9/15(Wed) | フェズ 10:50-(ONCF)-11::22 メクネス グランタクシーチャーターによるメクネス、ムーレイ・イドリス、ヴォルビリス観光 メクネス 17:42-(ONCF)-21:25 タンジェ・ヴィル |
宿泊先 | Valencia / 450DH (4,280JPY) per night |
諸費用 | プチタクシー / ホテル-フェズ駅: 20DH=190JPY ONCF / フェズ-メクネス (2等): 20DH=190JPY グランタクシーチャーター: 350DH=3,330JPY ヴォルビリス(Vulubilis): 10DH=100JPY ONCF / メクネス-タンジェ (1等): 130DH=1,240JPY プチタクシー / タンジェ・ヴィル駅-ホテル: 30DH=290JPY |
関連サイト | イスラム諸国総合リンク モロッコ |
アドバイス |
|
私たちはフェズからスペインへ戻るルートをどうしようかとずっと悩んでいた。
大きく分けてルートは3つあったが、どれも捨てがたく、現地で決めようということで何の予約もせずに旅立った。
このうち1はモロッコ観光の王道ともいうべきルート、その代わりスペインのアンダルシア地方へ行くのは完全に諦めることになる。
2はモロッコのリピーターというか「通」が選ぶルート、デメリットはシャウエンへのアクセスがバスしかないため、宿泊した翌日にジブラルタル海峡を渡れるかどうかはわからない。
3はモロッコ観光の上では面白みに欠けるが、スペインのアンダルシア地方の都市を組み合わせることが可能だ。
どれにしようか2人で相談した結果、選んだのは3のアンダルシア行きのルート、フェズのメディナで疲れたからかマラケシュ行きは即座に却下、青い村もアクセスが面倒ということで、列車で行けるメクネスへ行くことになった。
ところで、メクネスからタンジェへ行く列車をONCFのサイトで検索すると、途中のシディ・カセム(Sidi Kacem)で乗り換えとなるようだが、夜行列車(メクネス 2:43-3:37 シディ・カセム
4:05-7:00 タンジェ)もあって、私たちはそれで行けばホテル代が浮くのでラッキーと思っていたが、フェズでもメクネスでもチケット売り場のスタッフに聞いたところそのような列車はない、とのことだった。
もっともフランス語もアラビア語もできない私たちではコミュニケーションに限界があるのも事実で、夜行は直通列車でないので、夕方の便が最後と言われたのかもしれなかった。
いずれにせよ、最初は夜行があると思ってメクネスでゆっくりとできると思った私たち、それにイスラム圏とは思えないほどバーやナイトクラブなどがあると聞いていたので、そこで時間潰しができると思っていたのだが、結果的にメクネスでの滞在はせわしないものとなった。
もっともメクネスのバーがスペインのように夜中まで営業しているかどうか怪しかったので、それはそれでよかったのかもしれないがね。
フェズ駅 |
朝食を終え、フェズ駅までプチタクシーで向かう。
ホテルの近くにあるロータリーがバスやタクシー乗り場になっているので、メディナに近いことも合わせると、私たちの泊まったホテルはロケーションの点では非常に良いところだと言える。
フェズからメクネスまでの列車は、1時45分、2時10分、2時30分、そして、4時50分から18時50分まで毎時50分発(このほか7時10分、13時05分、17時05分発あり)と頻発(!?)しているので、あまり時間を気にしないでも行くことができるので便利だ。
私たちがフェズ駅に着いたのは10時半頃、列車のチケットを買って乗り込むと2等車であったにもかかわらず、コンパートメントになっている。
車内は結構混んでいて、さすがに1時間に1本列車が走っているだけのことはあったが、エアコンの効きが悪いので、出発の遅延には閉口だった。
ガイドブックにもあるが、メクネスには2つ駅があり、一つは私たちの降りた、その名の通り、メクネス駅、もう一つが新市街(nouvelle ville)のそばにあるアミール・アブデルカデル(Amir
