7/3(Sun) |
この日は夕食の時間まで自由行動にした。
sundayさんとまーくんはバンコク3大寺院巡り、達也さんはチャトゥチャック・ウィークエンド・マーケット(Chatuchak Weekend Market)へ、そして、私はタイ通のひでさんから頼まれていたマッサージオイルを探しにサイアム・パラゴン(Siam Paragon)とMBKへ行ってみることにした。
実のところ、私は昨日ガイドしてくれたHemaratさんからシーラチャー(Siracha)にあるタイガー・ズー(Tiger Zoo)を勧められたのだが、ここへ行くのはパタヤ(Pattaya)へ行くのと大差がなさそうだったので、時間に制約がある今回は見送ることにした。
さりとて今日は選挙の日、暑い中を彷徨ってカフェに入ってもビールは飲めない。
街中は候補者のポスター、コンビニの冷蔵庫は酒類販売規制の張り紙、選挙で暴れるタイ人がいけないのか、こんなときに来た私たちがバカなのか。
唯一、地下鉄(MRT: Bangkok Metro)が午後4時までは無料となっていたことが救いと言うべきなのだろうか。
選挙候補者のポスター | |
7月2日の18時から3日の24時まで酒類販売は禁止された。. | |
かくして私は、無料の地下鉄と、ツアーに付いているBTSの1日乗車券を使ってバンコクをぶらぶらとすることにした。
まず、ひでさんが私に買ってきてくれと言ったBody Massage Oil 200ml - Romance(英語・タイ語)を探しに行ってみる。
ロマンスという名が付いているだけあって、香りがいいので、私の分もついでに1つ買って帰ろうと思ったからだ。
とりあえず、最初はデパートの化粧品(cosmetics)売り場を探すべくサイアム・パラゴン(Siam Paragon)へ、ところが、店員に聞くとあっち行け、こっち行けで、目当てのマッサージオイルはありそうでない。
日本のデパートでこんな目にあったらクレーマー100名様いらっしゃい、という感じなのだが、タイではこんなことは日常茶飯事なのだろう。
結局30分ほどデパートの中をうろうろしたが、目的を達することはできなかった。
次に行ったのはMBK、ここは土産物のTシャツなども売っているので、元々来ようと思っていたところだ。
ちなみに、ここの6階にマッサージオイルを売っているところがあって、ひでさんの言っていたロマンスというものと、フランジパニ(frangipani)の匂いが似ていたので、それを買っていくことにした。
厳密には違うものらしいが、タイ人化している彼はそんな細かいことは気にしないだろう。(笑)
バンコク観光とショッピング | ||||
サイアム・パラゴン(Siam Paragon) | BTS | MBK | ||
チャオプラヤ・エクスプレス・ボート(Chao Phraya Express Boat) | ||||
ワットポー(Wat Pho) |
MBKでの買い物を終えた私が次に行ったのは、チャオプラヤ・エクスプレス・ボート(Chao Phraya Express Boat)の乗り場の最寄り駅であるサパーンタクシン(Saphan
Taksin)、ここからツーリストボート(25バーツ=70円)に乗れば、バンコク3大寺院にアクセスすることができる。
オレンジか黄色の旗が掲げられたボートに乗って終点で降りれば、sundayさんが行きたがっていたノンタブリ(Nonthaburi)だ。
私が行ったのはワットポー(Wat Pho)、なぜここに行ったかといえば、タイ古式マッサージの総本山ということで、本格的なマッサージを受けることができるからだ。
それに、バンコク3大寺院、まとめて行ったのは日本語ガイド付きで回った1997年12月23日なのだが、その後、2007年1月31日にワットアルン(Wat Arun)へ、2010年1月24日にワット・プラケオ(Wat Phra Kaeo)と行ったので、残っていたのがワットポー(Wat Pho)だったというわけだ。
ガイド付きツアーというのは楽な反面、自分のペースで回れないのと、あまり思い出に残らないという欠点があるので、あらためて個人で行ってみたのだ。
ここでの見どころは、長さ46m、高さ15mの巨大な涅槃仏(reclining Buddha)、真珠層で作られた瞳と足、108種類の幸運のラクサナが示されたところは圧巻である。
ワットポー(Wat Pho)の見学を終えた後、ホテルへ戻るのにどうするか。
一番楽なのはター・ティエン(Tha Tien Pier)からボートに乗って帰るのだが、往路と同じルートを通るのは面白くない。
sundayさんとまーくんはここからフアランポーン(Hua Lamphong)駅まで歩いたと言うが、もちろん、軟弱な(!?)私はそんなことをするつもりはない。
かといって目の前を通るバスにトライしようと思ってもどこへ行くか見当がつかない。
最初からバスに乗るつもりでいればBMTA (Bangkok Mass Transit Authority)などでリサーチしておくのだが、ワットポー(Wat Pho)の前でうろうろしていては怪しげな客引きのカモになるだけだ。
