9/6(Tue) | リンダウ観光とブレゲンツへの小旅行 |
宿泊先 | Hotel-Gasthof Zum Anker / 110M (\7,150) per night |
諸費用 | ボーデン湖遊覧: 11M=\720 |
関連サイト | 欧州総合リンク オーストリア ドイツ ボーデン湖 |
友人曰く「ドイツは英語が通じるし、親切だから地図を見ながら町を歩いていると声をかけてくれる。」とのことだ。
確かに私も初めて海外旅行へ行った時、ハイデルベルク(Heidelberg)を歩いていたときに、綺麗な金髪のお姉ちゃんに道を教えてもらって(もちろん当時のことだから何と言っていたのかわかるはずもないが!)嬉しかった記憶があるし、IC(Inter-City Trains)の車内でオバサンに話しかけられた記憶もある。
まあ、友人にしてみれば、たった4年前にそのような経験があったので、それを口にしたのだろうが、私にしてみれば、昨夜のレストランで"water"すら通じないのに業を煮やして、思わず日本語で「水」と言ってしまった記憶が生々しいので、にわかに信用する気にはなれない。
今回の旅行が、今までと決定的に違うのは、ホテルを確保した時点で朝食が料金に含まれていることが多いということだろう。
ここのホテルもまた然りで、私たちが割高なホテル代の元を取るべく、バイキング形式になっていた朝食をたっぷりと取ったのは言うまでもない。
また、4段重、5段重のサンドウィッチを作って、こっそり外へ持ち出すのも忘れない。
もちろん、今日の昼食は、公園のベンチでこの特製サンドウィッチを食べることになるだろう。
朝食を終えた私たちだが、本来であれば、このまま観光へ行くのであろうが、今日ばかりはやるべきことがある。
それは、今夜のホテルの確保である。
何と言っても、昨日は"We want to stay tonight only."だったから今日の11時までには"Check out please."か"We want to stay one day longer."の意思表示をしなければならない。
そういうわけで、私たちはホテル探しに町へ出るわけだが、昨夜もそうであったように、ツィマー(Zimmer)やガストホフ(Gasthof)、ゲステハウス(Gästehaus)、パンジオーン(Pension)
という格安な宿は、自力でホテル探しをしようとすると、思ったよりも難しい。
例えば、「レストランのついでにホテルをやっている」という色合いの濃いガストホフ(Gasthof)
の場合、「いつでもホテルの入口が開いているわけではない」からである。
従って、私たちも「早い時間に見つからなかったら"one day longer" にしよう。」という合意があった。
しかし、私たちは幸運であったのか?
アンカー(Anker) というツィマー(Zimmer=日本の民宿のようなもの)を割合早く見つけることができた。
待遇も昨夜のところと、それほど遜色がなかったので、今夜の宿を移ることに、何ら異存はなかった。
リンダウ(Lindau)の町はそれほど大きくないので、半日程度で充分見てまわることができる。
とは言っても、頼りになるガイドブックは、観光案内所でもらった英文のパンフレットと、それを抜粋して和訳しただけと思える「地球の歩き方」のコピーがあるだけである。
それでも、みどころは、旧市街のメイン・ストリートである、マキシミリアン通り(Maximilian
Straße) を中心として歩けば、到着することができそうなことがわかる。
私たちが、朝一番で立ち寄った、切手を舐め舐め貼った後で、駆けつけ一杯とばかりにビールをクイッ!とやってしまった(こんなことが許されるのかな?ドイツは!)豪傑なお姉さんのいるCentral Post Office(中央郵便局)も駅に行く手前で、ツェッペリン通り(Zeppelin Straße) に曲がれば良い。
また、Thief's Tower and St. Peter's Church (War Memorial) (ペテルス教会)も方角的にはこちらの方である。
続いて、マキシミリアン通り(Maximilian Street) を東へ行くと、Old Town Hall, Municipal Archives (旧市庁舎)が右手に見え、つきあたりを左のCramergasseに入ると、マルクト広場(Marktplatz)に出る。
そこには、St. Stephan's Church (Protestant) (シュテファン教会)、Convent Church (Catholic) (修道院)にCity Museum-House "zum Cavazzen"(カヴァーツェンの家)も見ることができる。
と、いうことだが、私たちがここでしたことは、史跡撮影会というべきか、外観だけをカメラに収めるといった典型的な"Japanese tourist"的行動であるが、「同じようなものを場所を変えて見ても!」という気持ちが大きかったのが、一番の要因ではないだろうか?
