Unhappy Holiday

今回の件に関し、多大なる迷惑をかけた友人にあらためてお詫び申し上げます。

12/29(Sun)-1/4(Sat) 病気で寝込んでホテルから動けず
宿泊先 Citigate Central (ex Carlton Crest) / 120A$ (\11,160) per night, 12/31のみ 235A$ (\21,860)
[booking sites for you / Hotels Australia (英語) agoda.jp Booking.com Hotel Club venere (英語・日本語) アップルワールド JHCホテル (日本語)]
諸費用 Sydney Airporter: 6A$=\560
関連サイト オーストラリア シドニー 健康と医療 海外旅行傷害保険付きのクレジット・カード

シドニーのあるNSW(New South Wales)は、今年の10月27日(最終日曜)から翌3月2日(第一日曜)まではサマータイム(GMT+11)を実施するため、パースのあるWA(Western Australia)とは3時間(GMT+8)の時差が、ブリスベンや、グレ−ト・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)のあるQLD(Queensland)とは1時間(GMT+10)、そして東京とは2時間(GMT+9) の時差が存在する。

従って、私たちを乗せたカンタス航空(QF)520便のパースからシドニーまでのフライト時間は、実質4時間であり、宿泊費を1泊浮かせるためと、有効な時間利用を図るために夜行便を選んだわけであるが、シドニーの空の玄関口であるキングスフォード・スミス空港(Kingsford Smith Airport)に到着した時にはまだ少々寝不足気味であった。

1年前(1995.9)の経験からオーストラリアでは思ったより滞在費用が嵩むので、出国前にオーストラリアドルのTC(traveler's check)で1,000A$(換算時 \92,830)を、日本円のTCで6万円を用意していたのだが、両替なしに現金同様に使える気安さからオーストラリア・ドルのTCばかりが消費されていくので、先々のグレ−ト・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)で困らないように、日本円も少しは両替しておこうと思って両替したが、あまりのレ−トの悪さにびっくりする。
何と、2万円の売りに対し、戻りは198.10A$、換算レートは1A$=\101である。
通常なら日本で両替するより、現地での両替レートの方が良いことが多いのだが、ここでは逆のようだ。
1年前(1995.9)に 1A$=\80で両替できたことを思えば隔世の感があるが、今後は余程の窮状に陥らなければ日本円の両替はしないようにしようと肝に命じる。

また、ここでの最大の課題は、言わずと知れたホテルの確保であり、私たちの到着した国内線ターミナルには観光案内所がないため、連絡バスを使って国際線ターミナルへ移動しなければならない。
さすがに Aussie(Australian people)も一斉休暇となるクリスマス前後の予約だけは出国前に済ませていた私たちであるが、"New Year's Day"については、あまり考慮の対象にせず、パースの観光案内所でも「シドニー(現地)で取れる。」と、いうような口振りであったので、さしたる不安も抱かずに、ここまで来たのだが、それが大きな間違いであったのに気付くのに、それほど時間はかからなかった。

日本の国内旅行の常識では、旅行の日程が決まったらホテルの予約は元より、交通機関の予約まで完全にしてから出発するのであるが、海外をフリーで回ろうとする時は、それが大きな足かせとなるばかりでなくあまり必要性がない場合が多い。一部の例外を除いては・・・・

その「一部の例外」というのが、オーストラリアで言えば4月の "Good Friday, Easter Saturday, Easter Monday" に掛かる復活祭の4連休や、パース滞在中ぶち当たったクリスマス休暇と、各地のメインイベントが開かれる時期を言うのだが、"Sydney New Year's Eve Festival"前後は、どうやら一部の例外に属する日ということらしいのだ。

その"Sydney New Year's Eve Festival"のために、31日の宿泊費は通常の倍となっており、格安ホテルは満杯状態という、観光案内所のお姉さんの冷厳な宣告のために、”宿泊費節約”を謳った私たちの旅行計画は、「今年は財政再建元年にします。」と、日本政府が毎年のように唱える空念仏と同じように雲散霧消の運命となってしまったのである。
そして、難航した交渉の上に決まったホテルは、カールトン・クレスト・ホテル(Carlton Crest Hotel)である。
ちなみに宿泊料金は、12月29日,30日が120A$(\11,160)、そして"New Year's Eve"は235A$(\21,860)というものであった。

