9/13(Mon) | アムネシア(Amnesia)の泡パーティ(Fiesta de Espuma/Foam Party) 5:00から イビサ 8:40-スパンエアー(JK)5649-9:50 マドリード(バラハス) マドリード市内観光 マドリード(バラハス) 16:40-ライアンエアー(FR)7756-16:35 フェズ(サイス) |
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宿泊先 | Batha / US$32 (2,680JPY) per night | |
[booking sites for you / agoda.jp Hotel Club (英語・日本語) アップルワールド (日本語)] | ||
諸費用 | イビサ島 | アムネシア入場券: 30EUR=3,200JPY タクシー / フィゲレッタ-アムネシア: 11EUR=1,170JPY タクシー / フィゲレッタ-空港: 18EUR=1,920JPY |
マドリード | 空港荷物預かり(1日): 3.9EUR=420JPY metro (一回券+空港追加料金): 2EUR=210JPY |
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フェズ | 空港バス: 2EUR=20DH=210JPY 路線バス (№.9): 2.9DH=30JPY |
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関連サイト | 欧州総合リンク スペイン モロッコ イビサ島 マドリード | |
アドバイス |
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ホテルで仮眠を取り、携帯のアラームが鳴ったのは午前1時、アムネシア(Amnesia)の泡パーティ(Fiesta de Espuma/Foam
Party)は日曜の夜というより月曜の朝と言った方がふさわしい時間に始まると聞いていたので、それに間に合うように行くことにした。
ディスコ・バス(Disco Bus)の乗り場はわかっていたので、そこまではタクシーで行くことにした。
後でわかったことだが、そんなことをしなくても、クラブへタクシーで直接乗り付けた方が効率がいいようだ。
ディスコ・バスはハイテンションの若者と一緒に騒ぎたければ乗るといいが、タクシーとバスを乗り継いでも費用の節約にはあまりならないからだ。
タクシー乗り場は専用のスタンドがホテルの近くにあるのだが、私たちは偶然にもホテルへタクシーで乗り付けた人がいたので、彼らと入れ替わりでディスコバス乗り場まで行くことができた。
もっとも、こうしたことは僥倖に過ぎず、深夜にタクシースタンドで待つのはあまりお勧めできないので、クラブへバスで行きたいなら乗り場まで徒歩で行けるマリーナ地区に泊まることをお勧めする。
ディスコバスの乗り場は、プラヤ・デン・ボッサ(Platja d'en Bossa)にあるスペース(Space Ibiza)へ行くもの(14番)と、泡パーティで有名なアムネシアへ行くもの(3番)は違う場所にある。
土地勘のない私たちはおかしいな、と思いながらも間違った方でバスを待つという間抜けなことをしていた。
まさか、乗り場が違うとは思わないし、すでにテンションが上がっている若者たちが一緒に写真を撮ろうとか言いながら私たちを取り囲んでいたからだ。
それでもおかしいと思ったのは泡まみれになるというのに、女性がすごくお洒落な格好をしていたからで、彼女たちは現地で水着に着替えるのか、そんなわけないよな、と思っているうちに、バスはスペースというクラブに着いた。
当然のことながらバスは空っぽになり、ドライバーにアムネシアはどこ?と聞いた間抜けな私たちはスペースの前に止まっていたタクシーに乗って当初の目的地を目指した。
この間違いで得た教訓はクラブの前には予想以上の車が客待ちをしているおり、よほどタイミングが悪くなければ帰れることがわかったことだった。
アムネシアの泡パーティ(Fiesta de Espuma/Foam Party in Amnesia) | |
アムネシア(Amnesia)に着いたのは2時半、私たちは泡パーティが始まって、参加者のテンションが上がりきる前に脱出してホテルへ帰ろうと目論んでいたので、正味3時間ちょっとの滞在時間はほどよいものと言えた。
何しろ私たちが乗る予定のイビサからマドリードに向かうフライトは午前8時40分発、どう計算しても泡まみれになって遊んでいる暇は全くないどころか、泡パーティを垣間見て、タクシーでホテルへ戻り、荷物をピックアップして、そのまま空港へという離れ業を演じないといけない可能性もあったからだ。
アンシャンレジームさん曰く、クラブの入口だけ見るとスペース(Space Ibiza)の方が活気があったよね、と。
それでも泡パーティを見るためだけにここまで気合いを入れて来た私たち、ここで帰るわけにはいかなかった。
中へ入ってみると、2階で踊っている人もいて、1階と2階の違いがチケット価格の差なのかとも思える。
泡パーティの開始は、5時半とか言われているのだからそれまでは雰囲気を楽しむことにする。
前方はすでに泡を浴びる準備万端といった感じのビキニトップに短パンで踊っている女性も多く、あまり前へ進むと脱出が困難になりそうな雰囲気である。
中国人が大量進出している欧州の観光地であってもまだまだイビサは欧米人がはるかに多い。
クラブの中も東洋人は数えるぽどしかいないし、欧米人から見れば私たちも中国人も同じに見えることだろう。
