故石井紘基衆議院議員が命を賭けた官僚総支配体制の打破 |
2003年10月28日に総選挙が公示される。本来ならそこに立候補者として大きな第一声をあげていたはずの真の国民のための政治家はこの世にいない。
そう、およそ1年前に凶刃に倒れた石井紘基前民主党衆議院議員だ。
ベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)の著書「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」、そして「ヤクザ・リセッション−さらに失われる10年」にもあるようにヤクザに汚染された「政・官・財」にドンキホーテのように挑み、そして志半ばでこの世を去られた。
今でこそウェブサイト上で官庁や地方公共団体が所管する公益法人の検索もできるようになった。
しかし、その公益法人が出資する会社などは秘密のベールのままだ。
彼が熱を入れて追及した特殊法人は、今、その名前を変え独立行政法人となっているものも多い。
しかし、私に言わせれば本当に名前が変わっただけで、むしろ法人で採用されたプロパーの職員の身分や給与は不安定で、天下りのキャリア官僚だけに美味しいという感じがしないでもない。
独立行政法人通則法というのがある。
いってみれば独立行政法人のすべてに適用される原則法規であるが、これを見ただけで何も独立なんかしていないことが一発でわかる。
それどころか国民はおろか、国会や会計検査院すらタッチできない伏魔殿ではないのか?
そして石井紘基議員が指摘したのは財投の整理、小泉首相のやろうとしている郵政民営化でこれが実現するかと言えば、おそらくノーと言わざるを得ない。
確かに財投の資金の流れは変わった。でも特殊法人が発行し始めた財投機関債がリスクに応じた適正な市場金利が付いているとは言えない。
また、郵貯が民営化してもしばらくはNTTやJT、JRのように政府が株式を持ち続け、その間に政治家が余計な介入をして郵貯の資金をバラマキの道具としてしまう可能性は十分にあるからだ。
それと、今までは郵貯資金の株式市場での直接運用はできなかったが、民営化されればそれが何の障害もなくできるようになる。
でも簡易保険福祉事業団や年金資金運用基金が株式市場で大穴を開けたものが、郵政公社だとうまくいくなんて誰も思わないだろう。
簡易保険福祉事業団の資金運用事業は郵政公社へ (2001年6月20日−読売新聞) |
政府は6月19日までに、特殊法人改革に関連し、簡易保険福祉事業団の行っている簡易保険と郵便貯金の資金運用事業を、2003年に設立する郵政公社に統合する方針を固めた。
同事業が株価低迷などで、多額の含み損を抱えていることなどが理由だ。 政府が22日に決定する特殊法人改革の中間とりまとめで、年金資金運用基金の資金運用事業とともに、「廃止を含め、最も安全かつ効率的な運用の方法を検討する」対象に位置づける方針だ。 簡易保険福祉事業団は、総務省所管の特殊法人。 公営宿舎「かんぽの宿」などの施設も全国約120か所で運営している。 同事業団は1999年度末で、郵便貯金250兆円のうち10兆5400億円、簡易保険116兆円のうち14兆8000億円を、株式市場を中心に運用。 運用実績は非公開だが、株価低迷で運用実績が大幅に悪化しているとの指摘が強い。 このため、同省は今月4日、同事業団の資金運用状況の公開を1年間前倒しし、今年7月に行うことを決めた。 郵貯や簡保の資金は大半が財政投融資として特殊法人などに投入され、残りを郵政事業庁が運用。 政府による株式市場での資金運用は禁止されており、事業庁は一部を同事業団を通じて運用してきた。 だが、郵政公社に移行すれば株式市場での直接運用が可能となるため、22日に発足する特殊法人等改革推進本部(本部長・小泉首相)は「運用責任の明確化」を理由に、事業団の資金運用を郵政公社に行わせるよう総務省に正式な検討を求める方針だ。 |
民営化されればサービスがよくなる。
確かにそうではあるが、郵貯の最も重要な使命は庶民の安心感を守ることではないだろうか?
第一、民間銀行が実質国営化されてるのに郵貯だけ急いで民営化する理由が私には理解できない。
金融機関に対する信頼が日に日に低下する日本で最後の庶民の砦、郵貯すら信頼を失ったらいったい庶民はどこに金を預けたらいいのだろうか?