そして、ホテルに横付けしてくれるシドニー・エアーポーター(Sydney Airporter)が来るまで忍耐強く待ち続けた私たちは、ようやくホテルに到着し、早朝にもかかわらず、チェック・インできたことにホッと胸を撫で下ろす。

さあ、一休みしてからシドニーの街へ観光に繰り出すことにしよう!なんてことにはならなかった。
このとき、私の身体に潜んでいた病魔が徐々に姿を現そうとしていたからである。
結果的に今日から1週間、私はシドニーという日本からは遠く離れた異国の地で「闘病生活」を送ることになってしまう。
新しい思い出の1ページを刻むためにやってきたシドニーで、あまりにも無駄な時間を過ごすことになってしまった運命を呪うことになろうとは・・・
ここから1週間、つまり帰国の前日までの日々、私の旅行記に書くべき思い出は、ほとんど何もない。
あったのは、単調で退屈な「時」の刻みだけであった。


12/29(Sun) - I feel feverish.

ホテルにチェックインした後、私たちはルームパートナーをチェンジした。
多少、熱っぽさがあるものの、空港からホテルへ来るまでの間に朝食すら取っていないことに気付き、徒歩で近くのカフェへ、ハンバーガーとレモンジュースを買いに行く。
買い物から帰って来ると、やはり相当熱があるようで、他の3人は「市内観光へ出かける。」と言ったが私はベッドに横になって寝ることにした。

夕方になって、彼らから夕食に誘われたが、私は身体がだるいので、同室の友人に何か食べ物を買ってきてもらうことにする。
買ってきてもらったのは、ハンバーガーにチョコレート・ドーナツにビール、とても熱があって寝ている人の食事とは思えないが、とても中華雑炊なんて食べられる環境ではないので、仕方がないだろう。

夕食後に、また熱が高くなったようなので、友人に頼んで"HOTEL DOCTOR"を呼んでもらう。
電話通訳の谷村さんを介しての診療なので、総額で200A$(\18,600)ということだ。
すべては「海外旅行傷害保険」の保障の対象なのだが、当面はクレジット・カードで立替え払いをする必要があるらしく、11回目の海外旅行で初めて「海外旅行傷害保険」に加入していた甲斐があったのだが、当然ながら少しも嬉しいことではない。

往診に来た Georgiou Georgeさんという男性医師の話では「風邪の症状があるので、次回のフライトに搭乗できるように薬を配達(delivery)する。」とのことだった。
また私がフリーマントル(Fremantle)で買った"Panadol-COLD & FLU"は解熱剤なので、それを飲んでおくように、とも付け加えて帰っていった。
また、2日後に容体を診察するために往診するとのことであったが、日本の病院では、市販の売薬を飲んでおいて!なんて医者を未だかつて見たことがないが、オーストラリアはそれが普通なのだろうか?
ちなみに、このホテルには体温計(thermometer)も水枕(water pillow)もないので、それらも薬局から買う必要があるのだろうか。

それにしても不幸中の幸いなのはここがシドニーだったということか!
日本語の電話通訳を介してでも医師と話ができるのはラッキーだったと言えるだろう。

12/30(Mon) - I was told I have chicken pox.

解熱剤のおかげで熱が下がったようなので、朝食を調達するために、外出することにした。
途中のアジア系の雑貨屋のようなところで、6枚入りの"Filled Almond Rounds"というビスケットのようなものと、チョコレートを買う。
ホテルの周辺は、チャイナタウンにも近いのか、そういう系統の店が非常に多いようだ。
朝食は、昨日と同じところへ行っても良かったが、毎食ハンバーガーというのも侘しいので、早朝から開店していた"Special Breakfast (6.9A$=\640)"の札が掛かっているカフェに入ることにする。

9時になって、スーパー・マーケットが開店したので、紙パックのオレンジ&マンゴジュース,瓶入りのオレンジジュース,ミネラル・ウォーター,ビールといった飲み物を大量に買っていく。
部屋に戻ると、他の3人も顔を揃えていて、みんな一様に私の買い物の量を見てビックリしていたようだが私自身、この時はあまりにも買い過ぎかとも思ったが、後で考えると丁度良かったようである。
もちろん、ここは高級ホテルなので、部屋に冷蔵庫もあるし、ルーム・サービスも随時頼めるのだが、この出費は保険で補填されるわけないから・・・

