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5月29日(木)−財産ないから銀行破綻やペイオフ関係ない!なんて言ってないか?

りそな救済成功しても−金融システム改革「道半ば」(産経新聞 2003.5.28)
「みずほの運命は日本の救済措置にかかっているかもしれない」との見出しで、米ウォールストリート・ジャーナル紙(Wall Street Journal)がみずほフィナンシャル・グループの財政状況悪化を報じ、救済措置を示唆したのは5月8日付だが、同月17日、政府に公的資金投入の支援を求め、事実上国有化されたのは、りそなホールディングスだった。
これを報じたインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙(International Herald Tribune)19日付「東京(政府)、銀行防衛を急いで、不安を増大」は、<小泉首相の(金融システムの安定化や預金者保護などの)約束にもかかわらず、専門家の多くは過去四年で初めてという大手銀行救済が金融業界の苦悩の終わりなのか、より悪い何かの始まりなのかいぶかっている>と小泉首相の言葉を額面通りには受け止めていない。

大手銀行の三月期決算は、この不信をさらに高めたといえそうだ。
英フィナンシャル・タイムズ(Finacial Times/Japanese Banking Crisis)紙社説は珍しく19、20日と二日続けて、りそな問題を取り上げている。
19日付は、りそなの問題の根は銀行の処理能力を超えるスピードで不良債権を増大させているデフレにあるとして、<財務省も日銀もみな”デフレ戦士”を主張しているが、日本はこの戦いに負けている>と厳しい。
その上で<日本が陥ったデフレの罠を何としても避けることが、世界の先進国経済が日本から学ぶ真の教訓>としている。欧米でもデフレヘの懸念が生じているからだ。
一方、20日付社説は<りそなの事態を過小評価すべきではない。次なる段階は、小泉純一郎首相が改革と銀行部門の健全性回復に本気かどうかを示すだろう>として、りそな問題は脆弱な日本の銀行に規律をもたらす好機であり、政府はその機会を逸してはならないとしている。

ウォールストリート・ジャーナル紙20日付も、りそなに二つの側面を見ている。
つまり<百七十億ドルの救済策の良いニュースは、金融機関とその融賢に対する厳しい審査という新たな強行策が結果を生み出し始めていることだ。
悪いニュースは、そうした強行策が日本が真の説明責任をとることを意味するものではないということだ>同社説は失敗の代償を自ら払わない、けそなの経営者や株主を一貫して批判する。

これに対して、職を賭けて日本を正しい方向へ向けているのは金融・経済財政担当相の竹中平蔵であると書く。
以前に紹介したが、同紙に限らず外国メディアの竹中氏の評価は概して高いのである。

<やっと始まったばかりの救済策に、失敗の烙印を押すのは早すぎる。本当の試練は、より抜本的な改革が行われるかどうかだろう。そして、それらは経営者や株主が自分たちの失敗の代償を払うことから始めなけねばならない>というのが社説の結びである。

ところで日本の長期低迷に対する外国メディアの疑問の一つは、にもかかわらず日本では、パニックや取り付け騒ぎのたぐいが起きていないことの不思議である。米ニューヨーク・タイムズ(New York Times)20日付はこう書いている。
<多くの国では、もし第五位の銀行が政府に救済を求めたら預金者は預金引き出しに殺到し、株価は下落し、お金を持つだれもが「次はどの銀行か」と聞くだろう。しかし明らかに日本では違う。りそなの公的資金投入のニュースはさざ波も立たなかった>
<理由は簡単。政府が預金者と借り手が損をしないよう準備するからだ>が、同紙によれば、これは決して褒められたことではない。
なぜなら現状維持という政府の戦略はどんな救済措置よりも高くつき、弱者保護の繰り返しはモラル・ハザード(倫理上の危険)を生む。そして<経営者は政府が結局は救済してくれるだろうと知っているので、失敗に歯止めがない。消費者も、預金がどんな場合も保護されるため、どの機関が強靭だとか問題銀行を避けるとかの判断の労を惜しむ>からだ。
Why Japanese Don't Flinch Over a Bank Bailout

ABSTRACT - News that Japan's Resona Holdings, one of country's five big bank groups, will ask for infusion of up to 2 trillion yen ($17.3 billion) in tax money barely creates ripple; government is prepared to use its power to print money and rewrite regulations to guarantee that Resona's depositors and borrowers lose little if any money; bank's poffices are operating normally, and most customers shrug off news that bank has one-third less capital than it had previously reported; chart (M) In many a country, if the fifth-largest bank were to beg the government for a bailout, depositors would rush to pull out their cash, stock prices would slump and anyone with any money would ask, ''Which bank is next?''

Not in Japan, evidently. News over the weekend that Resona Holdings, one of the country's five big bank groups, would ask for an infusion of up to 2 trillion yen ($17.3 billion) in tax money barely created a ripple. The reason is simple: The government is prepared to use its power to print money and rewrite regulations to guarantee that Resona's depositors and borrowers lose little if any money.

