9/9(Fri) | ミュンヘン 8:55-ルフトハンザ航空(LH)1750-12:20 アテネ(エレフテリオス・ヴェニゼロス) アテネ観光 |
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宿泊先 | Achilleas / 76Euro (8,250JPY) per night | ||
[booking sites for you /agoda.jp Booking.com Hotel Club venere (英語・日本語) アップルワールド JHCホテル (日本語)] | |||
諸費用 | Athens Urban Transport No.X95 (Airport Bus Services): 5Euro=540JPY 市内ツアー(Athens City Tour): 15Euro=1,630JPY 遺跡の入場料: 12Euro=1,300JPY (Athens Info Guide) |
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関連サイト | 欧州総合リンク ドイツ ギリシャ ミュンヘン アテネ | ||
アドバイス |
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香港からミュンヘンへ向かうフライトは予想通り満席だった。
乗客は白人ばかりでなく、中国人(香港人)と思われる人、それも学生と思われるような若い人たちも多く乗っていた。
ここ2回、つまりリーマンショック後の欧州への旅行はいずれも香港経由なので、日本発のフライトの状況はわからないままだが、少なくとも香港発欧州行きのフライトはいずれも満席で、今回は前回と違って窓側の席が確保できただけマシだった。
それでも昨日の昂坪(Ngong Ping)行きが程よい疲れをもたらしたのか、食事以外のときはほとんど寝て過ごしていた。
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ミュンヘン国際空港(Munich International Airport) |
ミュンヘンへ到着したのは朝の6時、まだ外は夜明け前で暗く、入国審査場のあたりだけが仄かに明るくなっていた。
女性の入国審査官は「ビジネスか休暇なのか、どこへ行くのか?」というありきたりな質問をするだけで私のパスポートにスタンプを押してくれた。
こうしてあっさりと入国審査をパスできることがどれほど幸せなことか、何人の日本人観光客が感じているだろうか。
これも日本の経済力が未だに国外で信用されているということなのだ。
それがいつまで続くのか、私たちの子孫の世代に受け継ぐことができるのか、そう思いながら入国審査場を後にした。
ちなみに、シェンゲン協定(Schengen Treaty)の域外(香港)から域内(ドイツ)に入国するときは、最初の到着地(ミュンヘン)で入国審査があり、域内(ドイツ)から域外(香港)へ出国するときは、最後の出国地(フランクフルト)で出国審査が行われる。
従って、今回の旅行の場合、パスポートにはドイツの出入国のスタンプが押されることになり、ギリシャ(アテネ)の出入国のスタンプは省略される。(Map of the Schengen countries)
香港からのルフトハンザ航空(LH)731便と、アテネ行きのルフトハンザ航空(LH)1750便は、ともに第二ターミナルに到着するのだが、そこにある銀行は、案内所で確認した限りではReise Bankだけで、開店時間は7時から17時、17時30分から21時までとなっていた。
これが南欧諸国だと7時にスタッフが仕事を始めることなど期待できないが、ここはさすがにドイツ、7時に窓口に行けばきちんと応対してくれる。
もちろん、この先はストライキもあり得るギリシャなので、持ってきたトラベラーズチェックのうち700ユーロ(76,020円)をここで両替する。
手数料も10.5ユーロ(1,140円)とまずまずで、これでギリシャの滞在費ぐらいは賄える算段であった。
また、このターミナルでは各搭乗口でセルフサービスの飲み物と、新聞(独語・英語)が無料でサービスされていた。
今は大手キャリアはどこも経営難で、こうしたものがあるのは珍しいと思うが、さすがルフトハンザと言うべきなのか。
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アテネ国際空港(Athens International Airport) | Hotel Achilleas |
アテネにはほぼ定刻に到着、旅客だけが立ち入りできる制限区域から一般区域に出ると、銀行が目の前にいくつかあり、為替レートを見比べると、何と日本円の両替レートが仲値(1ユーロ=108.41円)の±1.9円と良心的というか、1990年代を彷彿とさせるレートの良さであった。
今から3年前の2008年9月11日のフィレンツェ駅構内の両替所の±14.5円に代表されるようなぼったくりレートが当たり前となっている欧州両替事情を何度も目の当たりにした私にとって、これは新鮮な驚きであった。
しかし、イタリアでも日本人観光客があまり寄らないような市中銀行はそれほど酷いレートでなかった記憶もあり、アテネの場合は一般区域の銀行でも良心的なレートを提示していたという見方もできるため、基本的に、欧州旅行の際には円キャッシュを現地で両替しない、というスタンスでいいかと思う。
事実、観光客の目に付きやすい制限区域内の銀行は、原則に違わず日本円の両替レートはぼったくりレートだったからだ。
こういう現象を私の友人であるPharmさんは「日本人損させ仮説」と呼んでいる。
アテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港(Athens Eleftherios Venizelos International Airport)からシンタグマ広場(Syntagma