他の3人は天気が悪いので、ボンダイ・ビーチ(Bondi Beach)に行く予定を変更して、昨日に引き続いて市内観光へ繰り出すらしい。
ただ、3人とも行程はバラバラにするらしく、どこへ行くかは気分次第らしい。
私はと言えば、薬の配達(delivery)を待つ必要もあるが、とても遠出する気にはなれないので、当然(!?)の如く、ホテルで留守番である。

午前中、ベッドで寝ているとDr. Georgiou Georgeが言っていた薬が配達されてくる。
これらと"Panadol-COLD & FLU"を服用するというのが、ドクターの指示であった。
ちなみに、薬局からホテルまでの配達料金(pharmacy outcall)は、10A$(\930)ということらしく、薬代と合算した金額が、ホテルの請求書に加算されるというわけである。

商品名 効能 価格 使用法
Actifed Throat Spray (咽喉用スプレー) 11.95A$=\1,110 Use three puffs every two hours to every three hours for sore throat. (2〜3時間毎の喉に向けて3回噴射する)
Otrivin Nasal Spray (鼻腔用スプレー) 12.95A$=\1,200 Use two puffs in nostrils half a hour before take off and landing. (離着陸の30分前に鼻孔に向けて2回噴射する)
*風邪等で鼻がつまったまま飛行機に乗ると耳がキーンと痛くなり、場合によっては鼓膜が破れることもあるため、それを少しでも緩和するためのもの

午後は、朝買っておいた"Filled Almond Rounds"を2枚にジュースで昼食を取る。
体調の方も、近場なら外出できそうなほどに回復したので、出し残していた年賀状代わりのエアーメールをフロントに渡したついでに、セントラル駅(Central Railway Station)の方へ歩いて行ってみる。
オペラ・ハウス(Opera House)行きのバス停も近くにあるようで、このホテルが意外と便利なところにあることに気付く。
また、ファースト・フード系の店もチラホラと見かけるので、明朝はここまで来ようなんて考えてみる。
これなら、グレ−ト・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)行きには間に合いそうだ!と楽観的に思った。
それが大きな間違いであることも気付かずに・・・

夕方になって同室の友人が帰ってきて、次のアーリー・ビーチ(Airlie Beach)のホテルを電話予約をした。
どうやら、市内にあるクイーンズランド州政府観光局(QLD Government Travel Centre)の情報だと、情勢は厳しいということなので、現地へ行ってから路頭に迷うことのないように先手を打つことにしたようだ。

"New Year's Day"がらみということもあるが、人気の高い観光地のようなので、ここでも交渉は難航した。
ホテルの部屋のほとんどが、基本的にベッドがダブル、要するに男女のカップル対応になっているのが難航の要因で、ようやく決まったホテルは、ウィットサンディ・テラス(Whitsunday Terraces)で、宿泊料金は1泊150A$(\13,950)、私たちの目指す「節約旅行」の掛け声を嘲笑うかのような感じである。

夕食は、みんなでチャイナタウンにある海港城中心(Harbour Plaza)の"Asian Foodcourt"で取ることになった。
今ひとつ食欲が湧かなかったが、ワンタンヌードルとスプライト(7.2A$=\670)で夕食を済ませた。
その席で、友人の1人が私の顔を見て「何かブツブツができている。」と言ってきた。
とりあえず、ホテルに帰り、バスルームで着ていたTシャツを脱いで、鏡を見たときに私は驚いた。
予定では、明日呼ぶはずだった"HOTEL DOCTOR"を急いで呼ぶことにした。
今夜来たのは、昨日と違って女医のDr. Porter C.E、彼女は私の身体を一通り診て言った。
「あなたは、間違いなく水疱瘡にかかっています。」と・・・
これで、私にとってのオーストラリア旅行は終わりを告げたのだった。


12/31(Tue) - Thanks my friend.

