ちょうど1ヶ月前に「デルタ航空の特典航空券発券要件の改悪」という題名でコラムを書いたが、6月15日以降の発券分からユナイテッド航空のマイレージ・プラスを使った特典航空券の必要マイル数も変わることになった。
デルタが改悪で、こちらが改訂という題名になったのは、スターアライアンス系列の航空会社(全日空・タイ航空・シンガポール航空など)を利用した南アジア往復チケットの必要マイル数が、現在の4万マイルから3万マイルに減るといった嬉しい変更が含まれているからだ。
ちなみに、ユナイテッド航空を利用した場合は、セーバー特典が往復2万マイルから3万マイルへ、スタンダード特典が往復4万マイルから6万マイルになる。
これだけ見ると、セーバー特典は利用日が著しく限られることから、本家本元のユナイテッド航空を利用する方が不利になり、本末転倒のような気がするので、マイレージ・プラス・デスクに確認したところ、改訂後はユナイテッド航空のセーバー特典とスターアライアンス特典が実質的に一本化されるとのことである。
そうなるとユナイテッド航空のスタンダード特典は、デルタ航空のスカイマイルでいうハイシーズン用特典座席という位置づけになるのだろうか。
これらについて、詳しいことはユナイテッド航空の特典旅行で利用できる渡航先のインタラクティブ一覧表(Interactive travel destinations awards chart)で情報提供がされているし、マイルで得得というマイレージプログラム比較サイトにも書かれているので参考にするといいだろう。
こうして見ると同じ米系航空会社でなぜこうも違うのかと思うのだが、今まで私のようにデルタ航空のスカイマイルでマイルを溜めていた人たちが、日本の国内線でもマイルが増やせて、特典航空券の発券要件(マイル数)が緩いマイレージ・プラスにシフトすることがますます多くなるだろう。
ただ、このままいけば、マイレージ・プラスの特典を使って、日本人サラリーマンが休みを取りやすい時期の特典航空券を取得することがより困難になることは間違いないので、近場の韓国・中国・台湾・香港であれば、スカイマイルを併用することも有効な手段になるだろう。
ところで、スターアライアンス系列の航空会社の一つであるタイ航空のウェブサイトを見ると3月18日付のニュースリリースで「日本発バンコク行き片道特別運賃発売開始、40,000円より」というものがある。
原則として、正規割引運賃は往復チケットにのみ適用されるのだが、片道運賃のチケットさえ割引で売り出し始めたということはそれだけ需要があるということだろう。
これはリリースされた時期から東日本大震災と原発事故に伴う在日外国人の避難用のものと思ったのだが、リリースが日本語だけなので、LCC(格安航空会社)のエアーアジアに対抗したものが偶然に震災と重なっただけかもしれない。
事実、英語サイトを見るとOne Way Big Surpriseというのがあり、タイ航空のバーゲンセールの一環なのだろう。
これによって、バンコク発券もしやすくなった、と言えるのかな?
