグローバリゼーションによって人が国境を超えて容易に行き来するようになったことによるものだ。
今や国際企業の社員が4月から9月までの半年しか日本にいない、OLが3月に退職して海外留学する、そんなことが頻繁に起こり得る時代となったのだ。
平たく言えば、個人の源泉所得税は「外資の渡り鳥くん」の場合でも日本にいる間の分だけキッチリ取れる。
個人住民税はそうはいかない制度的な欠陥構造を抱えている。
今の時代は「外資の渡り鳥くん」の半年分の給料が、国内企業に勤める社員の1年分を超えることはザラだ。
要は、「三位一体の改革」により、所得税が減税され、住民税が増税されたことは、「外資の渡り鳥くん」にとって得したと言えるのだ。
なぜなら彼らは地方税法上、住民税を払わなくてもいい年もあるからだ。
ところで、 「外資の渡り鳥くん」が住民税を払わなくていいと仮定した場合、先ほどの例でいくとどうなるか。
昨年までなら国に2万円、地方はゼロ、国は2万円受け取った中から地方交付税として1万円を地方に渡していた。
それが今年からは国が1万円を受け取り、地方はゼロのままとなるわけだ。
そして、「外資の渡り鳥くん」は1万円の減税となるわけだ。
二つ目は自営業者や年金生活者の方のほうがよくご存知だと思うが、住民税が上がるということは、それをベースにして計算される国民健康保険料(税)や介護保険料まで上がるということだ。
住んでいる自治体によっては上げ幅を緩和するようにしているところもあるようだが、それでも全く上げ幅がゼロということにはなってないだろう。
それに行政サービスの中には住民税の額によって差をつけているものもある。
住民税が上がれば昨年までは受けられたサービスが受けられなくなることだってあるだろう。
このように、小泉政権の「三位一体の改革」は「外資の渡り鳥くん」にしか有利になってないようだ。
それで、彼らが得した分、誰が損したのか。
誰が将来彼らの穴埋めをするのか、あるいは誰が割りを食うのか、と言い換えてもいい。
普通の国なら、外資系企業を誘致するために優遇税制を取ることはある。
あるいは事業を興して自国民を雇ってくれた外国人に投資ビザを発給する国もある。
これは取りも直さず自国民の雇用を増やすための政策である。
しかし、「外資の渡り鳥くん」に減税して、国内定住者に増税することによって日本は何か得るものがあるのだろうか。
ところで、予算編成の時期に新聞を読んでいてフト気が付くことはないだろうか。
なぜ、福祉や教育予算を組むときだけ財源が問題になるのか。
政府開発援助(ODA=Official Development Assistance)や米軍に対する思いやり予算を組むときに財源が問題になったことがあるのか。
もうおわかりだろう。
私が表題に「冷たい政府(unkindly government)に成り果てる日本」と付けた理由が・・・
誰が政権を取ろうともこのような欠陥構造を是正しない限り、「格差の是正」なんて夢の夢だ。
なぜなら小泉政権が推進した「三位一体の改革」は究極の「海外逃亡促進政策」だからだ。
最後に私の敬愛するピ−ター・タスカ(Peter Tasker)が1997年(平成9年)1月に出した不機嫌な時代(Japan 2020)から日本の近未来のコラムを紹介しよう。
このコラムはすべてで3つあり、エッセイ「未来へのシナリオ」でも紹介しているが、自国民としては悲しいことだが、どう考えても最悪のシナリオしか想像できない。
これを見てどう思うかは読者それぞれの判断にお任せしたい。
ピーター・タスカの描いたシナリオ−長いさよなら |
■前提 文化は経済に勝つ。日本文化の限界と性格は、もっとも政治的に強力なものによって「上から」規定される。 |
成長のエネルギーと退廃のエネルギーのあとに、エネルギー自体のゆるやかな崩壊がはじまる。社会・経済的エントロビー=情報の死。 人間社会ではより強力なテクノロジーを拒絶することはほとんどなかったが、徳川期の日本では武士の文化を維持するために鉄砲を拒否した。 平成の日本はサラリーマンの文化を維持するためにインターネットを拒否するだろうか。 |
2020年11月8日 その夜、原田課長は疲れきっていたので、会社が引けるとまっすぐに家に帰った。麻雀もカラオケも同僚と一杯やることもしなかった。 いつもどおり電車は混んでいたが、90分の乗車時間の半分をステンレスの柱に寄りかかってなんとかうたた寝することができた。そのあと20分バスに乗れば、彼が住んでいる2LDKの家に着く。 妻の冷子に風呂、めしとつぶやいたあと、倒れるようにしてテレビの前に横になった。 テレビではくたびれた中年サラリーマンのドラマをやっている。その主人公はいきなり奇妙な殺人事件に巻きこまれる。そして警察に知らせず彼自身が探偵になって謎を解く。その結果、横柄だった商社の同僚の専敬を勝ち取り、彼をバカにしていたOLたちが競って肩をもむようになる。 原田はこういった話が好きだ。世の中には彼と同じように泣かず飛ばずといった状態の人間が大勢いるという安心感を与えてくれる。 もちろん彼がそんなエキサイティングな「事件」に巻きこまれることはないだろう−毎日、毎月、毎年が、同じようにしてすぎていく。 しかしもしそういう事件にめぐり合えば、彼だってテレビドラマの50歳の課長のように華々しい活躍ができるはずである。 