昨夜、女医のDr. Porter C.Eが私の尻に打ってくれた注射のおかげで、熱にうなされて眠れないという最悪の事態は避けられたものの、顔を鏡に映した私は愕然としてしまった。
もはや、"housekeeping"のスタッフが入ってきても顔をなるべく合わせないようにしなければならないほどで、室外に出ることさえ不可能となったので、朝食は必然的にルーム・サービス(13.5A$=\1,260) を頼むということになってしまった。

ただ、ここでの最大の問題は私の国内線のチケットのことで、どう考えても明日のフライトでブリスベン経由でプロサパイン(Proserpine)へ飛ぶなんて芸当はできないので、シドニーからブリスベンへのフライトだけでも日付を変更できるか?というものだった。
これについては、私たちのメンバーの中で唯一、英語でもって電話による会話が可能な同室の友人に大分骨折りをしてもらったおかげで、結果的には1月5日に変更できたため、大いに救われたのである。
何と言っても、私が独力でQF(Qantas Airways)の予約課へ電話して交渉するなんて、無理というものだ。
対面であれば辛うじて可能だと思うが・・・外出禁止だからね〜

 しかし、これも5日までに旅行可能な状態になっていなければ何の意味もないので、帰国できるかどうかすら神のみぞ知るという状態に変わりはないのだ。
それに、せっかく大枚を叩いた国内線のチケットが2区間分(Brisbane-Proserpineの往復)は完全にフイになったので、これだけでも大損というのに、最悪の場合は・・・もう、今は何も考えまい・・・
とにかく、本件に関しては、あらためて彼にに大いに感謝致します。

もう1つの懸念は、言わずと知れた「海外旅行傷害保険」の保障の範囲のことで、私の海外旅行がなかば年中行事の様相を呈し始めたころから、保険付帯のNICOS CARDに加入したので、いつもは気休めのつもりに携行する「海外サービスご利用ハンドブック」と「海外旅行傷害保険のご案内」という冊子を、これほど真剣に読む機会が訪れるなんて予想だにしていなかった。

トラベル・アシスタンスのシドニーオフィスに電話すると、東京海上火災のシドニーオフィスに問い合わせるように言われる。
結局、医療費とホテルの延泊の費用は補填されるらしいが、フライトのキャンセルを余儀無くされた場合については、東京本店の企業損害部航空課というところでないと返事ができないらしい。
要するに、国際線まで乗れなくなれば、帰国後に東京と交渉しろ!ということらしい。
これでは「肝心なことは、すべて東京かい!お前たちは!」と外国のビジネスマンが憤るのもよくわかる。

しばらくすると、昨夜の診断に基づいて、別の薬が配達された。
ちなみにcotton woolはホテルからもらったもので、こういうものを親切につけてくれたり、一緒に配達してはくれないところが外国のビジネスライクさとも言えるか。
要は、欲しければ自分で電話しろ!ということらしい。

商品名 効能 価格 使用法
Phenergan かゆみ止め用の飲み薬 17.86A$=\1,660 Take one or two tablets three times a day for itchy areas. (1日3回、1錠ないし2錠を服用)
Calamine Lotion 湿疹などによるかゆみを和らげる 4.96A$=\460 Apply with cotton wool for soothing relief from itching due to stings, rashes and sunburn. (脱脂綿を使って痒いところにローションを塗る)

とにかく、全身の痒みは今日が最高潮のようで、私は2〜3時間毎には、バスルームと部屋を往復しないといけないような状態だった。
ちなみに、昼食は買い置きしてある"Filled Almond Rounds"を1枚とチョコレートを少々、それにジュースで済ました。
遭難した山岳パーティーのような節約ぶりだが、こうでもしなければ金がいくらあっても足りないだろう。

夕方になって、シドニー郊外の観光地、ウロンゴン(Wollongong)からホテルに戻ってきた友人が、本日のメイン・イベントである"Sydney New Year's Eve Festival"を見るために、ダーリング・ハーバー(Darling Harbour)へと出かけて行った。
あとの2人は、コアラが抱けること(直接抱けるのは今日まで)で有名なAustralian Wildlife Parkまで行った帰りに直行したらしい。

で、一方の私はというと、ルーム・サービスで"Lamb Chop Macopolo<子羊の肉のステーキ> (18A$=\1,670)"を頼み、買い置きしてあったビールで侘しく夕食を済ませ、夜の9時からTV中継される(友人談)映像を見ながら、悲運な結末を迎えることになった年の瀬を呪うのであろう。

TVをつけっぱなしにしていると、日本関連のニュ−スは、あの忌まわしいペルー日本大使公邸人質事件(1996.12.17 PM8:00−1997.4.22 PM3:23 / local time : 127days)のことばかりやっている。
いつ解放されるかわからない、いや生きて出れるかもわからない彼らに比べれば、私はかなりマシな境遇と言えなくもないが、今の気分は彼らと同じくらい最低である。( 関連記事−読売新聞「この10年」 CNN News digest
あと3時間余りで今年も終わろうとしている・・・
しかし、除夜の鐘の音はここまでは聞こえない・・・


1/1(Wed) - A Happy New Year! Is this supposed to be a joke?