まさか、日本人の富裕層(タイのリタイアメントビザ・年金ビザの有資格者)の海外脱出用航空券ってことではないだろうね。
先月7日、私は「メキシコの呪い」と題した日記をSNSサイトに閲覧制限して投稿した。
公のところに書かなかったのは、こうした被害金の弁償が絶対的なものでなく、検索されることによって、銀行サイドに無用な不信を抱かせたくなかったからだ。
そして被害の申告から約1ヶ月半、ようやく私の口座に被害金が弁償されるとの連絡があり、入金も確認することができた。
これで、今月上旬に入金された海外旅行傷害保険の保険金と合わせて、金銭的補償手続きはすべて終わりとなった。
もちろん、盗まれた荷物は戻って来ないので、それをコツコツと買い直し、先月の台北旅行でカバン類を入手したことによって、海外旅行に必要な品物はほぼ元通りに揃えることができた。
それにしても危ないところだった。
何がかと言うと、シティバンクから3月初旬に送られてきた「カード利用についてのご報告」によれば、現地時間2月7日の13時、要は「メキシコの呪い」を投稿した数時間後に再度被害に遭いかけたからだ。
このときはパスワード相違(私が変更をかけた半日後)で取引できなかったと書かれてあった。
要するに、そのままスキミングされた元カードを持ち続けていれば、いつかはパスワードが一致し、被害に遭うことが予想された。
そのときは、おそらく、「顧客側過失」の規定が適用され、被害金が戻らない可能性が十分にあった。
それを防ぐためにはキャッシュカードを作り直すしかない、とのこと、発行手数料は不要だったが、再発行されたカードを入手したのは先日の東日本大震災で流通網がズタズタになっていた時期だった。
しかも「本人限定受取郵便」で平日に送られて来たため、休日に保管されている郵便局まで行かなければならなかった。(通常は自宅への再送依頼、あるいは受取に都合のいい郵便局への転送依頼をすればいい)
とりあえず「メキシコの呪い」で失われかかったお金は戻ってきた。
2度に渡って盗難の被害にあった金銭的な補填もされた。
ここは「メキシコの呪い」を解くためにも、そして東日本大震災に遭われた方々を支援する意味でも、ささやかながら浄財を寄付しようかと思っている。
寄付先は今回の震災と原発事故で一番苦しんでいる福島県(福島県災害対策本部:ゆうちょ銀行 00160-3-533)にするのがいいだろうか。
メキシコの呪い on February 7, 2011 |
アメリカ・メキシコ・グアテマラ旅行から帰国して早1ヶ月がたとうとしている。 旅行中、様々なトラブルに見舞われ、命からがら帰国して、その傷がようやく癒え始めた2月。 節分の日、私は福を招くどころか、またもや信じられない光景を目にすることになった。 ほんの2~3日前、国内のATMでお金を下ろしたとき、異変は生じた。 1月末に30万あまりの残高があった口座からわずか2万円引き出しただけのはずなのに残高は20万を切っている。 何だこれは・・・クレジットカードの引き落としはまだ先のはず・・・・ ドス黒い不安を胸に家に帰り、ネットバンキングにアクセスする。 現地時間の2月2日、メキシコ国内のATMから約9万もの金が引き出されている。 す~と顔が青ざめる私、まるで12月末にパレンケで荷物を盗られ呆然としたときのスロービデオが目の前に映る。 スキミングされたのか?どこで?カンクンか? 海外の引き出しのリミッターを設定してあったおかげで被害はそれだけだったが、1回分の海外渡航、いや新規投資に回す金だった。 シティバンクに電話する私・・・わずか10分が2時間にも感じられた。 キャッシュカードを一時的に止め、月曜日に担当から電話すると言われ、今日を迎えた。 貴方の被害は補償の対象です、と言われ、ほっとする私。(盗難および偽造キャッシュカード被害の補償について) しかしながら金が戻るのは20日から1ヶ月かかるとのこと。 銀行のスタッフ曰く、何やらこういった被害はものすごく多く、場合によっては1年後に引き出されるなんてこともあるそうだ。 防止策は海外で使用するときは暗証番号を一時的に変えること。 荷物を盗まれることから始まった今回の旅行、目の前でガラスの破片が降ってきたり、肺炎になったり、最後はスキミング。 ありえね~ 心の底から叫びたかった・・・ あと、何があるんだ・・・・今年は・・・ |
