う~寒い!俺はこんなところで死ぬのか~

9/3(Fri) イムディーナとラバト観光
宿泊先
(友人のみ宿泊)
Osborne / 現地延泊: single 19ML (\5,260) / twin 28ML (\7,760)
[booking sites for you / agoda.jp Booking.com Hotel Club venere (英語・日本語) アップルワールド JHCホテル (日本語)]
諸費用 バス / 1 day ticket: 1.25ML=\350
関連サイト 欧州総合リンク マルタ 健康と医療
Newsweek日本版<小さな島国の首都はドラマがいっぱい>
マルタの佐藤聖子さんお薦めの英語学校"NSTS"の情報

日本国内でもそうだが、往々にして悪天候の中で遊んでいて死神に召される人間の最大の不幸は撤退の勇気がなかったということに尽きよう。
世間でよくいう「貧乏性」、単純に言えば「せっかく来たのだから」メンタリティが旺盛な人間ほどそうなる可能性は高い。
こういうのは休暇の少ない日本人にありがちなこととはいえ、「後悔先に立たず」という結果を招くことが多いのも事実だ。
と、こんな偉そうなことを言ってる私だが、よもや自らの身に同様の災難が降りかかるとは思いもしなかったのだ。

私たちはバレッタのバスターミナルで1日バス券を買い、マルタの史跡では最大の見どころと言われるイムディーナとラバト(Mdina and Rabat)へ向かう。
ちなみに、マルタでは1日バス券よりも乗車毎にチケットを買った方がいい。
バスに乗って車窓からの景色を楽しめれば満足という人はともかく、1回当たりで11セント(0.11ML=\30)から20セント(0.2ML=\50)くらいしかかからないのであれば、1日バス券はほとんど意味がない。
1時間くらい乗るような長距離路線でも40セント(0.4ML=\110)だし、これらの路線を2往復することは稀だからだ。
もし、1日バス券はリーズナブルであれば、欧米人観光客が買っているだろう。
彼らがそれを買わずに、逐一運賃を払っているのはメリットがないからなのだ。

イムディーナ・ラバト方面行きバスルート
これらの町へはバレッタ(Valletta)、スリエマ(Sliema)、ブジッバ(Bugibba)から直接バスで行ける。また、佐藤聖子さんお薦めのショッピング・エリア、タ・アーリ・ハンディクラフト・ビレッジ(Ta' Qali Handicrafts Village)へはNo.65かNo.86のバスで行くといい。
バスNo. 主な経由地(Main Trips Route) 時刻表(Timetable)
65 Sliema Ferries-Balluta-St. Julians-Paceville-St. Gwann-Naxxar Centre-Mosta Dome-Ta' Qali Crafts Village-Rabat-Mdina summer winter
80 Valletta-Hamrun-Santa Venera-Mriehel-Balzan-Attard-Rabat-Mdina summer winter
81 Valletta-Hamrun-Santa Venera-Mriehel-Balzan-Attard-Rabat-Busketto Gardens-Dingli summer winter
84 Valletta-Hamrun-Santa Venera-Mriehel-Balzan-Attard-Rabat-Mtarfa summer winter
86 Bugibba-St. Paul's Bay-Mosta Dome-Ta' Qali Crafts Village-Rabat-Mdina summer winter

イムディーナとラバト
main gate of Mdina The Silent City
イムディーナのメインゲート イムディーナの静寂な路地
St. Paul's Cathedral St. Paul's Cathedral
聖パウロ大聖堂(イムディーナ)
St. Paul's Church Rabat
ラバトの聖パウロ教会、午後3時22分撮影
悲劇の扉はもうすぐ開く

イムディーナは、別名、サイレント・シティと呼ばれてるだけあって、静寂が路地が特徴的な町である。
ここはかつてマルタの都であったが、ビルグ(ヴィットリオーザ)が聖ヨハネ騎士団によって作られ、その後、ヴァレッタの完成によって活気を失い、いまやサイレント・シティと呼ばれるまでになってしまったところだ。
対照的にラバトは、今でも多くの住民が生活する庶民の町である。
ただ、昼間訪れると、ラバトもイムディーナも大して変わらないように感じてしまう。
それはマルタに限らず南欧諸国の習慣となっているシェスタ(siesta)によるもので、マルタのそれはかなり徹底していて、概ね正午から午後4時までの4時間は店が完全に閉まってしまうのだ。
従って、町中の静けさはどちらも大差ないように感じられるのだろう。