日本でいう元旦の日の今日、ここオーストラリアでも"A Happy New Year to you!"というように、新年の到来を祝う挨拶が交わされていることだろう。
もちろん、身内に不幸があったり、自分自身が不幸(!?)な状況にある場合は別であるが・・・
そして、例年であれば、祝い酒とお節料理(おせちりょうり) で、新年を祝っているはずなのだが、今年は異国の地で、ハンバーガーとティーバッグ(tea bag)の紅茶だけという侘しい食卓が、私の目の前にある。

そして、今日は他の3人にとっては、予定通りアーリー・ビーチ(Airlie Beach)へ旅立つ日でもある。
名実ともに、TVと読書とラジオから流れるBGMだけが友達となる孤独な正月の始まりであった。
もちろん、"housekeeping"のお姉さんから"A Happy New Year to you!"と言われても、素直に"Thank you!"とは言えない私であった。
でもブツブツの顔を見せて、"Is this supposed to be a joke? (冗談のつもり?)"と言い返す語学力も勇気もなかった私であった。

友人が旅立ちの前に、文庫本と「NICHIGO PRESS(日豪プレス)」という92ページにもわたる邦字紙を差し入れてくれたおかげで、しばらくは退屈しないですみそうであったが、これとて限界がありそうだ。
英語が聞き取れる実力があればテレビも面白いのだが、残念ながら私にはルールのわからないクリケットを見続けるしかなかった。

昼食は、買い置きしてある"Filled Almond Rounds"を1枚とチョコレートを少々、それに昨夜友人に買ってきてもらったリンゴと、ジュースで済ませる。
昼食が終わると、もはや私にやるべきことは何もなく、TVでクリケットの試合を見ることと読書、それにバスルームに "Calamine Lotion"を塗りに行くことだけだった。

夏ということもあってシドニーの日没は遅く、夜も8時を回らないと夕闇が訪れない。
そうなる前に、夕食のルーム・サービスを頼むわけだが、注文書(order form)で頼める朝食と違って、室内電話で注文しなければならないので、今日が2回目とはいえ、少々緊張しながら電話をする。
オーダーは、"Veal Escallops<子牛の肉のステーキ> (19.5A$=\1,810)"と"Cheese & Fruit Platter<チーズとフルーツの盛り合わせ> (12.5A$=1,160)" にして、料理についていたパンとクラッカーはバターを挟んで翌朝の朝食に回すことにする。
こういうことができるのも、高級ホテルだからこそで、もし格安ホテルの滞在だったら、どうなっているか、考えたくもないことだ。

9時になって、ウィットサンディ・テラス(Whitsunday Terraces)に無事に着いたという友人が電話をしてきた。
ホテルのロケーションもなかなか良く、どうやらアーリー・ビーチ(Airlie Beach)には小麦色の"mermaid"もたくさんいたようだ。
やはり「逃した魚は大きい」というのは言いえて妙である。

明日は、彼らは日本人のハネムーナーならお馴染みのハミルトン島(Hamilton Island)へ
一方の私は・・・言うまでもないだろう・・・まだ全身ブツブツなのよ・・・


1/2(Thu) - I have nothing to do.

ここまでくると、もはやバカンス気分は完全になくなり、予定通りに帰国できるかどうかだけが私の関心の的となっている。
結局は、自分でどうすることもできないので、成り行き任せにするしかないのだが、何とも歯がゆいものだ。
とりあえず、前夜に飲んだ解熱剤のおかげでTシャツから短パンまで汗をかいているので、すべて交換するのだが、下は海パンで代用すると、洗濯する手間が省けるので、今日だけは、そうすることにする。

朝食は、昨夜作っておいたものを食べ、湯を沸かして、インスタント・コーヒーを飲む。
それが終わると、文庫本と「NICHIGO PRESS(日豪プレス)」を代わる代わる読み続ける。
今日の一番の関心の的は、日本行きのチケット価格で、格安航空券販売では日本でも有名なHISだと片道が600A$(\55,800)から、往復が1,049A$(\97,560)から、となっているようだ。
最悪の場合、私はこの片道チケットを買わざるを得ない・・・元のチケットは変更不可だからね・・・
昨日と代わり映えのしない昼食を取ると、これも昨日同様に全くやることがない。