何年も前、原田が若かったころ、ケーブルテレビとかマルチメディアといったことがさかんに話題になったものだ。そういったビジネスはどれひとつとしてうまくいかなかった。要するに何百ものテレビのチャンネルとか、あるいはインタラクティプな経験などといったものを、だれも必要としなかったということだ。 ほかの人間と同じ番組を、同じ時に見たかったのである。番組の内容自体よりも安心感のほうがずっと大事だった。 あのころ、会社を辞めてソフトウェアを開発する小さなベンチャービジネスに加わらないかと誘われたことを思い出した。幸いにして、彼はそれを断るだけの分別を備えていた。 その結果、5年前に子会社に移るまで、20年間いまの会社で働くことができたのだ。子会社に移ってサラリーは25%減った。同期の人間にも同じことが起きている。 あの小さなソフトウェア会社はどうなったか。まったくわからないが、その会社に行っていたら、あれ以来彼が手にした安定した職場と社会的地位が得られなかったことだけはたしかである。とりわけ、取締役の姪と結婚して以来、彼は社内の重要な部署に移ることができた。何が起きても、この企業グループのどこかで働くことはできるだろう。 この会社は大きな企業グループに属しているから、何度かの経済変動でもグループの顧客と下請けをあてにすることができた。 前世紀の終わりに欧米や東南アジアの外国企業が安い輸入品をもって市場に食いこもうとしたこともあった。はじめはそれもうまくいったが、原田の会社が反撃にでてついには失ったシェアを取りもどしたのだった。必要とあればいくらでも価格を下げることによってそれを可能にしたのである。 むろんそのために赤字になったが、メインバンクと長期安定株主の支持があったためそれもたいした問題にならなかった。賃金カット、サービス残業、雇用凍結、徹底した合理化によってついに少額ながら利益を上げ、みんなの顔が立ったのである。 外国企業はしだいに撤退していった。この業界の極端な収益性の低さが、外国企業の経営陣と株主にとって受け入れがたかったからだ。外国勢を撃退するために何年かのあいだ赤字経営に耐えるというのは、みごとな戦略だった。日本企業はもはやテクノロジーでは優位に立てないが、「我慢」に関してはいまでも優位に立っていた。 これにはいうまでもなく副作用があった。原田の大学の後輩も含めて何人もの人間が過労死した。うまいぐあいに会社側は、その事実を家族と、それからむろんマスコミからも隠すことができた。それに当然ながら株価は低迷した。30年前の最高値の半値ほどでしかない。 それでも大半の主要銘柄とくらべればそれほど悪くはないのである。株価低迷のせいで、会社の年金基金は大幅に資金が不足し、定年退職後の生活水準が大きく落ちこむことは避けられない結果になった。 だが原田はこの点でもたいして気にしていない。どこでも同じなのだ。彼にとって耐えられないのは、自分だけが取り残されてほかが豊かになりうまくいくことだった。 しかしそんな気にさせられることは最近ではほとんどなくなった。なにしろ日本には、政治家とヤクザをのぞいて金持ちはめったにいない。 所得税の最高税率が80%になったとき、多くの金持ちは香港やハワイに行ってしまった。そのなかに2008年と2011年の景気後退を乗り切った起業家たちもいた。 5年後に、非居住者が日本の会社の大株主になることが禁じられたので、かれらのほとんどは銀行や商社に会社を売り払ってしまった。 原田はこの政策に大賛成だった。「12年体制」の発足以来選挙のたぴに与党に投票してきたのは、かれらが安定と調和という日本の真価を理解していたからだ。 原田が何よりも望んでいたのは、同じような人たちといっしょに、これまで食べてきたのと同じものを食べ、歌ってきた歌を歌い、これまでと似たような仕事をすることだった。 起業家とかそのほかの危険分子は、出る杭と同じく打たれるべきなのだ。 政府は世界のほかの国と大きく距離を保つという点でいいことをやってくれた、と少なくとも原田は思う。中国のコンピュータと韓国の自動車の輸入制限を彼は全面的に支持していた。 なんといっても国内の雇用を確保し業界の秩序を守ることが経済政策の最重要課題なのだから。 テレビや映画で見るかぎり日本の外の世界は原田にとって奇妙で危険なところだった。不法移民とその家族や外国人のトラブルメーカーをみんな2014年の「大掃除」で捕まえてしまったあとは、犯罪や蛮行が日本の街からほぼ完全に姿を消している。 内務省が発表した統計によると (原田は日本の役所のだす調査や報告をつねに信じている)、この15年間で犯罪発生率が減りつづけ、日本は世界でもずば抜けて「平和な」国になった。 リー・クアンユーの孫の厳格なリーダーシップのもとにあるシンガポールよりも平和なのである。 原田は一度もシンガポールに行ったことがない。なにしろ学生時代に使ったきり一度もパスポートを使っていないのだ。年に5日しか休みをとらず、休暇はたいてい同じ部の同僚と共に会社の保養施設ですごしている。そこでは毎朝パチンコをやり、夜は唯一盛り上がる話題−社内の権謀術数や駆け引きをさかなに飲むのである。「温泉芸者」によるストリップショーを見ることもある。これを原田はあまり面白いと思わない。女はたいてい40より60に近い年で、妻を思いだしてしまうからだ。 |