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5月24日(土)−日本の司法はコンピューターになるのか

巷の本で日本の司法が悪しき判例主義に陥っていると言われることは多い。
その判例主義の伝統を守るべく、最高裁が稼動させたものが「量刑検索システム」だ。
最高裁は、「類似の事件で量刑に極端な差が出ないよう、裁判員が過去の事例を参考にできるためのシステム」だというが、それが果たして単なる参考資料の検索だけにとどまるのだろうか。

ところで、裁判員制度は、地方裁判所で行われる刑事裁判について導入され、対象事件は、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律第2条の規定に従い、死刑又は無期の懲役・禁錮の判決が下される可能性のある罪と、裁判所法第26条第2項第2号に掲げる事件のうち、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪となる。
具体的には、殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪などがあげられているようだ。

はっきり言ってこういう重罪被疑者を前にどれだけの人が正常な感情を持ちえるのだろうか。
まして、どう考えても死刑だろう、なんてケースはあまりないだろう。
そうなると人の一生を左右するプレッシャーは半端なものではない。
それに2007年8月24日の「今日の一言」でも書いたように、日本で擬似陪審制を導入する場合の最大の問題は、多くの人が自分の意見を公の場で主張することが苦手で、また一つのテーマについて議論をして結論を出すという下地に乏しいこともあげられよう。

それを補完するための道具がこの「量刑検索システム」ということも言えそうだが、この基準±αという安易な判決が続くようなら何のために人間が裁くのだという根本問題になりかねない。
まして、人間が裁いている今でさえ、日本の司法はコンピューター裁判、などと揶揄されるものが、「量刑検索システム」を参考にしなさい、みたいな形で裁判員に暗黙の強制をするようなら、ますます悪しき判例主義が蔓延ることになるだろう。
暗黙の強制という書き方が決して誇張でないのは、門田隆将氏の「裁判官が日本を滅ぼす」に書かれている事例を読むといい。
5月24日号の週間ダイヤモンドの特集「裁判がオカシイ!」の中には、こういう下りもある。
「裁判が抱えている問題の一つは、裁判官のコミュニケーション能力の向上であり、自分が偉いと勘違いしている人も多い。裁判員の意見を尊重し、議論を上手に進行する調整能力も求められる」と・・・

裁判員の制度を導入したことについては、裁判官が世間知らずだから新しい風を入れるべき、それがこの制度なのだ、とも言われている。
しかし、世間知らずなのは本人の資質も問題のみならず、年間3ケタにのぼる残業を強いられていることにも原因があるだろう。
自宅と職場の往復で終わる生活を送っていれば、民間サラリーマンだって「会社人間」と呼ばれる恐ろしいばかりの世間知らずになるのだ。
これらの根本的な問題を解決をしなければ、そのうち「逆切れ裁判官が裁判員を怒鳴る」なんてコラムが週刊誌を賑わすことにもなるだろう。

量刑のバラツキ防止、裁判員制度へ「検索システム」稼働
(2008.5.23 読売新聞)

来年5月に始まる裁判員制度に向け、最高裁は先月から、裁判員裁判の対象事件の判決をデータベース化し、キーワードを入力するだけで類似事件の刑の重さが検索できる「量刑検索システム」の運用を始めた。

裁判員裁判では、有罪・無罪だけでなく、量刑の判断にも国民の意見が反映される。
最高裁は、類似の事件で量刑に極端な差が出ないよう、裁判員が過去の事例を参考にできるためのシステムを開発した。

全国の地裁・支部にデータベースの端末を設置。
裁判員裁判の対象になる事件の判決を言い渡した裁判官が、
  1. 事案の概要
  2. 凶器の種類
  3. 被害の程度
  4. 共犯者の有無
  5. 反省の度合い
  6. 被害者の処罰感情
など、十数項目の情報を入力していく。
既に約100件が集まり、来年5月までには3000件を超えるデータが蓄積されるという。

この端末に複数の条件を入力すると、類似事件の量刑一覧が検索できる。
例えば、路上で起きた強盗致傷事件の場合、「路上」と「強盗致傷」の二つのキーワードを入力すると、刃物で2週間のケガを負わせ60万円を奪った事件は懲役10年、工具で襲ったが現金は奪えず、被害者との示談が成立している事件では懲役6年など、類似事件の一覧表が示され、どんな事情が量刑に影響を与えているかが一目で比較できる。
また、各事件の量刑分布が棒グラフでも示される。