仕方がないので、また帰国後には旅行記を書くことになるだろうから、今回の旅の思い出を忘れないうちに要点だけをメモにしておく。
もちろん、私が病床に伏せってからの日々についても同様なのだが、せいぜい食事のメニュ−程度しか書くことがない、と思っていたのが、ここまで日記として体裁を整えることができた。
しかし、小学生が夏休みの宿題として出される日記と同じくらいに中身が薄いし、あの時の日記もまとめて十数日分を書くと、こうなったような気がする。
ところで、今でもあるのだろうか?小学生に対する夏休みの日記の宿題!
たぶん未だに残ってるだろう〜
日本の場合は真の意味で「休日」を作ることが罪悪視されるから・・・

ようやく退屈な1日がまた過ぎようとしている。
夕食は、ルーム・サービスで軽食の"The Gourmet Club<サンドウィッチとフライド・ポテト> (10A$=\930)"と"Australian Pavlova<ケーキ> (6.5A$=\600)" を頼み、コカ・コーラを飲んで済ます。
正月だからというわけでないが、夕食だけは病床の身とは思えぬほど豪華である。
中身はともかく、金銭的には他の3人よりかかってるのは間違いなさそうだ。
そして、通訳の谷村さんに電話して、明朝ドクターに往診してもらうようにする。
午後8時20分、部屋の窓から見えるサンセットの光景だけが、私の目に焼きついている。


1/3(Fri) - I have no choice.

今朝の朝食は、久々に注文書(order form)で頼んだものだったので、イギリス風にマフィン(muffin)にアール・グレイ(earl grey) の紅茶の組み合わせというリッチな食事である。
マフィン(muffin)は3つあるので、1つだけ昼食用に残し、残りの2つにハチミツを塗って食べる。
完全に英国人を気取るなら、ここはマーマレードを塗るのだが、そこまで徹底させる必要もないだろう。

そして、ドクターが往診に来る前に、ベッドメイキング(bed-making)をしてもらうために、室内電話で時間指定もしておく。
つい最近まで、室内電話でスタッフに英語で用事を頼むということなんて、ほとんどしたこともないのに、ここで長逗留(!?)している間は、毎日しなければならないので、少々緊張するのだが、裏を返せば英会話の勉強にもなるので、相当に重要なことでなければ(要するに間違っても取り返しがつけば)積極的に利用をしてみようと思う。

約束の時間になってやって来たのは、30日に往診に来た女医のDr. Porter C.E、彼女は私の背中を少し見ただけで、あっさり "No" と言った。
通訳した谷村さん曰く「まだ旅行ができるほど治癒していないということで、あと2日間はダメらしい。」ので、考えてみるまでもなく、タイムリミットぎりぎり間に合うか?ということだ。
私は正直言って、この時点で予定通りの帰国を半分あきらめかけたのだが、友人が骨折って5日に変更したフライトの件は、ドクターの方で対処すると言ったので、もはや任せるしかない、と開き直ることにする。

それでも、洗髪と近場の外出(長袖,長ズボン着用で妊婦に近寄らないという条件付)はOKと言われて、また、私が「 "Calamine Lotion"が残り少ない。」と言うと、ドクターは「近くの薬局で売ってる。」と、言うあたりは、大胆と言うか、矛盾していると言うか、とりあえず最低限、室外には出られる”ことになったというわけらしい。

それでも、今日のところは自重して、昼食は朝食の残りと、冷蔵庫にある余り物の整理をし、夕食も昨日と同じ"The Gourmet Club<サンドウィッチとフライド・ポテト> (10A$=\930)"で済ませた。
ちなみに、今日の夕食にはミネラル・ウォーターのサービスと一輪差しの花がついていた。
もしかすると、ホテル側のお見舞いなのかもしれない。

今日もTVではクリケットの試合をやっているが、ルールがわからないので、いま一つおもしろくない。
ニュースでは、相変わらずペルーの事件の続報!
不謹慎ながら日本のことが話題になるのはこれだけだ!
"All's well that ends well. (終わりよければすべて良し)"と言えれば良いですね・・・ お互いに(!?)・・・


1/4(Sat) - I was told I am OK to fly.