最後に彼の著書のあとがきを紹介しよう。
この叫びを聞いてもあなたは何もするつもりはないだろうか?
ベンジャミン・フルフォード(Benjamin Fulford)は日本政府が外国人ジャーナリストの間でNATOと蔑まされていると書いている。
NATOとは、北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization)のことではない。
No Action, Talk Onlyだと言われてるのだ。
これは取りも直さず、我々国民が言われてるのと同じなのだ。
「官僚天国日本破産 (道出版)」は作り話の本ではない。 ここに述べ、示した事柄は、私が国会議員として調査、研究を積んだ上で明らかにした責任ある事実だ。 さらに本書は単に事実を伝えようとするだけのものではない。 国の危機、民族の危機に立ち向かい、国を作り変えようという行動なのだ。 私は本書と同時期にオウム問題(『オウム事件は終らない』(立風葦屠刊)についての本を出版するが、オウムや悪徳商法、いじめ、慢性不況の病根は「官僚総支配体制」(官総体)にあると私は断言する。 この体制は国家資本主義の終着駅である。 このままの状態で進んでしまえば、国家諸機能の同時破綻しかない。 行く手に待ち受けるのは今日のロシア社会の姿をもっておよそ想像できる官僚国家の末路である。瞬時にして訪れる経済・社会の崩壊である。 私たちは官総体の打破を急がなければならない。 この際、政・官・財のもたれ合いによって成立している官総体という歴史的体制を打ち破る運動で、この体制に依拠する政治家たちに幻想を抱くことはできない。 変革を進める上で基本的に最も強い立場は国民にしかない。 変革は自由な国民自身の手で遂行しなければならない。 しかし、いまわが国が直面している体制変革には次のような特徴がある。 即ち、打ち破るべきものが直接の政治権力と言うよりも、力のない政治権力に代わって支配権力を実質的に行使している官僚による権力とそれに依存している政治であることだ。 従って、私たちの運動は様々な民主主義的条件や世論に支えられるなら、次第に大きく政治を動かすことが可能であるし、官僚でさえ、国の未来を憂えて役割を果たすことになると考える。 さらに、現実的で論理的な方法論に依拠して運動を進めるならば、変革を急速に進めることが可能となる。 少なくとも今日、政府も各党も、行政改革が中心的課題であることを標樗せざるを得ない状況にある。 このことは客観的条件として国民にとって極めて有利である。 本書の原稿〆切までに間に合わなかったが、1996年2月20日の予算委員会に於ける私の追及を受けて会計検査院は、国の系列子会社、孫会社のリストを近く作り上げるとの報告をしてきた。 さらに大蔵省は同じく2月29日の同委員会での私の追及に応えて、所管の特殊法人日本たばこ産業に作らせている財団法人日本たばこ産業弘済会の子会社全て(六社)を清算することを確約したのだ。 また、総務庁は1996年3月までに、政府系列孫企業への出資状況についての監査を完了し、その結果を私に報告すると言って来た。 建設省は1994年、私が衆議院内閣委員会で指摘した住・都公団の年間1700億円の子会社へのなれ合い契約について、1995年度にはそれを無くし、民間企業に発注しているとの報告がもたらされた。 こうした”改善”は、変革への扉を開く可能性を示した出来事と言ってよい成果である。 正しい主張の前には「悪貨は駆遂される」ことを証明している。 孫会社から子会社へ、子会社から親会社への資産回収、そして行政機構の全面的再編、簡素な政府へ。 次第に大きな悪、巨悪へと挑戦を進めるのだ。 巨悪はそう簡単には後退しない。 巨悪を駆遂するのは国民の力しかないのだ。 私はいま、それを必要としている。 「国民会計検査院」こそ官僚総支配体制を突き崩し、国を若返らせ、活気と希望に満ちた新しい日本を創る原動力であると確信する。 私は渾身のカを込めて訴える。『行動の嘩それは今しかない』と。 終わりに、私の原稿、零そして長時間の度重なるレクチャーをもとに優れた脚本を執筆された脚本家の前田和男氏、熱のこもった入念な絵を描き上げてくれたマンガ家の花岡一氏、全体の進行でお世話になった道出版株式会社の貴志元則氏、阿久津忠氏に心から感謝申し上げる。(1996年3月8日著者) |
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