確かに信賞必罰の厳しさは必要だ。しかしパニックは、やはり起きない方がよいだろう。こうしてみると、りそな救済が成功しても、金融システム改革の前途はウォールストリート・ジャーナル紙20日付が「富士山の途中まで登ったところ」と題したように、頂上までの道のりはまだ遠そうだ。 (千野境子)

日本の国民はピーター・タスカ氏が言うように○○危機が年中行事化してしまって、感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。(Newsweek Japan 2002.4.10 PDF − 3月危機に見た魔女狩り体質)
たぶん1998年にこういうことが起きたら大騒ぎになっていただろう。
あのときは衝撃的な山一證券の倒産のあとだったし、日本の国民もどこの金融機関が健全か、ということを真剣に考えた時期でもあった。
ペイオフ解禁が議論されていた当時、多くの人たちは思ったはずだ。
「私には銀行に資産が1000万円もないから関係ない、ああいうのは企業や金持ちの問題だ!1000万円までは潰れても返ってくるから関係ない」と・・・

本当にそう思うか?
私は今月、海外でさえ掏られたことのない財布を掏られ、その中にメインバンクのキャッシュカードを入れていたことからしばらくの間、といってもわずか1週間くらいだったが、手持ちの現金が不足してどう資金繰りしていいか考えなければならなかった。
幸いにしてインターネットによる送金はできたので、ツールを駆使して滅多に使ってなかった別の金融機関のキャッシュカードを使って事なきを得たが私にはいい教訓だった。

で、何を言いたいか?
資産の分散というのはこういうリスクに対処する意味もあるのだ。
ピッキング強盗などで通帳を盗まれたときなど、金融機関によっては無責任にもほとんどノーチェックで預金を払い出すなんてことで裁判になっているケースもある。(記事
ちなみに日本では銀行を相手どった裁判では、日本の裁判所は銀行の味方であるかのように、銀行の勝訴率が世界的に見ても異様に高いと、日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日の著者、ベンジャミン・フルフォードは言う。

また、仮に銀行がつぶれてもお金が返ってくると言っても、肝心なのは「いつまでに」とは誰も明言してないのだ。
りそなが破綻状態にあってあえて北海道拓殖銀行などのように潰さなかったのは、預金保険機構自体に金が十分にないのではと訝らざるを得ない。
つまり、潰したら全額返すのに何年かかるかわからない状態なのではないか?と思うのだ。
そうなると、どうなるか?
「政府保証債でお支払いします。」とかなる日も遠くない。
国債が信用を失いつつある中で、潰れた銀行の預金を低格付けの国債で払い戻す。
そういう詐欺みたいな行為が平然と行われる日はそう遠くない。

そう、最後に言っておこう。
実質国有化されたりそな銀行、そしてその前身である大和銀行の支店は、衆参両院の中にもある。
日本の都市銀行の中でもこの銀行だけだ。
基本的に大企業の中や市役所とかの中に支店がある銀行はそこの公金取り扱い銀行の中でも最も密接につながっているところだ。
つまり、りそなを潰して困る人間が衆参両院には多いということか?


5月8日(木)−カルロス的にかなり嬉しいニュース

脱マニュアル断行−「千葉のデニーズ」(産経新聞 2003.5.8)
ファミリーレストランの激戦地、千葉市の中心部にあるデニーズ千葉都町店」が単一規格、マニュアル重視という従来のファミレスの常識を覆し、メニューから内外装までをリニューアルし好調だ。
お決まりの制服もない。
「デニーズへようこそ」の掛け声もなくなった。
デニースジャパンは「全国初のモデル事業。チェーン店の基本は守りつつ、各地域で独自性を出して生きたい」と成果に注目している。

制服も掛け声も
千葉市中央区都町の千葉都町店界隈は、周辺にデニーズの千葉富士見店、千葉桜木町店、千葉祐光店などが点在し、すぐ近くにはライバルの「ガスト千葉旭町店」やパスタ専門店などが居並ぶ「ファミレス激戦区」。
国内572店舗を展開するデニーズでは、他店との差別化を狙って「ファミレスの概念にとらわれなくてもいい」と発想を転換。
内装を白・黒へ変え、BGMもボサノバを流すなどおしゃれなレストランの色合いを強めた。
中でも異色なのは、単一規格化された和洋メニューの撤廃。
「上総の赤卵」などの県産品をはじめ食材の一部を独自に仕入れて調理、ドレッシングなども自店で作る。
従来のメニューの大半を変更し、価格より質を重視した。
また、「対応が機械的になってしまう」との反省からサービスマニュアルを撤廃。
基本方針を「笑顔で接する」と定め、「いらっしゃいませ。デニーズへようこそ」のお決まりのあいさつもやめた。
濃緑色の制服も廃止し、白色のシャツと黒のパンツ、スカートと色だけを指定した。
「汚さない姿勢が丁寧な対応につながる」という狙いもある。