それに、これらの史跡に関する情報は、すべて英文のパンフレットを解釈しなければならず、この時点では当然のこと、今でさえ解釈しようという気はないのが現実である。
まあ、これにて午前中の予定であった、史跡の写真撮影会(!?)は、終わりということになりそうだ。
晴れた日の昼下がり、湖畔のベンチで木漏れ日を浴びながら昼食を取るというのも、格別なものである。
まさに、これをするために、ホテルで4段重、5段重のサンドウィッチを作り、スーパー・マーケットにてわずか0.99DM(99Pfennig/ペニヒ=\64)のビールを買って、ここまで来たのだから・・・
ドイツはビール好きにとって天国であると言われるが、価格の点からからみても、決して大袈裟な表現ではないと言えそうだ。
でも、ペニヒってちょっと発音間違えるとまずいんでないかい?
但し、ドイツ語圏で美味しいのは、友人曰く「ビールにワイン、それにソーセージとハムだけ!」と、言うだけに、グルメの旅をするなら、英語圏同様に対象外とすべきであろう。
私に言わせれば、最も不味い黒パンは、失礼ながら、湖岸にたむろする鳩の餌として、利用させて頂くのが最上の方法である。
ここの鳩たちは、この黒パンを最も美味しそうに食べてくれる動物の1つと言えるからね〜
私たちの滞在しているリンダウ(Lindau)は、ボーデン湖(Lake Constance/Bodensee)に浮かぶ「リゾート・アイランド」である。
従って、ここでは史跡巡り(Tour Through the Island's History) と同じくらいのスペースで、多種多様なリゾートライフ(Activity
Holidays) が、現地パンフレットに紹介されている。
つまり、夏の間、ここでは、湖で泳いだり、サイクリングを楽しむといった方が、リゾート・ライフを満喫するには、良さそうであるが・・・
と、言っても私たちには、ここであえて湖水浴をしなくても、地中海の太陽が降り注ぐコート・ダジュール(Côte
d'Azur) が待っているので、ここならではのプログラムを選ぶ方が良いだろう。
そこにうまい具合にあったというか、シナリオがあるかのように、私たちが昼食を取っていたそばの桟橋から湖上遊覧船 が出るというというではないか。
まさに「渡りに船」とはこのことで、私たちがさっそくこれに乗り込んだのは、言うまでもない。
まさか出国審査ゲートもない小さな桟橋から国際便が発着するとは思えないが、ボーデン湖(Bodensee)は、ドイツ・オーストリア・スイスと3ヵ国と国境を接しているので、念のために"Will you return here?"ということだけは、聞いておく。
そして、乗り込んだ遊覧船!船内のアナウンスはドイツ語だけなので、もちろん私たちに理解することは不可能というもので、専ら船上からの景観を楽しむことに全精力を注ぐ。
その間、「郷に入っては郷に従え」を信条(!?)とする私はビールを飲むのも忘れない。
また、船上から見えるボーデン湖(Bodensee)沿岸の諸都市には、遠景でありながら、中世風の建物や教会のようなものが見られ、どこだろう?という詮索をしたくなりそうだ。
当然ながら、どうしても知りたければ、他の船客に英語で聞くという手もあるが、そこまでするのもばかばかしい気がしないわけでもない。(と、いうより返ってきた返事が聞き取れない!)