実のところアムネシアは会場内撮影禁止になっているのだが、そんなことを気にしている人はほとんどいなさそうで、私もそんな雰囲気に馴染んでいるうちに、スタッフに見つかってしまい、強制的にクロークへ預けるように取り上げられてしまった。
泡パーティが始まる5時頃になると、カメラで動画を撮る人と泡まみれになって遊ぶ人とで会場がごちゃごちゃになるので、スタッフも追いきれなくなるが、会場が盛り上がる4時過ぎまでは撮影を自粛した方がいいだろう。
それに絵になる光景も撮れないしね。
むしろ、ここは3時半過ぎに入っても十分な感じがしたので、それまではスペースで盛り上がるのがいいのではなかろうか。
5時になって壇上にビキニのダンサーが勢ぞろいしたところで、いよいよ泡の放射が始まる。
アンシャンレジームさんが泡まみれの若者を巧みに避けながら、その模様をカメラに収めている。
会場内は泡で遊ぶ人たちのテンションが上がり始める。
彼らが周囲の人を巻き込み始めるのは時間の問題なので、私たちは早々に会場を後にする。
残念ながら一緒に泡遊びをしている暇がないからだ。
外に出たところで、土産物のタオルが売っていたので、記念に買うことにする。
本来の利用目的は泡まみれになった人たちが、使うためのものらしい。
ビキニの女の子が寒さで震えながらタバコを吸っている。
さすがに昼間と違って真夜中に水着1枚では厳しいようだ。
私たちと同じように泡パーティを垣間見て帰ろうという人たちが続々とタクシー乗り場にやってくる。
ここでタクシーを逃したら飛行機に乗り遅れることもあり得るので、早々にホテルへ帰還する。
ホテルに着いたのは5時半過ぎ、空港行きの10番バスには遅くとも7時に乗れば間に合うので、シャワーを浴びている時間すらあるほどの余裕であった。
まさに案ずるより生むが易しである。
そして、空港行きバスに乗れるように6時半にロビーで待ち合わせた私たち、そのチェックアウト手続きの最中にホテル前に一台のタクシーが横付けされる。
どうやらクラブからの帰還組のようだ。
もちろん、それを待たせて、空港へ行ってくれ、とリクエストする。
おかげで何と空港には7時前に着いてしまった。
まさに幸運に恵まれ続けたイビサ島のバカンスは十分過ぎるほど満足であった。
イビサ島からモロッコのフェズへ行くにあたって考えたことは、どこを経由するのが一番効率的かということだった。
格安航空のルート検索サイトであるWhich Budgetによれば、スペイン各地からフェズへ行くライアンエアー(Ryan Air)のフライトは、マドリード(Madrid)、ジローナ(Girona)、アリカンテ(Alicante)、セビーリャ(Seville)の4箇所から出ているが、一番便利なのはやはりマドリード経由であった。
もっとも乗り継ぎ時間に余裕があれば、イビサ-バルセロナ-(空港バス)-ジローナ-フェズというルートも組めるのだが、途中に1時間ものバスの移動が入るのは不測の事態を招きやすい。
そうなるとマドリードからフェズへ飛ぶライアンエアーのフライトは、月・水・金・日の週4便なので、イビサからのフライトもそれに間に合うように組まざるを得ない。
その結果、イビサからのフライトを午前便にした私たちは、アムネシア(Amnesia)の泡パーティ(Fiesta de Espuma/Foam Party)を見れるかどうかの瀬戸際の選択を迫られるハメになったのだが、よくよく考えれば昼前のフライトでも十分だったように思える。
なぜならマドリードの観光は、月曜日ということで目当ての美術館が閉まっていて、ほとんど昼食を取りに行ったようなものだったからだ。
イビサからマドリードへのフライトは懸念された遅延もなくほぼ定刻通りにバラハス空港(Madrid-Barajas Airport)に到着した。
ここに来るのは12年ぶりのこととはいえ、その変貌ぶりには大いに驚かされた。
何しろ各国のLCC(Low Cost Carrier=格安航空)が就航していることが大きい。
12年前は「T1」はInternational Flights、「T2」がDomestic Flight、「T3」がShuttle Service
and Regional Flightという区分しかなかったのが、今ではターミナルが1つ増え、それぞれのターミナルに発着している航空会社が多岐に渡るため、搭乗口が格段に増えたような気がする。
従って、スパンエアー(JK)の到着する「T2」からライアンエアー(FR)の出発する「T1」まで相当に歩かなければならなかった。
しかも、ライアンエアーの場合は、荷物を預けるカウンター(Bag Drop desk)、要はここが一般的にチェックインカウンターと呼ばれるところだが、そこへ行く前にセルフ・サービス・キオスク(Self
Service Kiosk)と呼ばれるカウンターに、自分で印刷した搭乗券を見せて確認をもらう必要がある。
ちなみに、ライアンエアーもブエリング航空(VY)同様、事前のオンラインチェックインと、搭乗券の印刷が指示されているので、注意しないといけない。なお、オンラインチェックインが可能なのは搭乗の15日前から4時間前までである。(You
must check-in online and print your boarding pass on an individual A4 page
for presentation at both airport security and at the boarding gate. You
can check-in online from 15days up to 4hours prior to your scheduled flight
departure.)