去る19日、年末年始旅行で訪れたグアテマラで出会った友人たちと上野のもつ焼・大統領、そしてT.G.I Fridaysで飲み会をやった。
原発事故によって東京電力が実施している計画停電の中止があらかじめアナウンスされたおかげか、上野のアメ横はかなりの人通りで賑わっていた。
何しろいつ電車が止まるかわからない、という恐怖から会社が終わってから一杯というサラリーマンが激減しているという(産経新聞-「酒飲めない」帰宅早まりJR新橋駅閑散)ので、飲み屋などやっているところが少ないのではないかと思っていたが、取り越し苦労だったようだ。
あと帰宅難民のリスクを避けるために東京インも押さえてあったのだが、こちらも結果的に帰宅は十分に可能だったので、気分的には一種の義捐金みたいになってしまった。
さて、私たちの行ったもつ焼・大統領は今回風邪で来れなかったメイさんのお薦めとのこと、2階がいいよ、と彼女は言うが、あいにく満席、この日は昼間は暖かく、夜涼しいと、まるでグアテマラのアンティグアを思い出させるような気候の中、私たちは外のテーブルで飲み会を決行した。
参加者は旅の達人のサトシさん、そして、アメリカ留学から帰国直後のユキオさん、彼は何と帰国日が今月の15日、まさに勇者としか言いようがない。(笑)
Facebookの彼宛のメッセージはほとんど一言、Take care, Yukio!(気をつけろよ、元気でいろよ)だったのは、それ以外にかける言葉がないだろうな、と私でさえ思う。
でも、そんな彼はひょうひょうと自転車に乗って現れた。
実のところ、自転車は今の東京では貴重品、目の前で盗まれてもおかしくない代物なのだが、そうならないところはさすが日本だと思う。
これがメキシコやグアテマラだったらすでになくなっているだろうな、と経験者の私は思う。
世界が賞賛した震災直後のパニック状態でさえ秩序が保たれた、こうした日本の治安の良さはいつまでも続いて欲しいと願っている。
グアテマラで出会った愉快な仲間たち-もつ焼・大統領(上野) | |
ところで、19日のアメ横の賑わいはともかく、首都圏のサービス業、特にレジャー産業と繁華街の行く手には暗雲が立ち込めているように思える。
日本人が陥る過度の自粛と不謹慎バッシング(bashing)によって各種イベントは目の敵にされ、浅草の三社祭も中止に追い込まれたからだ。(東京新聞-三社祭を全面中止)
節電を必要とする中で大量の電気を使うプロ野球のナイトゲームが非難されるのは当然としても、昼間やるイベントまで自粛するのは行き過ぎでないかと思う。
人が集まらなければ金も落ちない。
金が落ちなければますます経済は停滞する。
まさに日本中がそういう罠に陥ろうとしている。
今回の震災を逃れ、無事でいた人たちは被災者のために何ができるかと自問自答し、義捐金を送ったり物資の提供をしている人も多い。
ところが、イベントをやったり宴会をやったと言うと、途端に眉をひそめる人たちがいる。
しかし、そういう見方をする人たちは、原発リスクから外国人観光客に頼れなくなった今の日本で、無事で残された私たちが経済を回すようにしなければ誰がやるのか考えたことがあるのだろうか。
経済が回らなければ企業や商店の倒産・廃業などが相次ぎ、結果的に被災者への支援も枯渇しかねない事態に陥るのがわからないのだろうか。
2009年春、豚(新型)インフルエンザ騒ぎのときに観光業で働く人たちが相次いで解雇されたのを彷彿とさせるような事態が報道されないままに進行しているような気がするのは私だけではあるまい。