と、いうわけで、私たちは素晴らしい景色を満喫することができたわけだが、"Activity
Holidays"の紹介にもあるように、ここは水上スポーツのメッカでもあるわけだから、現地のドイツ人のようにそれらに興じのんびりと休暇を過ごすのも一考であろう。
あるいは、他の沿岸都市であるフリードリヒスハーフェン(Friedrichshafen)、マイナウ島(Insel
Mainau)、メールスブルク(Meersburg)、コンスタンツ(Konstanz)などへ船で"excursion"といくのも悪くない。
いずれにしろ、ここでは日本人好みの史跡撮影会(!?)だけを目的にするのは、考えものであると言えよう。
午後2時、この時点で史跡巡り、ボーデン湖(Bodensee)遊覧と、一連の観光を終えた私たちは、ぶらぶらと湖岸を歩いて時間を潰す。
しかし、この小さなリンダウ(Lindau)の中だけでは、大方の地域は散策しつくし、後は"excursion"をする以外に有意義な時間を過ごす術はなさそうである。
そこで、思いついたのは、列車でオーストリアのブレゲンツ(Bregenz)へ行くことである。
もちろん、"excursion"をするなら上述の沿岸都市へ船で行く手もあったが、どのくらい時間がかかるのかわからないところへ行く冒険は、午前中ならいざしらず、今となっては遅すぎた感がある。(言葉の通じにくい外国では日本のような行動は絶対に取れない!)
ただ、欧州自由旅行を目指す日本人旅行者のバイブルである、"Thomas
Cook European Timetable" も「地球の歩き方」も持ち合わせない状況(私たちはホテルから散歩に出ただけなので、そんなものはすべてホテルの部屋の中!)で、衝動的に他都市へ行くということも、一種の冒険ではあるが、ヒンタートゥックス(Hintetux)なんていう、おそらく年間1千万人と言われる、日本人海外渡航者の中で10人と知っているか?という村へ、いきなり行ってしまったことを思えば、なんていうことはなさそうだ。
と、いうことで、私たちはウィンドウ・ショッピングをしながら、駅に向かうことになったが、列車が何時に出発するかも知らないで行くのだから、いかにこのプランがいい加減かわかるというものである。
それでも、駅に着いてみれば、それほど待たなくても列車はありそう(15時08発)だし、市バス(Line
6)でも行くことができそうな感じで、「案ずるより生むが易し」とはよく言ったものだな!と思った。
もちろんチケットは、往復(Rückfahrkarte/リュックファーカルテ)にしたのだが、ブレゲンツ(Bregenz)へ行く路線はオーストリア国鉄(ÖBB)の管轄なのか、近距離往復割引切符(Sparticket/50km以内)となっていたようだ。
ブレゲンツ(Bregenz)の観光に費やすことのできる時間は、1時間余りと、意志疎通に手間取る外国の町を散策するには、あまりにも過酷な状況である。
なぜそうなるかと言うと、復路の列車の出発時刻が、ブレゲンツ(Bregenz)発16時45分の普通列車となっているからだ。
もちろん、この列車が最終ではないので、もっとゆっくりと観光できないこともなかったのだが、買い出しのためのリンダウ(Lindau)のスーパー・マーケットの閉店が、18時という驚くべき早さであり、しかも唯一持っているというか、使い残してしまったオーストリアの紙幣(500AS=\5,500)を小額の買い物で崩すことはしたくない!という思惑もあって、このようなスーパー・プレイを要求されるハメになってしまったのだ。
しかし、私たちは観光案内所で、何と大胆にもドイツ語のパンフレットを手に入れると、その中にある写真と地図を頼りに、カイザー通り(Kaiser
straße)を目指して歩く。
ここへ行く理由は至って簡単!この通りを真っ直ぐ行くと、パンフレット上に見どころと思われる番号が、たくさん振ってあるからだ。
その中で、表紙の写真を飾る玉葱型の屋根がある建物も、このエリアにあるようなので、ここへ行くことにしたわけだ。
帰国後で知ったところによると、これが市のシンボルと言われている、マルティン塔(Martinsturm)であるみたいで、行き当たりばったりでも、押さえるべきところは押さえていたようである。
また、ここへ行く途中でカメラに収めた教会!マルティン塔(Martinsturm)へ行くのに大回りをした記憶があるので、これがおそらく、聖ガルス教会(Pfarrkirche