悲劇の幕開け

午後3時30分、悲劇の扉は開いた。
ラバトにあるパリッシュ広場(Parish Square)で一休みしていた私は起き上がろうとした瞬間、体中が震え、「寒い!寒い!」とうめき声をあげていた。
歩くことはおろか立っていることさえもやっとの状態で、どうしたらこの痙攣が止まるのかを必死で考えていた。
外気温は軽く30度に達しようかというカンカン照りの日に、「寒い!」と言って震えているのはおそらくマルタ中で私だけだったかもしれない。
周囲にいた観光客も何事かと思って立ち止まって振り向くが、誰も近寄って来ようとはしなかった。
私の友人は私の前方をバス停に向かって歩いており、後ろで私が「寒い!」と言って震えているを最初は冗談だと思っていたようだ。
(冗談でこんなことを海外でやる人がいると思うのが素晴らしいところだ!)
でも、さすがに冗談にしては度を越していると思った友人は私に声をかけてきたが、当然ながら医師でも看護士でもない彼にはどうすることもできなかった。
こんな中で、唯一、現地のマルタ人女性が近寄ってきて、「クリニックへ行ったら?(Won't you go to see a doctor?) 」と、その場所まで案内してくれたのだ。
そのクリニックは、簡単には発見できないような小さなビルの一室の、看板すらかかってるかどうかというところだった。
おまけにそのときはマルタ人のシェスタの時間で、医師や看護婦が出てきてくれたのかもわからない時間帯だったのだ。
もし、マルタ人の彼女が通りかからなければ、正直なところ、私は死んでいたかもしれないのだった。

最後の気力を振り絞り、やっとの思いでクリニックのベッドに倒れこんだ私は、震えが止まらず、さらなるうめき声をあげていた。
医師や看護婦は私に対し、あるいは友人に対し、いろんな質問を英語で浴びせてきた。
当然のことながら通訳とか、日本語がわかるスタッフなど1人もいなかった。
わかっているのは、この受け答えの巧拙に命がかかっているかもしれないということだけだった。
大げさかもしれないが、このとき、彼らの発する英単語の一言一言が私の運命を決めるかもしれないと思っていたのだった。
「アレルギーはあるか?(Do you have any allergies?)」「普段飲んでいる薬があるか?(What medicine are you using?)」「昼飯何食べた?(What did you eat at lunch?)」とか聞かれたようだった。
私がやっとの思いでそれらの質問に答えると、質問は私の友人に向けられたのだった。
視界の遠くに彼が「海外旅行会話集」を必死に広げているのが目に浮かぶ。
彼に対する質問は「どんな魚食べたのか?寿司食ったか?(What kind of fish did he eat? Did he eat Sushi?)」とかいうものだった。
ここのクリニックの医師は魚による食中毒を想定していたようだった。
一方、私たちと彼らのやりとりを見届けた親切なマルタ人女性は、いつのまにかクリニックから立ち去ったようだった。
ベッドでうめき声をあげ続ける私はもちろんのこと、友人も医師たちさえわからぬうちに・・・
結局、お礼を言おうにもどこの誰かもわからないまま今に至っているのだ。

どうやら私の症状は町のクリニックでは手に負えないようだった。
しばらくして、救急車のサイレンがラバトの町に鳴り響き、私たちがいるビルに向かっているのがわかった。
おぼろげにしか頭が働かなくても私を乗せるためにやってきたのは明白だった。
救急車に乗せられていた時間はこの上なく長く感じた。
酸素マスクを鼻にかけられ、冷房もない救急車の中はサウナのように暑かった。
酸素マスクをすると逆に呼吸が苦しくなり、意識も遠のいていくような感じだった。
「水が飲みたい、体が異常に熱い!」こんな思いを口に出すこともできない状況がずっと続き、ようやく一つの病院に着いたとわかったときは生きている自分が信じられない気分だった。
友人に言わせると、私は救急車の中で「こんなところで死ぬのか~」と言っていたとか・・・
まさに、死線を彷徨ったような午後の昼下がりだった。
ちなみに、私は以下のような英文を作成し、英語サイトの方に掲載した。
果たしてこのメッセージを彼女が見ることはあるのだろうか。