今回の飲み会で、場所の予約をお願いしたサトシさん曰く、土曜日に行こうとしていた新橋の店から団体客のキャンセルで店を閉めざるを得なくなったと連絡を受けたという。
また、私の職場の同僚は子どもの卒業式の後の謝恩会やママ友の飲み会が軒並み中止になったという。
おそらくこれは氷山の一角で、東京電力の計画停電の区域外である都心部でさえ、こうした小さな、それでいてサービス業には死活的なイベントの中止が相次いでいることだろう。
東京電力の計画停電が終息し、あるいは日本人が自粛疲れを起こした後で繁華街に繰り出し始めたとき、通いなれた通りの風景が変わっているのをいくつか発見することになるだろう。
そして、サービス産業に従事する彼らの失業はますます日本の停滞要因となってボディブローにように効いてくるに違いない。
なぜなら、彼らも立場が変われば消費者であり、納税者であるからだ。
このコラムの内容は、一部抜粋の上でリンクを貼り付けて経済産業省に意見として送りました。 |
東京電力管内における計画停電が実施されてからちょうど1週間たった。
この間、停電になる、ならない、と東京電力のアナウンスが二転三転するので、実施予定区域内では毎日やきもきしながら過ごした人も多いだろう。
鉄道各線も計画停電初日の3月14日は、ターミナル駅が初詣の時期の明治神宮か川崎大師かと思えるような様相で、かくいう私も横浜駅でその雑踏に巻き込まれ、うんざりしながら通勤したことを覚えている。
これはもはや通勤などという生易しいものでなく、苦行とも言えるもので、計画停電区域に入っていない都心のウイークリーマンションでも借りて住まなければならない、と本気で思ったものだ。
これから毎日こうなのか、と思った矢先、関東地方が好天に恵まれたこともあって、15日以降、少なくとも私の利用している鉄道は普段の土・休日ダイヤ並の頻度で走り始め、今までより少し早起きをしなければならないものの、定時に出社できるようになった。
ところが、去る17日に海江田万里経済産業相が、「朝方からの冷え込みで暖房利用が増え、電力の需給が逼迫したために、同日の夕方から東京電力管内で予測不能な大規模停電発生の恐れがある。」と言ったため、再びターミナル駅は帰宅難民を恐れた多くのサラリ-マンで溢れかえった。
そして、3連休の初日と今日は幸いにして東京電力が計画停電の中止をアナウンスしたため、電車やターミナル駅は行楽客で賑わいを取り戻したかのように見えた。
Fukushima 50(福島第一原発の事故の際に、制御と復旧のために最初に残った50人前後の人たちのことを、海外のメディアが賞賛して呼んだ名:The Guardian - Fukushima 50 battle radiation risks as Japan nuclear crisis
deepens)や陸上自衛隊中央即応集団(CRF)に所属する中央特殊武器防護隊(中特防)、東京消防庁のハイパーレスキュー隊などの決死の努力で福島原発のメルトダウンの危機は次第に和らいでいるかのように見えるが、この危機が回避されたとしても東京電力管内の根本的な電力不足が解消されるわけではない。
まして夏になれば、17日の冷え込み需要など問題にならないくらいの電力需要が見込まれるし、第一、自分が通勤で使っている電車の窓ガラスをよく見てみるといい。
万が一のときに、力ずくで割らなければ開けることができないところが多いのだ。
これで4月末を目処などと言っている計画停電が延長された場合(その可能性は90%以上あると思っている)、室内温度が上がり始める5月中旬以降、ラッシュ時に節電のために電車内の空調を弱めます、と言われたら、具合が悪くなる乗客が大量発生するに違いない。
まして、日本のサラリーマンはなぜかそんな事態になってもクソまじめにスーツを着てネクタイを締めて通勤しそうだからだ。