結局、私が選んだのはトゥクトゥク(tuktuk)、初めてバンコクに来た1997年当時は移動手段の主力だったこの乗り物も、今やメータータクシーが普及し、しかもトゥクトゥク(tuktuk)より安いので、話の種くらいにしか乗ることはない。
実際、値切り価格でホアランポーン(Hua Lamphong)まで150バーツ(390円)と、おそらくメータータクシーよりも割高だったと思う。
何しろ排気ガスを吸うことになるし、エアコンは効かせようがないので、快適さを求めるなら乗るべきではない。
それでもこれを選んだのは街中を走り抜けるときに感じる人々の息吹を体感できると思ったからだ。
タニヤ通り(Thaniya Street) | |
夕方6時になって三々五々にバンコクを楽しんできた面々がホテルへ戻ってきた。
今夜はバンコク在住の友人に声をかけていたので、彼に美味しいシーフードレストランへ連れて行ってもらうハズだったのが、下院議員選挙に伴う酒類販売規制がされているタイではレストランでビールは出てこない。
こんな時期にブチ当たるのは何年かに1回しかないはずなのだが、こればかりは仕方がない。
そこで、行ったのはまたもや日本人御用達のタニヤ通り(Thaniya street)、ひでさんは白人租界と化したナナ(Nana)でも秘かに飲めるところはあるのではないかと言うが、左党にとっては酒が飲めればどこでもいい、というのがこういうときの偽らざる心境か。
こういうときこそ強制休肝日になっていいじゃない、という声が聞こえそうだが、こんなことでは世界遺産がいくらあってもゴリゴリのイスラム圏であるイランには行けないな、と痛切に思う私であった。
7/4(Mon) |
日付が変わった7月4日0時、酒類販売規制が公式に解除された。
かといって他のアジア諸国のようにコンビニで酒が買えるかというと、タイでは時間帯による規制は選挙にかかわらず行われているので、深夜0時を過ぎてのコンビニでのアルコール販売はされなかったように思う。
もちろん、ホテルのバーやレストランで飲むことはできるので、フロントスタッフに頼んでレストランの冷蔵庫からビールを出してもらう。
ここまでして飲むか!と言われそうだが、飲むな、と言われると飲みたくなるのが左党と言われる人間の性、今や世界の主要国では禁煙流行りだが、それでもタバコが止められない人たちの気持ちが何となくわかったような気がする。
睡眠時間わずか3時間余り、8時発のフライトに間に合わせるため、HISバンコク支店のスタッフが5時半にホテルに迎えに来る。
そのまま車に乗り込み、スワンナプーム空港(Suvarnabhumi Airport)へと向かう。
そして、チェックインしようとしたときに異変は起こった。
何とパスポートがない、ホテルのロビーにいるときに帰国便のe-ticketとともに確認したので、どこで落としたのかと青ざめる。
シャレにならない事態だ。
そこで寄ってきたHISのスタッフ、どこかへ電話をかけて確認すると、「お客様のパスポートはホテルにあります」と・・・
良かったと思った反面、何でそんなところに・・・と思ったのも事実、いや〜日本語ツアーで良かったとも言えるのか、気が緩んでいたのでホテルのロビーで落としてしまったのか・・・
とりあえず、1,000バーツ(2,600円)の手数料がかかると言われたが、これを拒否する選択肢は私にはなかった。
パスポートがホテルの社長によって届けられ、遅まきながらチェックインを済ませると、出国審査は長蛇の列となっていた。
何があったのかと思うような出国ラッシュ、これを通り抜けると、もはやカフェでコーヒーを飲んでいる時間すら残っていなかった。
出国審査の混雑とは裏腹に成田行きのJALは、日本へ行く人がいかに少ないかを物語るようにガラガラに空いていた。
最初は事前座席指定(搭乗の72時間前から可能)でゲットした私たちの席の周囲を取り囲むように、タイ人の見習いスチュワーデスで埋められていたので気づかったのだが、前方は中央3列がまるまる空いているところがいくつもあった。
そんな中で朝食がサーブされる頃になって、急速に吐き気を催してトイレに駆け込んだ私、スチュワーデスに何か薬をくれと言い、前方の空席をベッドにして横たわる。
乗客が少ないので暇だというのもあるのか、入れ替わり立ち代り「お客様大丈夫ですか?成田に着いたら車椅子に乗って行かれますか?」などと声をかけてくれるスチュワーデスたち。
ああ、JALでよかった、タイ人スチュワーデスでも日本語ができる、と言っている場合ではなかった。
成田で降機するとき、車椅子に乗ってネタを提供してもよかったのだが、彼女たちの過剰な気配りが裏目に出て、健康相談室から病院へ直行ということにもなりかねない情勢だったので自力で入国審査場へ向かった。
幸いにして健康相談室では、下痢さえなければ伝染病などに罹っている可能性はほとんどないでしょう、とのことで検温だけして解放された。
まあ、本当に健康相談室へ行かなければならなかったのは、今年の1月にニューヨークから帰国したときだったのだがね。