Dear kindly Maltese woman who helped me
to go to see a doctor in Rabat
How are you doing?
Sorry, I missed asking your name then; however, I would like to say "thanks a lot" to you now.
Do you remember Japanese guy who felt dizzy at Parish Square in front of the St. Paul's Church in Rabat on September 3, 1999?
Actually, I was traveling in Malta with my friend, but we didn't know what we should do.
You just passed by us and took us to some hospital at Rabat then.
After seeing a doctor, I was carried by an ambulance from there to St. Luke's Hospital, and then I was hospitalized at once due to dehydration from traveler's diarrhea.
Without your help, I might have died.
But thanks to your help, I was discharged from the hospital after 3 days, and continued my trip.
I really appreciate your kindness in Rabat.
Finally, please take care of yourself and enjoy your life everyday.


With best wishes.

Carlos Hassan

運命の出会い

私が正気を取り戻したとき、そこはある病院の救急処置室であった。
着ていたTシャツはビショ濡れ、顔や首筋からも汗がしたたり落ちている有り様だった。
そして、左腕には点滴が打たれ、女医の質問が英語で始まった。
どうやら命に別状はないようだが、今度はぶっつけ本番の英会話教室の始まりだ。
このときは英会話なんぞ、ホテル取ったり、列車のチケットやツアーを申し込んだりできる程度の語学力(今でもそうかもしれないが・・・)しかない私にとって最大の問題が生じたのだ。
別のメンバーとの旅行であれば、英語がある程度できる人がいるのだが、ここでは私も友人も医師と英会話できるほどの実力はなかったのだ。
つまり、簡単な質問なら答えられても難しいことになるとお手上げだった。

私は、このときまで、"What happen?(何があったんだ?)"という言葉の意味に「こうなった経緯を説明して欲しい。」というのが含まれていることを知らなかった。
私と女医の双方で無意味なやり取りが続き、彼女もイライラしているようだった。
そこで、私は非常手段に訴えることにした。
そう、一面識もないマルタ在住の日本人、ただE-mailの交換だけ何回かしただけの佐藤聖子さんという人に連絡を取ることにしたのだ。
まさに「溺れるものは藁をも掴む。(A drowning man will clutch at a straw.)」という心境だったのだ。
しかし、彼女の家の電話口に出た人曰く、「聖子さんは外出してます。私たちは医者との通訳ができるほど英語に堪能ではありません。」とのことだったのだ。
考えてみれば、彼女は日本人コーディネーターであっても、病院専属の通訳ではないし、私とは初対面の人なのだ。
今、ここに来れると考える方が間違いなのだ!
このとき、私と意思疎通が困難と悟った医師たちは、検査だけを黙々と続けるのだった。

これからどうなるのか不安だけが募る中で、幸いにも佐藤聖子さんが病院に来てくれることになった。
私たちも、そして私の担当である女医も、お互いに意思疎通ができない状況であったので、この一瞬をどんなに喜んだことか・・・
でも、彼女の第一声は「あなたたち、留学生?どこにホームステイしてるの?」だった。
私たちは留学生でもホームステイをしてるわけでもない、ことを電話で伝えてあったはずなのだが、どうやら彼女は細かなことをほとんど気にしない人らしかった。
おそらく、ただ単にE-mailを交換しただけの人間が、救急病院から電話をかけてくるとは彼女も想像してなかったのだろう。
常識で考えれば、来てくれなかったとしても何の文句も言えない状況だったのにもかかわらず、彼女は来てくれた。
マルタ在住の2人の女性が私を助けてくれなければ、今日の私はないと断言できる。
そして、私は今日という日を境に「親マルタの日本人」になったことは言うまでもない。