St. Gallus)ではないか?と未だに思っている。
この後は、坂道を下りて、湖畔に行き、リンダウ(Lindau)の鳩たちにあげきれなかった餌(黒パン)をここの鳩にやりながら、駅へと向かうことになる。
ブレゲンツ(Bregenz)への"excursion"も、どうやら時間切れになりそうだ。
しかし、わずか1時間余りという制約の中で、これだけの成果が上がれば、ひとまず成功と言えよう。
私たちは夕食をホテルのレストランで取ったので、わざわざ見に行かなかったが、リンダウ(Lindau)でのナイト・ライフの楽しみとして、Lake
Harbourでは"daily concerts"も、5月から9月までの毎月曜を除いて開催されていたようである。
そして、忘れてはならないのが、European resortにつきものの社交場のカジノもある。
まあ、これについてはコート・ダジュール(Côte d'Azur) のリゾート、モンテ・カルロ(Monte
Carlo) にて楽しむことになっているので、ここで浪費(!?)をする必要もないだろうが、"daily
concerts"は雰囲気だけでも味わいに行っても良かったかな?とも思った。
もちろん、私たちの場合、夜風に吹かれてビールを飲むだけに終わったかもしれないが・・・
9/7(Wed) | リンダウ 10:29-(DB/EC92"Angelika Kauffmann")-11:58 ヴィンテルトゥール 12:24-(SBB)-12:37 チューリヒ・クローテン空港 チューリヒ(クローテン) 15:40-スイス航空(SR)=現在のスイスエアーラインズ(LX)750-16:50 ニース(コート・ダジュール) |
宿泊先 | Chatham / (ツアー料金に含む) |
[booking sites for you / All Hotel in Nice (英語)] | |
諸費用 | EC(Euro-City Trains)92-Angelika Kauffmann (2等車): 43.4M=\2,820 バス / コート・ダ・ジュール空港-ニース市内: 60FF=\380 |
関連サイト | 欧州総合リンク スイス フランス ドイツ モナコ コート・ダ・ジュールとニース チューリヒ ボーデン湖 |
ホテルをチェックアウトしようとする時に、手持ちの現金が宿泊代(110M=\7,150)ぎりぎりしかないとわかったとき、ホッとするより、ホテルで飲み食いをして"Please
put this on my room. (私の部屋に付けといて下さい。)"なんて、言ってないか?とか、金の計算間違いをしていないか?なんてことまで気になるものである。
そして、それらをすべてクリアーし、荷物を持ってチェックアウトしようとして、その請求額が113M(\7,350)と言われたとき、私は一瞬青くなった。
加算された 3M(\200)が何であったかは忘れてしまったが、ツィマー(Zimmer)のようなホテルでクレジットカードは使えないし、銀行へ行くには時間が早すぎる。
そこで、私はどうしたか?というと、部屋の枕元に置いたチップを回収させてもらうことにしたのだ。
もう部屋の鍵すら返してしまったこの状況下で、乏しいボキャブラリーの中から出てくるセリフはただ1つ!
"I left something in my room. (部屋に忘れ物したんだけど)"と言って、部屋に戻って3M(\200)を掻き集めたのは言うまでもない。
ところで、枕元に置くべきチップはどうなったか?と言うと・・・
それこそ、こう言っておくべきかもしれない。
"I can't help it. (しようがない)"と・・・
しかし、私たちは駅まで行く間に銀行へ行って両替をしなければならない宿命にあることに変わりはない。
なぜなら、リンダウ(Lindau)からチューリヒ・フルークハーフェン(Zürich
Flughafen)まで行く列車の運賃の支払いは、現金でなければならないからだ。
結局、友人が一括両替した金でチケットを買い、余りは私たちの土産代とすることになった。
そして、私は、昨日も立ち寄った、英語のほとんど通じない親父しかいない駅前のTシャツ屋へ、友人は昨日サイフを買った店を探すと言って、マキシミリアン通り(Maximilian
Straße)へ戻って行った。
果たして、「昨日と同じ土産屋」を探しに行った友人は、無事に同じ店へたどり着けただろうか?
また私の入ったTシャツ屋に売っていたものって凄かったね!