裁判員裁判では、裁判官がこれらの一覧表やグラフを印刷し、裁判員に示すことになるほか、検察官や弁護士も利用できるようにするという。

5月17日(土)−第1回ジョニーゲームの会&赤坂オフ

去る5月10日に、九州在住のジョニーさんが試作した「キャッシュフローゲームのジョニー版」をWorld Investorsのメンバーでやってみようと有志が集まった。
キャッシュフローゲーム(cash flow game)とは、「金持ち父さん貧乏父さん」の著者、ロバート・キヨサキ(Robert Kiyosaki)が考案したボードゲームで、遊びながら投資や財務について深く学ぶ事が出来るという優れモノなのだが、ジョニーさんはそれをWorld Investors風にアレンジして、商品化できないかと試作品を作ったのだ。

そして集まった面々は総勢9名、ソナタさん、アンチャイさん、harukataさん、そして紅一点のみのこさんのチームと、ジョニーさん、石田さん、オダッチさん、メガネ王子さんに私のチームに分かれた。
私たちのチームはゲーム製作者のジョニーさんがバンカーを務めたが、ソナタさんのチームはみのこさんがプレイヤーとバンカーを兼務して大忙しだった。
ジョニーさん曰く、このゲームは原作の趣旨を損なわないように作ったとのことだが、ドバイ株の購入や、アクシデントカードに「世界恐慌」とか「金融危機」いった、いかにも海外株式投資家たる私たちにマッチするような要素が入っている。
そして、このアクシデントカードを引きまくったのがソナタさん、彼がメンバーに入っているチームの面々は次第に悲鳴を上げ始め、最後は彼がサイコロを振った瞬間から「カード引くな〜」コールが起こったほどだ。(爆)
それでも投資用不動産をたくさん買い集めて大勝したアンチャイさん、さすが引きの強さは折り紙つきとの声も・・・
静かにゲームが進行した私たちとは対照的だったソナタチーム、果たして第2回ジョニーゲームの会はいつやるのかな?

ゲームが終わった後は、隠れ野赤坂店で反省会という名の飲み会だ。
こちらは女性陣もかなり増え、coco pocoさん、Marieさん、ジョニーさんと同じく九州からお越しになった伽羅さん、そして、今回は取材(週刊SPA−2007年9月18日号「海外投資マニアのワールドワイドなオフ会に潜入!」)でなくプライベートで参加した週刊SPAの島影さんも加わってのオフ会となった。
ただ、残念なことにジョニーゲームの話題の主、ソナタさんとharukataさんが所用のために飲み会は欠席だった。
ところで、ゲームの中でのアクシデントカードは笑いで済まされるが、現実の相場の方は今後どうなるだろうか。
世界的にきな臭い空気も漂う中、本物のアクシデントカードを引かないようにしたいものだ。

第1回ジョニーゲームの会 第1回ジョニーゲームの会
第1回ジョニーゲームの会

5月7日(水)−富を軽蔑するな

Believe not much them that seem to despise riches; for they despise them that despair of them; and none are worse when they come to them. Be not penny-wise; riches have wings, and sometimes they fly away of themselves, sometimes they must be set flying to bring in more.
富を軽蔑するという人間をあまり信じるな。富を得ることに絶望した者が富を軽蔑するのだ。 そして、こういう人間がたまたま富を得ると、何よりも始末が悪い。 小銭を溜めようとさえしなければ、富は翼を持ち、時として自ら飛び去ってしまう。時としてもっと多くの稼ぎを飛ばし始めるに違いない。

イギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(Francis Bacon)の名言だ。
実際、「金なんかなくたって」という人に限って金を持っている人はいないし、心の中では人一倍金に執着しがちだ。
あまり人前で金の話ばかりするのも大人げないだろうが、他人が金持ちになりたい、という欲求を軽蔑すれば、それは自分に跳ね返ってくるというものだ。

