2009年3月19日-22日九州旅行

20日の午前は長崎市内観光をすることにした。
トラム(長崎電気軌道)の1日乗車券(500円)とバスを使えば簡単に自分で観光することができるが、時間の制約があったため定期バス観光ツアーに参加することにした。
それに自分で行っても観光ツアーコースで行くところと同じようなところになることが予想されたからだ。
ツアーの受付は午前9時からで、受付のときに「昼食は出ないのでバスに持ち込むか、ツアー終了後に食べるように」と言われる。
私はツアー終了後に中華街でチャンポンや皿うどんを食べるつもりでいたので、飲み物だけを買ってバスに乗り込むことにした。

長崎市のトラム 長崎駅の正面
長崎市のトラム 長崎駅の正面

さすがに3連休の中日だけあって2台ある観光バスの車内は満員だった。
ラッキーなことに、ガイドの女性は私たちが乗った1号車の方が若くて綺麗な人だった。
最初の訪問地は原爆資料館(Nagasaki Atomic Bomb Museum)、ここがどんなところかは行ったことがない人でも想像がつくだろう。
一通り見て回って残念に思ったのは、原爆投下がアメリカ軍による非人道的で残虐な行為(inhumane acts of atrocity)であることを糾弾していないことだ。
原爆が人類にとって悲惨な結果をもたらす兵器であることは言うまでもないが、その実験台にされたのが当時の枢軸国の中でホロコーストを行ったドイツでなく、有色人種である日本人であったことは半永久的に語り継がなければならないことなのだ。
ホーチミンの戦争証跡博物館(War History Museum)には、ロバート・マクナマラ元国防長官の回想録「過去を見つめ返そう〜べトナムでの悲劇や数々の教訓を〜」の中で(The Tragedy and Lessons of Vietnam)の一節が紹介されている。
果たして長崎や広島の悲劇に対してこのように思ったアメリカ政府の要人がいるのだろうか。

次は平和公園(Peace Park)だ。
ここにある平和祈念像(Peace Statue)は長崎観光のパンフレットでお馴染みのもので、彫刻家・北村西望氏の「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」という言葉が台座の裏に刻まれているそうだ。
また平和の泉(Fountain of Peace)の石碑には「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとう油の浮いたまま飲みました。」とある。
被爆直後の凄惨な状況が目に浮かぶようだ。
ところで、この「平和公園」という名称、私が思うにこれは変えるべきだろう。
そういうことを言い出した途端にヒステリックな反対が予想されるから憲法改正より困難かもしれないが・・・
なぜなら平和を願うのは世界中の誰もがそうであって、日本人だけではない。
むしろ戦争の傷跡を伝えるといったネーミング、要は英語で言うPark of War History Monumentsとすべきだろう。
これができた当時は世界平和への願いを込めて「平和公園」と名付けたかもしれないが、今やそういうネーミングに欺瞞を感じる世代も増えているからだ。

長崎バス観光「長崎よかとこコース」
日程(itinerary)
09:00 ツアー参加受付開始
10:00 長崎駅を出発
10:07 原爆資料館(Nagasaki Atomic Bomb Museum)(45分見学)
10:57 平和公園(Peace Park)(20分見学)
11:45 出島(Dejima)(40分見学)
12:30 孔子廟(Confucian Temple)(25分見学)
12:58 大浦天主堂(Oura Catholic Church)
グラバー園(Glover Garden)(67分見学)
14:15 長崎駅へ帰着(希望によりグラバー園、新地バスターミナルでの離脱可)
原爆資料館 原爆資料館 平和公園 平和公園
原爆資料館 平和公園
平和公園 平和公園 出島 出島
平和公園 出島のカピタン部屋
出島 出島 孔子廟 孔子廟
出島のカピタン部屋 孔子廟
グラバー園と大浦天主堂
グラバー園 グラバー園 グラバー園 グラバー園
グラバー園 グラバー園 グラバー園 グラバー園
グラバー園 グラバー園 グラバー園 大浦天主堂

平和公園の見学が終わるとバスの車内で20分ほど時間があるので、ここで昼食を取りたい人は車中で弁当やサンドイッチなどを食べることができる。
車中ではガイドによる浦上天主堂(Urakami Cathedral)や思案橋(Shianbashi Bridge)の解説があり、彼女曰く、思案橋という地名は、遊郭があった時代の丸山へ「行こうか、戻ろうか」と人々が思案したことに由来しているそうだ。

出島(Dejima)は江戸時代にオランダや中国との通商窓口として唯一開かれたところだ。
私は海に囲まれて、さぞかし風光明媚なところにある史跡だとばかり思っていたが、近代以降、周囲を埋め立てられて今や住宅地の中にある史跡といった趣だ。
建物は復元事業により往時の面影を取り戻しつつあるが、周囲とのアンマッチは消えようがない。
とりあえずカピタン(オランダ商館長)部屋(Chief Factor's Residence)を始めとしてざっと見回ったが、外観より中の部屋の方が絵になるところのような気がした。

長崎の孔子廟(Confucian Temple)は、1893年に清国政府と在日華僑が協力して造ったものだそうだ。
どこかで聞いたことがあるようだと思ったら、台湾の台南(Tainan)にも同じ名前の建物があったことを思い出した。
またここには北京故宮博物院と提携している中国歴代博物館(Historical Museum of China)が併設されているが、ガイドも特に言及しなかったし、見ている時間もなかった。
せっかくの施設なのにもったいないような気もするので、もう少しPRした方がいいのではなかろうか。

さて、いよいよ最後の訪問地はグラバー園(Glover Garden)と大浦天主堂(Oura Catholic Church)、バスを降りて、土産物屋が軒を並べる坂を上がると目の前に大浦天主堂が見える。
中は写真撮影が禁止になっているので、外観しか取ることができなかったが、聖堂内部に綺麗なステンドグラスが散りばめられていたのが印象的だった。
グラバー園では旧グラバー邸と旧リンガー邸を見学、丘の上から望む長崎港の景色が素晴らしい。
もしかすると夜景もここからの方が綺麗なのでは、と思いきやゴールデンウイークや夏でないと夜間営業はやっていないみたいだ。
またここ数日の陽気の良さで桜が咲き始めていて、それが洋館の外観と相俟ってなかなか良かった。
ガイドの人に断れば、ここでツアーを離脱することもできるので、グラバー園を長く見ていたい人や土産物屋を物色したい人はそうするといいだろう。
私の場合は、今晩までに小倉へ行かないといけなかったので、そうもしていられなかったのが心残りだった。

本日の昼御飯「新地中華街
皿うどん 新地中華街
皿うどん(700円):龍亭 豚まん(60円)

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