それに高層ビルのオフィス、マンション、そこで真夏に空調が止まってしまったらどうなるのか。
阿鼻叫喚、そんな言葉しか浮かばない。
もはや今の日本は夏にエアコンなしの生活ができるような状態ではないし、ここでエアコンのなかった昭和40年代以前の話を蒸し返して我慢しよう、などと言うのはあまりにもバカげている。
もし、我慢しようというなら、UAEが夏の過酷な暑さのなか屋外で働く労働者の安全を守るため、7~8月は12時30分から午後3時まで屋外労働を禁止する規則を設けているが、それに類する労働規制が必要となるだろう。
従って、現実的な対応としては、官公庁や企業の休日の分散がいいと思う。
かつて鳩山政権時代に、観光庁が観光産業振興のための祝日分散化を言い出したとき、私は試験的にやってみてはどうか、と思ったものの、世間の大方の反応は芳しいものではなかった。
私に言わせれば祝日分散化に反対した人の半数以上の理由が愚にもつかない、24時間以内に相手からレスポンスがないことがそれほど腹立たしいことなのか、日本人は本当に変わることが嫌いな人たちなのだ、とがっかりしたものだが、もはや電力危機を乗り切るためには、取引先がやっているときに休めないとか、遠隔地の友人が・・・などと言っている場合ではないだろう。
それに、ここで私が主張したいのは、祝日の分散ではなく、官公庁や企業の休日の分散なのだ。
試しに官公庁と銀行の休みを火・水の連休にしてみたらどうだろうか。
なぜ、銀行を入れるかというと来る22日から始まるATMの稼動時間制限のためだ。
次いで大規模工場を擁する事業所を木・金とするなどとすればいいだろう。
そうすることによって、多少の節電努力で夏を乗り切ることができるかもしれないし、レジャー産業や繁華街を犠牲にしなくてもよくなるだろう。
今のまま計画停電などやっていたら、レジャー産業や繁華街が、自粛・節電ムードの中、目の敵にされ続けるのは火を見るよりも明らかだ。
そこで働く人たちだって私たちと同じ生活者なのだし、彼らが被災者救済の大義名分のために犠牲になることは避けなければならないからだ。
石原東京都知事が「政令で節電強制を」と言っているが、これは混乱が収まれば元に戻るという希望を持てる時なら有効かもしれないが、今の状態はそうではないだろう。
要は、この先もずっと電力供給不安が続くようだと、移転可能な企業から続々と東京を離れることになるということだ。
IT時代の先端企業は事業所が日本になくともいいと思っているわけだから昭和時代のオイルショックのときの事例などほとんど役にも立たないのだ。
今、福島原発の放射能漏れの不安から在日外国人の帰国ラッシュが続いている(夕刊フジ-外国人“脱出パニック”本国後押し・・・最後のピザ職人も逃げた!)ようだが(再入国許可手続きのため、品川の東京入国管理局行きのバスにピストン輸送でも追いつかないほど外国人が殺到しているのは事実だ)、この先、電力不安から在京企業までが海外へ行かれてしまったら、どうなるか考えてみるといいだろう。
今回の国難から一刻も早い日本復興を、とは誰しも思っていることだろうが、失われた20年の中で海外脱出の機会を窺っていた人たちにとっては決断の引き金になったのも事実なのである。(日本ビジネスプレス-日本を見限る日本人、大量のパスポート申請 地震と津波のせいなのか、福島第一の原発事故)
無人の店舗外ATM、相次ぎ「節電休止」 (2011.3.18 J-CAST News) |