金に興味がないといったことを言い続けている人に限って、晩年になってうまい話にコロリと騙されるということはよくあることだ。
何でか、というと心の片隅に宿る嫉妬心なのだ。
そういう人は、テレビのブラウン管の向こう側で金持ちが何人いようが平気だが、隣人が小銭を儲けたという話を聞くと、嫉妬心がメラメラと燃え盛り、頭が真っ白になるに違いない。
今に見ていなさい私だって・・・これが陥穽にはまる最大の原因だ。
それに、成功者は人にも成功してもらいたいと思い、そうでない者は人の足ばかり引っ張りたがる。
あなたは人の成功を妬み、グチグチ言い続け、晩年に詐欺師に騙されてむせび泣きたいか。
もし、そうしたくないならば、自分が発する言葉から変えることだ。


5月3日(祝)−Unwelcome to Japan?

4月15日の世界の流れをつかむ『World Report』のコラムに「観光立国を笑う(出入国管理システムの欠陥)」というのがあった。
それを読んで思い出したことがある。
去る2月にタイに旅行したときのことだ。
成田空港の出国審査場で、外国人出国者だけがわずか二つしかないブースで長蛇の列を作っていた。
ブースの電光掲示板には、日本人と外国人を区別する表示はなく、ただ空港の警備員らしき人が紙で書かれたボードを持ち、片言の英語で「外国人はこちら」と叫んでいるだけだった。
日本人のブースは比較的スムーズに流れていたので、ある外国人旅行者が、その警備員らしき人に「こっちで並んではいけないのか」という質問をしていたが、英語があまり理解できない彼は単に「外国人はこちら」と繰り返しているだけだった。
少なくとも観光立国を標榜する他の国では、たとえ「** nationals」という電光表示がブースにあったとしても、そこがガラガラになれば、外国人を誘導することさえあるにもかかわらず、生真面目な警備員氏はそうしてはいけないという指示があるかのように振舞っていた。
その光景を異様だと思った日本人が何人いるかわからないが、私の記憶が間違っていなければ、こんな光景を見たのは今年になってからだ。

いったい何が起こっているのか?
『World Report』では、出入国管理を担当するスタッフの絶対数が足りない、とある。
それはそうだろう。
成田空港を運営する母体が特殊法人(公団)から成田国際空港株式会社に変わったのは平成16年(2004年)4月だが、その平成19年(2007年)度中間期の実績を見る限り、航空機発着回数及び航空旅客数は前年同期比で増加し、過去最高を記録、また、Visit Japan Campaign (Yokoso! Japan)などにより外国人旅客数が増えている、とある。
そうであるならば、出入国審査のスタッフを増やさないと捌き切れるものではない。

私の記憶によれば、21世紀に入ってしばらくはスムーズに進んでいたように見える出国審査も、特に昨年あたりは長時間待たされることが多くなったように思える。
1990年代の円高による海外渡航ラッシュの時代、長蛇の列にしびれを切らして執拗な苦情を言い続けた旅行者に逆切れした現場の出入国管理責任者が叫んだ一言が思い出される。
「そういう(もっとブースを増やせとか人はいないのか、などという)ことは国民のあなたが外務大臣に言うことです!今ここで我々に何ができるんですか!」
『World Report』によれば、その外国人バーションが今の成田で起きているという。

一方、入国審査の方はもっと評判が悪そうだ。
世界の空港や航空会社、飛行機の乗り心地のレビューが書かれたSKYLAXというサイトがある。
その中の成田空港(Tokyo Narita Airport)のところを読むと、昨年11月20日から施行された改正入管難民法(出入国管理及び難民認定法)により、訪日外国人に指紋押捺が義務付けられたこと(2007.11.20 産経新聞−外国人の指紋採取始まる 全国の空港、港で)が不満の原因ではなさそうだ。
当時、この改正入管難民法に対し、一部の左派的なブロガーは「外国人差別」と言い、それに対するナショナリスティックなブロガーは、「そんなに(日本の出入国審査が)不満なら来なければいい」などと言っていたが、評点の悪いJ. Davidson氏や、Alan Chick氏の投稿を読むと、指紋押捺に対して文句を言っているのではないことがよくわかる。
要は、入国審査にものすごく時間がかかっていること、その原因として、数少ない外国人ブースと、日本人専用ブースが空いていても誘導してもらえなかったことに対する不満のようだ。