血液検査と問診の結果、私の症状は「下痢に伴う脱水症 (dehydration from traveler's diarrhea)」であったことがわかった。
医師の話では、「様子見のために1日入院する。」とのことだったので、この日の夜はホテルでなく、病院にベッドで過ごすことになった。
支払いは、退院日にまとめて現地通貨で払うのだが、請求書の取りまとめに2~3時間はかかるらしく、このときも佐藤さんが時間があればサポートしてくれることになったのだ。
彼女はとても多忙な人らしく、今日、ここへ来られたのは、私にとってとてもラッキーだと言っていた。
ちなみに、救急処置室のやり取りは佐藤さんの通訳が入って無事に終わったが、一般病棟でも担当医師による問診が行われた。
つまり、救急処置室の担当医師のカルテは、一般病棟の担当医師には引き継がれないようだ。
佐藤さんは私の友人を連れて帰ってしまったので、私は佐藤さんが答えた内容を思い出しながら回答する。
まさにこれが英会話教室の実地演習と言わずして何と言うのだろうか?

それにしても私は不幸中にしては非常に幸運だったのかもしれない。
ラバトで私を助けてくれたマルタ人女性がいなければ、そこの近くにクリニックがなければ、私が友人と一緒に旅行に来ていなければ、そして佐藤さんが捉まらなければ、どれか1つ欠けていても私の運命は変わっていただろう。
最後にたった1人で病室にいることになった私に対して、見ず知らずの見舞い客と思われるマルタ人がミルクをくれた。
あなたが、もちろん私もだが、病院へ家族や友人の見舞いに行って、病室が全然違う、しかも見ず知らずの外国人入院患者に声をかけ、飲み物や果物をあげるだろうか?
私は今までそうしたことをしたことはないし、今後もたぶんしないかもしれない。
では、あなたは?

心に銘し骨に鏤(ちりば)む!

9/4(Sat)-9/6(Mon) St. Luke's Hospitalでの入院生活
担当医師: Ms. C.Mallia Azzopardi / Mr. P.J.Cassar
入院に伴う諸費用
(海外旅行傷害保険請求分)
項目 費用(ML) 円換算
ambulance(救急車) 7.5 2,080
consultation(診察) 3 830
hospital expenses(入院費) 85*3 nights=255 70,640
translation(通訳) 145 40,170
合計 435.5 120,630
当初購入のチケットは格安航空券のため、搭乗日の変更ができない<もっとも医師の診断書があればアリタリア航空は変更ができるらしい(友人談)>ので、代替チケットを新たに購入するための費用である。
関連サイト 欧州総合リンク マルタ 健康と医療 海外旅行傷害保険付きのクレジット・カード
Newsweek日本版<小さな島国の首都はドラマがいっぱい>
マルタの佐藤聖子さんお薦めの英語学校"NSTS"の情報

審判のとき

私の友人が朝からどこへも行かずに病室へ来てくれた。
彼にとっても短い休日をこうした形で付き合わせることになってしまったことに良心の呵責を感じる。
私も、そして彼も昨夜の医師の言葉「1日養生すれば退院できるだろう。」というのを信じていたに他ならない。
午前中には、他のマルタ人家族の見舞いに来たと思われる人が私の部屋を覗き込み、いろいろ話かけてくれた。
どうやら病院食だけでは腹が減るだろうから、ということでサンドウィッチをくれたのだった。
おまけに、その人は「何が食べたい?」と言って、私がオレンジが食べたいと言うと、自分の家族の分を分けるのではなく、わざわざ近くの八百屋まで行って買ってくれたのだった。
なおかつ彼女は私にお金を請求するようなことは一切しなかったのだ。
こういう親切はどこからくるのだろうか?
だからといって、私には"Thanks a lot!"以外の言葉は出てこなかった。
また、医師の処方した薬を買うには、外部の薬局に行かねばならないようで、もし、このとき私が単独で旅行していたら、あるいは友人が今この場にいなかったら、と思うとゾッとするのだ。
日本の病院のように入院中の薬が看護婦によって運ばれてきたり、オーストラリアのようにデリバリーサービスがあるというわけではない。
もし、マルタで私のような外国人旅行者が単身で入院するハメになっていたら、彼らはどうするのだろうか?

