9/14(Tue) | フェズのメディナを英語ガイドとともに観光 | |
宿泊先 | Batha / US$32 (2,680JPY) per night | |
[booking sites for you / agoda.jp Hotel Club (英語・日本語) アップルワールド (日本語)] | ||
諸費用 | 英語ガイド料(1日): 250DH=2,380JPY プチタクシー/ホテル-観光案内所: 15DH=140JPY ブー・イナニア・マドラサ(Mèdersa Bou Inania): 10DH=100JPY ネジャーリン・フンドゥーク(Nejjarine Foundouq): 20DH=190JPY |
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関連サイト | イスラム諸国総合リンク モロッコ | |
アドバイス |
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ホテルのレストランで朝食を終えた私たちはホテルのロビーでフェズを案内してくれる日本語ガイドを待っていた。
約束の時間は9時、ここはイスラムの国だからガイドが時間どおりにやって来ることは最初から期待していなかった。
ところが、私たちの時計が9時半を過ぎると、不安を通り越し、やっぱりな、という気持ちが頭の中を支配するようになっていた。
やっぱりな、というのは昨日のフロントマンの友人が、日本語のガイドを手当てできなくて、私たちとの約束を守れなかったのだろうと、推測したのだ。
なぜなら、昨日私と電話で話した人は「私は用事があって行けないから友人を寄越す」と言ったからで、要するにフロントマンの友人の友人というのが来る、というハズになっていたのだ。
日本でさえ友人の友人など眉唾ものであるのに、ここはモロッコなのだ。
それに日本語が話せるガイドがそういるとは思えなかったのだ。
私たちの時計が9時半を過ぎたとき、女性のフロントスタッフにメッセージを残して観光案内所(Direction Régionale du Tourisme
Fès)へ行くことにした。
ところで、私たちの時計がと断りを入れているのは、実のところ私たちの時計は、昨日フェズへ到着したときからライアンエアーのスタッフのせいで1時間進んでおり、私たちが9時半だと思っていたときは、実は8時半だったのだ。
ここで、なぜ私たちが時間の違いに気付かなかったのか、と聞きたいだろう。
通常、ホテルのロビーには目立つところに時計があると思うのだが、不幸なことに、ここのホテルには見当たらなかったのだ。
それに、アンシャンレジームさんが、メッセージを伝えている際に、もう9時半だから、と言ったとき、彼女は、日本人のように親切に「時間を間違えていませんか」などと言うことは決してなかった。
当然、私たちは時間が間違っているなど夢にも思わずに出かけたのだった。
予定していた日本語ガイドと会えなかった私たちはプチタクシーで観光案内所(Direction Régionale du Tourisme
Fès)へと向かった。
ガイドブックによれば、そこでガイドの紹介をしてもらえると書かれてあったからだ。
観光案内所に到着し、中へ入ってみると部屋の中に1人のスタッフが座っている。
フェズの地図をもらい、ガイドを頼みたいと言うと、英語ガイドなら1日250ディルハム(2,380円)でいいと言う。
ここで日本語のガイドを望んでも仕方ないので、それでOKすると、5分もしないうちに1人の男性がやってきた。
名前はノウディン・ムサリー(Noureddine Msalli)、通称、ノウさん、彼が今日1日私たちのガイドをしてくれることになった。
観光案内所を出た私たちはノウさんに連れられてプチタクシーで移動する。
どこまで行くのかと思ったら、目の前に見えたのは見慣れた噴水、そう、そこは私たちのホテルのそばのロータリーだった。
そこを通り過ぎ、ホテルと郵便局の前を通って着いたところは昨晩食事をしたレストランの前だった。
知らないということは怖ろしいことだ、と思った。
要するに昨晩行ったレストランはメディナの入り口の手前だったのだ。
そこを少し中に入ればブー・ジュルード門(Bab Bou Jeloud)に行けたのであるが、地図もなくフランス語もアラビア語も話せないオヤジ2人が彷徨っても、本当に迷子になってしまうし、スークの客引きや物売りが寄って来ないという意味でも、ガイドを雇ったのは正解であろう。
私たちが最初に行ったのはブー・イナニア・マドラサ(Mèdersa Bou Inania)という神学校、ここは1350年にアブ・イナーン(Abu
Inan Faris)によって建てられたマリーン朝(Marinid dynasty: 1215–1465)最大の神学校で、大理石を敷き詰めた中庭、その中央にある水盤、壁面に彫刻された幾何学模様やタイルのモザイクが特徴的である。
マドラサの見学が終わるといよいよフェズの迷宮、スークめぐりの始まりである。
私はここで土産物をいくつか買おうと思っていたので、民芸品のスークで胡椒入れを買ってみる。
店員曰く、いずれも手工芸品だとのこと、小さなものでも200ディルハム(1,900円)程度するようで案外と高い。
もちろん、それらは彼らの言い値なのでゲーム感覚で値切ることを忘れない。
最終的には3つ買って350ディルハム(3,330円)、ノウさん曰く、グッドゲームだった、とのことだから観光客が買う値段としてはいい線だったのだろう。
スークの中でガイドブックなどでも紹介されているほど有名なのが、スーク・ダッバーギーン(Souk Dabbaghin)、別名タンネリ(Tanneries)と呼ばれる皮なめし工房、この円い染色桶が並ぶ作業場では、手作業で皮を染めている様子が見られ、それを使った製品がスークで売られている。