Abdelkader)だが、後者の方が何かと便利だったような気がする。
まず最大の難点はメクネス駅には荷物を預けるところがなかったこと、フェズから日帰りする場合や、メクネスに泊まろうとするなら何も問題ないのだが、これはどうしようかと思ったほどだ。
結局、グランタクシー観光の誘いに乗る形で、車のトランクをコインロッカー代わりにすることで事なきを得たが、駅前にバスが止まっている感じはなかったし、レストランなどが近くにある雰囲気もなかった。
私たちは、タクシードライバーとの交渉で、1時から5時まで4時間で350ディルハム(3,330円)ということで観光してもらうことにした。
実のところ、ドライバーがあまり英語を話せなかったので、私たちは当初メクネスだけを回るものと思っていたが、だんだん市街を離れていくので不安になっていた。
スタートしてから約30分後、どこへ連れて行かれるのだろうと思い始めた頃、目の前に白い家並みが広がる丘陵地へやってきた。
ドライバーが発した言葉はムーレイ・イドリス(Moulay Idriss)、そこはまるでスペインのアンダルシア地方に見られる白い村と同じような光景が広がっていた。
メクネスに泊まる予定になっているならここもじっくりと見て歩きたいところではあったが、残念ながら写真を撮るだけで先へと急ぐ。
次に行ったところはヴォルビリス(Vulubilis)、ここはまるでイタリアかギリシャを彷彿とさせる遺跡が残されているところだった。
それもそのはず、この遺跡は古代ローマ時代のもので、かつて、これと同じような光景を見た記憶があったのだが、1992年に行ったギリシャのコリントス(コリンス/Corinth)と似ているような気がした。
ところで、ここの最大の見所は、保存度のよいモザイク群だとのこと、私たちはそれを見逃してしまったようだ。
灯台元暗しとはこのことで、遺跡全体の光景が絵になるところだったので、屋敷の跡には足を踏み入れなかったのだ。
Ginaさん曰く、遺跡をすべて見るには2時間から3時間くらいはあった方がいいとのこと、そう言われてみれば、ドライバーも「ここに何時間いたい?」と聞いていた。
私たちは一つのところに何時間もいられないので、30分くらいと答えて、その通りにわずか30分で遺跡見学を終えたので、こういうことになったのだろう。
ちょっと惜しいことをしたような気がした。
途中でムーレイ・イドリス(Moulay Idriss)にあるLabaraka Familleというモロッコレストランでの昼食を挟み、私たちはメクネスへと戻ることにした。
タクシーに乗っているときはちょうど午後2時頃、灼熱の太陽が容赦なく照りつける時間だったので、車から下りた瞬間に立ちくらみがするほどであった。
そして、いよいよメクネスの観光、というより写真撮影会、といった方が相応しいほどの慌しさだった。
何しろ、ドライバーが「ここはバブ○○(○○門)!写真撮るか?」と言って、私たちがイエス(ウイ)と返事すると、車から下りて写真を撮ることの繰り返し、自分でも何やってるんだか、と思わんばかりだった。
これを観光と言うのか、とは思うが、欧州へ行くパックツアーなどで1日に2都市を巡る旅行は、おそらくこのような慌しさの中で行われることは想像に難くないだろう。
メクネス中央駅 | |
1等車のコンパートメント | |
タンジェ・ヴィル(Tangier Ville)駅 | タンジェでの夕食 |
メクネス駅に戻ってきた私たちは構内のカフェで冷たいジュースを飲み、トイレで顔や足を洗ってリフレッシュした。
列車の出発は18時、15分ほどの遅れがあるものの今度は1等のチケットを買ったので、3時間ほど列車の旅を楽しめるというわけだ。
1等車は先頭の2両、そのうち1号車はコンパートメント、2号車は開放型の車両となっていて、私たちは1号車に乗ったので、期せずしてコンパートメントに乗ることになった。
最初は私とアンシャンレジームさんしかいなかったコンパートメント、これは置引きを心配しないで、ゆっくりと寝て行けるかも、と思ったら、途中でスペイン人と思われる3人の少年が「你好(ニーハオ)」とか言って乗ってくる。