何と素っ裸のお姉さんが9人、Tシャツに刷り込まれていて、誰買うんだ?ってのあったからね〜
さすがドイツって感じだったね〜
私たちが乗る"EC(Euro-City Trains)92号<Angelika Kauffmann号>"は、オクトーバーフェスト(Oktoberfest=10月の第一日曜を最終日として15日間開催されるビール祭りで、今年は9月18日〜10月2日)で有名なミュンヘン(Munich)と、国際金融市場として名高いチューリヒ(Zurich)を結ぶ国際特急列車である。
従って、私たちがインスブルックからドイツへ入るときに、最終的にはミュンヘンで宿泊できるプラン[例えば、ガルミッシュ・パルテンキルヘン(Garmisch-Partenkirchen)へ行ったり、フュッセン(Fuessen/Füssen)でノイシュバンシュタイン城(Castle Neuschwanstein)を見るなど]を選択したとしても、この列車でチューリヒに行くことは可能だったと言えるのだ。
そして、私たちが乗った列車は、定刻にリンダウ(Lindau)を出発する。
ここまで約1週間、ドイツ語圏を列車を使って旅をして来たが、一昔前までドイツ(旧西ドイツ)であっても列車の多少の遅れは止むを得ない。
まして南欧は時間通りに着けば奇跡!と言われていた、ヨーロッパの鉄道事情は相当の改善が見られるようで、2年前のギリシャを除いては、ほぼダイヤに忠実と言えそうだ。
途中、オーストリアとスイスの国境を通過するので、それぞれの審査官が乗り込んで来るが、ここでも審査などは無きに等しい状況で、私たちのパスポートに押されたスタンプは、依然として日本出国の印だけだ。
また、この列車の2等車は残念ながらオーストリアで乗ったIC(Inter-City Trains)と違って、コンパートメントにはなっておらず、ビールを飲んでグーグーというわけにはいかなかった。
しかし、そこは私たちのこと、余ったドイツマルクでビールを買って「朝酒」を楽しんだのは当然である。
そろそろ、車掌に"Change a train at Winterthur."と言われていた、ヴィンテルトゥール(Winterthur)が近づいてくる。
ここで、私たちは列車を乗り換えて、目指すチューリヒ空港(Zürich Flughafen)へ行くのだ。
いよいよ、これでドイツ語圏とも名実ともにお別れである。
とは言っても、出発まで3時間の間隔があるというのは、あまりにも中途半端である。
もう1時間あれば、確実にチューリヒ中央駅(Zürich Hauptbahnhof)まで行って、市内で昼食を取るようなプランとなっていただろうが、ここは空港内のカフェで時間潰しをするしかなさそうだ。ところで、スイスからフランスへ行くルートとして、日本のパックツアー客に愛され続けているTGVを使って、ジュネーブ(Genève)かローザンヌ(Lausanne)からパリ・リヨン駅(Paris Lyon)へ行く有名なものがあるが、この種のツアーはたいてい幕の内弁当が付いているという。
果たして美味しいのだろうか?
私なら勝手に食堂車でワイン飲んでフランス料理食うけどね!