もちろん、ここでも鞄を買わないかと言われるが、さすがにそれを買うだけの現地通貨の持ち合わせはない。
一方、アンシャンレジームさんは昼食後、アラブ式の衣装が欲しいと言って上下2組を1,000ディルハム(9,500円)で買っていた。
ノウさんは私にも一緒に買えば安くなるよ、と囁いてくれたが、日本へ持ち帰っても、それらを着る機会はなさそうなので、試着させてもらうだけに止めておいた。
実際、インドネシアで買ったバティックや、ポルトガルのフィッシャーマンシャツですら1年に数回着ればいいところだからね。
ところで、アラブ式の衣装を2組も買った彼はそれを持ち帰ってマカオで着たのだろうか。(笑)
昼食後を挟んでネジャーリン・フンドゥーク(Nejjarine Foundouq)へ行く。
ガイドブックによると、ここの前にあるネジャーリン広場はメディナで一番の繁華街ということだが、格別そんな感じは受けない。
私たちが想像するような広場一帯がバザールになっているような光景が見られるわけではないからだ。
その一角にあるこの建物は、元々1階が厩舎、2階が宿泊施設になっていたらしく、ノウさんによると、商人たちは最低でも数日泊まっていたとのことだ。
要するにメディアで買い物をするには数日の交渉が必要だったわけで、私たちのような一見の観光客が数十分の交渉で買おうというのは気が早過ぎるということであろうか。
その後、私たちはザウィア・ムーレイ・イドリス廟(Zaouia Moulay Idriss)やカラウィン・モスク(Mosquée
Qaraouiyine)を案内してもらったが、いずれも異教徒は入ることができず、外から眺めるだけになってしまったのは残念である。
せめてアンシャンレジームさんが買った衣装を着けていれば、何ちゃってムスリムということで入れたかもしれないが、さすがにノウさんからはそういうアドバイスはなかった。
まあ、彼らにしてみれば神聖な場所だけにそういうわけにもいかなかったのであろう。
バーサ・ホテル(Batha Hotel)とモロッコレストランでの夕食 | |
私たちが観光を終え、ノウさんと一緒にホテルへ戻ってきたときにそれは起きた。
アンシャンレジームさんがフロントに部屋の鍵をもらいに行ったとき、昨夜ガイドを紹介してくれたフロントマンが何やら文句を言っているという。
彼曰く、日本語ガイドは約束通りに来たのに、なぜ(お前たちは/要は私たちは)キャンセルしたのだ、と言う。
アンシャンレジームさんが聞いたところでは、どうやら私たちの時計が1時間進んでいたらしい。
何ということだ、とは思ったが、ライアンエアーのフライトアテンダントに時間を再確認したときに感じた違和感は、やはり正しかったのだ。
彼女たち(機内放送をした機長も含めて)は、イギリス時間(GMT)とモロッコ時間は時差がないという認識だったというか、モロッコのサマータイム事情を考慮していなかったと推測されるが、イギリスは10月末まで夏時間を採用しているのに対し、モロッコは5月2日から8月7日(8月8日の0時)まで(毎年変更される=在モロッコ日本国大使館-領事情報及び24TimeZones.com - Local time in Morocco参照)しか採用しなかったため、9月の時点では、普段時差が生じないイギリスとモロッコで1時間の時差が生じていたのだ。
つまり、スペインとイギリスやモロッコは通常は1時間の時差であるのに対し、スペインとモロッコに関しては、8月8日からは時差が2時間になっていたというわけだ。
結局、フロントマンに対しては100ディルハム(950円)の違約金と、先方が書けという「時間を間違えてすみませんという意味の英文のお詫びメモ」を出してトラブルにケリを付けた。
時差の罠、というべきか、時計が町中にない、ということが招いたトラブルなのか、モロッコまさに恐るべしであった。
当然のことながら時間を間違えていた私たちがホテルに戻ってきた5時半は実際には4時半であった。
シャワーを浴びて夕食へという目論みは狂ったため(別に何の問題もないのだが)、私は時間潰しのためにホテルのプールへ行ってみた。
このホテルはイスラム圏の中級ホテルでは珍しくバーもあったので、ビールを1本頼んで持ってきてもらう。
プールサイドにはデッキチェアーもあり、日光浴もできるようになっているが、ほとんどが日陰になっているために、ビールを飲みながら本を読むには涼し過ぎるくらいである。
もっとも日陰でなければ暑くていられないが、これはメディナの路地が狭いのも同じ理由で、そうすることによって直射日光が遮られるので、人々は暑さをほとんど感じないで快適に過ごすことができるらしい。
しばらくプールで時間を潰した私は、部屋で寛いでいたアンシャンレジームさんを誘って夕食へ行く。
彼はメディナで飲んだジュースが原因なのか、腹の調子が今ひとつというので、新市街へ行くのはやめて昨晩と同じレストランへ行く。
席に着くと、隣のテーブルに南アフリカから来たという家族連れがいて、クスクスを頼んでいた。
しばらくして出されたクスクスを食べた中年女性が「こんなものは食えない、オイルが体に合わない。私の夫はコックだからクスクスにこんなオイルは使わないからわかるのだ。」などと言い出した。
店主は「モロッコではすべてこのオイルを使っている。おかしいものは使っていない。」と反論している。
雰囲気がやばくなってきた頃、頭にきたのか店主が「おまえたちは獣(animal)だ。南アフリカと違ってモロッコは平和な国なんだ。テロリストの多い国とは違うのだ。」と激高した。
思わず笑ってしまいそうなのだが、白人とアラブ人の争いの種はこんなところでさえ存在するということを認識させられた一幕だった。
それにしても南アフリカの白人の先祖はオランダ人、その子孫に料理が不味いなんて言われたら腹が立つのもわかるがね。