銀行がATMコーナーの稼働時間を相次いで見直している。 有人店舗の営業時間を短縮、また無人の店舗外ATMコーナーの稼働を一時休止している。 東北関東大震災に伴い、東京電力が実施する計画停電や政府の節電対策の呼びかけに応じた。 無人の店舗外ATMについては、停電などによってATMの操作中に稼働停止になっても対応に時間がかかるなど、稼働することがかえってトラブルのもとになることもある。 三井住友銀行は2011年3月22日から、首都圏を中心とする店舗外ATMを終日休止するほか、有人店舗のATMの稼働時間を9時~18時(毎月25、26日、週末前後の利用の多い日は通常通り)とする。 りそなホールディングスは傘下のりそな銀行の関東エリアと埼玉りそな銀行の店舗外ATMを3月22日から終日休止する。 ただ、東京都内10か所の「りそな」と、埼玉りそなの大宮駅前や浦和駅前、長瀞町役場など利便性や利用率の高い37か所は稼働する。 また、有人店舗の稼働は3月28日から、9時~18時となる。 三菱東京UFJ銀行は「検討中」としている。 地方銀行では、横浜銀行と千葉銀行が3月18日から、有人店舗のATMの稼働時間を9時~18時に。店舗外ATMは終日休止した。 埼玉県の武蔵野銀行も県内の店舗外ATMのうち、自家発電設備を備えた4か所を除き稼働を休止。 群馬銀行は218か所ある店舗外ATMのうち、病院などの緊急性が高い場所にある23か所を除いて休止している。 なお、被災地にあたる茨城県に本店を置く常陽銀行は、水戸市役所支店、大津支店(北茨城市)、福島県いわき市の植田支店のATMが18日16時30分現在、停止している。 |
「節電に強制力必要」石原都知事、政府に政令告示を要望 (2011.3.18 産経新聞) |
東京電力が実施している「計画停電」について、東京都の石原慎太郎知事は18日、海江田万里経済産業相に電気事業法の政令による電力使用制限などを求める緊急要望を提出した。
などの問題点を挙げ、大規模施設への計画的な使用制限や、ネオンサインの使用禁止などの規制を可能にする電気事業法の政令告示を求めた。 |
東日本大震災:計画停電 「大停電」薄氷の回避 東電管内、列車間引き 対策強化検討 (2011.3.18 毎日新聞) |
海江田万里経済産業相は17日、緊急会見し、同日夕から東京電力管内で「予測不能な大規模停電発生の恐れがある」ことを明らかにした。 朝からの冷え込みで暖房利用が増えた上、帰宅ラッシュで列車本数の増える夕方以降、電力需要が供給を上回る見通しとなったため。 この日は列車の間引き運転などで大規模停電は回避したが、需給逼迫(ひっぱく)のリスクに直面したことを受け、東電は計画停電強化の検討に入った。【増田博樹、宮崎泰宏、石原聖】 東電は同日午前7時から、地域ごとに五つに分けたグループへの電力供給を順番で止める計画停電を開始。 寒さの影響で、午前9~10時の平均需要は3330万キロワットと、供給能力の3350万キロワットの99.4%に迫り、14日からの計画停電で初めて、対象地域全1440万世帯の電気を止めた。 午前中に停電した計599万世帯については夕方にも、同日2回目の停電を実施。停電世帯は延べ1820万世帯に達した。 それでも午後6~7時のピーク時、4000万キロワット超の需要が見込まれたことから、海江田氏は会見で、大規模停電の可能性に言及しながら「電力消費を自粛してほしい」と呼びかけた。 これを受け、鉄道各社が17日夕の帰宅ラッシュ時、列車の運行本数を減らすなど、大口需要者らによる節電の動きが広がり「夕方の需要を、供給より少ない3050万キロワットに抑えられた」(東電の藤本孝副社長)。 だが、東電は18日も、夕方の需要が4000万キロワットと、供給能力(3400万キロワット)を上回ると予想している。 藤本副社長は17日の会見で、▽停電時間(現行最大3時間)の延長▽夕方の需要ピーク時の同時停電グループ数を、現在の2組から3組に増やす--などの計画停電強化策を検討する意向を示した。 東電によると、電力需要が供給能力を上回った場合、一定地域ごとに停電させることで対応する。藤本副社長は「(東電管内が一度に)全部停電することは絶対ない」と語った。 |
14日から計画停電 菅首相が了承 国民にも電気機器使用控えるよう要請 (2011.3.13 産経新聞) |