どうやら私たちが中国人だと思っている様子だが、私はこんな東洋人しかいないところに割り込みをかけるほど列車は混んでいるのかな、と疑問に思った。
通常、西洋人(白人)と東洋人やアラブ人(有色人種)のどちらかしかコンパートメントにいない場合、よほど混んでいなければ同じ肌の色をした人間が乗ったところに混じるのが自然だからだ。
しかもここはモロッコ、東洋人の方がマイノリティ、彼らの行動は不自然さプンプンだったのだ。
しかも3人のうち1人は検札が来るとトイレに走るキセル乗車、アンシャンレジームさんも「これは眠ったらマズイね」ということで意見は一致、安眠していくどころか、緊張感漂う列車の旅と変貌していた。
いずれ私たちがコンパートメントを移らないとマズイだろう、と思い始めたとき、車内販売がやってきた。
なぜこのときそうしたかはわからないが、私はわざとフランス語で紅茶をオーダーし、先方の言い値をわかったフリをして勘定を済ませた。
スペイン人にフランス語がわかるフリをしたからといって普通はどうなるものでもないが、偶然にも私がフランス語を話した直後に彼らはコンパートメントを出て行った。
おそらく、キセルを車掌にチクられるのが怖くて出て行ったと勝手に想像したが、結果オーライで私たちは再び安息の時間を取り戻した。
なぜそう思ったのかというと、予想通り、ほかのコンパートメントもすいていて、スペイン人の少年3人も別のところにいたからだ。
安息の時間を取り戻した私は、マドリードで買った寝酒用のスコッチを取り出し、水割りを作って飲んだ。
最初、グラスをどうしようかと考えていたが、車内販売で買った紅茶用のカップが役に立った。
おまけにティーバッグから染み出る紅茶と混じりあって余計においしく飲むことができた。
それを飲み終えた後、私たちはコンパートメントにかかったカーテンを閉め、仮眠を取ることにした。
次第に車窓の景色も漆黒の闇に消え、時折停車する駅の灯りだけが私たちを包むようになっていた。
私は途中で停まる駅を見ながらシディ・カセム(Sidi Kacem)で乗り換えとなる夜行列車で旅したらどうなっていただろうか、と想像した。
夜中の3時半に乗り換えるのでは、おそらく辛い旅になっていたに違いないと・・・
タンジェ(Tangier)の駅は、2003年にできた終着のヴィル(Ville)駅とその手前にあるモロラ(Morora)駅と2つの駅がある。
私たちの乗った列車が夜の10時前に差し掛かったとき、1等のコンパートメントからたくさんの人が人が降りようとしていた。
到着した駅はモロラ、ここは昔の終着駅なので、降りる人も一際多かったのだろう。
一瞬、ここの方が市街に近いのでは、という思いに駆られるが、Wikitravelによればヴィル(Ville)駅の方が近いとある。
いずれにしろ、ここは泊まるだけで、明朝にはフェリーに乗ってアルヘシラスへ向かうことになるので、港に近い新市街で泊まることにする。
ここで役に立つのはガイドブックに掲載されているホテルだった。
困ったときの何とやらで、プチタクシーのドライバーに命じた行き先は、エスパーニュ通り(Avenue d'Espagne)にあるバレンシア(Valencia)というホテルだ。
もちろん、満室だったらほかを当たったのだが、幸い(!?)にツインルームが空いていたので、そこに泊まることにした。
本当ならシングル2室が私たちの希望だったのだが、夜の11時にもなろうかという時間に贅沢を言っていられないからね。
ところで、ホテルのフロントマン曰く、対岸のアルヘシラス(Algeciras)へ行くルートが変わったらしく、ホテルの近くにあるフェリーターミナルからはタリファ(Tarifa)行きのフェリーが、アルヘシラスへは55キロほど離れた新港(Tangier Med Port)からフェリーが出ることになったとのことだ。
新港へ行くには無料のシャトルバスが出ているとのことで、それに乗ればいいようだが、どこから出るかは明朝にならないとわからない。
もはや手持ちのガイドブックの記述が役に立たなくなった以上、なるようにしかならないということだ。