私が思うに英語の表現にMUSTが使われているのと、実際にカウンターでスタッフを対面した感じから言うと、印刷した搭乗券がない(オンラインチェックインそのものを忘れた)ときのトラブルの確率はライアンエアーの方が高いような気がした。
これは2年前にはなかったルールなので英語が苦手な人には敷居が高くなっていると感じた。
そういった意味では今回の旅行で使った3社のLCCで、オンラインチェックインをしろと指示されなかったスパンエアーが、一番素人には優しいフライトであると言えるだろう。
マドリードでの正味約3時間のトランジットを終えた私たちは、フェズ行きのフライトのチェックイン(荷物預け)を終え、搭乗口へと向かった。
モロッコは一応イスラム圏なので、アルコール(寝酒)に不自由するかと思って免税店でスコッチウイスキーを買う。
ここまで来るとほとんどアル中ではないかと自分でも思うが、私に言わせればイスラム圏の旅行はある程度アルコールが入手できるトルコ、チュニジア、モロッコ、マレーシアが限界である。(苦笑)
フェズに到着したのは午後4時半、のはずが機内放送でもフライトアテンダントへの確認のときも、彼らは5時半だと言っていた。
私はウェブサイトのスケジュールに合わせて時計を修正したはずだが、納得いかないままに入国審査場に向かった。
そこに時計があれば良かったのだが、あいにくとそういったものはなかった。
入国審査官は予想に反して女性が働いていて、私の関心がそちらに向かったので気付かなかったのかもしれない。
とにかく、モロッコで女性がスカーフも被らずに働いているということが信じられなくて、彼女たちはキリスト教徒なのか、先祖がフランス人なのか、とかいろいろ考えているうちに自分の順番が来て、何事もなく入国のスタンプが押されたパスポートを手にして私は到着ロビーへと向かっていた。
信じられないことだが、フェズの空港の到着ロビーには正確な時刻を確認する術がなかった。
あえて言うならば、両替をしたBMCE Bankの為替レート表示の電光板には正しい時刻が表示されていたようだが、そのときに確認したのは両替が正しく行われているかであって、時間のことまで気にすることができなかったのだ。
もちろん、空港から乗ったバスは「そこにいたから」乗ったのであって、出発時刻と照らし合わせて乗ったわけではなかった。
なぜならイスラム圏で日本やドイツのような正確性を求めること自体が馬鹿げていることだからだ。
フェズ・サイス空港(Fez Sais Airport) | |
運よく出発間際の空港バスに乗れた私たちは車掌に言われるがままに途中下車をし、9番のバスに乗ってホテルへと向かった。
空港バスの車掌は、乗り換えたバスに5分くらい乗れば目的地に着くようなことを言っていたが、結局、終点まで乗らないといけなかった。
降りたところがどこだかわからない私たちはホテルを探しながら歩き始めた。
すると、客引きの少年が翌日のガイドのことについて説明を始め、いらないと言う私たちにしつこく付きまとってきた。
こんなところは17年前のマラケシュ(Marrakech)と何ら変わっていないと思ったが、しつこさの点ではだいぶ緩和されているような気がした。
それでも夕食のときまで付きまとわれそうな感じがした私は最後の切り札的セリフを口にした。
Leave me alone!(放っておいてくれ、大きなお世話だ)、これは、かつてタイのバンコクで客引きを追い払うときに口にしたセリフなのだが、今回も一発で効いた。
もしかすると私が思っている以上に強烈な拒否のセリフなのかもしれないが、モロッコでも効いたとなれば大したものである。
そして、ホテルに無事に到着できた私たちはフロントマンに翌日のガイドのリクエストをした。
翌朝の9時にロビーで待ち合わせがしたい。できれば日本語のガイドが欲しいと・・・
彼は知り合いに電話をし、その電話を代わった私は翌朝の9時に迎えに来るようにガイドに伝えた。
1日のガイド料は500ディルハム(4,750円)とのことだった。
ここで賢明な方は気付くだろう。翌朝の9時、というのは私たちの時計では10時を意味したのだ。
その間違った時計に気付いたのは何と翌日の夕方、それまでの間、私たちは正確な時刻を知る術がなかったのだ。
インシャラー(insha Allah)の国はなかなか奥深いものだ。(と言っている場合ではなかったのだがね・・・)