民営化されても、相変わらず臨機応変な対応ができない(そうしてはならない?)のか、とも言えそうだが、ひょっとすると日本人専用ブースには指紋押捺の機械が置いていないとも考えられる。
これは硬直的な思考で生きている中央省庁の天下り幹部が会計責任者であれば十分あり得ることだが、もし、そうであるならば、それこそ笑止千万と言わざるを得ない。
何がwelcomeなのか!
それこそ、「そんなに行列が不満なら日本へ来るな」と言っているようなものだろう。
私は3年前に「外国人観光客増やすなら空港から変えよ」と書いたが、それはどうやら悪い方向に変わっているようだ。
"I have always loved Japan and unlike many foreigners I have never had any problems in Japan.(私は日本が好きだし、多くの外国人と違って日本では少しも問題なく生活している)"と言う在日3年のJ. Davidson氏のような人を日本嫌いにさせるとしたら、紛れもなく日本の玄関である成田空港がその一因となるに違いない。


5月1日(木)−ニューリッチを目指してみれば

今日は奇しくもメーデーである。
労働者の日、金持ち父さん・貧乏父さんを書いたロバート・キヨサキが言うE-Quadrant(従業員のカテゴリー)に属する人たちが8時間労働を求めて立ち上がったのが最初の起源と言われるものだ。
そんな日に読んだ2冊の本、それは現代の日本における対極同士にある人たちのことが書いてあった。
1冊は臼井宥文氏の「3年で富裕層になる!−4000人の新世代リッチと会ってわかった方法」、もう1冊はNHKスペシャル「ワーキングプア取材班」の編集した「ワーキングプア 日本を蝕む病」だ。
この2冊の本を通勤電車の中で交互に読むと心の中が揺れ動く自分を感じることができる。

一般的な庶民感情からすると、前者は夢の世界の話、後者はいつ自分がそうなるかわからない身につまされる現実という捉え方がされると思う。
特に後者はテレビでも放映されたものだけに頭の中がフラッシュバックする人もいるだろう。
ところが、臼井宥文氏はニューリッチに関してこうも言っている。

富裕層をめぐる誤解として、昔と違って今ではグローバル化の進展により、さまざまな成功のルートがあり、庶民でも3年あれば富裕層(ニューリッチ)の仲間入りができる時代になっている。
高校中退であろうと、無名の大学出であろうと、いい会社の入社試験には全部落ち、聞いたこともない小さな会社に入った人であろうと、突然富裕層になれるチャンスがある時代である。
もともと資産家の家に育った2代目、3代目といったオールドリッチと違って、一代で富裕層になるニューリッチの人はついこの間まで、3ヶ月前、3年前まではあなたと同じ地点にいた。
要は、将来価値が上がりそうなものにいち早く目を付けることが大事である。

また、絶対富裕層になれない人の考え方として

  1. 周囲の似たような人と比べて「この程度でしかたない」と甘んじている人
  2. 「どうせ自分なんか・・・」と思っている人
  3. 「コツコツやっていれば、いつの日か・・・」と考える人
  4. 自分より下層の人を蔑む気持ちを持っている人
  5. お金持ちを妬み、ひがむ気持ちを持っている人
  6. 「富裕層なんて、いかがわしい」、「お金儲けはけがらわしい」と思っている人
  7. 「お金持ちなんて自分とは関係のない特別な人たちだ」と思っている人

つまり、従来の日本的価値観から抜け出せない人は、残念ながら富裕層にはなれない、と断じている。
逆にそれができれば、元が貧乏であろうが、不遇であろうが関係ないとも言っている。
ワーキングプアに陥った人の中には家庭の事情などで不遇になっている人も多いと聞く。
しかし、今の自民党政権が崩壊しても新政権ができたとしても昔のような時代には戻ることはないだろう。
それならば、せめて「こういう時代だからこそ誰にでもチャンスは来る」と信じようではないか。
なぜならば、ネガティブ思考で夢も目標も志もない人のところにはチャンスは来ないし、たとえ来たとしても見逃してしまうハメになるからだ。

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