売上高2割増
料理の待ち時間が長くなり、値段もアップ、しかも営業時間を短縮したにもかかわらず売上高は2割ほどアップしたという。
「デートに使える」「(制服の一新で)店員が変わったのかと思った」などと客の評判も上々という。
同社企画室では「成功すれば、一部のサービスを既存店に取り入れていきたい」としており、モデル事業の二号店として、埼玉県草加市の草加高砂店でも脱マニュアル型の展開をしている。

私がこの記事を見て嬉しく思ったのは、最近の悪しき風潮である「非人間化競争」にあけくれる、いわゆる「24時間働けますか産業株式会社の企業群」がデフレの勝者としてもてはやされることにむかついていたからだ。
あるテレビ番組でやっていたマクドナルドの七条京阪店のような、「60秒サービス=砂時計が落ちきる前にお客にサーブできないときはポテトサービス」なんていうのは、やり過ぎだし、嫌悪感すら抱いていたからだ。
たまに牛丼屋で昼食を取ることがあるが、よく観察すると、あそこにいる人たちがただのベルトコンベアーの部品のように見えるときがある。
ただでさえ、数分間隔でくる帰りの通勤電車すら待てずに人を突き飛ばして行くようなバカが増えているのに、、これ以上忍耐という言葉が辞書にないようなバカに合わせないで欲しいと痛切に思っていたところだった。
また、他社に負けられないとかいって、採算も度外視して、長時間営業するスーパーなどもそうだ。
実際に私の通勤経路にあたるところでは、ターミナル駅付近の店舗以外は夜遅くなど「万引きさんいらっしゃい」状態で店員も少なく、それにも加えて閑古鳥が鳴いている。
石油が自給できない国、原発に賛否両論のある国で、この実態は犯罪である。
まして、そのランニングコストが収益を圧迫して、社員を解雇したりボーナスを減らしてりしてるのだから笑うしかない。

遅まきながら、このデニーズの試みに拍手を送りたい。
たとえ今の日本の常識と反対のことをやっても、その意義を理解し、お客となってくれる人は多いのだ。
そういう職場で働く人間も、やみくもに長時間低賃金で働かされる職場に比べれば、はるかに企業利益に貢献するだろう。
つまり、そういうことの積み重ねが、斬新ないいアイデアを生み、またお客を呼び込む起爆剤になっていくのだから。


5月7日(水)−バカはここに極まれり

私は4月1日に選挙に行こうと!と書いた。
しかし、それは現状打破のために何かを考えよう!というメッセージであり、決してヤクザみたいな奴を市議会に送れと言ったのではない。
統一地方選挙終盤戦、和歌山市民は何と収賄罪で起訴され、なおかつ元暴力団組長との交際も噂される、拘置所に収監中の前和歌山市長、旅田卓宗をトップ当選させてしまったのには私も恐れ入った。。(産経抄 2003.4.29)
まあ、「企業舎弟 闇の抗争」によれば、和歌山はヤクザのメッカと言われ、和歌山県警の統計では人口に占めるヤクザの比率が一番高い県らしい。
表の経済に裏社会がコミットメントするイタリア化も凄く、バブル絶頂期の和歌山県下のある地銀<著書では実名だが、ここではあえて名を伏せる>の融資案件ではヤクザがからまないものを探すほうが大変だったという。
そして、その不動産融資の8割が焦げ付いたというが、今現在、表向きは破綻せずに経営しているようだ。

だからじゃないが、旅田の地元は、相当数がヤクザの世話になっているのだろうか?
もし、そうだとしたら和歌山は日本でなくて、コロンビアのメデジン(Medellin)と同じではないか。
かの地もメデジンカルテルが麻薬で儲けた金で貧民救済事業(住民福祉)をしていたという。(田中ニュース 「民主化」「自由経済」とともに世界を汚染する麻薬問題)
従ってマフィアは住民に決して嫌われていたわけではないという。
それと同じ論理なのだろう。
政府に金がなく、まともな働き口がなく、闇の勢力に世話にならないと生きていけない町・・・
かつて、阪神淡路大震災のとき、一番被災者のために働いたのが山口組だとも言われる。
もはや日本経済、特に関西圏はヤクザ抜きでは語れないのかもしれない。
そういえば1998年に起きた毒入りカレー事件の舞台、あれも和歌山だった。
犯人として起訴された林真須美はヤクザのヒットマン?なわけないか・・・
愚民化する国民に開いた口が塞がらないとはこのことだ!
ちなみに、旅田に賄賂を贈った元市議、和田秀教も返り咲いたらしい。

今までマスコミは、あるいは選挙に棄権した市民は言っていた。
「政党が選択肢を国民に与えないのがいけない!」と・・・
でも私は言わせてもらう。
需要が供給を作る。投票に行かない市民には次第に選択肢も狭まってくる。
知名度があるというだけで、拘置所から出馬した奴がトップで当選するなら今度の選挙はアゴヒゲアザラシのタマちゃんでも出したらどうだ!名前は「ニシ タマオ」で・・・
住民票もあることだし・・・新聞社は総力を挙げて取材しているそうだから・・・
もうこの程度の国民の選択肢にはタマちゃんで十分だ。


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