そして、昼食の時間になり、医師が私の採血をするためにやってきた。
私たちは海外の病院食を食べることは2度とないだろう、と言いながら代わる代わる写真を取り合っているほどだった。
つまり、この日で退院できることを信じていたからこんなことがしていられたのだ。

St. Luke's Hospital St. Luke's Hospital

ついに、その時はやってきた。
しかし、担当医師のほかに、彼女の上司らしい人がぞろぞろとやってくる光景は、次に彼らが発する言葉が私の期待を裏切ることになることを十分に予感させるものだった。
そして、彼らは私が英語があまり得意ではないことを見越して、ゆっくりと丁寧に話しかけてきた。
結論は「あなたは月曜のフライト(Malta 16:10-アリタリア航空(AZ)885-17:45 Milan)に乗ることは難しいのでキャンセルすべきだ。」とのことだった。
つまり、月曜までは退院できない、と言われたのだ。
医師は佐藤さんと相談してもいい、ということを言ったが、単に、というか偶然の出会いでつかの間の通訳だけしてもらった人にトラベルアレンジメントまでは頼めないと思うのが普通だろう。
かくして、私の運命は決まったようだ。
ただ、航空券のキャンセルも、代替航空券の購入も、この病院内にいる限り極めて困難が伴うのだ。
電話でマルタからミラノまでをキャンセルするのは簡単だ。
しかし、ミラノから東京までのフライトは維持しながら、マルタからミラノまでの代わりのフライトを電話でリクエストするのは、英会話が苦手な者にとって想像を絶するほど難しい離れ業とも言えた。
まあ、結局はわが友の力添えによって解決することになるのだが、いや~もう、重ね重ねという感じだね。

一つ言いたい!病院の中に売店も置け!

ここの病院は、日本の病院と違う点がある。
最も違うのは病院内に売店がない、ということと、神父が病棟を回って患者とコミュニケーションを取っているということだ。
一番辛いのは、トイレにトイレットペーパーがないということだ。
かといって、ここがアラブ式トイレになっているわけではない。
一応西欧式の水洗になっているのだが、要は自分で用意しろということらしい。
また、ガイドブックによれば、水道水は飲めるらしいが、下痢が原因で入院しているのに、海外の生水は抵抗がある。
給茶機があって常時お茶が飲める日本と違い、ここでは午後のティー・ブレークの時間だけが食事時間以外に暖かい飲み物がサーブされるときだ。
さらに、私のように突然入院した者にとっては着替えもないので、友人に頼らざるを得ない。
かくして、ミネラルウォーター、トイレットペーパー、着替えなどを持ってきてくれた友人に、あらためて感謝する私であった。
まあ、これらのことについてナースステーションで聞けば、どうすればいいか教えてくれるのだろうが、これで私が全く英語ができない状況であったら、何もできずに途方にくれていたことは間違いない。
すべてのことが看護婦によってサーブされる日本と、こちらからアクションを起こさないと何も進展しない海外との差がこんなところにもあるようだ。

apologize医師の処方した薬(Dioralyte)は確かによく効いた。
おかげで下痢は止まったし、点滴も取れるということで、予定日に帰国できないという、最悪の事態は免れそうだった。
でもちょっとした不注意で、旅の楽しみが半減してしまったことに変わりはなかった。
また、今度ばかりは友人にも迷惑をかけ通したようだ。
あらてためて懺悔しよう。

病棟に現れた天使たち

月曜のフライトに乗れない、その理由は、今日が日曜日で担当医も含め、一般病棟には医師がいないに他ならない。
これは後で佐藤さんから聞いてわかったことなのだが、ここの病院は国立で、旧社会主義政権の悪弊を残しているため、勤務医はあまり熱心でなく、午後からの観光業などのアルバイトに全精力を使っているからだと言う。
日本の常識で考えれば、月曜に退院できれば、夕刻のフライトには十分間に合うはずなのだが、(またそのような配慮も期待できる)マルタの国家公務員が迅速に仕事をするとは期待できないみたいだ。

Fort St. Elmo
聖エルモ砦
週末のみオープンのため、
友人に写真だけ撮ってもらってきた。

ところで、マルタの電話は日本と同じようにテレホンカードを使うのが一般的なようだが、これがまた曲者で差し込み口に入れても、「カード無効(invalid)」と出て、うまく繋がらないことが多いのだ。
私はこれ初めて使ったとき、新品のカードを何回入れても受け付けられなかったことにもの凄い憤りを感じたものだ。
なぜなら佐藤さんとの連絡手段がそれしかなかったからだ。