菅直人首相は13日の記者会見で、東日本大震災を受けた電力不足に対応し、「東京電力が14日から計画停電(輪番停電)を実施することを了承した」と表明した。 東京電力の計画停電は、1都8県で、地域ごとに交代で電気を止める。 東電が計画停電を実施するのは初めて。4月末まで実施される見通し。 震災では、産地の被災や物流の混乱によって食品、飲料、ガソリンなどが被災地だけでなく全国的に入手しにくくなっている。 企業の生産停止も拡大。計画停電によって、生活や企業活動への影響がさらに大きくなる。 計画停電は、東北電力も15日以降の実施を検討している。 東日本の深刻な電力不足が浮き彫りとなった。 海江田万里経済産業相は同日、電力不足について「異常事態に直面する可能性が高い」と指摘。産業界に対し、業務用の暖房、照明や夜間のネオン自粛、国民にも不要不急の電気機器の使用を控えるよう協力を要請した。 |
友人のスマイリーさんの紹介でソーラーライト・スピカというものを買ってみた。
これはタカショーというエクステリア、ガーデニング等の庭づくりの商品を作っている会社のものなのだが、先週起こった東日本大地震の影響で東京電力管内で実施されている夜間停電対策にもなるようだ。
もっとも太陽光を使ったライトということであれば他の商品もあるが、今回の計画停電が終息(いつになるかわからないが)すれば、本来の用途、要するに庭の夜間照明として使えるのと、単価が600円と安かったので試しに1つ買ってみることにした。
明るさの程はご覧のとおり、強力な懐中電灯とは比べるべくもないが、3時間程度の停電であれば何とか凌げそうな感じだ。
仕様は日中に太陽光で充電し、暗くなったら自動点灯するようになっていて、夏ならば6時間は持続できるという。
もっとも夏になるまで東電の計画停電が持続するようなことになれば、熱射病による死者が出かねないので、それだけは勘弁して欲しいと思う。
しかし、現実は厳しく、東京電力が4月末を目処とするなどと言っている計画停電の長期化は避けられないような気がするし、もし、そうなった場合、ヒートアイランドと化した首都圏に住む私たちはどうやって夏を越すのだろうか。
昨日の3時前、職場で仕事をしていると突然大きな揺れがきた。
普段の感じとは違う断続的な地震に職場にいた全員が机の下に隠れる。
何しろ私たちのいる職場の建物は築何十年という現在の耐震基準では?がつく代物、そんなことを知らない20代の人たちはテレビやネットの速報で伝えられる震度と自分たちの体感の違いを口々に叫ぶ。
階下のフロアでは来客を全員外へ避難させ、スタッフも避難し始めた。
そのうち三陸沖で大きな地震があって、それが関東一円にも及んでいるとの情報が入る。
どうやら電車も全部止まったらしいということで、職場で一夜を明かそうかと思った。
夕方6時前になって、幸か不幸か私への職場待機命令は下されなかったため、上司から「気をつけて帰れよ」との声がかかる。
ところが、よくよく考えてみれば帰ると言ってもどうやって?というのが現実だった。
電車が止まっているため、お客が殺到する前に最寄りの居酒屋で夕食を取り、まるで初詣のような雑踏を歩いて渋谷までたどり着いてみたものの、近隣のホテルは予想通り満室だった。
また、かつて夜明かしをしたインターネットカフェも既に満室、都内で帰宅できない、いわゆる「帰宅難民」をすべて受け入れられるほどのキャパシティはないから当たり前だった。
かといって夜の9時過ぎから翌朝まで居酒屋やファミリーレストランなどで粘る気力はなかった。
携帯電話は不通(FacebookやmixiのようなSNSへの接続は大丈夫だった)、公衆電話も長蛇の列で家族への連絡もままならなかった。
そのうち友人のジョニーさんから携帯に電話が入り(なぜ、彼の電話が着信できたのかは不明だが)、六本木のワールドインベスターズトラベルカフェで友人たちが集まっていると言ってきた。