Square)までは24時間運行のX95番のバスで約1時間、宿泊先のHotel Achilleasはそこから徒歩5分程度、懸念されたストライキもなく、無事にホテルへ到着することができた。
ホテルにチェックインしたのは昼の2時半過ぎ、時間的にはスニオン岬(Cape Sounion)に行ける感じもしたのだが、フロントスタッフ曰く、ツアーは出発した後とのこと、シンタグマ広場近くのフィレリノン通り(Filellinon
Street)沿いのバス停からスニオン行きのバス(海線)を使った行き方も教えてくれたのだが、今日のところはスニオン行きを諦めて市内観光をすることに決めた。
アテネ散策 | ||||
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市内観光バス (Athens City Tour Bus) |
トラム(Tram) | アクロポリスの前門 (Propylaea) |
パルテノン神殿(Parthenon) | |
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パルテノン神殿(Parthenon) | エレクティオン神殿(Erechtheion) | |||
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アクロポリスの展望台(Observatory) | ディオニソス劇場 (Theatre of Dionysus) |
ゼウス神殿 (Temple of Zeus) |
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ゼウス神殿(Temple of Zeus) | 国会議事堂(Parliament) | |||
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無名戦士の墓 (Tomb of the Unknown Soldier) |
エルムー通り(Ermou Street) |
前回といっても19年前になるが、1992年9月にここに来たときはKey Toursの半日観光バスツアーで市内を回った。
このときは、無名戦士の墓(Tomb of the Unknown Soldier)、ミトロポレオス大聖堂(Mitropoleos Cathedral)、そしてアクロポリス(Acropolis)を見学したと旅行記には残っていたが、もはや当時の記憶など薄れていたので、新たな気持ちで町歩きができた。
もっとも、まだ暑い9月なので、完全に歩くという選択はせず、乗り降り自由型のバス(Athens City Tour)を利用して遺跡巡りをする。
しかし、時はすでに午後3時半、日が長い夏とはいえ、どこまで回りきれるか、という感じであった。
最初の訪問地はもちろんアクロポリスの丘(Acropolis)、ここで買うチケットは2日間有効の共通入場券となっていて、時間が許す限りアテネ市内の主要な遺跡を堪能することができる。
ただ残念だったのは、久々に見たパルテノン神殿(Parthenon)が修復工事(restoration project)の真っ最中だったこと、できるだけ工事中だというのがわからないように写真を撮るようにしたが、さすがに無理だった。
経済危機に陥っているギリシャで、工事は遅々として進まなそうな感じでもあったが、ギリシャのシンボルなだけに一刻も早く元の姿が見られるようになって欲しいものだ。
次に行ったのはゼウス神殿(Temple of Zeus)、ここはシンタグマ広場(Syntagma Square)から出発したバスの通り道にあったので、途中下車して寄ってみた。
ここはギリシャに存在する中では最大の神殿、優雅な装飾が施されたコリント式の大理石の柱が特徴的、夏の青い空に映える建築物は一見の価値がある。
ガイドブックの記述は地味で通り過ぎてもおかしくないが、工事中のパルテノン神殿よりも絵になるので、是非とも寄ってみるといいだろう。
ただ、なぜか出没する自称サウジアラビア人、この類の詐欺師(!?)は2009年11月のバンコクにも現れたのだが、ここで日本人をターゲットにして何をするのだろうか。
最初は3~4ヵ所行けるかと思っていたアテネ観光、さすがに3時半スタートでは遅すぎたか。
あるいは香港からのロングフライトの後でそこまでの気力がなかったか、オモニア広場(Omonia Square)の方まで足を伸ばすゆとりはなかった。
シンタグマ広場(Syntagma Square)の目の前に国会議事堂(Parliament)と、無名戦士の墓(Tomb of the Unknown
Soldier)があるので、そこをカメラに収めるとホテルへ戻ることにする。
ここでも一見すると人の良さそうな老夫婦が「コーヒーでも飲まないか」と声をかけてくる。
なぜ、このシチュエーションで?という唐突さが気になって丁重にお断りする。
東南アジア、特にクアラルンプールあたりではこの手のトランプ詐欺が多いのだが、アテネでも?という感じが否定できなかったからだ。
ちなみに、夕食はプラカ地区(Plaka)にあったタベルナ、ここは不思議と日本語メニューが未だに残っている店もあり、そういうところは値段も少々高めだ。
もちろん世界的な観光都市だけにたくさんの観光客で賑わっていて、橘玲氏のコラム「“国家破産”の街アテネを旅して」に描かれているような状況には遭遇することはなかった。
もっともわずか半日ぐらいで路地裏の光景を目にすることはなかったし、観光地で大々的なデモがあったわけではないので、私が知らなかっただけかもしれない。
いずれにせよ、ギリシャ滞在初日が平穏無事にスタートしたことだけは確かだった。