チューリヒ空港(Zürich Flughafen)を飛び立ったスイス航空(SR)=現在のスイスエアーラインズ(LX)750便は、わずか1時間余りの後にはニースのコート・ダジュール空港(Côte d'Azur Airport)に到着した。
本来であれば、鉄道網の発達したヨーロッパ内の移動は、EC(Euro-City Trains)
などを使って車窓の景色を満喫しながら行くのが良いのだが、実のところスイスから南フランスへ行く直通列車は、ジュネーブ(Genève)とニースを往復する2本だけで、他都市や第3国から行くときは、たいていミラノ(Milano)を経由することになるので、イタリア領内を通過しながらどこも観光しないで行くのは、あまりにももったいない話である。
フランスは、今回の旅行で唯一入国カード(la carte de débarquement=ラ・カルト・ドゥ・デバルクマン)を書いた国なので、初めてパスポート上に旅の足跡を残すことができると、期待していたが、やはりここでもパスポートは見るだけで終わりとなった。
「紺碧の海岸」という意味を持つコート・ダジュール(Côte d'Azur)は、地中海に面したフランス最大のレジャー・リゾート地帯で、東はイタリア国境近くのマントン(Menton)からモンテ・カルロ(Monte-Carlo)、ニース(Nice)、カンヌ(Cannes)を経て、西のサン・ラファエル(St. Raphaël)、サン・トロペ(St. Tropez)に至るビーチ・リゾートと、内陸部のサン・ポール・ド・ヴァンス(St. Paul de Vence)やエズ・ビラージュ(Eze Village)に代表される素朴な中世風の町並みが残る地域と、2つの顔をもつところである。
もちろん、私たちがここに来た目的は、地中海の輝く太陽を浴びてのビーチ・リゾートに、夜はフランス料理を味わい、カジノに興ずることであるから、おのずと行き先は決まってくるのである。
そして、このコート・ダジュール(Côte d'Azur)一帯のビーチ・リゾートは、その3要素を満たせる地域がふんだんにあることが、また選択に迷うところでもあるのだ。
まず、第一にここのビーチ・リゾートは、トップレス発祥の地として知られるサン・トロペ(St.
Tropez)のタヒチ海水浴場(Plage de Tahiti) やパンプロンヌ海水浴場(Anse de
Pampelonne)は、もちろんのこと、世界各地で惜しげもなくトップレスを演じる、フランス人のリゾートが目白押しだから、いずれの場所でも目の保養ができる可能性があるというものである。
あるいは、ビーチではほぼ全員がオールヌードで、"Miss & Mr. nude contest" まで開かれた、という写真週刊誌報道もあった、ルヴァン島(Ile du Levant)まで事実調査に行くという手もあるが・・・
第二に、グルメ(gourmet) という言葉が、フランス語で「味覚通,食通」を意味することからも、ここで食事を楽しむということは、何ら異存のないことである。
第三に、カジノに興ずるという目的であっても、ここは何不自由ないところである。
超有名なモンテ・カルロ(Monte-Carlo) のグラン・カジノ(Grand Casino)は言うに及ばず、ニース(Nice)やカンヌ(Cannes),マントン(Menton)にもカジノがあるので、「カジノ・フリーク」には応えられない場所であろう。
つまり、今まで経由してきたところは、いわゆる観光地であったが、ここでは観光は付録程度になることは間違いのないところである。
ニースで泊まるホテルは、近畿日本ツーリストを通じて予約していた3つ星ホテル、シャタム(Chatham)である。
このホテルは、空港から海岸沿いに東へ伸びる、プロムナード・デ・ザングレ(Promenade
des Anglais) の終点である、アルベール1世庭園(Jardin Arbert I) から歩行者専用通り(Rue
piétonne)であるパラディ通り(Rue Paradis) を抜けた、アルフォンス通り(Rue
Alphonse-karr) 沿いにあり、もう少し行くと、ヴィクトル・ユーゴ通り(Boulevald
Victor Hugo) に達する。
ここへ行くには、空港から市内へ行くバスに乗り、アルベール1世庭園(Jardin Arbert I) が近づいたところで降りて、後はMAPを見ながら歩けば良い。
バスを降りるところについては、車内に停留所の案内などもあるが、乗客に聞くのが一番良さそうである。
けれども、私の場合は、友人が「即席の道案内兼インスタントガイド」をやってくれるので任せておけばOKかもしれない。
なぜならば、彼が目を皿のようにして、地図と車窓の景色を見比べているのだから・・・
9/8(Thu) | モナコへの小旅行 |
宿泊先 | Chatham / (ツアー料金に含む) |
[booking sites for you / All Hotel in Nice (英語)] | |
諸費用 | SNCF / ニース-モンテ・カルロ (2等車): 17FF=\300 |
関連サイト | 欧州総合リンク フランス モナコ コート・ダ・ジュールとニース |
今日の予定は、「地中海の輝く太陽を浴びてのビーチ・リゾート」ということになっているのだが、肝心かなめの太陽が出ていない。
もしかすると、年間75日以下と言われている雨天に見舞われるという不幸の訪れを予感させるようである。
そこで、私たちは決意した。
今日と明日の予定をそっくり入れ換えることを・・・
私たちの泊まっているホテルからSociété National des Chemins de Fer Français (SNCF=フランス国鉄)のニース・ヴィル(Nice-Ville)駅へ行くには、ヴィクトル・ユーゴ通り(Boulevald Victor Hugo)を越えてパガニーニ通り(Rue Paganini)に入って直進すれば良い。
そして、そこからベンティミリア(Ventimiglia) 行きの列車を選択すれば、私たちの目指すモンテ・カルロ(Monte-Carlo)に到着できる。
ちなみに、コート・ダジュール(Côte d'Azur)一帯をカバーするように、夏季のバカンスシーズンを中心として運転されている便利な列車が、メトラジュール(Metrazur)と呼ばれて、ベンティミリア(Ventimiglia)からサン・ラファエル(St.