皆が渋谷や新宿といったターミナル駅を目指している中、わざわざ六本木を目指すというのも悪くないと思った。
そこでも渋谷や新宿のように24時間営業の店があるのを知っていたし、カフェ自体も金曜日は翌7時までの営業だからだ。
ところが、普段であればバスで十数分の六本木、この日は江戸時代の旅人のように歩かないといけなかったのだ。
途中、東京メトロの表参道駅や銀行の24時間ATMのフロアには新聞紙を敷いた人たちが溢れていて、いっそのこと私も駅で仕入れたフリーペーパーを敷いてそこで夜明かししようかと思った。
実際にやってみて8時間を耐え忍ぶのは辛かろうとは思ったが、東北地方の被災者のことを思えば、贅沢なことは言っていられなかった。
30分ほど経っただろうか、フト思い立って私は六本木を再び目指すことにした。
途中でキャスターバッグを引きずる外国人が通りすがりの人に六本木への道を聞いているのを耳にしたからだ。
彼に付いていけばカフェに辿り着ける、そう思った私は最後の気力を振り絞って歩くことにした。
途中の公衆電話から自宅へ電話をかけ、自宅も家族も無事であったことを確認した私はホッと胸をなでおろす。
数年前に地震対策として家具転倒防止器具を付けたことが効を奏し、本や食器棚の皿すら落ちてきてなかったと言っていた。
そして、夜の10時過ぎにワールドインベスターズトラベルカフェに着いてみると、ドアが閉まっていていてスタッフが「今日は閉店なんですよ」と言ってきた。
あれ、ここは金曜日は翌朝の7時までが営業時間だったはず、と思っていたが、どうやら震災の影響のようだ。
店内にいた友人の1人と少し話をしてから、再度帰宅難民と化した私は六本木ヒルズの近くにある天然温泉薬石浴『嵐の湯』を目指して歩き始めた。
ところが、ここも通常の営業時間ではなく、早々に店じまいをしていたのだった。
仕方なしに、ぶらぶらと六本木交差点の方へ戻りかけたとき、一軒のエジプト料理店「ネフェルティティ東京」の灯りが見えた。
「何時までやってるの?」と聞く私に「夜の0時過ぎかな」というアバウトなエジプト人、ビールで喉を潤し、会計を済ますと、彼は帰り際に「どこか泊まるなら六本木プラザホテルが穴場だよ。渋谷は皆が行くからダメだね。」と教えてくれた。
そして、東京メトロの六本木駅1C出口から2出口へ行きかけたときに私が見たものはフカフカのソファとテーブルだった。
渋谷駅や表参道駅の構内で新聞紙を敷いて寝るのに比べれば、まるで飛行機のビジネスクラスの座席のように快適に思えた。
もちろん、どこかのカフェやレストランのものでなく、公共空間にポツンと置かれ、1組のカップルがそこにいただけだった。
いくらエジプト人が穴場ホテルだと教えてくれたところでもネット予約が発達している日本において空室があるとは思えなかった。
私もそのフカフカのソファに身を沈め、図書館で借りた本を読みながら夜明かしをしようと決意した。
ところが、日付が変わる前、私のそばを風が通り抜けるような感覚を覚えた。
それは何か不思議なお告げのようなものだった。
その不思議な風に乗って東京メトロの日比谷線の改札口へ行くと、駅員が日比谷線の中目黒方面行きも、それに連なる東急東横線も動き始めていると言う。
最終電車はいつなのかわからないが、夢遊病者のように電車に乗った私はいつの間にか横浜へたどり着いていた。
駅の構内は東京メトロの大江戸線が動き出した頃と比べれば雲泥の差で、車内は座って寝ることすらできたほどだった。
JRが止まっていたため、横浜駅構内には数人の夜明かし組が新聞紙を敷いていたが、幸いに私はそうすることなく帰宅できた。
自宅に着いたときは、夜の2時過ぎ、私にとって長かった1日が終わりを告げた。
夜が明け、心の落ち着きを取り戻したとき、初めての欧州旅行で一緒に行った友人たち、仙台市青葉区に住む浩一と、宮城県女川町に住む木村の安否が気になった。
ここ数年会っていないが、果たして無事でいるのだろうか。