夕方になってブルー・グロット観光から戻った友人と話し込んでいたら、突然佐藤さんが自らのステイ先の女性2人と、彼女の現地の友人であるトニーさんとともに現れた。
佐藤さん宅の留守電に入れたメッセージを聞いて駆けつけてくれたのだが、何という素晴らしい人だと感動してしまった。
私だったらほかに仕事を抱えて飛び回っていたら、ここまで献身的にはなれないだろう。

人の出会いとは不思議なものだ。
当初の予定では、昨日と今日はゴゾ島へバカンスへ行くことになっていて、明日はミラノ行きだったのだ。
もし、私が1998年にパソコンを買ってなければ、あるいはインターネットで佐藤さんがいることを発見してなければ、また彼女とE-mailをやり取りしてなければ・・・
そう考えると、これらのすべての糸が結ばれたとき、普通ではあり得ないことが起こるのだ。

花園に飛び入る虫一匹?

今朝、リネンサービスの人たちがベッドのシーツと枕を取替えにきた。
土日はこうしたことをしてくれなかったので、どうなってるのかと思っていたが、彼らは週末には働かないのだろう。
こんなところも日本とは別世界のようだ。
それに加えて、トイレやシャワールームもお世辞にも清潔とは言えないものがあり、日本の病院で院内感染のことがトピックになっていたが、ここではそんなことを論ずる以前のような気がした。
海外で入院するならシンガポールが一番いいかな?
世界一清潔そうだしね。

それから海外旅行傷害保険付きのクレジットカードを持っている場合、保険の冊子は取り寄せて海外に持っていこう。
特に入院が継続7日以上になった場合、親族などを呼び寄せる費用(救援者費用)が保険から出るので注意したい。
ちなみに私の持っているNicos Cardは3名まで無料だ。

友人がミラノへ旅立った頃、私は午後の血液検査を経て、ようやく退院を許可された。
こうして考えると、確かに今日の4時のフライトに間に合うわけはないという説明が理解できる。
佐藤さん曰く、「万事がマルタ時間で行われる当地にあって、迅速さを追求することなど不可能なのだ。」

佐藤さんの紹介で私はトニーさんというマルタ人の家へホームステイすることになった。
彼女は通訳のほかに観光関係の仕事もしているらしく、ホテルに泊まりたければそちらでも、と言ってくれたのだが、私はマルタ人の家を選択した。
理由は、こんなチャンスを逃したら2度とマルタ人の家に行くことなんかないだろうと思ったからだ。
そのトニーさんという人は佐藤さんとは家族ぐるみの付き合いらしく、毎朝・夕と食事を佐藤さん宅で取ってから仕事へ行くらしかった。

かくして、私はトニーさんの家にホームステイしながら佐藤さんの家にステイしている日本人の女性たちともお近づきになるという幸運が舞い込んだのである。
男性は私とトニーさんのみ、あとは佐藤さんとその娘さんが2人、日本人の女子留学生が6人と、まさに花園の中に舞い降りることができたことを私は神に感謝した。
そう、私はこのとき知ったのだ。
3日に救急病棟から電話をかけたとき、佐藤さんが不在だと医師の言葉を通訳できないと言われた理由が・・・
マルタの日本人コーディネーターといっても彼女が1人でやっているだけで、会社組織にして何人もスタッフがいるというわけではなかったのだ。
ちなみに佐藤さんの旦那さんの名はハッサン、1993年以来、同じ名前をペンネームにして旅行記をかき続けていた私は、この瞬間に運命というものを確信したのだった。

夜になってトニーさんに現地の人がやっているパブに連れて行ってもらった。
彼は地元では非常に親しまれているらしく、ここでも立ち代り入れ替わり人が話しかけてきた。
私も拙い英語ながら話しに加わったが、やはりどことなくぎこちなかった。
彼らが「フランス人をどう思う?」って聞いてきたから私が「あまり好きではない。」と答えると笑っていた。
どうやら彼らもフランス人の高慢さが嫌いなようだった。
もしかすると、アジア諸国での日本人観もそうなのかも、と一瞬思ったが、ここの店の和やかな雰囲気についさっきまでの入院生活のことさえ遠い記憶となろうとしていた。

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