Raphaël) までの区間を結んで、約30分毎に運転している。
ニース・ヴィル(Nice-Ville)を出発した列車は、夏のバカンスシーズンの名残のような雰囲気を車内に漂わせて、イタリアとの国境駅であるベンティミリア(Ventimiglia)
を目指す。
モンテ・カルロ(Monte-Carlo)まで行く途中にも、アフリカのカスバを偲ばせる迷路の旧市街も持っているヴィルフランシュ(Villefranche)、そして中世風の雰囲気が残るエズ・ビラージュ(Eze Village) へ行くための最寄り駅がある。
また、モンテ・カルロ(Monte-Carlo) の先も、中世ムードいっぱいのロックブリュンヌ・カップ・マルタン(Roquebrune
Cap Martin)、コート・ダジュール(Côte d'Azur)第三のリゾート地のマントン(Menton)と経由して、ベンティミリア(Ventimiglia)まで走る。
ちなみに、切符の自動販売機に犬の絵があるところをみると、列車に犬も連れこめるのかもしれないね。
モンテ・カルロ(Monte-Carlo) に到着したのは正午前、空は今にも泣き出しそうな状態で、ここに来たという選択は、とりあえずのところ正解だったと言えようか?
まず、最初に行くべきところは、何と言ってもモナコ大公宮殿(Palais du Prince)のあろう。
残念ながら出足が遅れたために、正午から行われていたという、衛兵交代式は見ることはできなかったが、13世紀初頭の建築様式から各時代の建築美を一度に目にすることができるという宮殿を見ることができた。
また、パレ広場(Place du Palais) から一望にできる港(Port de Monaco)の景観は見事である。
ただ、惜しいのは何といっても雨模様の空!
同じ景色でも天気の善し悪しで結構違うものである。
雨が次第に強くなって来る中で、次に行ったのはモナコ大聖堂(Cathédrale)である。
ここは、華麗なロマネスク・ビザンチン・スタイルで建てられたモナコ教会であり、その外観とともに内装の高い祭壇と白いカラーラ大理石で作られた司教座、祭壇の背後の飾り絵が、みどころのようだ。
もちろん、この周囲はモナコの旧市街となっているので、散策には絶好のロケーションであるが、ここでも恨みの雨となってしまったようだ。
まあ、いくら昼からやっているとは言え、カジノに入るのは時間的に少し早すぎるので、あとの名所見物をと、なるところだが、観光用のパンフレットによれば、残りはほとんどが博物館や公園、庭園の類なので、ここはパスというところか!
結局、私たちはカジノへ入るまでの時間つぶしをするまでもなく、モンテ・カルロ(Monte-Carlo)
をあとにすることにした。
天気さえ良ければ、途中のエズ・シュル・メール(Eze sur Mer)で下車して、格好のハイキング・コースと言われる、ニーチェの道(Chemin
Frederic Nietsche)を散策して、時間つぶしをすることもできたのだが、それもままならないようだ。
従って、最後の楽しみは、旧市街(La Vieille Ville)でフランス料理を賞味することに尽きそうである。
そして、今夜もたっぷりと4人前はあるスープがテーブルに運ばれて来るに違いない・・・