どうやら真剣に帰国のチケットのことを心配しなければならなくなったようだ。
昨日の女医のDr. Porter C.Eは、「あと2日はかかるだろう。」と言ったようなので、ブリスベンまでの国内線の6日への再変更が可能な場合に、帰国できるかどうか?という状況なのだ。
それに、チケットの件は「任せろ!」と言ったきり、昨日は何の返答もなかったので、余計に不安が募る。

何しろ、現時点でのフライトの予約は、5日のカンタス航空(QF)514便、つまりシドニー発10時5分というのに、谷村嬢曰く、ドクターの往診は5日の10時頃にすると言っている。
ドクターが航空会社に対して余程強いコネを持っているのか、国際線の格安航空券の制約条項(払戻不可<Not Refundable>、ルート変更不可<Not Reroutable>、航空会社変更不可<Not Endorsable>)というのが日本独自のルールでそんなことがあるのを全く理解できないのか、いずれにしろ、こんな気違いじみたプランを受け入れるわけにはいかないのだ。

海外旅行傷害保険で補填される費用として、「治療による入院により必要となった旅行行程復帰費用および帰国費用」に航空券の変更費用が確実に該当するかどうかを保険会社に問い合わせたところ、東京本社の年末・年始休暇明けまでは確答がこないとのことだった。
私は、この条項はパックツアーに対する適用条項に適用されるもので、格安航空券の制限条項による変更費用に適用されるかどうかは自信が持てなかったからだ。
結果的にはこれは補填費用に該当するとのことだ。
これがわかったのは、3年後にマルタで入院したときだった。

とりあえず、再談判の末、今夜にも最終の往診を依頼することでケリをつけ、その際に「ダメ」と言われた場合は、すべてあきらめることにしようと思った。
ちなみに、谷村嬢と再談判の時点でも、航空券問題は何の進展もない状況だったようだ。
彼女にしてみれば単なる通訳をしているに過ぎないのだが、現在の切羽詰まった状況下で、可愛そうだとも言ってられない、というのが正直なところである。

朝食は、昨日と全く同じメニューを選んだが、マフィン(muffin)がレーズン入りになって、しかも4つに増えていた。
あまり目立たないが、少しずつサービスが良くなってきているような気がする。
長期滞在客とはいえ、ホテル側からすれば、決して好ましい滞在客とは言えない(!?)私なのに・・・

午前中に、残り少なくなった "Calamine Lotion"を買い足すために、久々に外出した。
ホテルからチャイナタウンの方面へ歩いて薬局を探しに行く。
たった4日間ホテルに缶詰になっていただけだが、今日という日が来るまでが異様に長く感じた。
帰りに、八百屋でオレンジを買い、スーパー・マーケットでジュースを買ってホテルまで帰る。
わずか1時間余りの外出であったが、リハビリ(!?)にはちょうど良かったのかもしれない。
こんなことがこれほど嬉しいとは、つくづく健康とは何物にも代えがたいものであると思った。

運命の12月30日以来、5日ぶりに夕食は外食を決行することにした。
行き先は、その時と同じでチャイナタウンにある海港城中心(Horbour Plaza)の"Asian Foodcourt"にすることにした。
金額が安いということもあったが、麺類が食べたかったのと、何と言っても、仰々しくウェートレスなどに案内してもらうようなレストランに入るほど、大胆になれないからだ。

そして、ドクターの往診も4度目、いわゆる最終の診察、私にとっては予定通りに帰国できるかどうかの審判が下る。
結果は?来訪したドクターは初回に現れたDr. Georgiou George、彼は言った"You are OK to fly. (飛行機に乗ってもいいよ)"と・・・
私は正直言って嬉しかった。
これでこそ谷村嬢と再談判した甲斐もあるというものだと・・・
そして、国内線のフライトは、ホテルのマネージャーが6日の第1便に変更してくれることになった。

夜遅くなって友人から電話が入った。
3人とも、アーリー・ビーチ(Airlie Beach)でのバカンスを楽しんで、無事にブリスベン(Brisbane)のガセボ・ホテル(Gazebo Hotel)に着いたらしい。
今日は、市内観光をしないで、コンラッド・トレジャリー・カジノ(Conrad Treasury Casino)へ行ったとのことで、誠に羨ましい限りである。

ところで、毎日私の部屋に出入りしていたホテルのスタッフは水疱瘡にかかったということはないのだろうか?

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